アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―

ナガハシ

挑戦

 特異点事故が発生してから一ヶ月が経過した頃、インド国外への渡航規制が解除された。
 国外に持ち出す電子機器については、電卓から腕時計にいたるまで、全てくまなくチェックすることが求められたが、ひとまずは日本に帰れるようになった。


 その際、真理さんは供に働いていた医師からある提案をされている。
 ムンバイ市内の医療集積地区で、特別医学研修プログラムを受けてみないかと誘われたのだ。
 そのプログラムは満13歳から受けることができ、最短18歳でインド国内の医師免許を取得できるというものだった。
 世界一の医療大国であり、同時に世界一医者が不足している国ならではの取り組みだ。


 医師は名をチャンドラと言い、顎のひげが恐ろしく濃い40代の男性だった。小柄だが全身に生命力がみなぎっていた。
 腕が良く、診断は迅速で、患者や同僚からの信頼も厚い人物だった。
 2ヶ月ほどのインド滞在で、真理さんが最も世話になった相手と言って良いだろう。


 だが、真理さんはその提案を断った。そして、医師になる気はないが、看護師であればなってみたいと申し出たのだった。
 当然、相手は驚いた。十分に医師になれる素質を持っているというのに、なぜ看護師になろうとするのか、理解に苦しんだのだ。
 それに対し、真理さんはこう答えた。


『私はできる限り早く社会的に自立して結婚し、沢山の子供を産み育てたいと思っています。医師という多忙な仕事につけば、この目標を叶えられなくなる』


 看護師とて多忙な仕事ではあるが、医師に比べればまだ良い方だ。そういう理由で真理さんは、看護師ならばなってみたいと言ったのだった。
 医師はその彼女の言葉を肯定した。そしてますます真理さんのことを気に入り、看護師の早期育成が可能な教育機関を探してみると彼女に伝えてきた。


 そして日本に帰国してから一ヵ月後、通常の生活に復帰した真理さんのもとに、チャンドラ医師から直筆の手紙が届いた。
 インド流の英語で書かれたその手紙によれば、13歳の真理さんを今すぐ受け入れてくれる看護師養成校が3箇所見つかったとのことだった。
 教育期間はいずれも二年間で、かつて日本にあった准看護師によく似た資格が得られる。


 激しい医療格差のあるインドでは、病院と言ってもピンからキリまである。
 看護師の収入は働く場所によって大きな差がでるが、真理さんほどの才能の持ち主であれば、きっと良い給料を得られる病院を紹介してあげられるだろうとのことだった。
 うまく行けば15歳にして社会的に自立できてしまう。これは真理さんにとって魅力的な提案だった。


 唯一の問題点は場所がインドということだ。
 21世紀中頃のインドは、人口の急激な増加に苦しんでいた。
 都市の管理された地区こそ富裕層が多くて治安も良いが、それ以外の場所には不衛生な密集地が広がり、農村部においては無法地帯も散見されるという状況だった。
 そして以前よりそうであるが、路上で声をかけてくる者が善人であることはまずなく、買い物をするときも金を持っていると思われたら容赦なくふっかけられる。
 他にも列挙すればきりがないが、およそ日本国内における常識が通じない場所なのだ。


 プラスの要素としては、自律裁定端末の普及によって、テロ行為と凶悪犯罪が大幅に減っていたことが挙げられた。
 また、紹介された看護師養成校はどこも比較的治安の良い医療地区にあり、学生寮の部屋には、女性が主に利用するということで、セーフルームとしての機能が当然のように備わっていた。
 加えて、養成校を紹介してくれたチャンドラ医師という社会的身分の高い人物が、全面的な支援を約束してくれていた。


 挑戦してみたいという想いがふつふつと湧き上がってきた真理さんは、さっそく母親に相談した。始めは強く反対されたが、インドに関する資料を集め、チャンドラ医師との手紙のやりとりを見せつつ、根気強く説得した。
 もう自分には止める力も理由もないと悟った真理さん母親は、彼女のインド留学をしぶしぶ認めることになった。


 そして真理さんは、13歳にして単身インドに飛び、中途編入という形で、ニューデリーにある看護師養成校に入学した。
 年上のインド人女性に混ざっても、真理さんは浮かなかった。
 もともとアジア系と中東系の混血である彼女は、浅黒い肌を持ち背も高かったからだ。
 すでに医師レベルの医療知識を持っていた彼女は、看護師の勉強をする傍らで語学の学習もすすめ、養成校に在籍している2年間の間に、ヒンディー語とマラーティー語を習得している。


 そして卒業と同時に、チャンドラ医師の紹介を受け、ムンバイ中心部にある医療集積地帯の中でも、海外の富裕層が多く利用することで有名な病院で働くことになった。
 その時の給料は、日本の平均的な看護師とほぼ同等のものだったという。
 インドの物価水準を考えれば、それは破格と言って良いものだ。


 チャンドラ医師は、その後も彼女に目をかけ、誕生日などには一家をあげて祝ってくれる程だった。
 彼には二人の娘がおり、真理さんのことを三人目の娘と呼んで可愛がった。
 もっとも二人の娘は真理さんより年下で、その二人は真理さんのことを日本のお姉さんと呼んでいたそうだ。
 真理さんには父親がいなかったので、もしかするとチャンドラ医師のことを本当の父親のように感じていたかもしれない。


 こうしてインドは、真理さんにとっての第二の故郷になった。









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