永久なるサヴァナ

ナガハシ

獣の棲家

 サヴァナシティは狭い。
 噂が広まるのはあっという間。娯楽にも乏しいため、長いあいだ繰り返し話題にされる。
 最近開設された民営の放送局が、ルーリックが獣面を失った件と、それに付随する金の山羊のニュースを取り上げると、その翌日には『いんすたんとめん』に大量の野次馬が押し寄せてきた。


 腑抜け野郎の店、あそこでメシを食うと勃起不全になる。同性愛者御用達――。


 等々、半分は妬みの混じった罵詈雑言が、しばらく市中の酒場を賑わした。
 ロンもマスターは当然店に戻れなかったが、幸いヤマネコ婦人の機嫌がよく、しばし猫館の世話に与れることになった。
 猫館は『館』であるため、どのような力を持ってしても破壊できない。部屋に入り、内側から鍵をかければ、そこは一切の危険から解き放たれた空間だ。


 ロンとマスターは、数年ぶりに獣面をすっぽりと脱いで洗濯した。
 久方ぶりに素顔を水でざぶざぶと洗い、熱いタオルで蒸らして、たっぷりと泡をつけて髭を剃った。
 それはなにものにも変えがたい悦楽だった。
 ルーリックから奪ったエランドの獣面は、ひとまず金庫に保管した。


 ロンはひたすら心地よいベッドで眠りこけ、ミーヤはかいがいしく看護の真似事をし、マスターは日がなニ階のテラスでタバコをふかし続けた。
 カプラがその後どうなったかについては一切の情報がなかった。ヤマネコ婦人も追加の調査は行わなかった。そして誰もその話題を口にしなかった。


 そうして一週間が経過した。


 * * *


「いい加減仕事に行くにゃ! ロン!」
「……うあー」


 腑抜けた顔で起き上がる。サヴァナ世界では傷が癒えるのも早い。全身に負っていた大怪我も、3日と経たずに治ってしまった。
 だがその後もロンはずるずると居座り続け、ひたすら惰眠をむさぼっていた。


「……おっさんは?」
「もう店に戻って頑張ってるにゃ! いつまでもへこんでないでシャキっとするにゃ!」


 ミーヤは黒のエプロンドレスを着ていた。いつまでもダラダラしているロンを叱責しつつ、朝食のサンドウィッチをベッドサイドのテーブルに置く。
 ロンはむくりと起き上がると、気だるそうに用意された食事に手を伸ばした。


「別にへこんでなんかいないんだぜ?」


 半分ほど口に押し込んでもぐもぐと咀嚼する。


「どう見ても、ふられて寝込んでる女々しい男にしか見えないにゃ」
「ちげーよ。外に出ると色んなのに難癖つけられるんだよ。それもこれもみんな……」


 ヤマネコのせいだ――。と言おうとしてロンは口を噤んだ。


「ちっ……」


 そしてやり場のない怒りに苛まれる。


「ヤマネコさまは、ミーヤ達をあるべき方向に導いてくれたんだにゃ。これだけ世話になっておいて、逆恨みなんかしたら許さないのにゃー!」


 シャキンッとその手に爪を光らせる。


「ありがたくて欠伸が止まらねえよ」


 朝食を全て口に押し込み立ち上がると、ロンは一つ大きく伸びをした。


「んじゃ、ちょっくら店の様子見てくるわ」
「にゃむ。気をつけていってらっしゃいっ」
「んむ……?」


 ミーヤのおかしな物言い。
 何となく、むずむずと尻のあたりが落ち着かない。


「お前は俺のオカンか」
「ちがうにゃっ」


 チッチと目の前で指を振る。


「お嫁さんにゃー。……あうっ!?」


 ロンは指先で軽くミーヤの頭を弾くと、そのまま部屋を後にした。


 * * *


 店の壁一面に書かれたスプレーペイントを見て、ロンは顔をしかめる。


「ひでえなこりゃ」 


 洗い落とすことはもちろん出来ない。塗装するにも費用がかさむ。結局は放置しておくしかない。
 卑猥ないたずら書きがされた壁の表面を、2、3度足で蹴り崩してから店内に入っていく。


 4卓あったテーブル席のうち、2つが消えて無くなっていた。
 店に来た誰かが盗んでいったのか、マスターがムシャクシャして壊したのか。とにかく随分と風通しが良くなった店内を進み、カウンター席の裏側に入る。
 タンクに入っている水は残り少ない。袋麺の備蓄も殆どないようだった。調理台の上には萎びたチクワがそのまま放置されている。


 シャワー室のある部屋に入る。
 特に変わりはなく、壁は相変わらず朽ち果てていて、粗末な仕切り戸はガタガタと軋み、どこまでも使用者の要求を跳ね除けている。


 ニ階に上がる。
 猫館の一室とは比べ物にならない狭さと汚れよう。まさに家畜小屋と呼ぶにふさわしい。窓にはめられた鉄格子が、そのみすぼらしさをさらに増強している。部屋の入り口からその窓を見て、ふとロンは、デートに誘われた時のことを思い出した。
 黄緑色のふさふさとした羽が生えた獣面。
 変てこな歌を歌う鳥が、あの鉄格子から顔を出して言ってきたのだ。


 私をどこかに連れて行って――。


 思いがけずロンは、隣の部屋の様子が気になった。元は物置として使っていた部屋。大したものは置いてない。スペアの椅子と予備の毛布。あとはマスターが趣味で集めたガラクタくらいだ。


 横に3歩踏み出すと、もうカプラの部屋の前だった。だがロンは少しばかりその部屋に入ることを躊躇した。
 僅かな間、知らぬ女を泊めていたというだけで、その部屋が持っている意味合いが、随分と変化してしまっていた。


 扉もないので、既に部屋の中は丸見えだった。以前見たときよりかなり片付いている。ガラクタ類は綺麗にまとめられ、空いたスペースに机と椅子が置かれている。
 寝床にしていた床の上には、まるで鳥の巣のように紙切れが敷き詰められていた。カプラはその上にマットレスを敷き、毛布に包まって眠っていたのだ。


 こんな所で過ごした数日は、果たして面白いものだったのだろうか?
 そんな疑問を抱きつつ、ロンは部屋に足を踏み入れた。そして床に散らばっている紙切れの一枚を指でつまんだ。
 少しでも寝心地を良くするための工夫。それでも寝床は硬くて冷たかったはずだ。


 視線を上げた先の壁際に、彼女が使っていた毛布がきちんと畳んで置かれていた。さらにその下には、最初にあった時に着ていたドレスの余り布がある。
 ロンは立ち上がり、カプラが弾いていたギターを手に取る。これもマスターの私物なのだが、彼がこれを弾いているところは見たことがない。手入れもされておらず弦は所々錆びていた。


 一つ弾いて鳴らしてみる。
 ピーンと高く、金属質な音が鳴った。
 不意に、カプラが客の前で演奏していた時の音が耳によみがえった。


 大体いつも夜の8時ごろに始まるから、夜勤の仕事に就いているロンにとっては、それが目覚ましのようになっていた。
 気付くとロンは目を瞑っていた。客達がはやしたてる声、ギターの音、そしてカカポの歌声。ここにいるだけで、それらのことが思い起こされてしまう――。


「ロン?」
「ふがっ!?」


 突然声をかけられてロンはビクッと飛び上がった。振り返るとマスターがいた。


「び、びっくりさせんな……!」
「ぶひっ、帰ってきてたんだね。傷はもういいの?」
「ああ、ミーヤに追い出されちまったよ」


 ギターを置いて部屋を出る。何となくマスターがニヤニヤしているが、勤めて眼を合わさないようにする。


「どうするんだよ、この店」
「さあね。客も全然来ないんだ。もうここはだめかもしれない」


 短いやりとりを済ませて、ロンは自室へと戻った。
 そして硬いソファーに腰をおろし、まんじりともなく、これからのことを考える。
 近いうちに引っ越すことになるだろう。サヴァナにおいて住居を得る方法は単純明快。空き家に居座るか、力づくで奪い取るかだ。


 しかし頻繁にスラム潰しをやっているせいで、都市は難民で溢れかえっている。土地や住居をめぐる争いも激しくなっているから、イノシシ面を持つマスターでも、そう簡単に新居を見つけられないだろう。
 いざとなればロンも手を貸さない訳ではないが、出来れば荒事はしたくなかった。それで後々、厄介な復讐を受けることも多いからだ。


 となると後は、サヴァナの有力者を頼るしかない。
 ある程度金を積めば、手持ちの建物を貸してくれることもある。
 ただし、サヴァナは法律に守られている都市ではないので、常に貸主の気まぐれに脅えなければならない。


 結局全ては暴力なのだとロンは思う。強い力こそが唯一サヴァナの民を自由にしてくれる。そこでロンは、ルーリックから奪い取ったエランド面を考慮に入れることにした。
 ポケットの中から金庫の鍵を取り出す。猫館の住民は、ネコ以外の獣面には興味がないので、こうして超が付くほどの貴重品であるエランド面の保管を頼めている。


 あれほどのクラスの獣面となると、売却することもままならない。
 とはいえ、ヤマネコ婦人の気が変わらないとも限らないので、早めに使い道を考えなければならなかった。
 エランド面を新しい棲家に変える方法はないかとロンは頭を捻る。自分かマスターが被って、その力で弱者から奪い取る、という方法以外に。


 あれこれと考えた末に、ロンはある奇策を思いついた。


「エランドってのは……」


 そして一瞬、自分は頭がおかしくなってしまったのではないかと思った。


「ウシの親戚だよな……」


 それはオオカミとしての誇りを全てかなぐり捨てる策だった。
 余りに突飛なアイデアなので、一度マスターと相談してみようかとも考えたのだが……。


「いや……ねえな」


 やめておいた。


 これは純粋に自分自身の問題だとロンは考えた。自分はもうここでは暮らしたくない。卑猥な落書きをされ、酷いレッテルを貼られ、見も知らぬ連中が定期的に嫌がらせにやってくる。


 そして、心の平穏を脅かす思い出まで染み付いてしまっている。マスターの意志とは関係なく、ロンはこの場所を出なければならなかった。


「ふふんっ」


 一人納得して立ち上がる。
 そして鍵をちゃらちゃらと回しながら、部屋を後にした。









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