冬フェンリルの愛子となった私が、絶望から癒されていく話

黒杉くろん

5:冬の恵みの魔法陣

 
 冬毛になった極上白銀毛皮をふわふわ撫でていると、フェンリルがなにか考えるように、ぼんやりと遠くを眺める。
 保温ドレスに着替えたけど、冬毛ベッドに埋もれるとぬくぬく快適度が段違いだ。ずっと埋もれていたい……

 きゅーっと音が鳴った。お腹から。
 あっ、お腹が空いてるんだ。
 う……自覚したら、猛烈になにか食べたくなってきたぁ。でも、動きたくないな。うわぁダメダメ思考。

<おお。食べ物が欲しいか>

「うん」

 えーと、察してくれて助かりました。
 だって自分から言うのは厚かましくて……なかなか頼みづらかったから。

<狩りにいくか>

「狩りに!?  えっと、まさか生き物を……?  わ、私、こないだみたいなリンゴがいいなぁ」

 お肉は好きだけど、狩りってことは捌くところまで入るはずだよね?  無理だよ!?  だってフェンリルは獣だし、私が捌くのをやらなきゃいけない気がする。ナイフとかあるのかなぁ。
 血みどろスプラッタはちょっと勘弁してほしいぃ……!

 それにこのフェンリルが狩る生き物って、イノシシとかそういうガチな奴なんじゃ?
 ……というかもしかして狩りをするのすらも私の予定だった?
 冷や汗が止まらないよ?

 カチンと硬直してると、フェンリルのため息が私の髪をキラキラとなびかせる。
 冷風と私の髪がぶつかると、パウダースノウのような効果が生まれた。

<リンゴは先日エルが食べたものが最後だ>

「……そうなの!?  えっ、こんなに広大な森なのに?」

<この国の自然は今、とても弱っているんだ>

 そう言われて、驚いて周りを見渡す。
 氷漬けになっている近くの木は、氷の中で木の実が育っている。……でもまだ小さいなぁ。さくらんぼくらいの実が成っているけど、まだ酸っぱくて食べられないって本能がさけんでいる。
 ついに私は本能にも目覚めちゃった!?

 まあそれはおいといて…………視点を遠くに。
 くすんだ緑の葉をつけた痩せた木には、表面がシワになった小ぶりな木の実がぶら下がっている。小鳥があまり美味しくなさそうにその木の実を摘んでいた。

「…………」

 何て言っていいか、分からない。
 でも胸が痛くなった。
 リ、リンゴ……食べちゃった。特別おいしいやつ。

<エルが食べた果物は動物からの気持ちの品だった。元気になるようにと。だから気負わなくていい>

「……私……。どうしたらいい?  急に森にやってきて、最後の貴重なリンゴを食べちゃって……なにか、お礼にできることはないかな?」

 申し訳なくて、獣耳が伏せた。
 こんなタイミングで、またお腹がきゅーーっと鳴る。
 もーーー!?
 横腹をつねって自分のお腹を責めていると、鼻先でフェンリルに小突かれた。

<……エル。冬の癒しをやってみないか?>

「……冬の癒し……?」

 フェンリルが遠くの景色を眺めたので、私も一緒に目をこらす。
 この場所から遠いほど、大地が枯れているようだ……。

<この森林周辺にはしばらく冬が訪れていないんだ。約5年ほど。
 そのため水分と魔力が足りず、植物が弱り、動物たちも痩せてしまった。
 この私フェンリルの力が足りずに冬の加護を与えられなかったから……>

 フェンリルが顔を伏せた。
 あまりに辛そうで、そっと頬に手を置く。

「…………もっと、詳しく教えて」

「魔狼フェンリルが呼ぶ冬には癒しの力があるんだ。
 雪や氷の下で、植物はゆっくりと生命力を取り戻す。
 冬にだけ実る特別な果実には、たっぷりの栄養と魔力が詰まっていて動物の糧となる」

 そうなんだ。
 フェンリルの瞳の青が深さを増した気がした。
 役目を成し遂げられなかった罪悪感なのかな?  ……そうだよね……自分が成し遂げなかったら、動植物の命がかかっている。どれほどの重圧だろう。

 ごくり、と唾を飲む。

「その冬の癒しを、私に、やってみないかって……?」

 フェンリルは真正面から私を見つめた。
 ……深く頭を下げた。

<頼む>

 ざわざわっと森が揺れた。
 …………!?
 え、えーと。動物たちの視線を感じるんだけど……!

 このフェンリルが感じていた重圧を私も体感することになり、背に嫌な汗が滲んだ。

 なにそれ。
 そんな大事なことをもし、失敗したら……!?
 怖くて怖くて、体が震える。
 突然湧いたあまりの責任感に言葉を奪われた。

 しばらく無言でいることしかできなくて、沈黙が痛く心に刺さる。
 フェンリルがふっと息を吐いた。

<すまない。勝手なことを言いすぎたな>

 視線が逸らされた。
 ズキリ!  と心にヒビが入ったように痛い。

 とっさに立ち上がって、鼻先を抱きしめた。

「ごめん!  そんな顔をさせるつもり、なかった……!」

<エル>

「……怖くて。冬を呼ぶって、どうしたらいいか知らないし、初めてでそんな重要なこと……失敗したら?  って……!
  私、フェンリルたちにお礼がしたいよ。優しくしてくれて本当に嬉しいから。
 でも、できるのかなぁ……魔法なんて私は使ったことがないし。私のいた世界には魔法がないんだよ」

 フェンリルが驚いたようだった。

 私の目からこぼれて真珠になった涙が、フェンリルの鼻先に当たり、地面に落ちる。
 雪の結晶のような花が咲いた。

<魔法はもう使っているじゃないか?  涙を真珠に変えて、スーツとやらをドレスにした>

「それは……たまたま……?  訳のわからないまま、なんとなくっていうか」

<本能が開花しているということだ。それでいい。感性に身を任せ、自分の可能性を信じてやるんだ。
 そうすれば、きっと何だってできるよ>

 フェンリルの言葉が私に染み込んでいく。

<エルは私の愛娘なのだから>

 ーーーーーーっ!

「……………………冬を呼ぶの……どうしたらいいの?」

 フェンリルが少し刮目して、やんわりと目元を和らげて、体を起こす。
 あっ、この表情が好き。
 短い間だけど、私の心をしっかり何度も労ってくれた優しい顔だ。

<おいで。ああ、グレアも一緒に>

「?」

<お呼びになりましたか>

「ーーっ!?」

 びっっ……くりしたぁ!?
 すぐ後ろで声がしたよ?  忍者かな!?

 がばっと振り返ると、月毛に紫色のたてがみの大きな馬がいた。
 姿を視界にいれてなお、存在感が静かすぎるよ!
 圧倒されるほど美しいのに。

 唖然と見上げていると、フンと半眼で見下ろされる。
 んっ?  ちょっとヤな眼差し……。

<冬姫エル様。足が止まっていらっしゃいます。早くフェンリル様を追っていただけませんか。フェンリル様をお待たせするなど言語道断です>

 な、なにーーー!?
 うわ、ちょ、背中をぐいぐい押さないで!?
 頭のツノが刺さらないかなって、こわいよーーー!

「あなた、ユニコーンというやつ!?」

 いっけね、ユニコーン(仮)の額に青筋が浮かんだ気がした。

<いかにもユニコーンでございます。グレアとお呼びください。これから冬姫エル様の補佐を務めさせていただきます、厳しく参りますよ!>

「やだーー!」

<なんですって!?>

 とっさに本音が!  フェンリルに甘やかされまくっているからか、また厳しくされるのが嫌すぎるぅ!  
 すっかり腑抜けたことを考えるダメ人間になってる……けどフェンリルはこれでいいって、子ども扱いしてくれるし……えっと……私はどうすれば!

 自分をいたわって大切にするって、決めたじゃないの。
 私はどうしたいの?

 ええい、目醒めよ本能!!!!

 根性で大ジャンプして、ユニコーンに颯爽と乗ってやった。

「乗れたーー!  やったーー!」

<なにをなさいます!?>

 ぴょこぴょこと跳ねながらも私に気を使い暴れるユニコーンに乗れているのは、半獣人になった影響かな?  
 運動神経はけして良くなかったもん。

「ねぇ、グレアさん。私、堅苦しいのはいやだな。厳しいのも。
 フェンリルに協力するって決めたことは頑張るから……そんなに急かさないでほしい」

<あまりに非常識です!  ユニコーンに乗るなど、前例がない……それにフェンリル様がユニコーンを敬称付きで呼ぶなどおやめ下さい!!>

<はははは!  いいぞ、そのままついてこい。私も久しぶりに走りたい!>

<フェンリル様ーーー!?>

 あっ、ユニコーンが絶望した声を出した。ごめんね?
 あのフェンリル、私の親みたいだから、身内びいきなの。
 ふわっと心が軽くなった。

<……くっ、乗るのは今だけですからね!  参りますよ、冬姫エル様!>

「エルでいいよ。えーと、グレア」

<俺にフェンリル一族を敬うことをやめろというのですか!?  たとえ冬姫様のおっしゃることでもお断り申し上げます!!
 ……エル様!>

 なかなか可愛いところあるような気がする、このユニコーン。

 あっ、フェンリルがとっても速いよ!?

「遅れてるよー、グレア。ハイヨー!」

 "ヒヒィィィン!"

 グレアが嘶いてから、かっ飛ばし始める。ひゃーーー!
 風をきって走る乗馬はとっても爽快で、私は夢中でグレアにつかまった。
 月毛の毛並みはツヤツヤで手が滑りそうなので、必死。つかまるというかしがみついてる状態。
 でも紫のたてがみは柔らかくて、頬を包んで気持ちいい。

「気持ちの悪い笑い声は抑えていただけますか」

 笑い声が漏れていたらしい。そしてグレアには不評である。

「あなたの紫のたてがみがとっても素敵なんだもん」

 そう言うと、グレアは文句を言わなくなった。
 お?  嬉しい一言だった……?  それとも呆れちゃったかな。

 どんどんと坂を登っていく。
 崖になっているところにはフェンリルが息を吐くと、氷の橋が現れた。
 スピードを落とさずに走っていく。

 山の頂にたどり着いた。

 グレアが脚を折って体を低くしたので、降りる。

「わあ……!  すごい自然地帯。森林、本当に広いんだね。それに遠くには王国があるの?」

 家が集中している都のような一帯がある。
 その中央には何とお城も!  すごいなぁ。初めて見た。

<エル様が集中するのはこちらです>

「ちょっ、グレア、分かったって、押さないでぇ」

 ぐいぐい、グレアが頭突きしてきて私の向きを直す。
 頂の中央を見るように。

 さっきよりはグレアの対応が優しい気がする?  相変わらずつっけんどんだけど、押し方が乱暴じゃないし、ツノの位置にも気をつけていたと思う。私を怖がらせないように。

 フェンリルが目を細めておかしそうに笑って、私とグレアを眺めている。

<微笑ましい>

「えええ?  そうかなぁ……」

 あ、グレアが項垂れている。

<始めるぞ>

 フェンリルが右の前足をドン!  と地面に叩きつけた。
 私たちを起点に、魔法文字みたいなのが円状に溢れ出して、魔法陣を描く……
 ……って、私の体からも魔法文字が出てるぅーーー!?

 フェンリルと共鳴しているのがわかる。
 心が高揚する。
 うわぁ!  ……フェンリルの魔力を本能的に感じた。

<グオオーーーーーーン!!>

 フェンリルが吼えると、魔法陣がぶわっと拡がり、はるか遠くまでを覆った。
 うわぁ、どこまで行ったか端が見えないほど。
 森林とかあの王国とか、全てが魔法陣範囲になったんだろう。

<さあ次は……エル。やってごらん。復唱して>

「よ、よかった。叫びだけじゃなく、様式があるんだね?」

<雪と氷に覆われる冬をイメージして……>

 それはできるよ。南の方出身だから一年に数回しか雪を見なかったけど、知っているし……だからこそ冬には綺麗な憧れがあるんだよね。
 うん、明確にイメージできた。

<魔狼フェンリルが望む。湖には氷、森林には雪、空には雲の帯。大地に癒しを。ーー冬よ、来い>

 ふわっ!  と冷たい風が穏やかに吹いて、私の髪とドレスをなびかせた。
 私の中から冬が生まれる、不思議な感覚。

 なんとなく……こうすればいい気がする。

 足をタン!  と地面に叩きつけた。
 波紋のように魔法が溢れて、フェンリルがした時のように周辺を覆っていく。
 ーーゆっくりと。

<ーー冬よ、来い>

 魔力の波動が大地に染み渡り、地面を凍らせる。その下の土は豊かに肥えていくのかな。
 細やかな雪が降り、白く景色を彩って……

 見渡す限り一面が、銀世界となった。

 うわぁ綺麗!

「やりとげたー!」

 達成感で思わずバンザイする。
 半眼で眺めてくるグレアの視線が痛いし、フェンリルの喉奥からの低い笑い声も気になるんだけど、まずは!  プレッシャーがなくなった喜びを!  全身で表現したい!  オーイエーー!!

<せっかく素晴らしい魔法を披露なさったのに、なんと締まらないのでしょう……>

<私の愛娘が楽しそうでなによりだ>

 うるさーい。
 あらゆる意味で耳まで赤くなった。
 獣耳はヒクヒクと動く。

<この風景をずっと望んでいたのだ。ありがとう、エル>

<ありがとうございます、エル様>

 な、なによぅ。
 驚いて振り返ったら、フェンリルとグレアが頭を下げていた。

「そんなことしなくていいって!  ……私、たくさん良くしてもらったもん。あったかい毛皮で包んでもらって、最後のリンゴまで分けてもらって」

 きゅーーっとお腹が鳴った。
 ほんと締まらないよ!!!!

 こればかりはグレアが呆れて、フェンリルが噴き出したのを責められない。

 フェンリルが細く鳴くと、白フクロウが果実を持ってくる。

<お食べ。エルが初めて実らせた冬の恵みだ>

 お、おう。そうなの。

「いただきます」

 ーーかじると、しゃくっとみずみずしい歯ごたえ。甘酸っぱい風味が口に広がる。じんわりお腹が温かいのは、魔力を吸収したからということ?
 夢中で食べる。
 とても美味しい。

「二人のは?」

<ああ、他の動物たちが先でいい。希少種族の私たちはしばらく食べていなくても死なないからな>

<そういうことです>

 驚いた。フェンリルとグレアは我慢するつもりらしい。
 とてもえらい。
 だからこそ、私だけ食べづらいじゃない……。
 ……思い立って、真珠のブレスレットを外して雪の中に埋める。
 できる気がする。やるだけやってみよう。

「えい」

 踏みっ!  さっきの魔力の解放を思い出しながら、踏んづけてみた。
 クリスマスツリーのような樹木をイメージ。
 果実をたくさんつけている……ええと、それに光がふわふわまとわりついていて、てっぺんには星が輝いている。

 はちゃめちゃにメルヘンなものが芽生えたーー!  や、やったね!

「はい」

 青く輝くような果実をもいで渡すと、フェンリルとグレアが絶句した。
 ぽっかり口が開いてるよ?
 ぷぷっ!  珍しい顔!
 驚くのは後で一緒にお願い!!  ほんとに!!  私も同感だよ!!
 今はそれよりもさ、

「一緒に食べようよ」

<……そうだな>

<い、いただきます>

 みんなで山の頂で食べる果実はとても美味しかった。
 きっと、元の味よりも3倍美味しくなってる気がするよ。

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