冬フェンリルの愛子となった私が、絶望から癒されていく話

黒杉くろん

47:大揺れの原因

「きゃあ!」

 揺れにふらついて、とっさにフェンリルの毛皮にしがみつく。
 フェンリルは唸りながら周囲を鋭く見渡して、近くに不審なものはいない、と言った。
 ホッとしたのも束の間、

<……いや、空間がおかしい>
「空間が?」

 不思議なことを言う。
 イマイチぴんと来なくて考えていると、どさっと何かが雪の上に落ちる音。
 肩がびくぅっと震えた。

「えっ?」

 音のした方を見ると、大きな鏡が落ちてきている。
 驚いた顔の私とフェンリルを映している。

 また、どさっと物が落ちる音。
 反対側を見ると、本棚が倒れていた。
 漫画本が床に散らばっていて、雪原に唐突に現れた日本感に、私の目が点になる。

<こんなに一度に異世界のものが落ちてくるとは……。物が落ちる瞬間も初めて見た。いつも、ポンと置かれているものをあとで私たちが発見するだけだからな>

 フェンリルの戸惑うような声。彼も不安なんだろう。
 異世界の物が落ちてくる理由は分からないって言ってたもんね。

「フェンリル様。こちらには変わったナイフが。もしや緑の……」
「……って、グレアそれ包丁だよ!?」
「包丁?  ということはエル様の世界のものですか」

 危ないものを!  ってとっさにグレアの言葉を遮ってしまった。
 私が「日本の産地が書いてある」って言うと、二人はほうっと白い息を吐いた。
 反応が少し変……?  気のせい?

「異世界の物はそれなりの高所から落ちてくるようなので、これが誰かの上に落ちなくてよかったですね」

 本当にその通りだよ。
 今更ながらヒヤッとした。鏡、本棚、包丁、どれも高所から落ちてきたらと考えると怖すぎる。
 しかも私の部屋のやつぅ……。あとで言おう。それよりも、

「フェンリル。さっきの揺れは、地震かな?」
<地震?>

 なんと、この世界には地震がないらしい。
 海底プレートのずれで地震が起こるから、地形が全く違うのかもしれない。
 この揺れは300年生きてきて初めての体験だ、ってフェンリルが告げる。
 数千歳のレヴィも<記憶にありませんわ>と同意した。

<おそらく時空の歪みのせいだろう>

 フェンリルが出した結論は、こう。

<たくさんの落し物が一度に現れたから、世界が不安定になって揺れたのでは。まあ推測だが。フェルスノゥ王国とも連絡を取った方がいいな。他国でも同じ状態だったか、それが知りたい>
「そうだね……」

 グレアが頷いて、王国方面に魔物フクロウを飛ばした。

<落し物が妖精の泉に落ちていないか、確認したほうがいい>
「こんなことになる前に、せめて泉を氷で覆っておいてよかったよね……!」

 フェンリルが雪妖精を召喚して、妖精の泉について伝言をする。
 泉の周辺を見まわり、異常があればすぐ連絡をくれるよう頼んだ。

「フェンリル様。雪崩がいたるところで起きているようです」

 グレアが獣耳をひくひく揺らしている。
 私も真似て耳をすませてみると……本当だ。雪が塊になって滑り落ちる独特の音。

<大きな揺れだったからな……なんとか対応しよう。生き埋めになっている動物がいるに違いない>
「通常の自然現象とは異なる事情ですからね。介入してもよいと、俺も思います」

 そうか、雪崩で埋もれて死んでしまうのも自然の摂理って捉えるんだ。
 フェンリルが手を加えすぎないことも、野生世界には大切なんだろう。

 今回だけは、動物が自然に冬毛にならなかった時と同じで特別対応なんだね。
 二人が「何から始めようか」と真剣に悩んでいる。

「雪崩かぁ……。スノーマンに手伝ってもらう、とか、できないかな」
<スノーマンに?>
「うん。雪崩の雪を纏って大きくなってもらうの。そうしたら動物が這い出せるかなって。あとで雪崩の雪を振り落としてもいいし。目的は、巻き込まれた動物の救助でしょう?」
<なるほど。スノーマンの特性を生かせるし、あの者たちは各地にいるから迅速に対応できる。その方法でいこう>

 フェンリルが遠吠え。
 この咆哮で、スノーマンに指令が伝わった。

<ありがとう>と私に頬ずり。かっっっわいいなー!?  落ち着いて私。

「そ、そうだ。オーブとティトにも連絡しよう」

 ハッとする。たしかあの二人と怪物がいる場所って、丘の下の方……!
 指先に魔力を込めて丸を描くように動かし、連絡用の魔法陣を作る。

「オーブ!  ティト!」
<<おお冬姫様>>
「……あ、よかった、元気な声。さっき地面が揺れたでしょ?  そっちは大丈夫?」
<<盛大な雪崩に見舞われたな!>>
「ええっ!?」

<しかし妾たちは無事じゃ>
<左様。[冬の昼の夢]の植物たちが我らを包むように守ってくれたからな>
<<さすが冬姫様!>>

 知りませんけどーー!?
 自由に動く超変化をしてるの?  なんで?  そんな祈りは込めていなかったよ。メルヘンツリーが万能すぎる!

(頷いて恩を売っておけ)
 フェンリルが囁いてきたので、乾いた笑いで、身に覚えのないナイスフォローを妖精王たちに誇っておいた。

<妾たちの魔法で周囲の雪かきはしておいた>
<氷に包まれた怪物は、常に見えるようにしておきたいからの>
「ありがとうございます……!」

 そうだ。怪物の様子も気になって聞いてみる。
 動いていないって!  よかったぁ。

<雪崩が襲ってきて、怪物を氷ごとさらってしまうかと思ったが、ツルが頑丈に縛り付けて固定した>
<さすが冬姫様である!>

 もしあの怪物がどこかに消えてしまったら、と想像するとぞっとするよね。

 ここぞとばかりに胸を張っておいた。
 ……笑いそうになってるフェンリル、こら。堪えてよ、私だってコレ恥ずかしいけど頑張って恩を売ってるんだからー。

<雪妖精全員をまんべんなく使って雪山の見まわりをして欲しい?  あいわかった>
<落し物を見つけるのじゃな?  統率しよう>

<<なぜなら我は(妾は)妖精王(妖精女王)だから!  それくらい余裕!>>

「お願いね。オーブとティトがこの件で一番頼りになるの。定期的に進捗を伝えて」

 大げさにわっしょいして仕事をお願いする。

<キャー!  妾たちとそんなにも話したいとは!>
<冬姫様は案外さみしがり屋で可愛らしいな!>

 無難に肯定しておく。
 通信を断って、フェンリルとグレアと頷きあった。
 よっしゃ。

<エル。洞窟に戻って、さっと食事を食べておいで。私はここで瞑想をする。雪山に敵意を持った者がいないか、感覚を研ぎ澄まして確認しよう>
「分かった」

 きっと怪物のことなんだろうな……。
 い、一応だもんね。多分いないって信じてる。

 後ろ髪を引かれながらも、フェンリルと別れて、グレアとともに洞窟に戻る。

 朝ご飯はウサギ肉を捌いて表面を炙ったものと、冬のフルーツを1口サイズに切ったものが皿に並べられていた。
 お肉は少し冷めてしまっている。こんなに話し合いに時間がかかると思わなかったんだろうなぁ。
 ペチカの実を割って、もう一度火を通して食べた。

「……なんか、フェンリルの食事の支度がクリストファー王子みたいだね」
「一緒にしないで下さいます?」

 グレアのマジ切れこわっ。すみませんでした。
 前はもっと野生的に、狩りの獲物どーーん!  だったよね、ってことを思い出してたの。

「エル様のお口に合うように、フェンリル様はわざわざ人間用にお作りになったんでしょう。本当に幸せなことですよ?」

 そう言いながら、グレアは私に温泉卵の器を差し出してくれる。

「……うん。ほんと、幸せって思う」

 手を合わせて、雪国料理に舌鼓を打った。

 この現状を守るために、私にできることをなんだってしたい。頑張るよ。
 決意を新たに、多めの食事を完食した。


 腹ごしらえ完了!
 フェンリルのところに戻る。


<おかえり。エル、グレア>
「ごちそうさまフェンリル!」

 にこっと元気に伝えると、フェンリルのしっぽがパタパタ揺れた。
 可愛いわッ!!!!  グレアとともに心のエネルギーを満タンまでチャージした。

<……困ったことになった>

 フェンリルは柔らかい微笑から一転、すぐに真剣な表情になる。
 私たちも背筋を伸ばす。
 フェンリルは睨むように遠方を見た。

<さまざまな場所で違和感を感じる……各地に落し物が出現している。それに雪国の加護を持たない者の気配もある>
「雪国の加護?」
<爪を見てごらん、エル。アイスブルーに染まっているだろう>

 ふとそう言われて、私は自分の指先を見る。
 確かに、爪が青色。
 これはフェンリルの魔力に染まったから変わったんだよね。

 フェンリルも人型になって、青色の彼の爪を見せてくれる。

「フェルスノゥ王国とこの雪山は、フェンリルの魔力に守られている。その証がアイスブルーの爪だ。寒さに強くなる。加護がない者は冬を越すのがとても辛いはずだ」
「そんな効果があったんだねぇ」
「他国の者でも3年間この国に住み続けていれば、次第に爪色がアイスブルーに変わる」
「へぇ」

 爪から視線を上げて、フェンリルの顔を見た。

 彼の瞳は燃える青の火のようで、なんだか怒っているように感じた。
 ぞくりとする。

「その加護を持たないものが雪山にいる。なぜか?」
「ーーーー!」

 やっと理解した。私、遅すぎ。

 他国の人がわざわざ冬のフェルスノゥ王国に進入している、って言ってるんだよね。
 平和ボケしてて考えが至らなかった……。

 耳が伏せた私の頭を、フェンリルが撫でてくれた。

「怖がらせてしまったな……まぁ良くないものの原因は大体見当がついている。
 フェルスノゥ王国と協力して事に当たるべきだろう。幸いにもエルのおかげで、妖精王たちという強力な味方がいるし、思わぬ冬の到来で不審者は立ち往生していたようだ」

 くすり、と勝気なフェンリルの笑み。くらりとする。

「そうなの?  私、役に立ってた?」
「当たり前だ。いてくれてよかった」
「そっかぁ」

 安心させるように、フェンリルは私のことを抱きしめてくれる。
 ふわんと心が温かくなる。

 そして妙にドキドキと……なんだかのぼせてしまって、ほんの一瞬、記憶が途切れた気すらする。
 目をパシパシ瞬かせた。

「ーーグレア」
「はいフェンリル様。この雪山を荒らす不届き者に相応の裁きを」

 グレアが地獄の底から響くような低い声でつぶやく。甘い気持ちなんて瞬時に消え去った。

 な、何なの?
 私の獣の耳が<ぎゃっ!?>と小さな悲鳴を聞いた。

 背後からだ。
 フェンリルの腕の中で、恐る恐る振り返ると、グレアが何やら小さな生き物を鷲掴みにしている。

「なにそれ……?  緑の服の妖精……」

 ずいぶん痩せていて肌の色が黒くて、なんだかちょっと顔が怖い。敵意もあらわに睨んでくる。

「緑の国の妖精だな」

 フェンリルが顔をしかめている。
 あまり良くないもの、らしい。

「いたずらのお仕置きが必要だな。覚悟しろよ」

 フェンリルの指が妖精の額をぴんと弾くと、妖精は瞬く間に凍り付いてしまって、その氷が溶けると、私が普段よく見ている雪妖精に生まれ変わってしまった。

 肌は黒いし、翅は蝶々みたいだけど。
 私が固まっていると、フェンリルはグレアに「もう妖精を離してもいい」と指示する。

 緑の妖精が私たちの側にやってきた。
 片腕を背に、もう片腕を心臓に、雪国とは違うビシッと堅い所作で礼をする。

「お前の目的は?」
<ーーフェンリル様の情報ヲ、持ち帰ル事、デス>
「それだけ?」
<小生(しょうせい)ハ、それダケ>
「役割を分けているのか……一体が捕まった時に全ての目的を知られないように。入念な事だ。オマエの仲間がどこにいるか、案内してもらうぞ」
<御意>

 緑の妖精はぎこちなく片言で喋った。

「フェンリルの領域内で、氷の加護を授けたら雪妖精として生まれ変わる。妖精とはそういうものなのだ。侵入して捕まった方の負けだな」

 そうなんだ。
 この妖精は完全に眷属になったらしい。
 確かに、私とも魔力のつながりをほんの僅かに感じる。

 急きょ、今日は緑の妖精を捕まえに行くことになった。

 フェンリルがまた獣型になる。
 私はグレアにまたがって、足の間に緑の妖精を置いて抱えた。
 この妖精、弱っていて、とてもじゃないけどフェンリルと併走できないみたいなんだ。

 あらかじめ他の緑の妖精の場所を聞き出して、フェンリルは把握したらしい。

 みんなで雪原をひた走る。

 ……メールの返信はまた今夜、しっかり考えることにする。
『本当に大切な用事で手が離せないの、夜まで待って。お母さんに何よりも先に「大好き」って伝えてほしい』と、それだけ返信した。

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