いえいえ。私は元の世界に帰るから結婚は却下しますっ!

月宮明理

フローラさんとの初対面

 食事を終えた昼下がり、シグルドに案内されてやってきたのは、城から少し離れたところにある小さな建物だった。もちろん、お城と比べれば小さいだけであって、普通の一軒家よりは大きいくらいだ。
 私たちは玄関口に居た二人の兵士に軽く会釈をして中に入った。建物の内部はお城のものと変わらない。
 さすがはお妃様、というべきなのだろう。彼女の部屋の前には何人もの兵士が、背筋をピンッと伸ばして立っていた。
 シグルドがドアを軽くノックをすると、

「はーい、どうぞー」

 女の声で返事が返ってきた。随分と気の抜けた声だ、とぼんやりと思いながらドアを開けると――

 ムギュッ!

 得体のしれない柔らかいものに顔が飲み込まれ、両側から伸びてきた細長いものに胴体を締め付けられた。なにやら温かいものだ。
 何が起きたのか全く理解できなくて、私は目をパチクリさせていると、

「待ってたのよー! 貴女、なかなか私のところに遊びに来ないんだもの!」

 頭上から降ってくるアルト。ようやく自分が誰かに抱きしめられてると理解した。
 やっとのことで首だけを上に向けると、その人は黒い瞳を輝かせて私を見ていた。絵に描いたように スゥーッと通った鼻筋、薄い唇には真っ赤な口紅が塗られている。かすかに香ってくる甘い香りに、ほんのわずかだけどくらくらした。

「そんなに見つめないで! 照れちゃうわ」

 言葉とは裏腹に、彼女は私の額にそっと唇を押しつけた。

「えっ……あの」
「フローラ様、もうその辺にしておいてはいかがですか?」
「えー、久しぶりに会えたのに……」

 シグルドの言葉に、しぶしぶといった様子で離れていったフローラという女性。離れたことでようやくその人の全身が確認でき、そして絶句した。
 女性にしては結構な長身で、なおかつドレスを着ていても目を引く素晴らしく豊満なバスト。そこに顔をうずめていたと思うと……同じ女性だけど、ちょっとドキドキした。
 ウエストはほっそりとしていて……よくもまぁ、その大きな胸を支える事ができるな、と感心してしまうほど。
 肩よりも少し長いくらいの髪の毛はふんわりとした内巻きで、彼女の雰囲気を柔らかいものにしていた。
 ――女神だ。でなければ神に愛された女性だ。
 そう思えるほどに完成された美しさだった。

「ヒメカ、ほらほら中に入って!」

 彼女に腕を引かれるままに部屋に入る私にシグルドも続く。静かにドアが閉まると、そこは私たち三人だけの世界になった。
 部屋の中央にはお菓子と飲み物のおかれたテーブルがあった。私の視線がそこに注がれているとわかると、彼女は青いドレスを翻し、踊るようにしてテーブルに近づいた。

「ヒメカが来るって言われたから、大慌てで用意したのよ。――ほら見て、このクッキー。私が焼いたのよ。一緒に食べましょう!」

 破顔させて言う彼女は、容姿に反して子供っぽく見える。
 彼女の強烈な魅力――容姿、テンション、強引さ、その他諸々にすっかり飲み込まれてしまっていたが、私はお妃様に会いに来たのだ。病床にふけっているといわれているお妃様に。
 しかし、部屋を見回しても他には誰もいない。ベッドもきれいに整えられている。となるとまさか――

「ほらヒメカ、こっちにいらっしゃい」

 何事もないように振舞っているこの女性が……お妃様?

「お、お母様……?」

 おずおずと、誰にともなく呼んでみる。もし予想が違っていたとしても、『お母様はどこにいらっしゃるの?』という意味合いだと理解してくれるだろう。
 と、彼女にいきなり顔を手で挟まれた。

「……?」

 戸惑って見上げると、彼女はぷーっと頬を膨らませ、口をとがらせていた。

「お母様って呼んじゃ嫌っ! 『フローラ』って呼んで!」

 思いもがけない内容に、私はそのままの状態で唖然とした。
 何なの、この人は! 子供じゃないんだから……。これではまるで病気だ。……あぁもしかして、こういう病気……?
 『お母様』という呼び掛けに拒絶の意思を示したものの、『お母様』であることに対しては否定していない。ということは、残念ながらこの人がお妃様に間違いないことか……。
 あれこれ考えていると、今度は頬に鈍い痛みが走った。一拍おいて、つねられているのだと分かった。

「聞・い・て・る・の?」
「い、いひゃい! いひゃいでふぅ。きいふぇまふかりゃ!」
「何言ってるかわからないわ」

 引っ張られたり押されたりと、落ち着かない頬の状態ではまともに話すこともできない。そんな状況をみかねてシグルドがフローラさんをなだめようと声をあげた。

「フローラ様、もうその辺で勘弁してあげては……」
「シグルド、少し黙ってて。そしたらあとでイイコトしてあげるわ」
「結構です」

 フローラさんの含みのある発言に、きっぱりと否定の意思を示したシグルド。フローラさんは妖しげな笑みを口元に浮かべた。

「そうよね、だって貴方はロリコンだものね」
「……なッ!」

 フローラさんは私の頬から手を離し、身体ごとシグルドの方に向いた。そしてピッと彼を指差す。

「私、知っているのよ! シグルドが本当はヒメカを……」
「うわぁぁぁぁあああ!」

 シグルドは似つかわしくない大声をあげ、そしてそのままフローラさんの口を軽くふさぐ。同時に私は、自身の耳をふさいでいた。細い体のわりに随分と大きな声が出るものだ。一瞬遅れていれば、鼓膜が痛んでいたに違いない。
 しかし結局、シグルドのせいでフローラさんの言葉の最後は聞こえなかった。

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