ガチ百合ハーレム戦記

ナガハシ

新王、挫折する

 天への道を登り始めてから、最初の夜が訪れた。
 昼間から、ほぼ休みなしで登り続けたリーンは、既に半エルデンの高さにいた。


 アルデシアで最も高い山であるヒュノポス山を真横に見る位置だった。
 月の光が、アルデシアの景色を照らしている。
 山の輪郭は薄っすらと青く光り、月明かりを映したエヴァー湖の水面は白く輝いていた。
 上空に風は殆どなく、リーンの周りは、大陸中のどこを探しても見つからないほどの静寂に包まれていた。


 リーンは光の螺旋階段の上に座り込んで、アルメダと自分の身体を結び付けているロープを締め直した。
 アルメダの体は、光の螺旋階段を通り抜けてしまう。
 故に、ずっとリーンの体で支え続けていなければならない。
 寝ている間にうっかり落としてしまったら、それで終わりだ


「よし……」


 他にも、体に身につけているものが落下してしまわないよう、念入りに確認する。
 特に水は大事なものなので、大きな水袋を二つ、体にしっかりと巻きつけてある。
 水袋の注ぎ口はコップにもなる蓋で閉められていて、そのコップと水袋は丈夫な紐で繋がれている。


「おおっ?」


 湖の畔に目をやると、いくつかの灯火がともっているのが見えた。
 リーンが天への道を登り始めたことを知った街の住民達が、早くも応援にかけつけてきているのだ。
 中には野次馬も相当数混ざっているが、とかくリーンに対する注目度は、これまでにないほど高まっている。


『アー、アー、国王殿、国王殿。応答願いますじゃ』


 マジスからの連絡が入った。
 リーンは胸につけている赤百合のバッチにむかって答える。


「ああ、俺だ。聞こえてるぜ」
『今から物資を打ち上げるので、準備してくだされい』
「わかった」


 リーンは、腰に吊るしてあった棒を手に取った。
 これも、下に落としてしまわないよう、紐でリーンの体に結び付けられている。
 棒の先には大きな網がついている。
 これで、地上から打ち上げられた物資を受け取るのだ。


「いいぜー!」
『では参りますじゃ。3、2、1……』


――ドーンッ!


 遥か下方の湖面に、小さな白煙が上がる。
 やがてそこから、グングンと砲弾が飛び上がってきた。
 空気抵抗を無くす魔法をかけてあるので、摩擦による速度の損失はない。
 重力の抵抗を受けて徐々に減速しながら、やがてリーンのすぐ近くを突き抜けていった。


「オーライッ」


 リーンはアルメダを背負ったまま器用に階段の上を移動して、上方に突き抜けていった砲弾の真下に陣取った。
 素手で受け止められそうなので、構えていた網付き棒を腰に戻す。
 やがて上昇力を失った砲弾が落下してきた。


「キャッチ!」


 リーンは両手で抱えるようにして、落ちてきた砲弾を受け取った。


「ふう、受け取ったぜ!」
『了解ですじゃ。次の打ち上げは明朝でよろしいですな?』
「ああ、みんなも休んでくれ。また明日頼む」


 リーンは通信を終えると、再び階段の上に腰を下ろした。
 そして、砲弾の中身を取り出しにかかった。


 砲弾は中身がくりぬいてあって、太いネジで蓋がしてある。
 ネジをはずすと、中にはたっぷりと水が詰め込まれていた。
 リーンはその水を水袋に移すと、再びネジを締め込んで下に落とした。


 砲弾は、光の螺旋階段をするりと突き抜けて、湖面へと落下していった。


「ゴクゴク……ぷはぁ」


 リーンは少しだけ補給した水を飲んだ。


「よいせっと」


 そして、腰のベルトに固定してある、手の平ほどの大きさの小箱に手を伸ばした。
 その小箱は、アルメダの体を収めてあった、あの黄金の棺と良く似ていた。
 小箱からは一本のコードが延びていて、アルメダの体を包んでいる白絹の中へと続いている。
 これは、黄金の棺を模して作った、栄養補給器なのだ。


「水の時間だぜ、アルメダ」


 リーンは補給器の蓋をずらすと、その中に水を注ぎ込んだ。
 補給器はリーンの魔力を消費して稼動し、アルメダの体内に必要な栄養素と水と塩分を供給する。
 いわば、携帯式の生命維持装置だった。


「ふうっ」


 一通りの作業を終えると、リーンは外套ですっぽりと体を隠して、夜の休息に入った。


 今のところは全て順調に行っている。
 アルメダの体を背負って、物資を満載して、かなりのペースで登ってきた。
 予定していたより高い場所まで来れた。
 物資の補給も問題なく行なえた。


 今後、一月あまりに渡る天の道の登頂。
 その一日目は、こうして過ぎていった。




 * * *




 それから6日間は、同じような行程が繰り返された。
 日の出とともに起きて、物資の供給を受け、後は一日中、光の螺旋階段を昇り続けた。


 単調で退屈な作業を一人で続けることは、リーンがもっとも苦手とすることだった。
 しかしリーンは、背中で眠るアルメダの存在に励まされつつ、ひたすら歯を食いしばって階段を昇り続けた。


 階段を昇っている間、リーンは人間とホムンクルスの違いについて考えた。
 医法師長のギリアムが言うには、両者の間に、物質的な違いは無いらしい。
 人間は人間の腹の中から生まれ、ホムンクルスは試験管の中から生まれる。
 ただ、それだけの違いなのだ。


 ならば、その両者を決定的に隔てているものはなんなのか。
 それは『魂』という概念に他ならない。
 人の腹から生まれるのと、試験管の中から生まれるのとでは、その『魂』の形作られ方がまるで異なるのだ。
 ギリアムは、リーンの問いに対してそう答えたのだった。


――正直、よくわからない。


 それが、リーンの感想だった。
 考えれば考えるほど、『魂』と呼ばれるものの実体が掴めない。
 アルメダの、この美しすぎる姿に、魂がこもっていないわけがない。
 その確信は間違いなくある。
 かつて、アルメダがリーンに紅茶を振舞ってくれた時の、あの胸が安らぐような微笑みに、自分と同じ魂が入ってないとは考えられない。


――何が違うってんだ、一体。


 リーンは何度もそう思い悩んだ。


――どうしたら同じになれるんだ?


 寝ても覚めても、そのことばかり考え続けた。


 アルメダの魂は、アルメダとして生きることを放棄しようとしている。
 魂と肉体を繋ぐ“気”の働きが一切なくなってしまったということは、つまりそういうことだ。


 どうして生きたくないのか。
 ホムンクルスで、人間とは違う存在で、愛して良い者とだめな者を、国王らによって規定され続けてきた王女は、自分がこれからどう生きていけばよいか、わからなくなってしまったのだろうか?
 それとも、もはや純潔ではない自分は、リーンの側で生き続ける資格がないと思い込んでいるのだろうか。


 どんなに考えても、アルメダが目を覚まさない理由がわからない。


――天人様とやらに聞いてみよう。


 そして結局、そう思い至ったのだ。


 アルメダの体をこの身に背負って、自分の全てを捧げて。
 天人達に会いに行こう、と。


 アルメダは、国王との最後の戦いの時に、その身の全てを捧げてリーンを救ってくれた。
 だから今度は、俺が全てを捧げてアルメダを救い出す。


 人はこう言うかもしれない。


 “せっかく救ってもらった命を捨てるなんてどうかしている”


 と。


 だが、リーンはそうは思わない。
 互いの全てを捧げあってこそ“愛”と呼べるのではないか。
 リーンは強くそう思うのだった。


 “魂”と“愛”は、どこか近しい響きを持つ言葉だとリーンは考える。
 もし、アルメダを救えるとすれば、それは愛でしかないだろう。


 きっとそうに違いない。


 リーンはそのことを証明するために、ただひたすら光の螺旋を登り続けた。


 
 * * *


 
 夜が来るたびに、エヴァー湖の畔を取り囲む灯火が増えていった。
 バッチによる通信によれば、エヴァー湖の畔は、リーンを応援する人々でごった返しているという。


 リーンの姿を視認するために、無数の遠見筒が空に向けられている。
 天を昇るリーンのご利益にあやかろうと、遠くから商人や貴族達もやってきている。
 見物場所を巡る争いまでもが起っているという。
 湖周辺の警備のために、急遽、兵を増員しなければならないほどだった。


 地上からは、通信用のバッチを通して、多くの者達がリーンにメッセージを送ってきた。


 エリィは毎日朝から晩まで、湖に向かってお祈りをしているのだと言った
 ヨアシュとランは、急に宿の客が増えたために、毎日大忙しなのだという。
 ジュアは、エルグァの有力者を城に集めて、何かリーンの手助けを出来ないかと協議している。
 メイリーが、リーンを暗殺しようと狙っていた者達が、すっかりなりを潜めてしまったと報告してきた。


 リーンが天への道を昇り始めてから、大陸中で様々な反応がおきていた。
 リーンの実力に不信感を持っていた各地の有力者達も、その考えを改め始めている。
 民衆の多くが、リーンが起した奇跡に狂喜し、大きな都市から小さな農村まで、まるでお祭り騒ぎになっていた。 


 そして、登頂6日目を迎えた。


 ついに、昇った高さが2エルデンを超えた。
 空気は冷たいが日差しは強い。
 そんな矛盾した環境に耐えながら、リーンは銀の外套をしっかりとかぶって天を目指した。


『国王殿、そろそろ補給の限界なのですじゃー』


 そしてとうとう、地上からの物資の供給を受け取れなくなった。
 どんなに火薬の量を増やしても、これ以上の高さには砲弾を打ち上げられないのだ。


 ここから先は、持てるだけの物資を担いで、リーン一人で登らなければならない。
 残り8エルデン。
 まさに、絶望的な距離だった。


「よし。じゃあ、今日は一日補給に費やすか」
『了解いたしました、国王』


 湖上に浮かぶ船は、すでにゴマ粒よりも小さく見えていた。
 地上の景色も、空気の層に霞んで、良く見えなくなっていた。




 * * *




 リーンは一日かけてゆっくりと資材を補給していった。
 限界量を超えた火薬を使って砲弾を打ち上げているので、酷く打ち上げの精度が悪い。
 3発に1発キャッチできるかどうかという水準だ。


 水、ビスケット、炒り豆、塩。
 登頂に必要な物資を、なんとか受け取っては、己の体に結んでいく。
 丸一日かけて、体力が許す限界まで、食料と水を受け取った。
 最終的にリーンは、その体重のじつに5倍の物資をその身に背負うことになった。


「ぐ……! ぬぬぬ……!」


 一歩足を踏み出すたびに、腰骨が軋むほどの重量だ。
 リーンの体は、満載した荷物で殆ど見えなくなってしまっている。


――これは流石にやべえ……。


 立っているだけでもやっと状態だった。
 3歩踏み出すたびに、長い休憩を取らないような有様だった。


 そんな理由で、最後の補給を受けてからの一日は、0.1エルデンも昇れなかった。
 山のような荷物を背負ったまま、リーンは階段の上で潰れるようにして眠った。
 その背に背負ったアルメダの体もまた、満載した荷物によって押し潰されてたが、リーンはそれを気にする余裕さえなかった。


 翌日、幾分荷物は軽くなったが、相変わらず足取りは重かった。
 3歩踏み出しては休み、半刻もしないうちに体がまったく動かなくなる。
 そんなことを延々と続けた。


『リーン、無理はしないで欲しいのです……』


 エイダから通信が入った。


『もうみなさん、リーンが特別な存在だってことを十分に認めているのです。気が済むまで昇ったら、いつでも戻ってきて良いのですよ?』


 エイダは殆ど涙声だった。
 まるで嘆願するような声色で、早めに引き返すようにと言ってきた。


「ああ、わかってる。心配かけてすまねえな、エイダ」


 リーンはそれだけ言って、通信を切った。
 エイダの気持ちはよくわかる。
 だが、このまま黙ってアルメダの体が朽ちていくのを見るのは、絶対に嫌なのだった。


 リーンは軋む体に鞭打って、天への階段を昇り続けた。


 
 * * *


 
 登頂14日目。
 昇った高さが4エルデンを超えた。
 満載してきた水と食料も、残すところあと3日分ほどになった。
 荷物が減った分、歩みは速くなったが、まだ半分にも進んでいないのだった。


「調子はどうだい? アルメダ」


 リーンは時折り、背中の姫に話しかけた。
 アルメダの顔は真っ白だった。
 しかも、一切の輝きを失った白だ。


 あの、黒真珠のように輝いていた瞳は、今は静かにふせられて、すっかり落ち窪んでしまっていた。
 幼げで瑞々しい色香をはなっていた薄紅色の唇も、カラカラに乾いてひび割れはじめていた。
 元々小さくて軽いアルメダの体はさらに細くなって、風が吹いたら飛んでいってしまいそうなほど儚いものになっていた。 


 アルメダの体には、必要最低限の水と塩しか与えられていない。
 背中越しに伝わってくる彼女の鼓動も、徐々に弱まってきている。
 このままでは、天界に辿り着くまでもたないかもしれない。
 リーンはそう思うようになっていた。


「俺はまだまだ元気だぜ、アルメダ」


 リーンは物言わぬ姫に話しかける。


「絶対にお前を天界に連れて行って、そして、元の元気な体に戻してやるんだ」


 気丈な言葉を吐いてみるものの、まったくその声には覇気がなかった。
 このままでは、天に辿り着く前にアルメダの体が死んでしまう。
 助けるために始めたことが、今は逆に、彼女の命を短くしてしまっている。
 その事実が、嫌というほどリーンの胸に突きつけられていた。


「やってやるんだ、俺は、絶対に……」


 最後に吐いた言葉は、遥か高みの冷たい空気の中へと、弱弱しく溶けていった。
 世界がリーンに告げていた。


 “もう無理だ、引き返せ”と。


 誰もそれを望んでいない。
 城のみんなも、地上の人々も、そしてなによりアルメダ自身も。


 誰も彼も、リーンがこのまま登頂を続けることを望んでいなかった。 
 最初こそ、背中のアルメダの存在に押されて昇り続けてきたリーンだったが、ここにきてその現象は逆転してしまっていた。


“もうよいのです、リーン”


 そんなアルメダ姫の声無き声が、背中越しにひしひしと伝わってくるようだった。


“もう十分なのです、リーン”


 そう言ってリーンの身を案じ、早く引き返すよう告げてくる。
 もはやアルメダの魂は、リーンの背中を押してくれないのだった。


「くっ…………」


 リーンはついに、その場に膝をついた。
 深くため息をつき、そのままの体勢で地上を見下ろした。


 とてもとても、高かった 
 地の果てさえも見えていた。


 湖の上に浮かぶ船は、その姿が見えなくなってしまって久しい。
 海のように広大なエヴァー湖でさえ、手の内に収まってしまいそうだった。


 遥か彼方、地の果てを見る。
 大陸の果ての向こうに広がる、薄汚れた冷たい海。
 その先に広がる、真っ暗な深遠。


 あの深遠の向こうには、一体何があるのか。
 それはこの世界のどんな賢人でも知らないことだ。
 遠い遠いこの世の果てを見つめながら、リーンは改めて思う。


――どうしてこんなところまで来てしまったのだろう。


 と。


 見渡す限り誰もいない。
 今、リーンは完全に一人だった。


 生まれて初めて味わう完全な孤独が、冷たい氷の刃となって、リーンの心を静かに貫いていた。


「うっ…………」


 ふと、リーンの目に涙が伝う。


「ううっ……」


 寂しくて、虚しくて、どうしようもなかった。
 これからどうしたら良いのか、さっぱりわからなくなった。
 ここに来てリーンは、ついに自らが天を目指すことの意味を、完全に見失ってしまった。


『リーン、どうしました? リーン』


 だが、そこに。


「…………!?」


 よく見知った声が、通信バッチから響いてきたのだった。


『もしかして、しょげてしまっているのですか? リーン』


 どこかからかうような声で、灰色魔術師のゲンリが、リーンを鼓舞してきたのだ。


「そ、そそそ、そんなことないぜ?!」


 リーンは慌てて取り繕う。
 見られているわけでもないのに、頬に伝った涙を拭う。
 しかし、その声は完全にかすれてしまっていた。


『ふふふ、流石のリーンもきつかったようですね。もうそろそろ食料が尽きると聞いております、さぞ、心細いかと思います』


 頼もしい仲間の声を聞いて、リーンの胸に、新たな炎が滾ってくる。
 リーンは、はずむ声で言葉を返した。


「い、今どこにいるんだ? ゲンリ。体はもういいのかっ?」
『はい。少なくとも、今のリーンよりは元気だと思いますよ? 私は湖畔の転移陣に来ています。ジュアさん達もご一緒です』


 続いて、エルグァの女騎士の声が聞こえてきた。


『はーいリーン。元気にしてるかしら? いまから貴方のためにとっておきのプレゼントを届けるから、楽しみにしていてね?』
「プレゼントだって?」


 リーンは思わず眉をしかめた。
 こんな高い場所まで、どうやって物を届けるのか?
 まったく想像できなかった。


『大陸中から飛翔魔法の使い手達をかき集めました。エヴァーハル転移陣の全貯蔵魔力を使用して“私たち”を打ち上げます。計算どおりに行けば、リーンの居るところまでギリギリですが届きます。チャンスは一度きりですので、しっかり受け取ってくださいね』


 そこで通信が切られた。
 リーンは天の彼方にぽつんと立って、ひとり首を傾げた。


「“私たちを打ち上げる”だって?」


 正直、よくわからなかった。
 ひとまずリーンは、地上から4エルデンの高さに打ち上げられてくるというプレゼントを受け取るべく、その場で足を踏ん張って身構えてみた。

















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