小梢とあたしたち

甘木 成

小梢とあたし

「おじゃましま――」

「ちょっと聞いてくれよ小梢」

 淑やかに店の引き戸を開けて入ってきた小梢。あたしは開口一番にやる気のない声を上げた。彼女は寸分も表情を崩さず、とは言え大きく瞬きをして首を傾げた。

「どうかされたんですか? 突然」

「どうもこうもないよ。健太の奴、万引きして行きやがった」

 あたしは苛立ちを隠すことなく、胡坐をかき、頬杖をつく。大きなため息もセットだ。

「それは穏やかじゃありませんね。……ところで、健太というのはどちら様で?」

「集落のガキだよ。生意気だけどやんちゃはしないと思ってたんだけどね」

 彼が物を盗って行ったということのショックが大きくて、あたし自身、感情が制御できていない。しかし、憤りだけではなく、悲しみも入り混じっているらしかった。

「まあまあ、落ち着いて。お茶でも飲んでくださいな」

 小梢は店の小さな冷蔵庫を開ける。そこから売り物のペットボトル茶を取り出すと、膨れ面のあたしの前に差し出した。そして少女はあたしに微笑みかける。

「……ありがと」

 彼女なりに気を聞かせてくれたのだろう。小梢が引っ越してきてから二週間、連日のようにあたしの前に顔を見せる。自宅に居ようと、店番をしていようと関係なしに。結果、すっかり店の顔なじみ。そして、あたしが彼女に抱いていた第一印象もどこかへ消え失せてしまっていた。更に言うなれば、店の常連であるジジババよりも打ち解けていた。小梢も気を許してくれている――かは分からないが、あたしはすっかり親友の気である。

 あたしは差し出されたお茶を手に取る。程よく冷えていた。一気に飲み干せば、うだるような熱気も諸共に吹き飛ばしてくれるに違いない。しかし、そのキャップを捻ろうとしたあたしを小梢は止めた。

「それ、私が飲みたくてお会計してほしかったんですけど」

 ペットボトルの口はあたしの唇に触れる寸前。勢いのあまり、中身の緑茶が飛び跳ねる。浮遊した雫はあたしの胸元に落下した。

「冷蔵庫、他に同じの、入ってなかった?」

 早とちりしてしまった羞恥を堪えながら、声を絞り出す。しわがれた声が出た。

「それが最後の一本でした」

 流石の小梢も呆気にとられたのだろう。小さな口が開いたままである。気まずさのあまり二人して黙ってしまう。

 小梢があまりにも自然にしてくるものだから、あたしも勘違いしてしまったのだが、確かに彼女の立場は客だ。会計の為にレジに茶を持ってきたのだ。店員がそれを飲んでしまうなんてどうかしている。正しいのは小梢だ。しかし、なんというか間の悪い。あの会話の流れではあたしに飲めと言っているようなものではないか。いや、彼女はそんなこと一言も喋ってはいないのだが。言葉にならな言い訳を心中で繰り返していると、いつの間にか万引きのことなど忘れてしまっていることに気付く。

 そして、芋づる式にクソガキをからかった日の事を思い出したのだ。

「この店の物は店長であるあたしの物だからな。あたしが売らないって決めれば、売らないよ」

 あたしは思わず口にしてしまった。我ながら酷いジャイアニズム。普通の相手ならば、嫌な顔くらいするだろう。だが、小梢はそうではなかった。

「そうですか」

 彼女は納得してしまった。その様子にあたしが驚いてしまった。

「では手間賃をください」

 そして小梢は小さな手の平を捧げた。

「手間賃?」

「はい。偶然とはいえ、私は日名子さんにお茶を与えました。冷蔵庫からここまでの距離ですが、頑張って重い物を運んだのです。その働きに応じた報酬を受け取る義務が私にはあります」

 横取りされた意趣返しだろうか。大真面目に言い出した小梢の姿にあたしは口元を歪める。

「重い物ってペットボトル一本くらいで大袈裟な。でも、いいよ。何が欲しい?」

 あたし自身に負い目がなかった訳じゃない。むしろ落ち度を感じているくらいだから、快く応じた。

「十円ください」

 現金な娘だ。

 とはいえ、子供の遣いにも似て、相応な額にも思えた。あたしは、あいよ、と返事をしてレジから十円玉を取り出す。そのままずっと差し出されていた掌に硬貨を握らせた。一瞬触れた小梢の指は、ペットボトルを握ったこの手より暖かい。それが余計に良心を苛ませた。

 しかし、小梢は気にした様子もなく店内を物色する。そして丁度十円のスナック菓子を棚から取り出し、再びあたしの前へ。

「これください」

 今回こそは間違えようなく会計する。あたしの手元に戻ってきた十円は微かな温もりを灯していた。菓子を手にした小梢は満足そうな表情で座敷に腰を下ろす。

「小梢、それだけでいいの?」

 さっきはお茶を飲もうとしていたので、喉が渇いているものだと思ったが違うのだろうか。スナック菓子では余計に水分が奪われてしまうに違いない。

「冷えてないけど、お茶のストックならあるよ」

「いえ、これだけでいいんです。というか……」

 小梢はちょっぴり悪戯っぽく笑んだ。

「お金、持ってないんです」

「ああ、そう」

 当然のことだ。代金の持ち合わせが無ければ物を買うことはできない。

 至極まっとうな理由を聞かされたあたしは何も考えず、開いたままのペットボトルに口をつけた。

「……ん?」

 ということは……?

 茶を一口飲み込み、冷静になったあたしは彼女を見やる。スナック菓子を頬張る小梢。したり顔の彼女も同じく、あたしを見つめていた。

 一本取られた。悔しさや惨めさよりも強い笑いが込み上げてきた。乾いた笑いなんかじゃなく、面白おかしくて腹を抱える愉快な感情だ。

 噴き出したあたしに釣られて小梢も声を上げて笑う。上品に口元を手で隠していたが、声は隠せていなかった。

「負けだ負けだ。あたしの負けだよ」

「ふふ、いつから勝負なんてしていたんですか?」

「もう、降参だよ。ほら飲みな」

 あたしは飲みかけのお茶を彼女に譲る。

「いいんですか?」

「良いも悪いもないよ、ほらほら。ういま棒だけだったら喉詰まるよ」

「では、ありがたく」

 小梢が受け取ったお茶を一思いに仰ぎ飲む。そこには上品さの欠片もなかったが、むしろ清々しさを感じた。そして、一呼吸ついた彼女は思い出したように訊ねた。

「そういえば、万引きって何を盗られたんですか?」

「さあ?」

 話が大分戻ってしまったが、嫌な気は戻ってくることはなかった。

「まだ何を盗っていったのかわからないけど、健太が何かを抱えて出ていくのが見えてね」

 だから、在庫を確認してみなければ、彼を万引きと決めつけるには気が早い話だった。あたしの気が立っていたのだろうか。短期になっていたのかもしれない。

「あそこ、小銭が置いてありましたよ」

小梢がひとつの棚を指さす。雑誌類を詰め込んである棚だ。その隅に五百円玉硬貨が二枚重ねて置かれていた。そして、その段に積まれてある特殊な雑誌を見て、あたしは鼻で笑った。

「どうしたんですか?」

「ごめん、あのガキ、万引き犯じゃなかったみたい」

 五百円玉二枚で千円。ぴったり税込みでアレが買えるのだ。

「あのエロガキ、今度、説教しないとね」

 ジジイ共の要望で店に置いている、エロ本が。

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