箱庭の神様

葉月+

血を吸う鬼と護身刀 05

「嗚呼――」
 添えられた唇へ自分から押しつけた腕に、二度目の牙が突き立てられる。
 前回のことを踏まえて。少なからず身構えていた体に、覚悟していたほどの痛みは刺さらなかった。
 あるのはただ、鋭利な牙が皮膚を食い破り、肉を掻き分けていく異物感ばかり。それさえまるで他人事のようぼんやりと鈍って感じられるだけなのだから、この鬼の体には何かしら捕食に有利な機能しくみが備わっているのだろう。
「お前の血は、あんまり飲むと酔いそうだ」
 傷の大きさのわりにゆっくりとしか出てこない血を、叶は這わせた舌と唾液に絡めて少しずつ味わうよう啜りとっていく。
 蜂蜜のようとろりと潤む瞳。赤みの差した目元は、その言葉通り酔っ払いかけているようにも、もっと違う熱を滲ませているようにも見えた。
「酔うとどうなるの」
「……お前に酷いことをしてしまうかもね」
 だからこれくらいでやめておこうと、酷く名残惜しそうに。殊更ゆっくりと這わされた舌が、穿たれた二つの傷口を癒やして塞ぐ。
 あとには微かな傷痕一つ残らなかった。
「したい?」
「なにを?」
「酷いこと」
 私の言葉の意味を掴みかねたよう丸まった瞳がぱちり、ぱちりと瞬くたび、元の冴え冴えとした輝きを取り戻していく。
 そのうえで――私がどうしてそんなことを訊くのかわからない、とでも言いたげに――叶は、はてりと小首を傾げた。
「したくない」
「どうして?」
 ついさっきまで穴の開いていた腕にもう一度、今度はただ触れるための唇が押し当てられる。
「それでお前に疎まれでもしたら、私は死んでしまうから」
 吸血しょくじの話だ。
「大げさね」
「本当だよ」
 熱の引いた指先が頬を撫で、つくがままになっていた叶自身の血を拭う。
 そのまま顎のラインを辿り、首を伝って胸元へ。下りていく指先を追いかけるよう、少なくない量の血が肌の上を這いずった。
「お前だけが、私を殺せる」
 シャツの襟元で止まった指先目がけて集まる血は結局、叶が緩く握る拳ほどの量にまとまって。持ち上げられた指の先。まあるく浮いた血の珠を、叶ははくりと口にする。
「だからお前だけは、私を恐れる必要なんてないんだよ」
 再度、押しつけられた唇。流し込まれる人外の血はひやりと喉を流れ落ち、腹の底で熱の引いた目玉と一緒になって私の体を芯から冷やした。
「酔ってるの……?」
「ちゃんと正気だよ」
 くつりと喉を鳴らした叶の腕が、人肌に温まった床板から私の背中を引き剥がす。
 起こされた体にこれといった不調は感じなかった。元より貧血になるほどの量は吸われていない。そのうえ、叶から押しつけられた人外の血肉がある種の劇薬として私の回復を助けている。
 表面的な体温が叶とそう変わらないほどにまで下がってしまえば意識するまでもなく、自分の内側なかに他人の魔力ちからが湧き出す泉の存在を感じられた。
「よくは憶えていないけど、私を傷付けられるようながいることは確かなんだ。そんなのに出会したら、お前のような人の子なんてひとたまりもないよ」
 だからこれくらいのがないと、私は怖くてお前を腕から離しておけない――。
 そう言って、叶は自分を食わせた私の体を撫で回す。
「この状態で、私はどれくらい丈夫なの」
「腕や脚なら、切り落とされても綺麗にくっつけられるくらいかな」
 なんとも、酷い話だ。

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