冬フェンリルの愛子となった私が、絶望から癒されていく話

黒杉くろん

51:雪山調査員の来訪

(グレア視点)


 歴代フェンリル様が寝床としてきた洞窟の近くから、雪原を見下ろすように眺める。

 氷の道に目当ての姿が見えるよりも先に、リンリンと高い鈴の音が、先に耳に届いた。

 これはフェルスノゥ王国からの使者のソリの音。
 フクロウから連絡があった通り、クリスがやってきたのだろう。

「ご無事ですか!?  プリンセス!  ……フェンリル様!」

 俺たちの姿を確認するやいなや、クリスが大声を響かせた。
 まっさきにエル様を呼んだのは……まあ、彼の恋心を思うと仕方がないかもな。しかし位が高いフェンリル様を真っ先に心配するべきところだぞ。まったく。俺としては減点だ。

 走り込んできたトナカイを、クリスが見事に停止させた。
 トナカイの勢いによって、細やかな雪が煙のように空気中にふわりと散らばる。

 白金の髪を乱して、全身に細やかな雪を付けながら、潤んだアイスブルーの瞳でエル様を見るクリス。
 本当に慌ててきたのだな。
 予想していたよりも、随分と到着が早かった。

「こんにちは、クリストファー王子。私たちの方は大丈夫でしたよ。雪崩がありましたけど、スノーマンが雪崩を吸収して地ならしをしてくれて、今はほとんど元の状態に戻っています」
「ああ、よかった」

 ほう、と大きな安心のため息を吐くクリスに、エル様とフェンリル様が微笑みかけた。
 ここまで純粋に心配をされて、嬉しくない者はいないだろう。人柄だな。

 グレア様もお疲れ様です、と笑顔が向けられた。頷きを返しておく。

「フェルスノゥ王国の方は大丈夫でしたか?」
「ええ。大きな揺れがありましたが、こちらは雪かきなどを済ませてありましたので、雪崩もなく問題ありません。住民の混乱は、ミシェーラが統治してくれるでしょう」
「それなら絶対安心ですね」
「はい。心強いものです」

 クリスが苦笑する。
 エル様はなんと声をかけようか迷い、眉をハの字にして困り笑いだ。
 微妙な空気が流れたが、先に口を開いたのはクリスだった。

「やっと僕の心が決まりました。ミシェーラに王座を渡そうと思うのです。女王として、誰よりも立派に国を治めてくれるでしょう」
「……そうですか。すごくたくさん考えて、ご決断なさったんだと思います。クリストファー王子の新しい道が、とても良いものでありますように」
「ありがとうございます!」

 エル様からの祝福の言葉を受け取ると、クリスは晴れやかに笑った。
 その表情にもう迷いは見られない。喜ばしい変化だ。

「クリス。それでは、あなたがこれから進む道はどのようなものですか」

 俺が口を挟むと、クリスはそれはもう嬉しそうに語る。

「この雪山の動植物を調査する使者になりたいと思っています。皆様と一緒に、雪山を守らせていただけますか」

 そう言うと、これまで獣型で会話を見守っていたフェンリル様が人型になった。
 獣型も人型もいつだって最高に美しいです!!!!

「歓迎する」

 フェンリル様がクリスに手を差し出す。

「よろしくお願いいたします」

 クリスは頬を赤くして、決意とともに手を握った。
 がっちりと力強い握手だ。

 フェンリル様のとてもありがたいお言葉、心して受け取るといいぞ、クリス。

「ねー、グレアも嬉しそうだね」

 エル様がそう小声で囁いてツンと肘で俺の脇腹をつつくので、「否定はしません」とだけ返しておいた。

 好奇心旺盛で真面目なクリスは、雪山の調査員として、素晴らしい働きをしてくれることだろう。
 以前話していた図鑑の作成など、俺にとっては楽しみなことが多い。
 望み通りの結果となり、俺としては大満足だ。
 肩の力を抜いてクリスを眺める。

「よく決断してくれたな」

 フェンリル様がクリスの頭に手を置いてポンポンと撫でている。
 ーーお前それめちゃくちゃ光栄なんだからな本当に心から感謝してありがたく思えよ!?!?

 上司と部下というか、先輩と後輩というか、王族同士でどこか似ている二人の距離感がちょっぴり羨ましくなり……俺はふっと鼻息を吐いて嫉妬を誤魔化した。
 いや、フェンリル様の方が一億倍高貴な雰囲気ですけれどねまじで。

「よしよし、グレア」

 エル様が俺の頭を撫でようとして、手が届かず頬のあたりをすりすりと撫でているのがこそばゆい。
 心遣いは受け取りますけれど。
 やっと目つきが鋭くなくなった、なんて幼い子をなだめるような言葉はおやめ下さいませ。……反省します。

 おや、クリスはこちらが羨ましいみたいで。
 なんともままならないですけど、どちらのフェンリル様のご好意も嬉しいものですよね。
 そう視線で語りかけたら、察しがいい彼は理解したのか、深く頷いた。

 フェンリル様とエル様は俺たちの様子を見て揃って首を傾げている。
 尊いかよ。

「揺れの他には、異世界の落し物があったくらいだ。さすがに数が多くて驚いている」
「ああ、落し物は城の近くでも散見されました。こちらに向かっている道中でも」

 クリスがそう言って、ソリを振り返る。

 トナカイを落ちつかせていた騎士たちが、ソリの中に手を突っ込み、何やら異世界の落し物も俺たちに見えるように掲げてみせた。

「あれはオーブントースターだ」

 エル様がそう呟く。

「角が鋭くて、危なっかしいですね。アレが上から落ちてきたらと思うと……」
「それに、電気を通すと中がとても熱くなるんだよー。火傷や火災とかも怖いから、これが妖精の泉に落ちてしまわなくて本当によかったよね」

 エル様がぶるりと震えて、みんな揃ってため息を吐いた。

「緑の妖精が関わっているとの事ですが。こちらに向かう道中、妖精王様たちから手短に事情を聞きました」
「ああ、これだ」

 クリスが尋ねると、フェンリル様がひょいっと元・緑の妖精をつまんでクリスに見せる。
 クリスが目を丸くした。

「これは雪妖精?  でも雰囲気と纒う魔力が違う」
「ほう、そこまで見抜くか。緑の妖精を、雪妖精に変えたんだ。だから、もうこれらは雪山の住人だ。勝手に雪山を荒らす行動はしない。潜んでいた者たちは全員回収したから、安全と言っていいだろう」
「そうなのですね……」

 クリスはまじまじと元・緑の妖精を観察していたが、顔を上げてフェンリル様を見た。

「城にいる翠玉姫は大人しい様子です。地面の揺れには、関与していないでしょう」

 その言葉を聞いて、エル様がビクビクっと肩を揺らした。

「えっ!?  翠玉姫って……緑の王国の?  今、フェルスノゥ王国のお城にいるんですか!?」
「ええ。実は、先日他国との会談があると言ったでしょう。その頃から、城に宿泊していたのです。見張り付でしたけれど、よもや緑の妖精を連れてきていてこの雪山に潜入させるとは……僕たちの監視が行き届かず、誠に申し訳ございません」

 クリスが深く深く頭を下げた。

 実は、翠玉姫は会合の直後、王太子と一緒に帰国しているはずだったのだが、こっそりと街に忍び込み、冬祭りにて現れた。
 しかしその不愉快な出来事についてエル様の記憶を消しているので、わざわざ言わなくてもいいだろう。

 クリスはきちんと配慮をした。
 注意不足だと告げて王族が情けなく思われる泥をかぶって、エル様の思い出を守ってくれたことに、俺は内心で彼に手を合わせた。

「フェルスノゥ王族の皆さんが、本気で国と市民と雪山を想っているって、知っていますから。関わった時間は短いけれど、すごく信頼しています。
 気をつけていたけれど緑の妖精たちの隠密行動によって分からなかったんですよね。今後、より気をつけられるように、一緒に対策を考えましょう」

 エル様の返事に、クリスは感激したように瞳をきらめかせた。

「寛大な心遣い、感謝申し上げます!」
「いえいえ。フェンリルがよく私に言ってくれることなんです」

 エル様がそう言って、フェンリル様を見上げると、フェンリル様は満足そうに頷いた。

 俺の視界が尊すぎる。
 補佐官って最高かよ。最高だよ。

 多分、クリスも似たようなこと思ってるに違いない。顔真っ赤にして口元を押さえて震えているから。後でちょっと一緒に語るとしよう。今夜は語り明かそう。寝かせられそうもない。

「クリストファー。これからの予定は?」

 フェンリル様がクリスに聞く。

「この雪山に関して僕がサポートできることがあれば、ぜひ、皆様と行動を共にさせて頂きたいです。全属性の中級魔法が使えますので、何かしらお役に立てると思います」
「そうか、ありがとう。では早速頼みたいことがあるのだが」
「光栄です。なんなりと」

 クリスが力強い瞳で答える。
 このやる気と実力があれば、末永く雪山調査員として活躍してくれることだろう。

「緑の妖精たちがこの雪山にちまちまと細工をしていたようなんだ。その影響で、一部土壌が清らかでない場所がある。冬の到来によって大地は癒されているが、本来雪山にない毒草が生まれた。それらを排除したいと考えているのだ」
「かしこまりました。お供いたします」
「数が多いだろうから、植物に詳しいものがいてくれるととても助かる。従来の植物とは見た目が異なるものを探して欲しい」
「分かりました。魔法で視力を上げることもできますので、働きを期待して下さい」
「ああ、本当に助かるな。土地の場所は、私と元・緑の妖精たちが把握しているので、これから巡回をしていこう」
「はい」

 クリスはフェンリル様との会話を終えると、騎士たちに伝言をした。
 ソリから大きな荷物を受け取ると、トナカイと騎士を王国に帰す。
 騎士たちの役割はクリスをここまで送ってくることだったらしいから。
 大人数で動くよりも、少数精鋭のほうが雪山では動きやすいのでこの判断は褒めておきたい。

「クリス。緑の国由来の毒植物について、一応、記録を取っておこうと考えているのですが」
「もちろんです、グレア様。後世に危機を伝えることは大切ですからね。記録のための魔法道具も持ってきましたので、丁寧に調査いたしましょう」

 袋からペンと魔法紙を取り出したクリスは、目を輝かせて無邪気に微笑んだ。
 まったく、毒草を集めに行くというのに。
 しかし俺の口角も上がっている。

「そうですね。動植物図鑑を作っていこうと約束しましたから、あなたがいてくれると早く完成しそうで楽しみです」
「頑張ります」

 なるほど、素直な後輩というものは可愛らしいかもしれない。
 フェンリル様がしたように、ポンポンと頭を撫でてみた。
 動物に例えるとクリスは確実に犬だな。

 驚いたようにこちらを見ていたクリスが、ふと、目の焦点を俺の後ろにあわせた。
 なんとなく気配でわかるが……フェンリル様とエル様がまた戯れているようだ。

 それを眺めているクリスの頬が赤く染まったり、しょんぼりとしたり、まぁ忙しい。
 フェンリル様への信仰心と、恋心が揺れ動いているのであろう。
 全く、この者はやたらと気苦労を背負いがちだ。

 力をぎゅうぎゅうと込めて頭を掴んでみると、アイタタタタタタ!?  とクリスが悲鳴をあげて慌てた。

「あー、グレアが後輩をいじめてる! 優しくしてあげようね、ほんとにまじで後輩に優しくするの大事だからね?  お願いね?」
「可愛がっているつもりですけれど」

 続けてちゃかそうかとしたが……エル様がド真顔で俺の手をガン見していたので、手の力を抜いた。

 ……そういえばカイシャで、エル様は後輩としていじめられていたもんな。
 目の前でクリスをいじるのは、もう、やめたほうがよさそうだ。
 丁寧に撫でてみると、それはそれで照れますね、とクリスがへらっと笑った。

「楽しんで努力しなさい。どちらも。クリスなら、きっと上手くできるでしょう」

 我ながら曖昧な言葉をかける。こういうのは苦手なんだ……。
 雪山調査員も、恋心の落としどころも、彼が満足できる未来が訪れてほしいと思う。
 アイスブルーの瞳が見開かれた。

「はい。おまかせ下さいませ」

 察しがいい彼からは、やはりどこか吹っ切れたような、明るい声の返事が返ってきた。

 彼の首元でひらめく赤いネクタイに一瞬目を引かれて、(家族愛のアイテムだったか)と思い出し、手を添え、クリスのこれからの道がより良くあるよう、俺からも祈っておいた。

 ユニコーンの清らかな祈りはめちゃくちゃ効くから、まあ、幸せになるといい。
 楽しい仕事の時間だぞ。



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