アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―
真理 ―2070年―
僕は真理さんに車イスを押してもらって、脳外病棟の処置室に向かっていた。
真理さんのフルネームは、鎬・エーセリーウ・真理。
国籍上は完全な日本人だが、遺伝子マッチングシステムによって生み出された、日本人とイスラエル人のハーフだ。
肌の色はやや浅黒く、骨の形がはっきりとしている。まさに日本人離れした顔立ち。
180センチと高身長なその体は、筋肉の躍動感に溢れていて、車イスを押すという行為一つをとっても、他の人とはあきらかにその力強さが違った。
彼女の筋骨格の動きが、車イスのシャフトを通じて、こちらの体の中にまで突き抜けてくるようなのだ。
少しだけ後ろを振り返る。とても腰の位置が高い。車イスに座っている僕の頭よりも高い位置に、彼女のウェストがあるのだ。着てるナースウェアは、なんの変哲もない白のワンピースタイプなのだが、彼女が着ると、まるでナイトドレスのように見える。
彼女を初めて見た患者の多くがこう漏らす。
彼女に『白衣の天使』という言葉は相応しくない。彼女は『女神』であると。
「お子さんは順調ですか」
僕はそう彼女に話しかける。
「はい、おかげさまで」
真理さんはにべもなくそう言って返してきた。
現在妊娠6ヶ月。まだ二十代半ばの彼女には、お腹の子も含めてすでに6人の子供がいる。
16歳の時に第一児を産み、それから平均して二年おきに子をもうけているそうだ。
その間、二度の結婚を経験している。
遺伝子マッチングによる妊娠が4回、通常妊娠が2回という、相当な遺伝子主義者だ。
そんな彼女自身もまた、遺伝子マッチングによって生み出された人間であり、フルマラソンを二時間台で走る体力と、医師も顔を青くするほどの知識と、看護師と翻訳業のダブルワークをこなすタフさ持つスーパーヒューマンだった。
日本に戻ってきたのは半年前。僕が再入院した頃からここで働いている。
「やっぱり日本の方が育児環境は良いのかな」
「そうですね。子供を一人で外に出しても安心な国は、まだまだ少ないと思います」
その瞳に動きはないが、確実な自信に満ちていた。
表情豊かとは言えない人なのだが、それにはきちんと理由があって、笑うと怖がられることが多いからなのだという。
下手に笑顔で誤魔化さず、きちっと凛々しい姿勢で看護にあたる方が、よっぽど患者に安心感を与えられる。
鎬・エーセリーウ・真理とは、そういった女性だった。
* * *
真理さんは、僕のバイタルデータを一通りチェックすると、脳エコーを使って僕の頭の中を調べ始めた。
処置室の壁面ディスプレイに、僕の脳内の映像が映し出される。
白と黒のまだら模様。僕には何が何だかさっぱりわからないのだが、見る人が見れば、どこが血管で、脳組織で、そして癌組織であるかが、一目両全なのだ。
真理さんの頭の中には、ほぼ全科の医療知識と、受け持ちの患者のバイタルデータがインプットされている。なぜ医師ではなく看護師になったのか、不思議なくらいの人なのだ。
エコー検査を終えると、真理さんは最後に僕の眼球を診た。そして彫像のようにくっきりとした、その顔の輪郭を傾けて、どこか不思議そうな目で僕を見た。
ほのかなバラの香りが、僕の鼻をくすぐった。
「特に異常はないようです」
「うむ……」
僕はこのところ、幻覚を見るようになった。
温室を散歩している時などに、いるはずのない子供の姿が見えるのだ。
「脳腫瘍で幻覚って、あるものなのかい?」
「はい、あります。温室でよく見るという子供の姿について、詳しく教えていただけますか?」
「白いワンピースを着た女の子なんだ。年は7,8歳くらい」
「他に、履いていた靴の色とか、帽子の形とか覚えていませんか?」
「帽子は被ってなかった。靴は……そういえば履いていなかったな」
「そのイメージははっきりしたものでしたか?」
「うん、そうだな……」
確かに一人の子供の姿がそこにはあるのだ。
しかし、改めてその姿を思い出そうとすると、なぜだか頭の中にうまく像を結べなかった。
少女の着ているワンピースの白が、周囲の芝生の緑色の中に溶け出して、ボンヤリとした形状になっててしまうのだ。
「はっきりしていたとは、思うんだが」
「あまり自信はないのですね?」
「うん……」
真理さんは、手早く医療端末に問診データを打ち込むと、僕の後ろに回って、車イスの取っ手を握った。そして出入り口の方向にぐいっと力強く方向を変えて、サッと前に押し出す。
車イスは僕の病室に向けて力強く加速する。
「ひとまず経過を見ましょう。もしこのままずっと見続けるようでしたら、別の処置が必要になります」
「はい」
「一日三回、メディカルボットに幻覚について質問させますので、答えてください」
「わかりました、覚えておきます」
僕は流れ行く院内の景色を眺めながら、真理さんに言葉に返す。
そしてふと間違いに気付く。
「いや、忘れてしまっても良いのか」
そのためのメディカルボットだ。
「覚えていて下さっても良いのですよ?」
真理さんはそう言うと、その凛々しい表情の奥に、そっと笑顔を忍ばせたようだった。
真理さんのフルネームは、鎬・エーセリーウ・真理。
国籍上は完全な日本人だが、遺伝子マッチングシステムによって生み出された、日本人とイスラエル人のハーフだ。
肌の色はやや浅黒く、骨の形がはっきりとしている。まさに日本人離れした顔立ち。
180センチと高身長なその体は、筋肉の躍動感に溢れていて、車イスを押すという行為一つをとっても、他の人とはあきらかにその力強さが違った。
彼女の筋骨格の動きが、車イスのシャフトを通じて、こちらの体の中にまで突き抜けてくるようなのだ。
少しだけ後ろを振り返る。とても腰の位置が高い。車イスに座っている僕の頭よりも高い位置に、彼女のウェストがあるのだ。着てるナースウェアは、なんの変哲もない白のワンピースタイプなのだが、彼女が着ると、まるでナイトドレスのように見える。
彼女を初めて見た患者の多くがこう漏らす。
彼女に『白衣の天使』という言葉は相応しくない。彼女は『女神』であると。
「お子さんは順調ですか」
僕はそう彼女に話しかける。
「はい、おかげさまで」
真理さんはにべもなくそう言って返してきた。
現在妊娠6ヶ月。まだ二十代半ばの彼女には、お腹の子も含めてすでに6人の子供がいる。
16歳の時に第一児を産み、それから平均して二年おきに子をもうけているそうだ。
その間、二度の結婚を経験している。
遺伝子マッチングによる妊娠が4回、通常妊娠が2回という、相当な遺伝子主義者だ。
そんな彼女自身もまた、遺伝子マッチングによって生み出された人間であり、フルマラソンを二時間台で走る体力と、医師も顔を青くするほどの知識と、看護師と翻訳業のダブルワークをこなすタフさ持つスーパーヒューマンだった。
日本に戻ってきたのは半年前。僕が再入院した頃からここで働いている。
「やっぱり日本の方が育児環境は良いのかな」
「そうですね。子供を一人で外に出しても安心な国は、まだまだ少ないと思います」
その瞳に動きはないが、確実な自信に満ちていた。
表情豊かとは言えない人なのだが、それにはきちんと理由があって、笑うと怖がられることが多いからなのだという。
下手に笑顔で誤魔化さず、きちっと凛々しい姿勢で看護にあたる方が、よっぽど患者に安心感を与えられる。
鎬・エーセリーウ・真理とは、そういった女性だった。
* * *
真理さんは、僕のバイタルデータを一通りチェックすると、脳エコーを使って僕の頭の中を調べ始めた。
処置室の壁面ディスプレイに、僕の脳内の映像が映し出される。
白と黒のまだら模様。僕には何が何だかさっぱりわからないのだが、見る人が見れば、どこが血管で、脳組織で、そして癌組織であるかが、一目両全なのだ。
真理さんの頭の中には、ほぼ全科の医療知識と、受け持ちの患者のバイタルデータがインプットされている。なぜ医師ではなく看護師になったのか、不思議なくらいの人なのだ。
エコー検査を終えると、真理さんは最後に僕の眼球を診た。そして彫像のようにくっきりとした、その顔の輪郭を傾けて、どこか不思議そうな目で僕を見た。
ほのかなバラの香りが、僕の鼻をくすぐった。
「特に異常はないようです」
「うむ……」
僕はこのところ、幻覚を見るようになった。
温室を散歩している時などに、いるはずのない子供の姿が見えるのだ。
「脳腫瘍で幻覚って、あるものなのかい?」
「はい、あります。温室でよく見るという子供の姿について、詳しく教えていただけますか?」
「白いワンピースを着た女の子なんだ。年は7,8歳くらい」
「他に、履いていた靴の色とか、帽子の形とか覚えていませんか?」
「帽子は被ってなかった。靴は……そういえば履いていなかったな」
「そのイメージははっきりしたものでしたか?」
「うん、そうだな……」
確かに一人の子供の姿がそこにはあるのだ。
しかし、改めてその姿を思い出そうとすると、なぜだか頭の中にうまく像を結べなかった。
少女の着ているワンピースの白が、周囲の芝生の緑色の中に溶け出して、ボンヤリとした形状になっててしまうのだ。
「はっきりしていたとは、思うんだが」
「あまり自信はないのですね?」
「うん……」
真理さんは、手早く医療端末に問診データを打ち込むと、僕の後ろに回って、車イスの取っ手を握った。そして出入り口の方向にぐいっと力強く方向を変えて、サッと前に押し出す。
車イスは僕の病室に向けて力強く加速する。
「ひとまず経過を見ましょう。もしこのままずっと見続けるようでしたら、別の処置が必要になります」
「はい」
「一日三回、メディカルボットに幻覚について質問させますので、答えてください」
「わかりました、覚えておきます」
僕は流れ行く院内の景色を眺めながら、真理さんに言葉に返す。
そしてふと間違いに気付く。
「いや、忘れてしまっても良いのか」
そのためのメディカルボットだ。
「覚えていて下さっても良いのですよ?」
真理さんはそう言うと、その凛々しい表情の奥に、そっと笑顔を忍ばせたようだった。
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