箱庭の神様

葉月+

血を吸う鬼と護身刀 08

「自分の生き死にさえ自由にならないなんて。お前、可哀想な化物だったのね」
 氏神としての自覚がないのも、死にかけていたことも当然なのだとわかってようやく。叶が鬼王とわかって以来、いつになく緊張して、まるで水の中にいるよう苦しかった呼吸が楽になる。
「お前が鬼王ならどうにかして殺してやろうと思ってたけど……いいわ。そういうことなら、せいぜい扱き使って、最期は心中してあげる」
 憑き物が落ちたような心地。晴れ晴れとした気分で、私は笑う。くすりくすりと肩を揺らして。一時は我を忘れるほど燃え上がり、どうにか落ち着いてからもちろちろと胸の内でくすぶり続けていた禍々しい感情が嘘のよう、まるで自然体の自分を出会って間もない叶に晒す。
 私の意思一つでどうとでもできてしまう、猫を被る必要がない相手だとわかってしまえば。あとはもう、気楽なものだ。

「――起きろ」

 そこここに転がる死体へ手をかざし、今度は私が超常の力を行使する。
 一人、二人、三人分。折られ、潰され、捩じ切られ、無残な姿で打ち捨てられた。元は人だったものの残骸を掻き集め、繋ぎ合わせて、人型の肉塊として立ち上がらせるまでがあっという間のこと。
 外法を用いて仮初の魂を入れるでもない。ただ自ら歩かせるためにそれらしい形を取り繕っただけの三体は、私の手から伸びる霊力の糸に操られるがまま、ずるりずるりと歩き出す。そうして、最後には仲良く石棺の中へと身を投げた。
 ――どしゃり。
「叶」
 私が身振りで与えた指示を正しく汲み取った叶が手を揺らし、そこらじゅうに飛び散っていた血が肉塊の後を追う。
「蓋も閉められる?」
 今度は叶の足元から伸びた幾つもの薄っぺらい触手が分厚い石の蓋をと持ち上げ、人死の穢で満ちた石棺にそっと被せて閉じた。
 綺麗に片付いた御寝所で、私は清めの柏手を一つ。
「蝴蝶」
 北西、北東、南西、北、南東。
 五つの方角から天井を這うよう御寝所の中心へと伸ばされた五色の帯に、蝴蝶の本性である太刀を絡めて放せば、それですっかり元通り。
「近いうちに代わりを用意するから。それまでもう少しだけよろしくね」
 封じ込めるべき鬼王がいない以上、今までどおり結界を張り続ける意味もない。表向き何事もなかったかのよう取り繕うだけならなにも、蝴蝶ほどの太刀を要に据え続ける必要はなかった。
 返事をするようかたりと揺れた太刀に手を振って、叶とともに御寝所を後にする。
 程なく張り直された結界に、外から見て分かる範囲でこれといった不備はないようだった。
「私はここを片付けるから、お前は道々落とした血を集めてきて。少しも取り残しては駄目よ」
「使い魔にやらせてもいい? ……傍を離れたくない」
「言われたとおりにできるなら手段は問わないけど。手早くね」
 私の指示を受けた叶がそこらに落ちていた固まりかけの血と影の触手を混ぜて作った「使い魔」は、四足の異形。大まかな形は猫に似ていた。ただし表面はどこもかしこものっぺりとしていて、獣らしい毛並みはおろか目鼻や口さえ備えていない。
 それでも、与えられた役目をこなす分には問題ないらしい。
 どうやって血を集めるのか。確認がてら眺めていると、その使い魔は血溜まりの前で鼻先を下ろし、本来口があるはずの場所で残された血を啜るよう取り込んでいった。ぽつりぽつりと飛び散った血痕程度なら足の先で触れるだけ。取り込んだ血の分、徐々に体積を増やしながら。さほど時間をかけず社殿の中の血を集め終えると、泥人形のような見かけのわりにしなやかな動きで外へと走り出していく。
「お前、猫にはなれないの?」
「なれるよ?」
 私のちょっとした出来心に二つ返事で応えた叶が姿を変えて見せた「猫」は、背中が私の腰元に届くほどの大きさで。毛皮には特徴的な斑模様が浮いていた。
 猫は猫でも、ネコ科の大型肉食獣。巨大な黒豹の姿でごろごろと喉を鳴らしながら押しつけられた毛並みは、思わず両手が伸びるほどの撫で心地。
 しばらく無心で手を動かしていると、ベルトに吊った護身刀が物言いたげにかたかた揺れた。
(――はっ)
 深山かなでとして生まれてこの方、動物という動物にはことごとく避けられ続けてきたことが災いして。我に返った私はこの手があったかと、眼から鱗の落ちるような思いで――半ば戦々恐々と――叶が化けた大ネコを見つめる。
「にゃあん」
 媚び媚びの鳴き真似も許せてしまうくらいには。正直言って、私は毛皮に飢えていた。

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