錠剤

arashiyama456

錠剤


バイトへの通勤中に出会ったおっさんが小さな薬の入った瓶を手渡して、

「人生をやり直せる薬だ」

と宣った。

おっさんはシルクハットにタキシードでシャツはノリがしっかり効いて形を保ち、おまけにステッキなんぞを持っている。いかにも、英国紳士的な風貌であったが、デブでひげ面、顎についた肉がシャツの襟の上に鎮座ましましていて、二段腹ならぬ二段顎の隙間に、朝飯だろうか、米粒が挟まっていた。

その分厚ぶあつい肉の重さに耐えきれなかったのか、着地をしたスーパーヒーローみたいな姿勢で地面にうずくまっているところに、僕が通りかかった次第。一見、英国紳士然としたおじさんを放っておけるはずもなく、何なら金持ちだと思っていたので見返りを求めつつ、「大丈夫ですか」と声をかけた僕。

「大丈夫じゃない」

大丈夫じゃないんだってさ。農場見学で見た豚みたいな呼吸音を鳴らし、体臭を放って、エセ英国紳士は「みずぅ」とうなった。

僕は一瞬軽蔑のまなざしを向けつつ、しかしお金をもらえるしなぁとすでに見返りを確定させて、それなら、と近くの自販機に歩いて行って、100円を入れて、いろはすの小さいやつを買った。

キャップのとこをつまむようにして、シルクハットをかぶった豚に差し出すと、物乞いのようにいろはすを奪った豚はキャップを開け、世界記録並みの速さで飲み干した。かわいそうなペットボトルは吸引により、裏返って飲み口から底が出てくる勢いでひしゃげた。

豚は「どぁあ」とうなった。僕の知ってる豚の鳴き声じゃない、もしかしたら違う生物なのかもしれない。

「いやぁ助かった」
「それはよかった」

早く見返りをくれ、バイトに遅れそうだ。エセ紳士は今にも折れそうなステッキに体を預けるようにして立ち上がった。ステッキは悲鳴すら上げなかった。アダマンチウムでできているに違いない。おっさんは内ポケットに手を入れた。待ってました、と前傾姿勢になって手をこまねく僕。出てきたのは財布ではない。

「これをお詫びにあげよう」開いた手に小さな茶色い瓶が乗っている。
「なんすかこれ」
「人生をやり直せる薬だ」

おっさんの呼吸音がきこえる。近くを外車が通りすぎて、たばこが投げ捨てられる。タバコはおっさんの足にぶつかって、黒いスラックスに穴が開く。エセ英国豚は驚いたようだが飛び上がる筋力なく、倒壊するビルのように倒れこんだ。僕はおっさんが立ち上がるのをじっと見ていた。またもやそこには軽蔑の色が混じっていた。

「受け取れ」
「そんな怪しいもの受け取れないっすよ。法に触れるやつでしょ、どうせ」
「覚せい剤などではない」

おっさんはいきおい、ネズミ講でしょ? と非難されたマルチ商法勧誘人間よろしく激しい権幕で詰め寄った。おがくずをどぶに浸したようなにおいが強くなる。

「この薬を飲めばな、過去に戻れるんだ」肉でぶよぶよの手で僕の手を取り、怪しい薬の入った瓶を受け取らせた。
「一度に一錠だ。それ以上はいかん。戻りたい過去を思い浮かべて飲み込むんだ」

僕は、はあそうですか、と話半分に聞いて、腕時計をみて、ああバイトは遅刻かなぁとかそんなことを考えていた。

「じゃあ私はここで失礼する。ありがとな」そういって、件のエセ英国紳士は体重でステッキを虐げながら歩いて行った。

僕は瓶を見ながらからからと振ってみる。風邪薬みたいな錠剤が十個ほどはいっている。あやしいなぁ。そうおもってとりあえずポケットに入れると、小走りにバイト先へと急いだ。



バイトが終わり我が城、ボロアパートの205号室についた僕はテレビをつけて座り、ビールを開け、違和感でポケットに手を伸ばした。ああそうだ。これを忘れていた。

小さな瓶は夢ではない。ということは、朝出会ったあの英国紳士豚野郎は本物だったということか。あくびをひとつして、瓶をテーブルに置いた。

人生をやり直せるものならやり直したいが、ふむ、本当に覚せい剤の類じゃないだろうな。瓶の中の白い錠剤。いつかニュースで見たアルファベット四文字のやつはもっとカラフルな見た目だったような気がする。

というか。仮に過去に戻れるとして、それはどういった形で戻れるのだろうか。錠剤をのんだ瞬間、机の引き出しが開いて青狸型ロボットが現れて、僕は首根っこをつかまれ、ぼろいタイムマシンに乗せられ過去に連行されるんだろうか。

それとも体だけが若くなるのだろうか。


トイレ飯を続けた大学を中退して正社員になるわけでもなく、フリーターとなって早5年。夢があるわけでもなくただ漫然と日々を過ごしてきた。

人生やり直せるならやり直したいさぁ。瓶を持って帰ってきて、こうやってじっと眺めている以上、少しはあのおっさんの言葉を信じているってことなのだろうか。

きっとそうなんだろうなあ。

僕はため息をついて立ち上がるとコップに水を汲んでテーブルに戻り、瓶を開けて一錠取り出した。錠剤の表面はつるつるしている。糖衣錠みたいだ。きっと半分は優しさでできているのだろう。知らんけど。

毒だったらどうしようかなぁ。人生をやり直せる=死だったらどうしよう。
まあいいかあ。



僕は、錠剤を口に放り込み、水で飲み下した。

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