アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―
郊外
デートプランはとてもシンプルだ。
車にのって近くの大きな町まで行き、ホテルのレストランで食事をして帰ってくる。
それを、お金を沢山かけてやるだけなのだ。
市街を出るまでの間、僕は真理さんのデート・アテンションを思い出しつつ、何を話したらよいかと考えていた。
僕達はお互いに話しづらい過去を持っている。真理さんは夫との死別していて、僕はかつて人を殺している。
なるべく無難な話をしたいと思うが、あまりにも無難すぎる話だと、かえってあざとくなってしまいそうだった。
「何か、飲みませんか?」
僕がもたもたしていると、真理さんの方から気を利かせてきてくれた。
「ああ、そうだね……」
「良ければ、私が用意しますけど」
僕は思わず額を打った。リムジンのバーカウンターに何が置いてあるのか知らなかったのだ。
仕方なく全面的におまかせすることにした。何かアルコールの入ってないものをとお願いすると、真理さんはウーロン茶とピーチネクターがあると言って僕に見せてきてくれた。
僕達がカクテルグラスに入ったネクターで乾杯を済ませたところで、リムジンは郊外へと出た。
全ての窓をマジックミラーモードに変更すると、リムジンの上半分が全て透明化した。外からは鏡のように見えているはずだ。
まるで、流れ行く緑色の景色の上をクルージングしているような気分だった。
「素晴らしい眺めだ」
「はい、とても」
僕達は北海道の景色を楽しみつつ、グラスを口に運ぶ。
「真理さんはスキーをやるんだったね」
そして話を振る。
スキーは、真理さんの夫の死と深い結びつきのある話題だ。
「はい。と言っても、まだ2シーズンしか滑ったことがないのですが……」
「それでオリンピックに出た人と競り合っていうだんから、大したものですよ」
「あの時は無我夢中でしたから。夫の死を忘れようとして、しゃにむに滑っていたんです」
と言って、真理さんは心持ち表情を曇らせる。
「お気の毒でした。今はもう大丈夫なのですか?」
「はい、おかげさまで。子供達もいますし、街のみなさんも良くしてくれてますし……」
真理さんは、この話はあまり続けたくないようだった。
ずっと前を見たまま、僕と目を合わせずに話している。
「ところで、デートアテンションを読んで意外に思ったことがあるのですが」
僕が話題を変えようと思っていたら、真理さんの方から話を振ってきてくれた。
「小説を書かれていたんですね」
真理さんにも、僕の個人情報を渡している。もっとも僕にデート経験はなかったから、それはデートアテンションなどというものではないのだが。
「ええ、農地発電の合間に書いていたんです。冬などは暇でしたので。でも趣味みたいなもので、出版したわけでもないし、ただの暇つぶしでした」
「いいえ、素敵です。今度是非読んでみたいです。どこかに公開されたりしてないんですか?」
「一つだけよく書けたのがあって、確か公開してあります。後で探してみますよ」
僕は、今の発言を忘れないようにと、手持ちの医療端末を操作して記録した。
「どんな話なんでしょう」
「花を食べる猫の話なんです。SFです」
「猫? どうして花を食べるんですか?」
「うん、遠い未来に、人類が他の惑星に移り住んでね。そこで何故だかみんな猫になってしまうんです」
僕がそう言うと、真理さんは気持ちばかり首を傾げてきた。
「……どうしてそんなことに?」
「書いた僕にも良くわからないのだけど、たぶん、科学が進歩しすぎたことに関係がある。科学が進歩しすぎて、色々とどうでもよくなってしまったんじゃないかな」
「それでみんな猫に姿を変えてしまった?」
「はい。猫に姿を変えて、そして、ずっと花ばかり食べて生きているんです」
「花ばかり食べている理由は……きっとネタばらしになってしまうから、聞かない方が良いのでしょうね」
なんとなく照れくさくなって、僕は頭をかく。
そんな大それた仕掛けのある話じゃなかったはずだ。
「いえ、そうでもないです。その星の猫が花ばかり食べているのは、単にネズミを食べるのが嫌だったからなんだ。人々が自分達を猫に変える時に、花だけを食べて生きていけるようにした。ただそれだけのことだったと思う……」
「興味深いお話……」
「話のメインは、そんな猫達があれこれ言いながら、のほほんと暮している光景で、最後の方に確か……少しだけ悪い奴が出てくる。よく覚えていないけど、食料の花をどうにかしてしまうんだ。暗示も教訓もない……あんまり面白い話じゃないと思いますよ」
「いいえ、ユニークなお話だと思います。暗示も教訓も、実は深い場所に眠っているような気がします」
真理さんはそう言うと、今までに無いくらい、しっかりとした笑顔を浮かべてきた。
僕はしたたか驚いてしまった。それは何の問題もない、見るもの全てに安心感を与える笑みだったからだ。
笑うと怖く見えるからあまり笑わないようしているというのは、実はただの照れ隠しなのかもしれない。
「作家と言う職業は、この地上から消えつつあります」
表情を戻した真理さんは、そう切り出してきた。
「著作物のデータ集積が進んだことで、必要とする書籍をピンポイントで検索できるようになりました。そして人は新しい物語を求めなくなりました。求めずとも、それらは既に存在しているからです。今現在、新規の文章として価値のあるものは、最先端の研究論文くらいのものでしょう」
僕はうんと一つ頷いた。
これまで人類が生み出した物語は、全て類型化され、ランク付けがなされている。
夥しい規模の情報が集積され、ある人がある瞬間に必要とした情報が、一切の遅延なしに検索され提示される時代だ。
僕のような素人の書いた物語など、そのランク付けの最底辺に、いつまでも沈み続けていることだろう。
「物語はいまや、作り出すものではなく、発掘するものだ」
僕は言う。彼女は頷く。
「それでも、永遠に価値を失わない文章が一つだけあります」
僕は目を見張る。彼女は答える。
「親しい人が書いてくれた文章です」
その言葉に僕は、どこか心の奥底が暖められるような感慨を抱いた。
自然と口元が緩み、笑みがこぼれた。
「あっ……」
そして驚いた。
こうして自然な笑みを浮かべるのは、一体いつ以来だろう。
「どうされました?」
「あ、いや……なんでもない、ははは……」
しかしその笑みはすぐにぎこちないものに戻ってしまう。
そんな僕をみてクスクスと笑う真理さん。
白塗りのリムジンは、どこまでも続く緑の海原を泳いでいく。
車にのって近くの大きな町まで行き、ホテルのレストランで食事をして帰ってくる。
それを、お金を沢山かけてやるだけなのだ。
市街を出るまでの間、僕は真理さんのデート・アテンションを思い出しつつ、何を話したらよいかと考えていた。
僕達はお互いに話しづらい過去を持っている。真理さんは夫との死別していて、僕はかつて人を殺している。
なるべく無難な話をしたいと思うが、あまりにも無難すぎる話だと、かえってあざとくなってしまいそうだった。
「何か、飲みませんか?」
僕がもたもたしていると、真理さんの方から気を利かせてきてくれた。
「ああ、そうだね……」
「良ければ、私が用意しますけど」
僕は思わず額を打った。リムジンのバーカウンターに何が置いてあるのか知らなかったのだ。
仕方なく全面的におまかせすることにした。何かアルコールの入ってないものをとお願いすると、真理さんはウーロン茶とピーチネクターがあると言って僕に見せてきてくれた。
僕達がカクテルグラスに入ったネクターで乾杯を済ませたところで、リムジンは郊外へと出た。
全ての窓をマジックミラーモードに変更すると、リムジンの上半分が全て透明化した。外からは鏡のように見えているはずだ。
まるで、流れ行く緑色の景色の上をクルージングしているような気分だった。
「素晴らしい眺めだ」
「はい、とても」
僕達は北海道の景色を楽しみつつ、グラスを口に運ぶ。
「真理さんはスキーをやるんだったね」
そして話を振る。
スキーは、真理さんの夫の死と深い結びつきのある話題だ。
「はい。と言っても、まだ2シーズンしか滑ったことがないのですが……」
「それでオリンピックに出た人と競り合っていうだんから、大したものですよ」
「あの時は無我夢中でしたから。夫の死を忘れようとして、しゃにむに滑っていたんです」
と言って、真理さんは心持ち表情を曇らせる。
「お気の毒でした。今はもう大丈夫なのですか?」
「はい、おかげさまで。子供達もいますし、街のみなさんも良くしてくれてますし……」
真理さんは、この話はあまり続けたくないようだった。
ずっと前を見たまま、僕と目を合わせずに話している。
「ところで、デートアテンションを読んで意外に思ったことがあるのですが」
僕が話題を変えようと思っていたら、真理さんの方から話を振ってきてくれた。
「小説を書かれていたんですね」
真理さんにも、僕の個人情報を渡している。もっとも僕にデート経験はなかったから、それはデートアテンションなどというものではないのだが。
「ええ、農地発電の合間に書いていたんです。冬などは暇でしたので。でも趣味みたいなもので、出版したわけでもないし、ただの暇つぶしでした」
「いいえ、素敵です。今度是非読んでみたいです。どこかに公開されたりしてないんですか?」
「一つだけよく書けたのがあって、確か公開してあります。後で探してみますよ」
僕は、今の発言を忘れないようにと、手持ちの医療端末を操作して記録した。
「どんな話なんでしょう」
「花を食べる猫の話なんです。SFです」
「猫? どうして花を食べるんですか?」
「うん、遠い未来に、人類が他の惑星に移り住んでね。そこで何故だかみんな猫になってしまうんです」
僕がそう言うと、真理さんは気持ちばかり首を傾げてきた。
「……どうしてそんなことに?」
「書いた僕にも良くわからないのだけど、たぶん、科学が進歩しすぎたことに関係がある。科学が進歩しすぎて、色々とどうでもよくなってしまったんじゃないかな」
「それでみんな猫に姿を変えてしまった?」
「はい。猫に姿を変えて、そして、ずっと花ばかり食べて生きているんです」
「花ばかり食べている理由は……きっとネタばらしになってしまうから、聞かない方が良いのでしょうね」
なんとなく照れくさくなって、僕は頭をかく。
そんな大それた仕掛けのある話じゃなかったはずだ。
「いえ、そうでもないです。その星の猫が花ばかり食べているのは、単にネズミを食べるのが嫌だったからなんだ。人々が自分達を猫に変える時に、花だけを食べて生きていけるようにした。ただそれだけのことだったと思う……」
「興味深いお話……」
「話のメインは、そんな猫達があれこれ言いながら、のほほんと暮している光景で、最後の方に確か……少しだけ悪い奴が出てくる。よく覚えていないけど、食料の花をどうにかしてしまうんだ。暗示も教訓もない……あんまり面白い話じゃないと思いますよ」
「いいえ、ユニークなお話だと思います。暗示も教訓も、実は深い場所に眠っているような気がします」
真理さんはそう言うと、今までに無いくらい、しっかりとした笑顔を浮かべてきた。
僕はしたたか驚いてしまった。それは何の問題もない、見るもの全てに安心感を与える笑みだったからだ。
笑うと怖く見えるからあまり笑わないようしているというのは、実はただの照れ隠しなのかもしれない。
「作家と言う職業は、この地上から消えつつあります」
表情を戻した真理さんは、そう切り出してきた。
「著作物のデータ集積が進んだことで、必要とする書籍をピンポイントで検索できるようになりました。そして人は新しい物語を求めなくなりました。求めずとも、それらは既に存在しているからです。今現在、新規の文章として価値のあるものは、最先端の研究論文くらいのものでしょう」
僕はうんと一つ頷いた。
これまで人類が生み出した物語は、全て類型化され、ランク付けがなされている。
夥しい規模の情報が集積され、ある人がある瞬間に必要とした情報が、一切の遅延なしに検索され提示される時代だ。
僕のような素人の書いた物語など、そのランク付けの最底辺に、いつまでも沈み続けていることだろう。
「物語はいまや、作り出すものではなく、発掘するものだ」
僕は言う。彼女は頷く。
「それでも、永遠に価値を失わない文章が一つだけあります」
僕は目を見張る。彼女は答える。
「親しい人が書いてくれた文章です」
その言葉に僕は、どこか心の奥底が暖められるような感慨を抱いた。
自然と口元が緩み、笑みがこぼれた。
「あっ……」
そして驚いた。
こうして自然な笑みを浮かべるのは、一体いつ以来だろう。
「どうされました?」
「あ、いや……なんでもない、ははは……」
しかしその笑みはすぐにぎこちないものに戻ってしまう。
そんな僕をみてクスクスと笑う真理さん。
白塗りのリムジンは、どこまでも続く緑の海原を泳いでいく。
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