勇者の名産地

ナガハシ

水筒の中の湖

 大きな剣の街を後にしたカトリ達は、一路ルジーナを目指す。
 宿屋の主人が貸してくれた馬は、若い栗毛の牝馬だった。円らな瞳の可愛い馬に、三姉妹は勝手に「ハナちゃん」と名前をつけた。


「……ブルルルッ」


 だがハナちゃんは不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。


「ごめんな、変な荷物背負わせちゃって」


 カトリは喉を撫でてハナちゃんをあやす。その背には、布で巻かれた巨大な剣が縄でくくりつけてある。
 かなり肉厚の片刃の剣で、その気になれば竜の首でも切り落とせそうな一品だ。
 しかし持ち上げるのは4人がかりであり、馬の背に乗せるにはバランスが悪すぎる。
 ハナちゃんはその円らな瞳を、始終迷惑そうに曇らせていた。


 * * *


 半日ほど歩いたところで、大きな湖が見えてきた。
 湖の周囲には、柔らかそうな青草が茂っていた。


「丁度いい、あそこでハナちゃんを休ませよう」


 湖の畔に馬を寄せ、四人がかりで大きな剣を地面に下ろす。


「ヒヒヒーン!」


 するとハナちゃんは、解き放たれたペガサスのように草原を駆け始めた。


「わあ嬉しそう!」
「つかまえてごらーん!」
「まてまてー!」


 三姉妹もそれについて行ってしまった。


「……結局俺が荷物番か」


 カトリは湖畔に座り込むと、水筒を出して水を飲んだ。


「おおう?」


 すると、水筒の中身が空っぽになってしまった。
 カトリは湖を見渡す。キラキラと輝く水面。飲んでも大丈夫そうだ。カトリは靴を脱ぎ、ズボンをまくると、湖の中に入っていった。


「ちべてー」


 湖の水をすくって一口飲む。特に問題はなさそうだった。
 そこでカトリは水を補給するため、水筒の蓋を開けようとした。
 すると。


「よびましたー?」
「うわっ!」


 気づけば目の前に、いつぞやの湖の精霊がいた。
 名はたしか、アーリヤ。


「また会いましたねっ!」
「そ、そうですね。別に呼んでませんけど……」
「うふふふふふふふ」


 何やら愉快げに微笑むアーリヤ。
 じっとカトリの顔を覗き込んで、意味深な様子だ。


「お、俺の顔に何か?」
「うんっ、目と鼻と口がついているわ」
「そりゃあ、人間ですからね……」


 一体何の用があるのだろう。カトリは首を傾げる。
 このアーリヤと名乗る存在は、自分のことを湖の精霊だと言う。しかしその容姿は、精霊というより、むしろ小悪魔っぽいのだ。
 髪は黒くウェーブしていて、瞳の色はアメジストのような紫色。
 白い羽衣を纏っているから、一応は清純っぽく見えるが、むしろ妖艶なナイトドレスの方が似合いそうな感じだった。


「私はあなたのことをずっと見てました。妹思いのお兄さん」


 アーリヤはそう言って、またクスクスと笑った。


「俺のことを?」


 どうしてまた、平凡な農民に過ぎない自分のことを? カトリは不思議に思う。


「なんで精霊さまは、妹を救う方法を教えてくれたんですか?」
「アーリヤで良いわ。そう、私はあなたに、妹さんを助ける方法を教えました。夢の中で」
「ええ……」
「それはあなたが妹さんを思う気持ちに打たれたからです。だから、普段は入っていけない、滝の清流に紛れ込んで、あなたの枕元まで訪ねて行ったのです」


 どうやら、わざわざ行きずらい場所まで来てくれたらしい
 カトリは質問する。


「清流には入っていけないんですか?」
「はい、私は湖の精霊。流れる水や、湧き出る水、地下水などには長く潜めないのです」
「そうなんですか!」


 つまり停滞している水を好むということだ。
 初めて知ったその事実に、カトリは驚きを隠せない。というか、随分とフレンドリーな精霊さまだ。


「沼とかでも大丈夫なんです?」


 カトリは、タケシタさんの家の小沼を思い出しつつ聞く。


「沼と言うか、私のいる場所が湖なのですわ」
「な、なるほど」


 少々強引な理屈だったが、カトリはひとまず納得した。


「まあともかく、妹を救う方法を教えてくれて、ありがとうございました」


 そして深々とお辞儀をした。天地の精霊達に敬意を払うのは、農民の習性なのだ。


「うふふっ、大したことではありませんっ。ねえカトリさん、もしよろしければ、私も旅に同行させてくれませんか? ルジーナに向かうのでしょう?」
「ええ、そうですけど。でもどうやって」
「簡単なことです、この湖の水をその水筒に入れて、そして飲まずにいてくれるだけで良いのです」


 なるほど、停滞する水の中であれば、どこにでも潜めるというわけだ。


「……間違って飲んじゃったらどうなります?」
「おしっこになるまで出て来れませんっ」


 アーリヤは人差し指をピンと立てながら言ってきた。
 それは気をつけねばとカトリは思った。


「ルジーナに用があるんですか?」
「そうなんです。ちょっと、見たい景色があって……」
「わかりました。お安い御用です、アーリヤさん」


 カトリは湖の水を水筒に満たすと、きっちりと蓋をした。
 こうして湖の精霊アーリヤが、カトリの旅に加わったのである。


 * * *


 休憩を終えた一行は、移動を再開した。
 アーリヤは言っていた。自分がいる場所が湖なのだと。
 つまり、カトリが持っている水筒はいま湖なのだ。


「うーむ」


 カトリは興味深げに己の水筒を眺めた。そして慎重に蓋を開けて中を覗き込んだ。


「いますよー」


 ギチギチにつまったアーリヤが見上げてきていた。
 正直気持ち悪かったので、カトリはすぐに蓋を閉めた。


「ん? いま何か言ったか?」


 ミーナが聞いてくる。


「いや、気のせいだろう……」
「ブルルルッ」


 ハナちゃんが不機嫌そうに鼻をならした。








 

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