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アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―

ナガハシ

変遷

《マインド・ログ 2042.9.7》 


 犬を飼うことにした。
 精神科を受診し、嵐の夜に幻聴を聞いたことを告げると、何故か犬を飼うように薦められたのだ。
 薬などは特に処方されず、人の良さそうな精神科医としばし話し込んでから、背中をポンッと叩かれつつ病院を後にした。


 早速、市のショッピングモールに行って、ペットショップを覗いてみた。
 店頭の壁面ディスプレイに、子犬達のリアクティブムービーが映しだされている。
 ミニチュアダックスフントにウェルシュ・コーギー。
 僕がディスプレイに近づいていくと、その中の犬達は、何か期待するような目で僕を見つめ、そして近寄ってきた。


 愛らしい作り物の犬達。しかし僕はその価格を見てすぐに断念することになった。
 山奥の断熱プレハブで飼うには、過ぎた犬だと思ったのだ。
 わざわざ街まで出てきたのに何も得るものがなかった僕は、少々気を落としつつペットショップを後にした。
 そしてせっかくなので、少しモールの中を歩いてみることにした。


 平日のためか客の数は少なく、高齢者の割合が多かった。
 洋服店の前で立ち止まり、ディスプレイに映された自分の姿を指でタッチする。
 僕の姿をくまなく解析して得られた情報を元に、季節感なども考慮して、僕に似合いそうな服が10着ほどピックアップされる。
 僕はその中から適当なものを選び、ディスプレイの中の僕に着せていく。


 黄色いアロハ、紺のチノパン、木綿の作務衣、麦藁帽子――。
 その着せ替え作業を5分ほど楽しんだ後、僕は長袖のクールウェアを購入した。
 自動販売機のように、取り出し口に放り出されてきた服を受け取って、試着をする。
 そうしてサイズに問題がないことを確認すると、僕は食料品売り場に移動した。


 食品売り場では、生鮮食品をのせた巨大なターンテーブルが、メリーゴーランドのように回転している。買い物籠と一緒に置かれているオーバーグラス型のARゴーグルを装着すると、その周囲にお勧め商品の映像広告が飛び回り始めた。


「塩とコーヒーと砂糖」


 僕がそうつぶやくと、売り場にある全ての塩とコーヒーと砂糖のリストが僕の周囲に飛び込んできて、人気度順に並べられる。
 僕はそれらを指で弾いて、いつも使っている銘柄を選択して買い物籠に入れた。
 そしてターンテーブルで回っている生鮮食品の中から、ヨーグルトとパイナップルとオレンジを取り出して買い物籠に入れる。
 そしてレジに向かうと、そこにはすでに、先ほど選択した塩とコーヒーと砂糖が用意されていた。
 それら全てを持参したバックに詰め込んで、一番小型の自走カートに載せて外のバス停まで運んでもらった。


 モールは一昔前と比べてずいぶんと小型化し、広い敷地の中を目当ての店を目指して歩き回る、といった苦労は少なくなった。
 実際に陳列されている商品は随分と減り、店員の数も以前に比べてかなり減ったように思う。
 モールの中の多くを占有しているのは、客の動きに合わせて変化するアクティブディスプレイであり、接客や商品紹介については、ほとんど画面の中のマスコットキャラがやってくれるようになっていた。
 もちろん、必要なければ指先一つで黙らせることが出来る。


 買い物を終えると、僕は入り口近くのファーストフード店に入り、アイスティーとポテトフライを注文した。
 ここではまだ、人間のスタッフがきちんと働いていた。ポテトフライの味付けについてのお勧めを提示されたが、僕はシンプルな塩味でいただくことにした。
 昔から変わらぬ方法で揚げられたポテトフライをつまんで、スイッチ一つで紙コップに注がれるアイスティーを飲みながら、僕は窓の外の景色に目をやった。


 広い駐車場が広がっていて、その奥には緑樹がびっしりと植えられていた。車はその広大な駐車場の一割も埋めてはいなかった。
 一人の初老の婦人が、自走カートを伴って、小型車の方へと向かっていく。小型車の中では、まるでぬいぐるみのように可愛らしい巻き毛のイヌが、元気に尻尾を振って飼い主を待っていた。


 僕は三日ほど思案したのち、イヌのことについて町役場に問い合わせてみた。
 里親の募集は現在はしていないが、割と頻繁に募集があるので、その時にまた連絡してくれるとのことだった。
 対応してくれたのは若い女性で、僕の事情については知らないようだった。




《マインド・ログ 2042.11.10-2064.3.20》


 二ヶ月ほどして連絡が来た。法人経営のメガファームで働いているスタッフの方のご自宅で、シバ系の雑種の子が産まれたとのことだった。
 メスの犬を避妊せずに飼っていたところ、いつのまにか妊娠していたらしい。
 六頭生まれた子犬のうち、僕はオスの二頭を引き取ることにした。


 この時、数年ぶりに町に出たのだが、ずいぶんと様子が変わっていて驚いた。
 古い建物は全て取り壊され、道幅も広く整備されていた。電線があちこちに張られて雑多だった町の空は、代わりにおしゃれな街灯で飾られていた。
 知らない町の人も増えていた。
 若い人が増えていて、町全体が若返ったような様子だった。原因はどうやら、食料価格の高騰にあるらしかった。
 農作物の価値があがったため、農地の再開拓が進み、都市部から人が流れてきたのだ。


 引き取った子犬は。まだ目もよく開いていなかった。
 季節も冬に差し迫っていたので、僕は断熱プレハブの中にダンボールを置き、クッションと毛布を引きつめて、犬が寒くならないよう、寝床を作った。
 お腹が減ってくると鳴きだすので、そのたびに哺乳瓶で代用乳を与えた。


 三週間ほどで離乳し、固形のエサを食べるようになった。
 よく二頭でじゃれあって、上になったり下になったりして遊んでいた。
 僕は犬達が変なものを口に入れてしまわないよう、小屋の中を整理した。
 物を置く場所をを高い位置に設置して、床はなるべく広く、犬達が走り回れるようにした。


 冬の間は、除雪以外にすることがないので、ひたすら犬のしつけと訓練を続けた。
 この時僕は、二頭の犬に名前をつけていないことに気がついた。僕一人で、狭い室内で飼っているので、特に名前を呼ぶ必要性もなかったから、そんなことになってしまったのだ。


 どうしたものかとしばし悩んだが、いまさら名前で呼ばれても困るだろうし、本来、動物達の間に名前という概念はないわけだからと、結局名前をつけないまま、僕は二頭の犬を飼い続けることにした。
 春になるころには、成犬と変わらない大きさに成長し、散歩の時間になると飛び跳ねるようにして僕の足にまとわりついてきた。
 ただし、草の刈り取りをしている間は、カッターに巻き込まれるといけないので、家の中で大人しくしていてもらった。


 畑仕事をしている時などは、ずっと日向で心地良さそうに寝そべっていた。
 僕の飼っていた二頭の犬は、どういうわけかトマトを良く食べる犬だった。多少青みがかった酸っぱいものでも、気にせずかぶりつき、皿に落ちた汁まで綺麗に舐めてしまうほどだった。
 基本的に、僕が食べているものは何でも食べられると思っているらしく、イモでもトウモロコシでも何でも食べた。
 一度、味覚プリンターで作ったイベリコ豚の生ハム味フィルムを食べさせてみたところ、病み付きになってしまったようで、ことあるごとに僕にせがむようになってしまったのは、失敗だった。


 何でもよく食べ、散歩も沢山して、日向でぐっすりと眠った犬たちはとても長生きした。


 飼い始めて18年後に一頭目が死んだ。
 足から細菌が入ったらしく、一日熱にうなされて、次の日の朝には冷たくなっていた。
 僕はその犬の遺骸を、犬たちがよく日向ぼっこをしていた野菜畑の脇の芝生に葬った。
 この時になって僕は、今さらながらに名前を付けてやろうかと思ったのだが、結局しないでおいた。


 残された犬は、それからさらに4年生きた。
 死んだ犬の墓標の隣で呑気に寝そべり、僕が草の刈り込みをしている間はプレハブの中で眠り、晩年には散歩にもあまり出れなくなった。
 腰が丸まり、よろよろと上手く歩けず、それでも僕が抱えて外の風に当ててやると、機嫌が良さそうに茶色の尻尾を振った。


 その年の冬は、ずっとその犬の介護に費やされた。液状のエサをスポイトで与え、丸まった腰をマッサージし、尻にこびりついた便を布で拭った。
 三月の終わり、あと少しで春という頃になって、その犬は死んだ。
 僕はもう一頭の犬の墓の隣に穴を掘り、そして二頭目の犬を葬った。


 スコップで犬の骸の上に土を被せていく。周囲にはまだ、真っ白な雪がうずたかく積み上がっている。
 吐く息は白く、額に汗が滲んでくる。
 名も無い犬たちの墓標を見て、多くの人はどう思うだろう。
 薄情でつまらない飼い主に飼われたと感じるだろうか。


 だけれども、と僕は思う。
 僕が育てたトマトを食べていたときの犬たちは幸せそうだった。
 日向で僕の作業を眺めながらうとうととしていた二頭の犬は、確かに幸せそうだった。
 他の人に何を言われようとも、僕は僕にできる限りのことをした。


 犬たちは、この草原で生き続けた。
 僕もまた、この草原で生き続けた。


 そこになんらかの意味づけを出来る者など誰もいなくて、結局のところ、生きるということは生きるということでしかなくて、幸福とか意味とかいったものは、各々が自らの胸の内に、勝手に見出すものであって。
 つまり、生きるということはそういうものであって――。


 僕は額を伝って目に入った汗を拭う。そして最後の土を墓に被せる。
 そしてその場に腰を下ろし、手を合わせて目を瞑った。
 犬たちとともに過ごした日々を思い返し、僕の弱い心を支え続けてくれたその二つの魂に感謝を捧げ、そして目を開けて立ち上がる。


 振り返ればそこには、ただ真っ白な雪原があった。
 雪の下では僕達の生活を支え続けてきた、エレノアの根が眠っている。
 スコップを肩に担ぐと、再び一人の生活に戻るため、断熱プレハブの戸口に向かって歩き始める。


 そしてその年に、僕は70歳になった。




 第二章 終









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