永久なるサヴァナ

ナガハシ

泥死合

 すでにミーヤの尾骨から生え出ていた尻尾が、ピンと真っ直ぐになった。
 その背筋にザワザワとネコの毛が生え立つ。
 言われた言葉を理解するより早く、身体が戦闘形態へと移行する。


「マジにゃ? ロン!」


 本当に勝てるのか――?
 大鹿男とロンの姿を確認し、眼を白黒させながらミーヤは言う。


「ああ、大マジだ。一緒に戦ってくれ! 俺はまだ死にたくねえ!」
「にゃぁあっ!?」


 ミーヤの瞳がこれでもかと見開かれた。どうやら今のロンの言葉を、ある種の告白と受け止めたらしかった。
 瞳の奥に星が瞬き、顔が沸騰したように赤くなった。
 にょきにょきと成長を始めた糸切り歯をむき出しにし、急激に高揚していく気持ちを吐き出すようにして、ミーヤは叫んだ。


「ふんに”ゃあああ”あ”あ”あああー!」


 直後、少女の身を覆っていたワンピースが引き裂かれ、その下から茶虎の毛に覆われた肢体が飛び出してきた。
 その頭は猫そのもの。全身にみなぎる躍動感は、女豹のそれを彷彿とさせる。
 身体の柔らかさと機敏な動き。それらについては他の追随を許さないネコの獣人である。


「そういや、その格好初めてみるな」
「すっぽんぽんになるから恥ずかしいのにゃ!」
「毛が生えてるから大丈夫だろ」
「そういう問題じゃないにゃー!」


 ルーリックの戦闘力指数は260。
 対してロンは130、ネコのミーヤは30。
 ロンは自分が二人居ればと思わずにはいられなかった。


 戦闘力指数の算出については、長年にわたるデータの蓄積があり、なおかつ無数の評定者の目によって審査され続けてきた。故にこの値はかなりの信用がおける。
 ロンが二人いれば、その戦闘力指数の合計は260となり、エランドと五分になる。だからロンはイメージした。ミーヤをもう一人の自分と見なすことを。


「ミーヤ、お前は常に相手の後ろをとれ。そして俺と同じ動きをしろ」
「同じ動きにゃ?」
「俺が距離を取ったらお前もとれ。俺が攻撃をしかけたら同じようにそうするんだ」
「わかったにゃ!」


 多くの情報が瞬時に交わされる。
 ミーヤは頷くと、相手の様子を伺いながら、そろそろと側面に回りこんでいった。


「アンナ小娘ニ何ガ出来ル?」
「あんまりネコを舐めないほうがいいぜ?」


 ロンはミーヤとは反対の方向にステップを踏むと、ルーリックがミーヤに対して背を向けるように位置を調整した。


「デハ試シテミヨウカ!」


 直後、10mはあった間合いを、たった一歩で詰めてきた。
 そして叩き潰すような左拳の一撃。ロンは本来ならば最も行ってはならない、跳躍による回避を行った。


「馬鹿メ!」


 空中にいるロンを串刺しにするように、大砲のような右アッパーが飛んできた。
 だがその直後、ルーリックの右肩にミーヤのドロップキックが突き刺さった。


「ムウッ!?」


 絶妙なタイミングで拳が反れ、ロンの胸板を削るようにして通り過ぎていく。
 ロンは辛うじて着地すると、がら空きになっているボディに渾身の拳を打ち込んだ。
 ドムンッという分厚い筋肉の弾力。
 まるで効いてないことを確かめてから、ロンは素早くバックステップ、ミーヤも同じく距離を取った。


「ネコは器用なんだよ」
「……ソウ何度モ上手クイクモノカ!」


 次にルーリックは、先ほどよりも慎重に間合いを詰めて、ローキックを打ち込んできた。通常であれば地味な攻撃であるが、身の丈3mの体格から繰り出されるその蹴りは、巨木が上から降ってくるようなものだった。
 ガードは無意味なのでかわすしかない、ロンは瞬時にオオカミに変化すると、鋭く前方に踏み出した。


 相手の股下に滑り込む。
 ロンと対称の動きをしているミーヤも当然目の前にいた。


「ミーヤ!」


 お前が上だ――。目線でそう合図を送り、ロンは男の股下、金的めがけて飛び上がった。
 当然ルーリックは、それを迎撃すべく拳を振り下ろしてくる。攻防一体の打ち下ろしを削るように回避して、ロンは飛び上がったままボディーブロー。まったく効いていないが、それでもルーリックの注意はロンに集中する。


 ロンの指示通り飛び上がっていたミーヤが、ルーリックの首筋に爪を振り下ろした。


「ムッ!?」


 かすり傷ではあった。だが、けして無視できるダメージではなかった。
 ロンはすかさず後退する。それに合わせて、ミーヤもルーリックの身体を蹴って遠くに飛ぶ。ぴったりと息の合った鏡合わせの攻撃。ようやくルーリックはロン達の意図に気づいた。


「貴様ラ……」


 もとより二人に『勝つ気』はなかったのだ。ひたすら決着の瞬間を先延ばしにする。二人は、三日でも四日でもこの作業を繰り返すつもりでいた。


「ようやくお気づきかい?」


 そう言ってロンは不敵に笑った。
 ルーリックにとってロン達を殺すことは、やってもやらなくても、どちらでも良いことだ。
 対してロン達の方には命がかかっている。戦い続けることに対するモチベーションにおいては、圧倒的に勝っているのだ。


 とにかく負けない――。
 サヴァナにおいては、ただそれだけで勝利となる。


「さて」


 怒りに震えるルーリックに、ロンは勝ち誇るように宣言した。


「泥死合いだ!」


 * * *


 それからはひたすら我慢比べだった。
 ロンがルーリックの攻撃を誘い、ミーヤが後ろからそれを妨害する。
 その絶え間ない繰り返しである。


 ルーリックは状況を打破するため、様々な試みを行ってきた。
 エランド形態になり、その瞬発力で横にミーヤを引き離しつつロンに迫る。しかしその場合も、ロンは後方に、ミーヤは斜め前に、それぞれ真っ直ぐ移動するだけで挟み撃ちの状態を維持できた。


 角による突撃もロンは見切った。下手にかわすより、その角に組み付いてしまった方が対処が楽なことに気付いたのだ。
 ロンが角に組み付くと同時に、ミーヤがルーリックの尻に齧りつく。さらにはその背中を駆け上がって、目や喉を狙うのだ。
 しゃくり上げによって空中に放り出されるのは怖かったが、必ずミーヤが処理してくれると確信できた。


 じれたルーリックは幾度かその巨体でロンを押し潰そうとしてきた。
 必死に草むらを転げ周り、泥をひったくって相手の顔に投げつけ、出来ることを全てやって突進をしのぐ。
 一度だけ掴まってしまい、寝技にもちこまれたが、ルーリックの角に飛び掛ったミーヤが、その硬い角を爪でギーギーと引っ掻いて、たまらず彼が手を上げたところでロンは抜け出した。


 戦えば戦うほど、相手に対して有用な動き方がわかってくる。そんなことを数時間にわたって繰り広げ、辺りが夕日に染まる頃、ルーリックの戦意はすっかり消失してしまい、ついに獣化さえ出来なくなってしまった。


「ハア……ハア……出直してくるかい?」
「バカを言え……」


 ロンの身体は打撲によってあちこち腫れ上がり、所々に出来た裂傷によって灰色の毛が赤黒く染まっていた。ルーリックの白スーツはすっかりボロボロになり、土と草の汁で汚れている。
 ミーヤは頭に大きなたんこぶ、そして右肩に角の一撃による裂傷をつくっていた。
 ルーリックは苛立たしげに時計を確認すると、ちらちらと周囲を見渡した。


「……手下の奴らは来ないのかよ」


 恐らく手を出すなと言ってあるのだろう。
 いつまでたっても応援が来る様子は無い。


「あんたが死んで……ぐうっ……喜ぶ手下もいるんだろうなぁ」
「だったら何だと言うのだ、グフウッ……お前達に私を倒すことは出来ん!」
「アンタにだって……ハアハア、俺達を倒すことが出来ないんだ……ゲフウッ」
「そんな……ボロボロの姿で良く言う……ゲホッ、ゲホッ」


 ロンは獣人の形態で、ルーリックは人間の形態で、それぞれ間合いを詰めていく。その背後から片足を引きずって忍びよるミーヤ。


「もう獣にもなれねえじゃねえか!」


 一歩半の距離のところで、ロンから先に攻撃を仕掛けた。
 まるで腰の入っていない右ストレート。難なく掌で受け止められるが――。


「ふにゃー!」


 そこにミーヤが、後ろから膝の裏を蹴り飛ばした。


「むぐぅ!?」


 ガクンと軸足の膝が折れ、反撃不能に陥る。即座にロンは左フック。ガードしつつたたらを踏んだルーリックの横腹を、後ろからミーヤが蹴り飛ばした。


「ぐふうっ!」


 そのままよろけたルーリックは、ついに地面に手をついた。全身に負ったダメージは大したことはない。ただ疲れ果てて気力が萎え、踏ん張りが利かなくなっている。


「まだだっ!」


 だがその体勢から、ルーリックは水面蹴りを放つ。体操選手のような身のこなしで、瞬時に2撃の蹴りが放たれ、同じく疲弊しきっているロンとミーヤの足を掬った。


「ぐわっ!」
「にゃあっ?」


 バタバタと同時に倒れ込む。そして三人ともなかなか立ち上がらない。


「ああ、もううんざりだ……」


 青ざめた顔でムクリと起き上がったのはルーリック。


「君達のしぶとさには恐れ入ったよ。ハァ、ハァ……。そのしぶとさに免じて……フウ……あと一日だけ生かしてやろう」


 何とか立ち上がって膝の誇りを払う。


「明日、部下達とともにお前達を迎えに行く。けして楽には死なせん……けしてな」
「そ、そりゃあ……まいったな」


 そこでロンは、一世一代の大嘘をぶちかました。


「じゃあ、さっさと外の世界に逃げちまうか、あの女と二人でよお」
「……ぬうううっ!?」


 ルーリックが凄まじい形相で睨みつけてきた。その可能性をまったく考慮していなかったようだ。


「外の世界に駆け落ちだぜ………へへっ……へへへ」


 ルーリックはカプラが金の山羊であることを知らなかった。
 挑発は完璧に成功した。
 ついでに言えは、ミーヤも凄い顔をしていた。


「きぃーーさぁーーまぁーーー!!」


 ルーリックの首筋から獣毛が湧き出てきた。ザワザワと全身が怒りに脈打って、あっという間にエランド形態に移行する。


「ドコマデ人ヲオチョクレバ気ガ済ムノダアアー!!」


 鼻息を荒げ、炎のような瞳をロンに差し向ける。
 角を前方に押し出して力任せに突っ込んでくる。


「頼むから人の言葉で喋ってくれ」


 そのルーリックの怒りに、ロンは機敏に反応した。素早く立ち上がると敵に向かって拳を突き出し、咆哮とともにありったけの気力を搾り出す。


「いい加減飽きたぜその攻撃!」


 0.1秒でオオカミに変身。これまではかわしたり組み合ったりしていた角の突撃に対して、上から飛び込んで行った。いままで絶対にやろうとしなかった動作。それは危険過ぎるという理由の他に、それこそが最後の突破口だったからだ。


「ギュオオオオオオー!」
「グルアアアアアアー!」


 牙と角が交差した。上から飛び込むロンに対し、下からしゃくりあげるルーリック。


――ギャギギギギギギギ!


 火花を散らす勢いで牙と角が擦れあった。そのままエランドの頭は上に、オオカミの体は下に、それぞれ突き抜けていく。


「これで仕舞いだ!」


 ロンの位置からはエランドの喉笛が丸見えだった。しかしロンはあえてそこを狙わず。ルーリックの顔面、それも鼻の先に飛びついた。


「フングウウ!」


 大きく口を開いて、エランドの上顎と下顎に牙を突き刺す。
 さらに全身を相手の顔に絡ませて、きつく鼻先を締め上げた。
 鼻孔と口腔の両方を塞がれて、ルーリックは完全に窒息した。


「ングーーー!!」


 慌てて頭を振り下ろすエランド。
 ロンは背中から激しく地面に叩きつけられるが、けしてその牙を離さない。


「グウウーーーー!」


 さらに二度、三度、地面に叩きつけられる。
 ルーリックは全身に残った酸素をかき集め、死力を振り絞って高く跳躍。
 ロンを粉砕すべく頭から地面に突っ込んだ。


「ガアアッ!」


 ここぞとばかりにロンは離れる。
 ルーリックは止める間もなく、自らの巨体が生み出す落下力と首の力でもって、下顎から地面に突っ込んでいった。


――グワシャァ!!


 土砂が数メートルにわたって巻き上げられた。半ば地中に埋もれるエランドの頭。ルーリックは完全に意識を失い、すみやかに人の姿に戻っていった。


「はあ……はあ……」


 全身の骨が悲鳴をあげていた。人の形態に戻り、尻餅をついたまま細かい呼吸を繰り返す。下手に息をするとあばら骨が砕けそうだった。


「ロンー!」


 だがそこにミーヤが駆け寄ってくる。


「ぐええっ!?」


 そしてそのままドサリと降ってくる。


「良かったにゃ! 生きてるにゃーー!」


 全身に走る激痛で返事もできない。ミーヤはロンの顔を覗き込むと、血と泥と汗と涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を、さらにぐちゃぐちゃに歪ませながら言った。


「カプラと駆け落ちしてもいいにゃ……」
「……は、はあっ!?」
「ロンが生きててくれれば……ひぐっ、ミーヤはそれで、ぐすっ……十分にゃあー!」


 そしてロンの胸に顔を埋めて泣き始めたのだった。


「ばかやろう……ブラフだよ」
「ふええぇぇぇーんっ」


 ミーヤが心底自分を心配して駆けつけてきたのだと知ったロンは、先ほどまでの共闘によって生まれた連帯感もあり、不覚にもその体を抱きしめたい衝動に駆られた。
 そしてすぐ、これもまたヤマネコ婦人の姦計のうちなのだろうかと推測して、三度うんざりとした気分に襲われた。


「……まあ、ともかく助かってよかったぜ」


  だからロンは、ミーヤの頭を軽くポンと叩くにとどめておいた。









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