冬フェンリルの愛子となった私が、絶望から癒されていく話
春編4:平民の相談
「長老!」
真っ白なヒゲにやせ細った体の老人は、話そうとして、プルプルと震えだした。
咳き込んでから「おっと」とヨダレを吹く。
((長老……))
かつては鋼の肉体を誇った長老ももう120歳。
近年、回復効果が豊かな千年桃が実らなくなってからは、どんどんと小さくなるばかりだ。
そうなった老人はこのような会議の場に姿を現さないのが習わしだが、長老は貧しくなっていくこの集落の行く末が心配でならないからだろう。
今となっては彼くらいしか、この谷がささやかでも恵まれていた時のことを知らない。
「ほあッ」
長老が刮目すると、一瞬背筋がぐんと伸びた。
ほっ、ほっ、と左右に体を振るのを家長たちがハラハラと眺めている。
「いてーーーっ! くないんじゃわい。これがの」
ガク、と家長たちは肩を落とした。
「長老……。その、もうくたばったかと誤解するような冗談はおやめくだせえ」
「心臓に悪いぜ。魔力がギュッと凝縮しそうだ」
家長たちは背中をさすってあげている。
するとしなやかな筋肉に驚くばかりだ。
長老は「もごもご……」と口を動かして、真っ白なヒゲを撫でるばかりだ。随分と耳も遠い。
「……谷底にぃ、翠玉姫が送られてから春が来たのぅ……。最初の春はいつもよりは豊かに、けれど短い春が……。……あれからもしも、春姫様になられていたのだとしたら……なぁ。ゲホ」
「現王族がそのようなことを成し遂げられるだろうか?」
一番若い家長が、吐き捨てるように言った。
名を、クガイ。
クガイは長老の教えを守って訓練するかたわらで、若い王族が遊び呆けているのをいつも横目に見ていた。第一王子と翠玉姫はうららとさまよい春の恵みを根こそぎ摘んでいって、お遊びにしていたことも。
(あの女子が春姫様に? このような山の恵みを、平民街にまで生む御心があるとでも? ありえないッ!)
ダン! と壁に拳をぶつけた。
ぼかんと仲間に肩を叩かれる。
頭を叩くのはいけないという長老の教えゆえ、ここなのだ。
「ちっ。頑丈な体してやがる。そんなお前が力いっぱい壁を叩いて、この会議所が崩れでもしたらどうするんだ!?」
「…………スマン」
熱くなりがちだが、素直でもある。それで身内は許した。
この山荘は貧しい。
協力しないと生活が立ち行かないので、こうすれば和解の合図、と決まっている。
それにこの山荘にとどまって生活をしている若者は貴重なのだ。クガイはこのラオメイの文化に熱心な貴重な継承者なのである。
「長老。この気候には春姫様が関わっているというのか?」
桃の花降る外を複雑な心境で眺めながら、クガイがもう一度聞く。
座り込んで息を整え、長老はゆったりと頷いた。
「……古い伝承じゃ。春龍様が後継を望んだときに……二度、春が呼ばれたことがあるのじゃと……。まだ幼い龍であった春姫様が、つい、力足らずに詠唱をズレさせてしまったそうな……。そうして、ふたりでもう一度春を呼んだ。
なんと三度も春がやってきたその年には、溢れるほどの桃が成り、あわてて毎日食べた民たちは強靭な体になって、春龍様の寿命もグンと伸びたのだそうだ。……そのときの桃の種が受け継がれて、千年桃と呼ばれておる。ふぉふぉ」
「なんか……失敗談かッ?」
「丸く収まったのだからいいような気もするが」
「その年には夏が遅れて大変になったそうじゃなあ……?」
「失敗談じゃんかッッ!?」
「よさないか、クガイ」
どこん。
また肩が叩かれて、注意係の男性が腕を押さえて苦悶した。
ぐおおお……と呻く声を、冷風が軽やかに拾う。
代わりに吹き抜けてきた甘い春風が腕をくすぐるようにまとわりつくと、注意係がハッとしたような顔をして、すっくと立ち上がった。
「甘い風で痛みが消えた……!?」
「まさか。殴ってみてもいいか?」
「やめろよ!」
「千年桃の香りで民が癒されたという伝承どおりに……ッッ?」
このような春への感動と、王族への感情がぐちゃぐちゃに入り乱れたクガイは、頭を掻きむしった。
短い黒髪がわしゃわしゃと立った。
グギギギギ、と歯を噛み締める音が周りにも聞こえたほどだ。
「実際のところがどうなのか、俺が確かめてきてやるぞおおッッ!!待っててくれ!」
「あ、おい、お前こそ待て…………早ぇ」
クガイが外に踊り出ていった。
緑魔法で偽りの植物を崖に生やして、長く伸びたツタをロープのように使い、ぶら下がってほとんど垂直に崖を駆けていく。フラットシューズは岩肌をとらえてほとんど足音をさせないのだ。修行をしている若者の中でもとびぬけてセンスがある。
クガイの軽やかな身のこなしに追いつけるものはここにいなかった。
どのような騒動になるのか、問題が起こってから対処をするか……と残った大人たちは長老を囲んで話し込んだ。
それを、春龍の使者は影のように物陰にまぎれながら聞いていた。
「どうだった?」
そして冬フェンリルに連絡をするくらいには、信用をしたようだ。
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