ツイートピア

ナガハシ

ツイートピア1316~1347



(1316)
 翌朝6:30――。ノルコはキッチンに立っていた。作っているのはポテトサラダ。トースト用のパンも切って、いつでも焼けるようにしてある。ハムも卵も、この辺で手に入る中で一番上等なものを用意した。コーヒーメーカの準備も万端だ。今日は朝からお客さんが来る……予定だ。ヨコ「ホントに来るのかしら、セイさん」


(1317)
 ノルコ「来るって言ったんだから来るよ」 ヨコ「そう? でも会社の社長さんがわざわざね……こんな庶民の食卓に」 ノルコ「来るのっ」 ワク「グッモーニーン、ママ、シスター」 ワクもずいぶん早く起きてきた。やはり気になるらしい。もうすでに職場へと向ったアフレルも、リプライを送ってきた。アフレル「セイさん来た?」


(1318)
 ピンポーン。ノルコ「来た!」 ノルコはエプロンをひらひらさせながら、玄関へ走っていった。ノルコ「いらっしゃいませ!」 そこにはやや憔悴した顔のミタ・セイが立っていた。いかにも高級そうな、黒光りするセダンが後ろに止めてある。セイ「おはようノルコさん。お言葉に甘えることにしたよ」


(1319)
 セイ氏はトイレ法が否決されたショックで塞ぎこみ、まるで金庫のような自宅のトイレに、一日中閉じこもっていたらしい。そんなセイに、ノルコはなんども説得リプライを送った。ノルコ「セイさんの思いは間違ってなかったと思います。セイさんがトイレ法を考えてくれたおかげで、ノルコはいろんなことを勉強できたんだから」


(1320)
 そしてノルコはセイ氏に「うちに朝食を食べに来てください!」と招待したのだ。セイがいつも一人で朝食をとるのは、ちょうどその時間帯に便意をもよおすからだとノルコは知っていた。だからもしその習慣にクサビを打つことが出来れば、セイがトイレ恐怖症を乗り越えるきっかけになるかもしれない。ノルコはそう考えたのだ。


(1321)
 ノルコ「どうぞこちらへ!」 セイ「ええ……おじゃましますよ」 セイは食卓に通された。ノルコはいつもアフレルが座っている席に案内する。ヨコ「窮屈なところですが」 セイ「いえいえ奥さん。素晴らしいお住いですよ」 ヨコ「あらそうです? 社長さんにそう言ってもらえると嬉しいですわ! いまコーヒー淹れますから」


(1322)
 ノルコ「トーストとハムエッグは私が焼きます!」 セイ「へえー、それは楽しみだなっ」 セイはすこし青い顔をしていたが、ノルコは気にせずキッチンに入った。そして気合を入れてハムエッグの調理を開始した。ノルコ(完璧に焼き上げてやるんだから!)


(1323)
 ヨコが淹れてくれたコーヒーを、セイは香りをかぐだけにした。キッチンからジュージューとハムエッグを焼く音が聞こえてくる。セイ「ん……っ」 セイの腹の底が疼いた。スイッチが入ったのだ。ヨコ「だ、大丈夫です? 遠慮なさらずどうぞ」 セイ「え、ええ……トイレ、お借りします」


(1324)
 セイは青白い顔をしてトイレへと入っていった。セイ(……知らないトイレだ) とたんに足がブルブルと震えだし、背筋がキューと引きつった。セイ(まあ……無理だろうな) セイが懐から取り出したのは、いつもの「下剤」ではなく「下痢止め」だった。はじめからノルコの家で用を足す気はなかったのだ。


(1325)
 セイはその下痢止めを飲む前に、イズミ家のトイレを見渡した。せめてそのくらいすべきだと思ったのだ。広すぎず狭すぎず、トイレとしては完璧な空間のサイズだ。入り口が便座に近すぎたり、逆に遠すぎたりすると、ひどく落ち着かないものだが、その点に関してはまったく問題なかった。


(1326)
 セイの基準からいって、イズミ家のトイレの難点は小物が多すぎることだ。足元にはトイレ用絨毯が二重に張ってあり、奥には清掃用品が積んであった。トイレットペーパーのケースには、手作りと思われるパッチワークのカバーがついている。他にもカエルやらアヒルやらの置物が並べてあったり、ガンバールのカレンダーがかけてあったりだ。


(1327)
 これだけ物が置いてあると、掃除しにくいことから不衛生になりがちだ。が、その点に関しては満点といえるトイレだ。便器はもちろんのこと、天井の4隅にいたるまでチリ一つない。オレンジ色の便座カバーも、洗いたてのフカフカだ。ショールームのトイレでもここまで完璧ではないだろう。セイ(きっとあの子ががんばったんだな)


(1328)
 小学生の女の子が、こんなにも自分のためにトイレを準備してくれたのだ。そう思うと、胸の奥に何か熱いものがこみ上げてきた。嬉しいような、恥ずかしいような、何かが。セイ「いやはや……これはまいったね」 セイは最後に、一番重要な部分を確認するために顔を上げる。トイレの光窓だ。


(1329)
 セイ「うむ……」 セイは思わず嘆息する。トイレの窓はバスタオルのようなもので目張りしてあるのだ。しかも窓枠いっぱいに画鋲を刺してとめてある。これでもかというほどの念のいれようだ。セイ「ふふふっ……」 半ば諦めたような声を出して、セイは便座に座った。セイ「少しは頑張ってみるか」


(1330)
 便意は確実にきているが、肝心の出口が開かない。幼少のころより続くトイレ大戦争。獲物が出そうになるたびに、誰かに覗かれているような悪寒に襲われて、条件反射的に引っこめてしまう。それでも何とか頑張って、可能な限り体を軽くするのだ。こんな苦しみを味わうのは自分ひとりでいい。セイは毎朝のようにそう思って生きてきた。


(1331)
 数分間ねばった後、セイはあきらめた。そして下痢止めの封を切る。セイ「ああ……神さま」 トイレの神様、女神様。もしそこにおられるならば、どうか僕の願いを聞いてください。トイレを覗かれる子らをお救いください。トイレでいじめられる人々をお救いください……。そしてセイが下痢止めを口にしようとした、その瞬間――。


(1332)
 『その願い、かなえてあげましょう』 セイ「むむ! 誰だ!?」 セイは声の主を探って天井を見上げた。そこには何と、真っ白なワンピースにその身を包んだ、見目麗しい黒髪の女神が浮かんでいたのだ。セイ「な!? うわわわ!?」 『わたしはトイレの女神です。ずっとあなたを見守っていました』


(1333)
 セイは自分の目を疑った。そんなに僕は疲れていたのだろうか? そんなに精神的に追い詰められていたのだろうか? こんなありえない幻想を見てしまうなんて。セイ「見守ってただって? ずっと僕のトイレを覗いていたのか? ことわりもなく!」 『はいもちろん。だって私はトイレの女神ですもんっ』


(1334)
 セイ「もんっ……て、もんってあなた」 いかにトイレを覗かれないか、ということに苦心し続けてきたセイにとって、その女神の一言は、世界がひっくり返るほどショッキングだった。『うふふふ。では一つ、トイレの女神らしいことを言って差し上げましょう』 セイは固唾を飲んで、その言葉を待った。


(1335)
 『これからは、私に覗かれていると思ってトイレに入りなさい。さすれば必ず、毎朝すっきりさっぱりな生活を取り戻せるでしょう』 セイ「な、なんと!?」 カミナリに撃たれたような衝撃が、セイの全身に駆け抜けた。『私はいつでも見守っていますからね。うふふふ、うふふふ……』


(1336)
 そうして女神の幻影は消えていった。セイ「ああ……女神さまが見ておられる」 ギュルルルルー。セイ「うっ! くう! ぬおおおお……」 そして、いまだかつて無い甚大な陣痛が押し寄せてきた。セイはもう、抗うことができなかった。セイ「ふふ、ふはは、ふははははは!」 彼はとうとう吹っ切れた。


(1337) 
 神様が、しかも女の神様が僕のトイレを覗いているんだ。そう思えば、たかがハナタレ小僧に覗かれたくらいで、何を気にする必要がある!? セイ「おおお……おおおおおお! スプラァァァアアッシュ!」 そしてセイにとって人生最高の瞬間が訪れた。盛大な地響きをたてながら、マリアナ海溝の底が抜けていった。


(1338)
 ガッポン、ジャアアアァァァ――。


(1339)
 セイ「ふう……」 洗面所で手を洗って食卓に戻ると、朝食の準備がすんでいた。セイ「おおっ、うまそうな匂いだ」 お皿の上にハムエッグ。ハムはカリカリで、卵は完璧な半熟だ。ゆでたブロッコリーとミニトマトも添えてある。ノルコ「さめないうちに召し上がれ!」 一同そろって食卓につく。楽しい朝食の始まりだ。


(1340)
 食事中なので、みんなトイレの話はしなかった。「スプラーッシュ!」って叫んでいたあたり、きっとうまくいったのだろうとノルコは思っとく。セイはノルコ達の知らないことをたくさん知っていて、お話もおもしろくて、さすが社長さんだなとノルコは感心しっぱなしだった。


(1341)
 食後のコーヒーを飲みながらセイは言った。セイ「ノルコ君のおかげで、僕は大事なことに気付けました」 なんだろう? ノルコはちょっと緊張する。セイ「この先、何万年、何億年とたっても、トイレはきっと必要なんだってことです。それも、今ある形のトイレが」 ノルコ「ほへえ……」


(1342)
 セイ「トイレってこう……なにか大きなものに包まれている感じがするんですね。さっき気がつきました。そして確信しました。僕たちはその『大いなる何か』を、これからもずっと守っていかなくてはならないんだ……わかります? 僕の言いたいこと?」 さてはて、ちょっと観念的な話ではあるが。


(1343)
 ノルコ「うん、わかります! 何となくだけど」 ヨコ「そうね、何となくだけど、私もわかる気がしますわ」 ワク「ミステリアス!」 セイはノルコ達の反応に満足そうな表情を浮かべた。セイ「うん、そうと決まれば、さっそく行動しなければ! いやいや、今日は本当にごちそうさまでした」 


(1344)
 そしてセイは立ち上がった。職場へと向かうのだ。ノルコ達はみんなで玄関まで見送った。ヨコ「こんなとこで良ければ、いつでも来てくださいね」 ノルコ「トイレぴっかぴかにして待ってますから!」 ワク「シー・ユー!」 セイ「ええ、是非また!」 その顔はとても晴々としていた。ノルコはセイの車が見えなくなるまで手を振り続けた。


(1345)
 さて、そんなこんなでこのお話も終幕。またノルコ達の、普段どおりの生活がはじまる。ノルコとワクはランドセルを背負って、いつも通り玄関の前でみんなを待つ。ノルコ「いい天気だなぁ」 ワク「イッツ・ファイン・デイ!」 見上げれば青い空、どこまでも続く街なみ、絶えることない人々の声。今日も世界は通常運行。


(1346)
 トイレにおわす大いなるもの? 宇宙のどこかのエイリアン? この世の全てを見渡せる窓? もしそんなものがあるのだとしても、今のノルコには関係ないこと。だってノルコはまだ小学5年生の、健気で元気な美少女なのだから。ルイ「おーい、ノールー!」 ノルコ「あ、きたきた!」


(1347)
 通りから響いてくる呼び声に、ノルコは手を振って答える。再び回りだした日々に向かって、その一歩を踏み出してゆく。ノルコ「みんな! おはよー!」 高らかな朝の挨拶とともに少女は駆け出した。そして、朝の日差しとツイートに満ちた景色の中へと、あっという間に吸い込まれていった。




                                終わり

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