アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―
乾杯
目的地まであと半分といったところ。僕は運転手さん二人で後部座席に座っていた。
ロンググラスに注いだウーロン茶を彼に渡して言う。
「こういうサービスもあるんですね」
「はい、運転したがる人は結構いるものなんですよ」
今、このリムジンを運転しているのは真理さんだった。
彼女の趣味の一つにドライブというのがあったので、このオプションを試みてみたのだ。
多少料金が高くなるし、事故がおきたりした場合はかなりの額を保障することになる。
でも、真理さんであればそう滅多なことは起こらないだろう。
僕が運転手さんと話をしている間に、リムジンは国道を離れた。
そして交通量が少なく、ワインディングに富んだドライブの名所へと入っていく。
やがて力強い加速が加えられ、リムジンは飛ぶように山あいの道を走り出した。
「うおっと」
僕は思わず身構えてしまう。運転手さんが持っていたウーロン茶の水面が、ありえない角度に傾いた。
カーブの手前で急減速し、切り込むようにして曲がっていく。
体が左右に揺さぶられ、直線に出るなり再び強烈な加速Gに襲われる。本格的な走りだ。
「大丈夫かな……」
少し不安になってきた。
車窓を流れる景色が、見たこともないほどめまぐるしく、時折タイヤが音を鳴らす。
「あの方は、プロなのですか? ……うお!」
再び力強い加速が生じ、体がシートに押し付けられる。
気の毒な運転手さんは、飲み物を口にする暇がないようだった。
* * *
市街地に入る手前でサービスエリアに停車し、真理さんと運転手さんが交代する。
後部座席に入ってきた真理さんの顔は、心持ち赤らんでいた。
普段は抑えている笑顔が、今は満面に浮かんでいる。
「た、楽しんでもらえたようだね……」
僕は少々息が上がってしまっていた。
心臓もバクバク言っている。
「はい。リムジンを運転できるなんて、思ってもみませんでした」
「それはよかった」
真理さんは座席に座ると、頬の肉を指でマッサージするようにして、笑顔をもみ消す。
「少しはしゃぎすぎたみたいです、失礼しました」
「いやいや、そんなことは」
「笑うとオオカミみたいだと言われるんです」
「僕は普通に可愛いらしいと思うのだけど」
「いえ……せめてイヌのように笑えればいいのですが」
イヌもオオカミも大して変わりないだろうに。
あくまでも自分の笑顔に自信がないようだった。
車はそのまま市の中心部へと進んでいく。ロータリーを回り、駅方面に向かう。
白一色に塗られた窓のない自動貨物車が、綺麗に整備された広い道路を行きかっている。30年ほど前に、僕は一度この旭川という街に来ているが、その時は使われていない廃店舗が多くみられて、あまり綺麗な街とは言えなかった。
しかし今はすべて取り壊されて緑化され、見晴らしの良い街並みに変わっている。
市内で一番高級なホテル。その最上階にあるレストランに予約を入れてある。
高級とはいっても地方都市のそれなので、東京などにあるホテルとは比べようもない。
とはいえ、地方は地方で、その特色を生かした工夫をしているものだ。
車から降りて、その21階建てのホテルを見上げると、その正面はすべて鏡面になっていた。
鏡に映り込んだ市内の風景と遠くの山並み、そして吹き抜けるような青空。それらがこのホテルの外観を唯一無二ものにしているのだ。
《ようこそ、いらっしゃいませ》
ホテルに入ると、早速ヒューマノイド・アテンダントが出迎えてくれる。
僕が名前を告げると、自然な声でお待ちしておりましたと発声して、案内の役についた。
彼女の案内を受けながらエレベーターで最上階に上がり、目的のレストランへと向かう。
そこは地元の食材を使った創作料理の店で、肉や魚を使った料理も多く取り扱っている。
いまや肉と魚は、どんなものであれ高級品で、この店のコース料理の値段は、他の店と比べると飛び抜けて高い。
だが、これが僕の人生における最初で最後のデートなのだから、今さら出し惜しみする理由はなかった。
店内に入ると、今度は人間のウェイトレスに案内されて窓際の席につく。
席は、鍾乳石のような複雑な曲面をもつ白壁で仕切られている。テーブルは全ての部位が透明な素材で作られていて、その卓上面はやはりタッチ式のコンソールになっている。
昔のようなお品書きはなく、今ではどこでも、この卓上コンソールを操作することでメニューを調べたり注文したりする。
余計なものが一切存在しないシンプルな空間。
客数は少なく、吸音材もよく効いているから、殆ど店を貸し切ってしまっているような感覚だ。
耳に心地よい環境音楽だけが、店内を満たしている。
そして、壁一面に張り巡らされたガラス窓は、先ほどホテルの前で見上げた鏡の裏側だった。
その時に映っていた遠い山の景色が、今は左右反対になって僕達の目の前に広がっている。
しばらくしてウェイトレスがやってきて、シャンパングラスに白樺の樹液をブレンドした天然発泡水を注いでいった。
僕は病人で真理さんは妊婦だから、残念ながらアルコールはなしだ。
「乾杯しましょうか」
「はい、何に乾杯しましょう」
僕は少し考えてから言う。
「では、お腹の子の健康に」
その言葉に、真理さんはいつもと同じ、辛うじてわかる程度の笑みを浮かべる。
そして僕らは、同時にグラスを上げた。
ロンググラスに注いだウーロン茶を彼に渡して言う。
「こういうサービスもあるんですね」
「はい、運転したがる人は結構いるものなんですよ」
今、このリムジンを運転しているのは真理さんだった。
彼女の趣味の一つにドライブというのがあったので、このオプションを試みてみたのだ。
多少料金が高くなるし、事故がおきたりした場合はかなりの額を保障することになる。
でも、真理さんであればそう滅多なことは起こらないだろう。
僕が運転手さんと話をしている間に、リムジンは国道を離れた。
そして交通量が少なく、ワインディングに富んだドライブの名所へと入っていく。
やがて力強い加速が加えられ、リムジンは飛ぶように山あいの道を走り出した。
「うおっと」
僕は思わず身構えてしまう。運転手さんが持っていたウーロン茶の水面が、ありえない角度に傾いた。
カーブの手前で急減速し、切り込むようにして曲がっていく。
体が左右に揺さぶられ、直線に出るなり再び強烈な加速Gに襲われる。本格的な走りだ。
「大丈夫かな……」
少し不安になってきた。
車窓を流れる景色が、見たこともないほどめまぐるしく、時折タイヤが音を鳴らす。
「あの方は、プロなのですか? ……うお!」
再び力強い加速が生じ、体がシートに押し付けられる。
気の毒な運転手さんは、飲み物を口にする暇がないようだった。
* * *
市街地に入る手前でサービスエリアに停車し、真理さんと運転手さんが交代する。
後部座席に入ってきた真理さんの顔は、心持ち赤らんでいた。
普段は抑えている笑顔が、今は満面に浮かんでいる。
「た、楽しんでもらえたようだね……」
僕は少々息が上がってしまっていた。
心臓もバクバク言っている。
「はい。リムジンを運転できるなんて、思ってもみませんでした」
「それはよかった」
真理さんは座席に座ると、頬の肉を指でマッサージするようにして、笑顔をもみ消す。
「少しはしゃぎすぎたみたいです、失礼しました」
「いやいや、そんなことは」
「笑うとオオカミみたいだと言われるんです」
「僕は普通に可愛いらしいと思うのだけど」
「いえ……せめてイヌのように笑えればいいのですが」
イヌもオオカミも大して変わりないだろうに。
あくまでも自分の笑顔に自信がないようだった。
車はそのまま市の中心部へと進んでいく。ロータリーを回り、駅方面に向かう。
白一色に塗られた窓のない自動貨物車が、綺麗に整備された広い道路を行きかっている。30年ほど前に、僕は一度この旭川という街に来ているが、その時は使われていない廃店舗が多くみられて、あまり綺麗な街とは言えなかった。
しかし今はすべて取り壊されて緑化され、見晴らしの良い街並みに変わっている。
市内で一番高級なホテル。その最上階にあるレストランに予約を入れてある。
高級とはいっても地方都市のそれなので、東京などにあるホテルとは比べようもない。
とはいえ、地方は地方で、その特色を生かした工夫をしているものだ。
車から降りて、その21階建てのホテルを見上げると、その正面はすべて鏡面になっていた。
鏡に映り込んだ市内の風景と遠くの山並み、そして吹き抜けるような青空。それらがこのホテルの外観を唯一無二ものにしているのだ。
《ようこそ、いらっしゃいませ》
ホテルに入ると、早速ヒューマノイド・アテンダントが出迎えてくれる。
僕が名前を告げると、自然な声でお待ちしておりましたと発声して、案内の役についた。
彼女の案内を受けながらエレベーターで最上階に上がり、目的のレストランへと向かう。
そこは地元の食材を使った創作料理の店で、肉や魚を使った料理も多く取り扱っている。
いまや肉と魚は、どんなものであれ高級品で、この店のコース料理の値段は、他の店と比べると飛び抜けて高い。
だが、これが僕の人生における最初で最後のデートなのだから、今さら出し惜しみする理由はなかった。
店内に入ると、今度は人間のウェイトレスに案内されて窓際の席につく。
席は、鍾乳石のような複雑な曲面をもつ白壁で仕切られている。テーブルは全ての部位が透明な素材で作られていて、その卓上面はやはりタッチ式のコンソールになっている。
昔のようなお品書きはなく、今ではどこでも、この卓上コンソールを操作することでメニューを調べたり注文したりする。
余計なものが一切存在しないシンプルな空間。
客数は少なく、吸音材もよく効いているから、殆ど店を貸し切ってしまっているような感覚だ。
耳に心地よい環境音楽だけが、店内を満たしている。
そして、壁一面に張り巡らされたガラス窓は、先ほどホテルの前で見上げた鏡の裏側だった。
その時に映っていた遠い山の景色が、今は左右反対になって僕達の目の前に広がっている。
しばらくしてウェイトレスがやってきて、シャンパングラスに白樺の樹液をブレンドした天然発泡水を注いでいった。
僕は病人で真理さんは妊婦だから、残念ながらアルコールはなしだ。
「乾杯しましょうか」
「はい、何に乾杯しましょう」
僕は少し考えてから言う。
「では、お腹の子の健康に」
その言葉に、真理さんはいつもと同じ、辛うじてわかる程度の笑みを浮かべる。
そして僕らは、同時にグラスを上げた。
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