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アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―

ナガハシ

波乱

 真理さんがムンバイ医療集積地区で働くようになって一年が経過した頃、一人の若いインド人医師が彼女のことを見初めてきた。
 その時真理さんは16歳で、医師は35歳だった。


 真理さんは、かつて自分にプロポーズしてきた男たちと同じように、一度だけその医師とデートをし、それ以上のことは歳の差を理由にして断った。
 しかしそれから何度も熱心にプロポーズされ、だんだんとその熱意にほだされていったのだ。


 インドでは女性は18歳になるまで結婚を認められないので、二人は正式に籍を入れることはしなかった。それでも結婚式については、インドの正式な方法にのっとって、一週間にわたって盛大に執り行われた。
 インドにおける父であるはチャンドラは、彼女の花嫁姿を見たとたん、感極まって号泣。
 真理さんの母親は、娘がとんでもないところまで行ってしまったことを悟り、宴席の片隅で寂しそうな顔を浮かべていたそうだ。


 その半年後に真理さんは一人目の子供を身ごもっている。
 日本から仕事を辞めて駆けつけてきた母親とともに、インドでの仕事と生活を続け、無事に最初の出産を成功させた。
 生まれてきた子供は男の子で、チャンドラ医師によってラヴィと名付けられた。


 ラヴィは、真理さんと同じく非常に発育の早い子供だった。言葉を覚えるのも、立ち歩きをするもの、非常に早かった。
 だがここで真理さんは、夫との間で教育方針を巡る対立を起こしている。そしてこれが、後々二人が離婚するきっかけになる。
 父親はラヴィに英才教育を受けさせたかったが、真理さん自然に任せて伸び伸びと育てたかったのだ。
 自分自身がそうやって育ってきたということが、強い論拠になっていた。


 数ヶ月にわたる口論の末に、真理さんが押し切る形になった。
 真理さんの最初の夫は、どちらかといえば伝統的な価値観を持つ人物で、男尊女卑の考えを未だに心の片隅に持っていた。
 そのために、年下の妻に論破されたという事実は、少なからぬ屈辱を彼の内部に残したのだ。
 医師として多忙な生活を送っていた夫は、次第に家庭から距離を置くようになり、ラヴィの世話をするのは、もっぱら真理さんと彼女の母親という状態になった。


 ラヴィが二歳の誕生日を迎えた時、真理さんは二人目を産みたいという話を夫に持ちかけた。
 しかし、以前は彼の中で燃盛っていた真理さんへの情熱は、その時にはすっかり冷めていた。
 とりつく島もない夫の態度を最後通告と受け取った真理さんは、ここで二年間の結婚生活に終止符をうつ決意をする。


 16歳にして結婚・出産を経験した真理さんは、こうして18歳にしてシングルマザーになった。
 かつて夫だった医師は、ラヴィの父親であるという自覚だけは持っていたので、養育費に関してその多くを負担してくれた。
 経済的な余裕を感じていた真理さんは、その年のうちに遺伝子マッチングシステムを利用して二人目の子供を身ごもる。


 また、以前から考えていた、ヒンディー語書籍の日本語翻訳の仕事も、この頃から開始した。
 看護師と翻訳業を同時にこなしながら、二年毎に子供を産んだ真理さんは、21歳にして三児の母になっていた。
 ラヴィに続いて、長女、次女を儲け、自分の名前から一字づつとって、それぞれマナ、リナと名付けた。


 リナを身ごもっていた時に、真理さんは担当していた患者の一人にプロポーズを受けている。
 その人はイギリス人の実業家で、類稀な生き方を貫く真理さんに、心底惚れ込んでいた。
 やはり真理さんは一度だけ彼とデートをし、その後はきっぱり断った。
 彼は世界中を飛び回ってビジネスをする高級ノマドだったから、きっと移り気で、すぐに熱は冷めるだろうと思ってのことだった。


 しかし、一年経てど、二年経てど、彼の想いは変わらなかった。
 寝ても冷めても君のことを思うばかりだと、週に二回は手紙をよこし、大量の花束や、子供たちへのプレゼントを贈り続けてきた。
 5歳になっていた長男のラヴィが「もうあの人がお父さんでいいよ」とまで言い出す始末で、流石の真理さんも困り果ててしまった。
 そして四人目の子供をどうするかと考えていたある日、彼はとても大胆な提案をしてきた。


「結婚はしてくれなくて構わないから、せめて僕の遺伝子を使って子供を産んで欲しい!」


 形振り構わぬ彼の提案に首を傾げつつ、真理さんは彼と自分の遺伝子の相性を、遺伝子マッチングシステムを使って調べてみた。
 すると、非常にバランスの取れた、真理さんにとって理想的とも言える結果が出たのだ。


 そうして真理さんは、二度目の結婚をする決意をした。
 二度目の結婚式は洋式で、インドの時ほどは豪華ではなかったが、それでもやはりインドの父であるチャンドラは、教会の外まで聞こえるほどの声で号泣したのだった。
 長男のラヴィと、長女のマナが、トレーンベアラーを勤め、次女のリナは真理さんの母親の腕の中で指をしゃぶっていた。


 再婚相手のイギリス人男性は、名をエリックといい、非常に子煩悩な人物だった。
 仕事柄、長期にわたって家を空けることが多かったが、家庭をないがしろにすることはなく、夕食の時は必ずヴァーチャルコンソールを使って共に食事をとった。
 間もなく第四子を身ごもった真理さんは、仕事も順調であり、まさに順風満帆の生活を送っていたのだ。


 だが、まもなく真理さんは夫と死別することになる。
 彼は、投資先である最新鋭のヒューマノイドロボットの工場を訪問していた際、人間至上主義者によるロボット排斥テロに巻き込まれたのだ。
 人間至上主義者は、人間社会の機械化を嫌悪する国際テロ組織であり、普段は一般人にまぎれて世界中で行動している、いつどこで事件を起すかわからない集団で、21世紀の半ばから、散発的に事件を起し、人類社会を脅かし続けていた。
 ロボットを誰よりも憎む彼らは、自律裁定端末の脆弱性を巧みについて工場を爆破した。


 夫の死に衝撃を受けた真理さんは、身ごもっていた子を早産してしまった。
 8ヶ月は過ぎていたので、発達障害を伴うようなことはなかったが、真理さん自身は、心身ともに深刻なダメージを負った。
 生まれた子供はまたもや女の子で、父親の名を女性形に変えてエリカと名付けられた。


 そして真理さんは、23歳の時、人生初の長期休暇を取得した。
 三ヶ月の療養の後に職場復帰したが、夫をうしなった悲しみと、いつまた家族が事件に巻き込まれるかという不安は、けして拭い去ることが出来なかった。
 そんな折、母親が彼女に、日本に戻ってはどうかと持ちかけてきた。治安という面では、世界でも抜きん出ている国であり、なおかつ生まれ故郷でもある場所。そこに戻れば、いくらか精神も安定するのではないかと。


 真理さんは、子供たちにとっての故郷であるインドを離れることに、初めは難色を示したが、意外にも子供たちは、日本という国に強い興味を持ったのだ。
 しばし考えた後に、真理さんは日本に戻ることを決意した。


 一家は、元々暮していた東京ではなく、母親の実家がある北海道北部の小都市に引っ越してきた。
 人口二万人ほどのその街は、農業が基幹産業であり、冬にはスキーの国際大会が開かれる場所だった。
 母親の実家は二階建ての木造住宅で、その当時は、真理さんの祖母が近くに住んでいる息子の助けを借りながら一人で住んでいた。
 部屋の数は全部で5部屋あり、祖母が一人で暮らすにはいささか広すぎる。
 だが、一男三女を育てるのには丁度良い家だった。


 日本における看護師資格を取得するまでの間、収入は翻訳業によるものだけだったが、亡くなった夫の遺産が莫大なものだったので、暮らしの上での不安は一切なかった。
 やがて冬になり、ムンバイではまず見ることのなかった雪原が、一家の目の前に広がった。
 初めて雪というものを見た子供達は大はしゃぎで、朝から晩まで外を走り回り、雪をかき混ぜてみたり、雪だるまを作ったりして遊んでいた。
 そして、最後には全員が風邪をひいてしまったそうだ。


 穏やかだが、幾分退屈な日々が続いた。
 身重でもなかったので、真理さんは退屈しのぎにスキーなどを嗜んだりもしたようだ。
 うっかり熱中しすぎて冬季五輪の選手になりかけた、とあるが……さすがに冗談だと思いたい。


 自宅のすぐ近くにある、市立病院に就職した真理さんは、インドで暮していた時以上に精力的に働き始めた。一冬スキーをして過ごしたことで、心の中の悲しみがすっかりと癒えたのだ。翌年の春に、彼女は第五子を妊娠している。


 さらに翌年の年明け、25歳の時に第五子を出産し、その一年後に第六子を妊娠。そして現在に至る。


 何故、彼女がこんなにも子供を産みたがるのか?
 それについてはデート・アテンションには一切記載されていない。
 恐らくこれについては、彼女に直接問うべきなのだろう。今度のデートにおける話題の中心は、このことになるに違いない。


 長く、詳細で、波乱に満ちた真理さんの個人履歴を読み終えることには、すっかり一日が過ぎ去っていた。
 明日は丸一日かけてデートプランを練ることにしよう。そして明後日までには、予約等の手続きを終えるのだ。


 デートの日どりは今日から五日後。
 それまで精神余命がもつことを切に願いつつ、僕は眠りについた。









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