永久なるサヴァナ

ナガハシ

痴話喧嘩

 ロンには嫌いなものが沢山ある。
 一番嫌いなのは泥棒ネコ。その次に、自分を良いようにこきつかってくる水牛のお姉さん。三番目が寝起きの気だるさだ。


 お人好しなマスターのことも実はいけ好かないと思っている。軽くぶつかっただけで崩れてくる部屋の壁にも辟易としている。
 好ましいと思っているものは随分と少ない。お気に入りの帽子、堅めのソファー、そしてたまに買って食べる肉。それくらいのものだった。


 かいつまんで言えば、ロンはこの世界そのものを嫌っていた。
 思い起こせば、生まれた時点ですでに惨めだった。子犬のように路上に捨てられ、それを拾った男もまともではなかった。
 幼少時の記憶はロッカーの中の暗闇。
 物心つくと同時にゴミ漁りを始め、その後は仲間達と徒党を組んで略奪の日々。
 時に手痛い反撃を食らうこともあったし、その過程で命を奪われる仲間の姿も嫌というほど目にしてきた。この世界は自分達を苦しめるためにあるのではないかと思うこともしばしばだった。


 そんなサヴァナの生活に嫌気がさしたロンは、一度だけ外の世界に出てみたことがある。
 その時ロンは10歳で、ネズミの獣面を被って見世物のように戦うチューチューファイターだった。


 当時、外とサヴァナをつなぐ石のゲートは、誰でも自由に出入りができた。
 ゲートを出た少年の眼に飛び込んできたのは、目も眩むような高層建築群だった。ゲートを中心として放射状に道が伸びていた。
 そこはゲートシティと呼ばれる都市国家であり、サヴァナシティとの交易を独占することで繁栄を得ている場所だった。


 アフリカ南部のサヴァナ平原にぽっかりとできた円形の都市。空気は暑く乾燥していて、通りには土ぼこりが舞っていた。
 サヴァナシティの住民は、その殆どがボロボロに擦り切れた汚い服を着ているのに対し、ゲートシティの人間は、その多くが小奇麗なスーツを着用していた。どこか如何わしい匂いはプンプンとしたが、それでも別世界のように、その街は綺麗だったのだ。


 ガラス張りの店の中では、柔らかなソファーに身を預けてコーヒーを飲んでいる人々が沢山いた。しばし指をくわえてその光景を眺めていると、客の一人と眼があった。その客は、薄汚れたロンの姿を見て、露骨に顔をしかめてきた。早くも自分が場違いな人間であることを察したロンは、その場からすごすごと立ち去っていった。


 そのまま通りを200mほど歩いていくと、巨大な壁が立ちはだかっていた。
 大通りの突き当たりが検問所になっていて、そこから外に出るためには何らかの手続きがいるらしかった。
 ロンは懐をまさぐり、所持金を数えた。ネズミ面を売って得た3万サヴァナと、元から持っていた1万サヴァナ。
 外の世界の通貨に換算すると200ドルほど。
 しかし少年にとっては持っているだけで足が震える大金だった。


 この金であの門の外に出られるだろうか? ロンはなけなしの想像力を駆使して考えてみたが、どうにも無理であるように思えた。
 検問所の前にはライフルを構えた警官が立っている。ゲートシティで悪事を働いたサヴァナ民は、その場で害獣のように射殺されるという話だった。
 自分も、下手をするとそうなるかもしれない。そう思うと足がすくんで動けなかった。
 この街にいる全ての人間が、自分を騙してくるような気がした。
 実際には、サヴァナ民の保護を行っている国連の出先機関があったのだが、外の世界の字を読めないロンに、そんなことはわからないのだった。


 そのうち奥歯が痛くなってきた。
 膝の古傷が突然開いて出血した。
 原因不明の腹痛が襲ってきた。


 サヴァナ世界の不死力に守られていた体が、その加護を失い始めたのだ。
 このままでは自分は死ぬ。そう思ったロンは、短い滞在を終えてサヴァナシティへと戻った。
 そしてネズミの獣面を買い戻し、再び闘争の日々へと還っていったのだ。


    * * *


 カプラが『いんすたんとめん』に来てから数日がたった。
 仕事明けにロンが店に戻ると、カウンター席でミーヤがふんぞり返っていた。


「待っていたにゃ」


 椅子の上にあぐらをかき、白ワンピースをだらしなく肌蹴させ、太ももの殆どを露わにしている。どうやらミーヤの頭に『はしたない』という概念はないようだ。


「またか!」


 ロンはやれやれと首を振った。カプラが来て以来、ほぼ毎日のようにミーヤはやってくる。そしてカプラのことを根掘り葉掘りと聞いてくるのだ。


「何度来られても言うことは変わらねえよ。あいつはただのギター弾きだ」
「そこんとこは、もうどうでもいいにゃ。問題は、ロンがその女と一つ屋根の下で暮らしてるってことにゃ!」


 ミーヤは椅子から飛び降りる。そして腰に手をあて、その小さな胸を張ってロンの体に押し付けてきた。


「ミーヤがどれだけ心配しているか、少しは考えるにゃ!」
「なんにもねえって!」


 なんでオオカミの俺が、カカポ如きに略取されなければならないんだ。
 しかしミーヤは、カプラがこの店に住み込んでいること自体が気に入らないようで、ある意味、ハイエナ男よりたちが悪かった。
 ミーヤは猫館の住民であり、そのミーヤの反感を買うことは、猫館を敵に回すことに等しいからだ。
 一匹一匹は弱くとも、数が集まればかなりの戦力になる。なにより厄介なのは、ネコの目はどこにでも光っているということだ。サヴァナシティでもっとも卓越した情報網を持っている集団。それが猫館なのだ。


「そんなに気になるなら、直接本人にクギ刺しとけばいいだろが」
「それはもうやったにゃ! でもあの女、大人の余裕を見せ付けてくるにゃ! まさにネコをかぶってるにゃ!」
「お前が言うことか!」
「にゃんとぉ!? これでもミーヤは、ロンの前でだけはネコを被らないにゃ! 甚だしく心外にゃ! 乙女のハートがボロボロにゃ! アボガドラーメンを要求するにゃ!」
「結局メシをたかりにきたのかよっ!?」


 ロンはひとまず席にすわった。マスターは買出しにでも行ってるのか店内にはいない。


「帰れよ。お前は猫館に戻ればいくらでもメシ食えるんだろうが。俺はいま余裕がねえ」
「そんなこと言って、ミーヤがいない隙にあの女とイチャつく気だにゃ」
「だから、しねえって……」
「なんでしないにゃ? あんな美人を放っておくなんて、まさかロンはホモだったにゃ?」
「なんでそうなる……。俺は女が嫌いなんだ!」


 ロンはかなりはっきりとそう言った。
 その言葉は強がりではなかったし、ミーヤもそれを理解していた。猫面の少女は、その三角耳をたらんと下げてしょぼくれる。


「じゃあ、ミーヤのことも嫌いにゃ?」
「ああ」
「はっきり言うにゃ!?」
「泥棒ネコは大ッ嫌いだ。なんで人のメシ奪ってく奴を好きになんなきゃいけない」
「女なんて、大抵男の懐をかっさらってくものにゃ。ミーヤはお金と食料を大量にもってきてくれる男に愛を感じるんだにゃ」
「……ひらきなおりやがった」
「ロンは強いくせして器が小さいにゃ! 男ならラーメンの一杯くらい、バーンと気前良くおごるにゃ! そしたらミーヤも、バーンとお股を開いてあげられるんだにゃあ!」


 と言ってミーヤは、片足をロンの膝にひっかけてきた。


「出てけ! ぶんなぐるぞ!」


 ロンは拳を握り締めつつ、立ち上がる。


「にゃああっ?」


 ミーヤはその勢いで床に転げた。
 あまりに無体なことを言われて、ロンは我慢の限界に達していた。


「オオカミなめんな! ガキの股ぐらあさるほど落ちぶれちゃいねえ!」
「ひどいにゃ……。一世一代の大告白だったにょに……」


 ミーヤは床に伏したまま瞳を潤ませた。そこに居るのは、一匹の傷ついた小動物。


「どうしてミーヤの気持ちをわかってくれないにゃ?」
「ふざけるのもいい加減にしてくれ……」
「ふざけてないにゃ!」


 ミーヤは牙を向いて立ち上がる。そしてギラギラと獣の意思を光らせた視線を真っ直ぐにぶつけてきた。ロンもまた険しい表情でその視線を押し返す。


「じゃあ、俺がいまラーメンおごったら、お前は本当に股を開くのかよ?」
「開くにゃ」
「嘘つけ! 大体お前は、股に鍵かけられてるんだろうが」
「うにゃ……!?」


 言われて股間をおさえるミーヤ。
 彼女には貞操帯が装着されており、猫館の主の許可なしにそれを外すことは出来ないのだ。


「悪いが俺は、あのヤマネコババアの趣味に付き合う気はねえんだ」
「そ、それは困るにゃ……。ロンがその気になってくれなかったら、ミーヤは一生これをつけられたままにゃ!」


 と言ってミーヤはワンピースの裾をめくりあげた。


「んなっ?」


 慌てて眼をそらす。
 ミーヤの股間には、ヤマネコ印の貞操帯がきつく取り付けられている。勝手に手を出したらサヴァナ中のネコが黙っていない。そういう印だ。


「ミーヤはロンのせいでこれをつけられるハメになったにゃ! 女の一番大切な自由を奪われたんだにゃ! ちゃんと責任とるにゃ!」
「別に俺じゃなくてもいいだろう……」


 というか、ひどい当てこすりだとロンは思う。


「ヤマネコ様が言うんだから仕方ないにゃ! 覚悟を決めてミーヤ好みの男になるにゃ!」


 ロンは帽子を脱ぐと壁に叩きつけた。そしてカウンター席に座り込んで頭を抱える。自分が猫館の主に目をつけられている事実を思い出して、神を呪いたい気持ちになった。


「うんざりだぜ……」
「にゃ……?」
「もう何もかもうんざりだ! 館に帰ってババアに言っとけ! 俺は知らねえって!」


 そのロンの言葉を受けた直後、ミーヤの瞳が急激に潤み始めた。


「ロンの……ロンのばかあー!」


 顔をくしゃくしゃにして叫ぶ。


「こっちこそ知らないにゃ! あほ・馬鹿・チンカス! ロンのイカ臭いチンチンなんてこっちこそ願い下げにゃー!」


 そう言い捨てて、ミーヤは店を飛び出して行った。


「言うにことかいてそれかよ……」


 ロンは静かにため息をついた。









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