小梢とあたしたち

甘木 成

あたしのやるせない気持ち

「羽川さん、こんばんわ」

 テレビを眺める父の横顔を眺めていたあたしに一人の男性が声をかけた。体格が良く、眼鏡をかけた青年だ。彼は田中と言っただろうか。あたしとほとんど変わらない歳だというのにこの階のリーダーを務めている立派な介護士だ。あたしは挨拶を交わすと父への土産を預ける。彼からは父の最近の様子について、そして転倒についての詳細な説明を受けた。詳細とはいえども、電話で聞いていた内容とほとんど変わらない。歩いている際に膝から崩れ落ちたということで、身体機能の低下が転倒の原因らしく、誰にでも起こりうる事故のようだ。

「そうなんですね。でも、本人も元気そうなので多分大丈夫でしょう」

「機能訓練士の方から、杖の使用を検討した方がいいとの意見もあるのですが……」

「また、水曜日の昼過ぎに来ますので、その時に試してみてもらっても良いですか?」

 対応策を先送りするような提案だったが、彼は快く快諾する。

「では、機能訓練士には僕から連絡しておきます」

「はい。ご面倒をお掛けしますが、よろしくお願いします」

「こちらこそ。連絡して、すぐに来ていただけるだけで、僕たちも非常に助かりますので」

 互いにペコペコと互いに頭を下げていると、父が大きな欠伸をした。時刻も二〇時を過ぎつつある。あたしは田中と父に別れの挨拶をする。あたしが立ち去る間際、父が大きな声を張り上げた。

「ヒナァ。次来るときは男でも連れてこいよ。その年で彼氏の一人もいないのは恥ずかしいだろ」

 フロア中に響き渡る声だったので、田中は焦った。今の大声を聞いた利用者が目を覚ましてしまっていないか心配しているのだ。あたしは父に駆け寄り、もう少しだけ彼を見守ることにする。その間に職員は総出で利用者の様子を見て回る。そしてあたしと父だけがリビングに残った。

「な、ちゃんといい男見つけて来いな。お前が選んだ男なら俺はなんも言わんからな」

「うん、また……連れてくる」

 あたしは、また寂しい気持ちになった。そして同時にやるせない気持ちにもなった。

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