冬フェンリルの愛子となった私が、絶望から癒されていく話

黒杉くろん

68:春の到来

 冬祭りの名残のためか、商店には様々な入浴剤が揃えられていた。

「みんな、あの特別な日を忘れられないのです」

 村長さんの言葉に、街の人みんながにこやかに頷いた。
 並ぶ商店の扉にフェンリルのサイン……青色の肉球スタンプを見つけて、私もあの夜を鮮やかに思い出す。
 そっと指輪を撫でた。

 レヴィとミムレットが、きゃあきゃあとはしゃぎながら入浴剤を選ぶ。
 女の子らしく目を輝かせながら、色や柄が綺麗だと語っている。

 ふふふ、気持ちわかるよー。
 あの子たちにとっては初めてのお出かけだし、たくさんのお土産品を前にはしゃぐのも当然だよね。
 私も一つを手に取る。

「フェルスノゥ王国らしい、雪模様。とても素敵です」

 入浴剤の表面には、自然由来の絵の具でいろんな模様が描かれているんだ。

 それを褒めると、店の奥にいた職人さんがおいおいと泣き出した。
 あ、あのね!?  気まずいです……!

「生きててよかったァァァ!」
「そこまで飛躍しますか!?  あ、あの、今後も素敵な作品作り頑張って下さいね」
「創作者にとって最高の応援です!!」

 彼の創作意欲が刺激されまくったらしい。
 ビシィ!  と敬礼して奥に引っ込む。

 つい気になっちゃって、私たちは扉の隙間をじーっと眺めた。

 ものすごい勢いで筆を動かしている職人さん。
 真っ白な丸い入浴剤に、白銀のフェンリルと青の雪妖精を鮮やかに描き上げた。
 とても満足げに、私たちに見せてくれる。

「わあ……!」
「すばらしい」

 私とフェンリルがまじまじ眺めて絶賛すると、職人さんは……いい笑顔で気絶してしまった。

 ああ、フェルスノゥ王国ではよく見る光景だなー。
 ……こういう時の対応は、えっと、女店主さんに任せよう!

 さすが雪国の女性は強いというか、見事なチョップで職人さんを起こしてみせた。

<ねぇ冬姫様。わたくし、こちらの入浴剤がいいわ>
<きれーだね〜!>

 できたてのフェンリル柄の入浴剤を、レヴィがそっと手に取る。

<冬姫様とともに空に昇る気分になれそうだもの……>
<あー!  レヴィ、わたしのことはー!?  ねー!>

 ミムレットがレヴィにぎゅーっと抱きついたら、二人の体がふわっと浮かびかけてしまった。

 慌ててグレアが二人を引き離す。
 補佐官、ありがとう……!

「タイミングが早すぎると空に昇りきれず、途中で落ちてしまうぞ。気をつけるように」
<はーい>

 フェンリルに注意されて、膨れたミムレットの頬を、苦笑したレヴィがつついた。


 ☆


 湯の乙女の人数分、入浴剤を購入した。
 全部で30個!

「湯の乙女、大勢いたんだね……!?」
「森の広場にひっそりと出現するからな。私たちは主に雪原を移動していたから、出会う機会がなかったのだ」

 フェンリルの言葉に、納得。
 雪原に温泉が出現してたら、走ってる最中にそこに落ちちゃってたかもね。

「雪妖精よ。入浴剤を届けてくれ」

 フェンリルが30個の魔法陣を展開し、雪妖精を呼び出して、入浴剤を預けた。

 雪妖精は私たちに一礼して、また魔法陣をくぐって消える。

「事情を説明して、乙女が心の準備を終えるまでに、少しかかるだろう。今のうちに舞台を整えようか」
「舞台……?」
「せっかく街にいるんだ。入浴剤を提供してくれたお礼もこめて、皆を、春のおとずれの観客席に招待しようではないか」

 フェンリルが声を響かせると、街の人たちが「わあああっ!」と大歓声を上げた。

「ど、どうやって?」
「エルが雪山の頂上に、氷の祭壇を作ってくれただろう?  あのようにだな……」

 待って。
 雪山の頂上に祭壇って聞いて、フェンリル信者の皆様がガタッッッて盛大に反応してるよ?

 これ、ひょっとしなくても巡礼地になる流れじゃないかな?
 ……私、凄いものを作っちゃったかもしれない。

 あの山の頂上までどうやっていく気なんだろう。
 王族は気合いで登りそうな勢いだけど、一般市民は………いっそフェンリルが新幹線を走らせて見せびらかしそうな気もする。
 今の彼なら。

「エル?」
「……ああごめん、どんなふうに展開するのがいいんだろうって考えてたの……あ、あはは」

 遠い目になってた理由なんて言えないよ!

「それは心強い。私が強力な魔法を惜しみなく使えるのは、エルの名前のおかげだが、まだ慣れないんだ。手伝ってくれるなら嬉しい。舞台作り、協力してくれるか?」
「私にできることなら、喜んで!  だけど……どうやってイメージや魔力を共有するの……?」

 フェンリルの目がきらんと光った気がしたので、私は思わず半歩後ずさる。
 だ、だってね?

 でも、たったこれだけしか離れられなかったのは、彼がまた珍しい表情をしてて、これを見逃さずにいられるか!!  とファン魂が叫んだから。
 ああ惚れた故の弱み……。

「手を繋いでいたら、大丈夫だよ。私たちフェンリルは気持ちを通わせることができる」
「そうなの……?  それなら」

 フェンリルが手を差し出したので、自分の手を重ねた。

 街人たちにニマニマ見守られながら、手を繋いだまま、街の広場に移動する。
 その間、ぐるりと街を眺めて、舞台のイメージを共有していく。
 ──なるほどね!

 イベント情報の口頭リレーが行われていて、街中の人が、広場をぐるりと囲むように集合してきている。

「全員揃ったようです!」

 市民の団結力ったらすごいな。よーし。待ってて下さいね。

 フェンリルが目を閉じた。
 私も同じようにする。

 雪妖精たちの<こちらも準備完了です!>の声が聞こえたので、瞳を開けた。

 ──感覚が研ぎ澄まされている。

 穏やかに吹く北風、足元で舞い上がる粉雪に、包むように照らしてくれる太陽の光。
 私たちが纏う雪色の魔力。

 青さを増した瞳で、すべてを驚くほど鮮明に見ることができた。

「……すごい……!  フェンリルが見てる世界って、本当に綺麗だね……!  どうか、これからも……こんな風に、一緒に」
「うん」

 今回はエルに先に言われてしまったな、とフェンリルが頬を赤くして笑う。
 笑っていると、彼の周囲でパチパチと雪の結晶のように魔力が弾けた。

「「冬の女王フェンリルが命じる」」

 二人で声を揃えると、なめらかなハーモニーになる。
 魔力が混ざる。

「「氷の観客席を!」」

 繋いだ腕を高く上げると、街の四隅に、氷の支柱がぐーんと伸び始めた。

 街の人たちが息を呑む音を、獣耳でハッキリと聞く。

 ふっふっふ、まだまだ、これからだよ?

 フェンリルと目を合わせて、にっ、とイタズラっぽく笑い、下げていた手をくるりと身体に沿わせて半円に動かす。

「わっ!?  地面が……氷の床に……!」
「きゃー!」
「すごい、上昇していくぞ……!」

 街の人たちはざわざわと騒ぎながらも、フェンリルの魔法を信頼しているから、暴れ出すことはない。

 みんながいる通路の形に、氷の囲いができあがり、霜柱のような柱が上に押し上げていく。
 地上五メートルまで上昇すると、それぞれの通路をつなげて回廊のようにした。

 10メートルの高さに浮上。

「よし」
「これなら、よく見渡せるよね」

 回廊の真ん中に立った私とフェンリルが、腕を下ろした。

 天井は作っていない。
 雲ひとつない空を見上げる。
 全員が、私たちの仕草を真似して、上を向いた。

<湯の乙女、雲の乙女、ともに手を取り合ったぞ>
<さあ、春を呼ぶとするか!>

 明るい声に驚いて横を見ると、オーブとティトの姿が。
 そっか、雪妖精の情報をとりまとめて伝えてくれたんだね。
 それに私がさっき魔法を使いやすかったのも、二人がそっと手助けしてくれていたからなのかも。

 ありがとう、って言うと笑顔を返してくれた。

「準備が整ったな」

 フェンリルがレヴィを眺めると、レヴィは穏やかな表情で頷いた。

 ……次の冬まで、お別れだ。

 レヴィが大切そうに手で包んでいるフェンリル柄の入浴剤が、手の温度が上がったことにより、しゅわしゅわと溶けていく。
 月草でつくられた銀色の絵の具が、オレンジの温泉スカートにマーブル模様を描いて、美しく彩る。

<ん……!  身体が……とても熱い……!>

 ほうっとレヴィが吐いた息は、あまりの熱さのため、冬の空気に触れて真っ白になる。

<雲のようねっ>

 ミムレットが息に触れて、手をパタパタ揺らして遊んだ。
 するとミムレットの身体がふわりと浮かび上がり、頭が逆さまの宙吊り状態になる。

「わ!」

 驚いて私が声を出すと、クスッと二人の乙女が笑う。

 レヴィがミムレットと指を絡ませるように手を繋いで、トンッと足踏みすると……オレンジの温泉がひらりと広がり、二人は空に迎えられるように上昇した。

「レヴィ……!」
<冬姫様。きっと素敵な春になるわ、楽しみにしていてね>

 レヴィを見上げて、私は目を丸くする。
 思ってもみない言葉だった。

<とても綺麗な景色や優しい気持ちを作る方法をあなたが教えてくれたもの……わたくし、いい子だから、活かすことができるのだわ>

 本来なら、距離が離れていて聞こえない声を、オーブとティトが届けてくれた。

 遥か上空を見上げて目を細めると……オレンジの温泉で、私が咲かせたスイレンの花が満開になっている。
 そういうことかぁ。

<ありがとう>
「こちらこそ」

 私の言葉も、きっとオーブたちが届けてくれていると思う。

 雪山のあちらこちらで乙女たちが天に昇っているから、白とオレンジの不思議な蒸気の柱がいくつもできあがっている。
 幻想的な光景だなぁ……!

 彼女たちの姿が完全に空の向こうに消えてしまうと……ほんのり色付いた、あたたかな雨が降り注ぐ。

 雪が瞬く間に溶けていって、春風が吹いた。
 みずみずしい新緑の匂いが鼻をかすめる。

 私たちは無言で、光景に見惚れた。

「……あれっ、雪……?」

 ひらり、ひらり、と白いものが空から降ってくる。

「スイレンの花びらだ」

 春らしい緑色の大地に、白い花びらが落ちていく。

「春の雪。……レヴィィ〜!」
「きっと、エルが名残り惜しんでいた冬を改めて見せてくれたんだろうな」
「……うん。きっと。だってレヴィは優しいもん。フェンリルも」
「私がエルに優しくするのは当然だ」

 フェンリルに甘えて、トンと肩に頭を預けながら、風を操って、花びらをひとつ手に取る。

 また冬になったらきっとレヴィを呼ぶからね。

 フェンリルが”春の到来”を宣言した。
 季節が変わった。

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