アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―
価値
「綺麗な街だね。都市と自然がうまく調和している」
森の香りのする不思議な発泡水を口に運びつつ言う。
「私もそう思います。街は大きくなりすぎると、かえって住みづらくなるように思います」
「どうして人は一箇所に集まりたがるのだろうね……。真理さんは以前ムンバイに住んでいた」
「はい、人口集中の極地のような場所でした」
いまでもカースト意識が根強く残っているインドでは、近年、都市部における住み分けが顕著になっている。富裕層と貧困層の住居は隔離され、場所によっては巨大な壁で仕切られている。
出入りするためには身分証が必要になるのだ。
「こうして高い場所に上がっても、遠くの野山が見えるなんてことはありませんでした。どこまでも続くスラムの海なんです」
「経済のためとはいえ、ひどい話だ」
「急激な人口増加と、発展への要求が、街をひどく不気味な姿に変えていました」
「それを考えると、日本はまだ良い方なのかな」
「そうですね、子供の数が減っていることは少し寂しいですが……」
しばらくして、ウェイターが最初の料理を運んできた。
道産のトマトとチーズを使ったカプレーゼ。オリーブ油の変わりに、サンフラワーオイルがかけられていて、小さな向日葵の花が飾りとしてあしらわれている。
若く、絵に描いたような美青年のウェイターは、風のような自然な動きで皿を並べると、使われている食材の解説をする映像を流してよいかと聞いてきた。
僕がお願いしますと言って答えると、ウェイターは恭しく頭を下げて立ち去っていった。
間もなく窓ガラスの一部がディスプレイに切り替わり、トマトの産地と栽培方法について説明する映像が流れ始めた。
解説者の声を聞きながら料理にナイフを入れる。
カプレーゼというシンプルな料理に、これでもかと付加価値を付け加えるようにして、窓ガラスに映しだされた解説映像は、このトマトがいかに愛情を注いで育てられたかということを、何度も繰り返し説明していた。
「一時期」
僕はトマトとチーズをフォークで分離させながら言う。
「50年代に入ったころだったかな、急に僕の住んでいた町の人口が増え始めたんだ」
「はい」
「どうやら、一部の人にとっては、都市に住むよりも経済的にメリットがある状況になったらしい」
「地方に移住する人が増えたのですね」
「うん。僕は始めは、都会からこんな田舎に移り住んでくる人は、ひどく退屈な思いをするんじゃないかと思ったんだ」
「でも実際は……」
真理さんは、僕が次に言うことを完全にわかっているかのように相槌を入れてきた。
「うん、でも実際は、それこそが彼らの望みだった。移住者にとって、一番の贅沢はぐっすり眠ることで、その次が食べること。その次が……まあ、露骨な言い方になるが、子供を作ることだった」
「よくわかります」
といって真理さんは、何度も頷く。
「医療と通信、そして社会制度の発達によるところが大きいのでしょう。地方に住んでいても、あまり不便を感じないのです」
「大抵の病気は薬を飲めば治るし、仕事だって、どこでも同じように出来るのだからね」
真理さんが副業にしている翻訳業などが、まさにその典型だろう。
製造業にしたって、今はヒューマノイドロボットを遠隔操作することで、自宅にいながら勤務できる。
建設現場などでも、生身の人間を見ることは少なくなった。
無論、何から何までとはいかないし、現場に勤務する方が収入が良いのは確かだが。
「退屈が嫌な人は都市部に、退屈が好きな人は地方に。大雑把に言えば、そういう流れだったのでしょう」
それが、50年代の日本に起きていた潮流と言えるだろう。
そこで僕らは一旦会話をやめて、前菜を口に運んだ。
チーズはブラウンスイス牛の乳を使った濃厚ながらも繊細な味わいのもので、口に含むと舌の上で柔らかく溶けて、桜の花を思わせる風味が広がる。
サンフラワーオイルの自然な香ばしさが、その味をよく引き立てていた。
トマトも採れたて新鮮なもので、果肉がしっかりとしていて、適度な甘みと酸味がある。
どれも、職人の技術によって作られた一級品だ。
「卓越した能力を持つ人であれば、その付加価値収入によって所得税を払うことが出来る」
僕はフォークに挿したチーズを見つめながら言う。
「そして、多くの人から尊敬を得られる存在になります」
「つまるところ、人がロボットに勝つためには、ただ創意工夫あるのみということか」
「真心だけはロボットには生み出せませんから」
と言って真理さんは少しだけ笑う。
現在、実際に職についている人は、全人口の2割に過ぎない。
残りは学生、年金生活者、難病・障害を持つ人、もしくは職能開発プログラムを受けている人だ。
経済活動は、その70%以上が自律機械によって行われている。
2070年代の日本人は、自律機械が創出した富の大部分を税収とし、それを条件付けで分配することで食い扶持を得ているのだ。
「ところで」
真理さんが声をかけてくる。
「どうしてチーズとトマトを分けて食べているのですか?」
「ああ、なんとなくね、トマトだけを食べてみたかったんだ。昔、自分でも作っていたから」
「そうだったのですか。どちらが美味しいですか?」
「もちろん、自分で作っていた方だね」
僕は、はにかみながら言う。
「それはすばらしいです。私も食べてみたかった」
「いやいや、自分で育てた野菜というのは、なぜだか特別に美味しいものなんだよ」
森の香りのする不思議な発泡水を口に運びつつ言う。
「私もそう思います。街は大きくなりすぎると、かえって住みづらくなるように思います」
「どうして人は一箇所に集まりたがるのだろうね……。真理さんは以前ムンバイに住んでいた」
「はい、人口集中の極地のような場所でした」
いまでもカースト意識が根強く残っているインドでは、近年、都市部における住み分けが顕著になっている。富裕層と貧困層の住居は隔離され、場所によっては巨大な壁で仕切られている。
出入りするためには身分証が必要になるのだ。
「こうして高い場所に上がっても、遠くの野山が見えるなんてことはありませんでした。どこまでも続くスラムの海なんです」
「経済のためとはいえ、ひどい話だ」
「急激な人口増加と、発展への要求が、街をひどく不気味な姿に変えていました」
「それを考えると、日本はまだ良い方なのかな」
「そうですね、子供の数が減っていることは少し寂しいですが……」
しばらくして、ウェイターが最初の料理を運んできた。
道産のトマトとチーズを使ったカプレーゼ。オリーブ油の変わりに、サンフラワーオイルがかけられていて、小さな向日葵の花が飾りとしてあしらわれている。
若く、絵に描いたような美青年のウェイターは、風のような自然な動きで皿を並べると、使われている食材の解説をする映像を流してよいかと聞いてきた。
僕がお願いしますと言って答えると、ウェイターは恭しく頭を下げて立ち去っていった。
間もなく窓ガラスの一部がディスプレイに切り替わり、トマトの産地と栽培方法について説明する映像が流れ始めた。
解説者の声を聞きながら料理にナイフを入れる。
カプレーゼというシンプルな料理に、これでもかと付加価値を付け加えるようにして、窓ガラスに映しだされた解説映像は、このトマトがいかに愛情を注いで育てられたかということを、何度も繰り返し説明していた。
「一時期」
僕はトマトとチーズをフォークで分離させながら言う。
「50年代に入ったころだったかな、急に僕の住んでいた町の人口が増え始めたんだ」
「はい」
「どうやら、一部の人にとっては、都市に住むよりも経済的にメリットがある状況になったらしい」
「地方に移住する人が増えたのですね」
「うん。僕は始めは、都会からこんな田舎に移り住んでくる人は、ひどく退屈な思いをするんじゃないかと思ったんだ」
「でも実際は……」
真理さんは、僕が次に言うことを完全にわかっているかのように相槌を入れてきた。
「うん、でも実際は、それこそが彼らの望みだった。移住者にとって、一番の贅沢はぐっすり眠ることで、その次が食べること。その次が……まあ、露骨な言い方になるが、子供を作ることだった」
「よくわかります」
といって真理さんは、何度も頷く。
「医療と通信、そして社会制度の発達によるところが大きいのでしょう。地方に住んでいても、あまり不便を感じないのです」
「大抵の病気は薬を飲めば治るし、仕事だって、どこでも同じように出来るのだからね」
真理さんが副業にしている翻訳業などが、まさにその典型だろう。
製造業にしたって、今はヒューマノイドロボットを遠隔操作することで、自宅にいながら勤務できる。
建設現場などでも、生身の人間を見ることは少なくなった。
無論、何から何までとはいかないし、現場に勤務する方が収入が良いのは確かだが。
「退屈が嫌な人は都市部に、退屈が好きな人は地方に。大雑把に言えば、そういう流れだったのでしょう」
それが、50年代の日本に起きていた潮流と言えるだろう。
そこで僕らは一旦会話をやめて、前菜を口に運んだ。
チーズはブラウンスイス牛の乳を使った濃厚ながらも繊細な味わいのもので、口に含むと舌の上で柔らかく溶けて、桜の花を思わせる風味が広がる。
サンフラワーオイルの自然な香ばしさが、その味をよく引き立てていた。
トマトも採れたて新鮮なもので、果肉がしっかりとしていて、適度な甘みと酸味がある。
どれも、職人の技術によって作られた一級品だ。
「卓越した能力を持つ人であれば、その付加価値収入によって所得税を払うことが出来る」
僕はフォークに挿したチーズを見つめながら言う。
「そして、多くの人から尊敬を得られる存在になります」
「つまるところ、人がロボットに勝つためには、ただ創意工夫あるのみということか」
「真心だけはロボットには生み出せませんから」
と言って真理さんは少しだけ笑う。
現在、実際に職についている人は、全人口の2割に過ぎない。
残りは学生、年金生活者、難病・障害を持つ人、もしくは職能開発プログラムを受けている人だ。
経済活動は、その70%以上が自律機械によって行われている。
2070年代の日本人は、自律機械が創出した富の大部分を税収とし、それを条件付けで分配することで食い扶持を得ているのだ。
「ところで」
真理さんが声をかけてくる。
「どうしてチーズとトマトを分けて食べているのですか?」
「ああ、なんとなくね、トマトだけを食べてみたかったんだ。昔、自分でも作っていたから」
「そうだったのですか。どちらが美味しいですか?」
「もちろん、自分で作っていた方だね」
僕は、はにかみながら言う。
「それはすばらしいです。私も食べてみたかった」
「いやいや、自分で育てた野菜というのは、なぜだか特別に美味しいものなんだよ」
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