アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―

ナガハシ

対価

 前菜に続いて魚料理が出てくる。
 これにも食材の解説が付いていて、巨大なリング状の養殖池の中で勢いよく泳ぎまわるマグロの映像が、ディスプレイに映し出されていた。


 養殖マグロの中枢神経には分子アセンブリが組み込まれていて、常に魚体内の状況をモニタリングしている。
 電気刺激を与えることで運動量を制御し、エサの分量も個体ごとに最適化されている。
 そうすることで、個体ごとの味の差が少ない、良質な魚肉が得られるのだ。


 さらには、稲わらの炎でマグロを炙る映像も紹介された。天井を焦がすほどに燃え上がった炎のなかで、養殖本マグロの中トロが炙られていく。
 それから冷水でしめ、包丁で切り落とされた断面は鮮やかな赤で、ねっとりとしたマグロの油脂で光っていた。


 そうしてこれでもかと食欲を掻き立てられた後に出てきた皿の上には、数種類のソースで幾何学的な模様が描かれている。
 主役であるマグロのたたきは、その大きな皿のキャンバスの中央に上品に盛られているが、期待していたより量が少なかった。


「魚も随分と貴重になったものだ」
「外洋では殆ど魚が獲れなくなってしまいましたから」


 漁業資源は、海洋汚染と乱獲によって激減してしまった。
 温暖化による水温の上昇も、それに拍車をかけた。
 人類は、海という共有地の管理に失敗したのだ。


「よく味わっていただこう」
「はい、養殖ものですから安心していただけますし」


 その後も、地元の野菜を使った炒め物や、銘柄牛のステーキ、特製小麦を使ったパスタなど、すべて人の手のかかった食材を使った、高付加価値な料理が出てきた。
 オートメーション生産による食材を使えば、価格はおそらく10分の1以下に抑えられるだろうし、合成食品を使えばそのさらに10分の1だ。
 しかし今日はそのようなことをする日ではない。葵庭さんのアドバイス通り、盛大に散財する。


 食事の量は、僕と真理さんのバイタルデータに基づいて調整されていたから、全ての料理を食べ終えた時点で、丁度良い満腹感が得られた。
 料理が来るたびに紹介映像が流れるので、それらを眺めているだけも、あっと言う間に時間が過ぎていく。
 この映像がまた凝っていて、見る者の興味を刺激し、会話をうまく引き出すように編集されているのだ。
 そのおかげもあって、デート経験に乏しい僕でも、真理さんとの楽しいひと時を過ごすことが出来た。


「本当の意味で人を喜ばせることが出来るのは、やはり人の熱意なのだろうね」
「そう思います。機械は世の中を便利にしますが、魂までは再現できません」


 と言って、真理さんはどことなく表情を曇らせる。
 まるで「今のところは」と付け加えたそうな様子だ。


「機械化の流れはこれからも続いていくのだろう。僕はひとまず76年間生きたけど、本当に世の中は変わってしまった。正直、ついていくのでやっとだったよ」


 僕は一つ、ため息をついた。
 これまで見てきた世間の情景が、いくつか脳裏に浮かび上がった。


「そうでしょうか?」


 だが真理さんは、そう言って首をかしげてきた。


「むしろ、世の中の流れを作ったのではないでしょうか」
「僕が?」
「はい」


 僕は腕を組んで考える。
 そんな大したことをしただろうか。


「ニューバレー社の味覚再現装置は、その後、食品合成装置の食味再現に応用されています。その最初のアイデアを思いついたのが……」
「ああ、それか……」


 思い出す、遠い昔の出来事。
 二葉さんの何気ない一言から始まった、味覚プリント方式という発明。


「いや、でもあれは……」


 本当に最初のアイデアを見つけてくれたのは二葉さんで。
 それを発展させてくれたのが新谷さんと、研究室のみんなだ。
 僕がしたことは結局……。


「味覚再現装置の普及がなければ、人類の食糧事情は今よりももっと切迫することになっていたと私は思います」


 真理さんはしっかりとした目で僕を見つめてくる。


「今生きている人はみな、そのアイデアの延長線上にいるのです」
「ううむ……」


 その言葉を聞いて、若かりし頃の記憶が蘇る。
 あの時の僕は、今よりも無知だったけど、その分将来に対する希望を多く持っていたように思う。
 人の役に立つものを作り出すのだ。人の役に立つ仕事をするのだ。
 そんな意欲に満ちていた。でも――。


「もし、その通りだったとしても、僕はそのために人を一人殺している……」


 と言って僕は、恐る恐る真理さんを見た。
 だが、その表情が変化することはなかった。相変わらず、ぎりぎりわかる程度の、ささやかな笑みに彩られているのだ。


「以来、僕はうまく笑えなくなった。どんな理由であったとしても、人を殺した後に残るのものは、呪いでしかない……」


 僕は視線を落としつつ言う。


「すまない。せっかく真理さんが褒めてくれているのにね」
「そう思われるのは、仕方のないことかもしれません。ですが私の考えは変わりません。あの発明には確かな価値がありました。それだけはどうか、素直に受け取っていただきたいと思います」
「うん……ありがとう」


 額に手をあてて、眉間に寄っているであろうシワをほぐす。
 そして、気を取り直して言う。


「真理さんをデートに誘えて良かったよ」
「はい、私もです」









コメント

コメントを書く

「現代ドラマ」の人気作品

書籍化作品