アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―

ナガハシ

収穫

《マインド・ログ 2036.6.12-2036.7.25》


 6月に入り、三春さんの畑の開墾作業が始まる。
 いつものように大型機械を入れて土を起こし、種を撒く。
 そこから先は人海戦術だ。僕も保坂さん達とともに手伝いに行くことにした。


 朝早く起きて、鏡の前で入念に顔の筋肉をマッサージする。
 そうして笑顔を作る練習をする。
 頬の筋肉に力をいれ、最大限の笑みをしばし作った後に力を抜く。眉毛を上げたり下げたりする。口を大きく明けて発声練習をする。
 これを30分ほど続けると、その日一日は何とか人間らしい表情を保つことが出来るようになるのだ。
 もっとも、人と話す機会自体が少ないせいか、年を追うにつれて、顔の筋肉は頑なになっていくようだった。


 三春さんは最初からかなり広大な農地を購入していた。
 山あいに開かれた、やや蛇行したその農地には、すべてにカミカワの種が撒かれていた。
 耕したばかりの畑の土は柔らかく、鎮圧はされているがトラックを入れることは出来ない。
 各自、金属探知機を手に次々と畑に入っていく。金属片の除去作業には10人がかりで2日かかった。


 三日目から集電端子の埋設作業が始まり、一つ一つ手で運んでの作業となった。
 野生動物に破られた時にすぐわかるよう、配線の番号をよく確認しながら、出来るだけ一本に束ねるようにして配線を引いていく。
 作業は朝から始めて昼過ぎに終了。その夜に、三春さん一家の歓迎会もかねて、保坂さんの家でジンギスカンパーティーが開かれた。


 予想はしていたことだったが、三春さんは僕に対して、何か引っかかるものを感じていたようだ。
 終始ぎこちない表情で、もくもくと作業をし、宴会の席では黙ってジンギスカンを食べている、一人でプレハブ小屋に暮している変人――。
 心象はお世辞にも良くないだろうと、多少は覚悟していた。
 しかし、それだけではなかったのだ。


「あなたは、もしかしてあの事件の……」


 帰り際、三春さんが話しかけてきた。
 三春さんは僕が起こした事件のことを知っていたのだ。
 家電販売店に勤めていた三春さんは、なんと新谷さんとも面識があるらしい。味覚再現装置は、今や世界中の家電店で売られているのだ。


「……そういうことでしたか」


 僕がこうして電農を始めるに至った経緯を説明すると、三春さんは申し訳なさそうな顔を浮かべながら返してきた。


「保坂さん達は知っていますが、町のみなさんにはまだ知られていません」
「すごいですね。田舎ってもっと、情報がだだ洩れになるもんだと思ってましたが」
「保坂さんがしっかりした方ですから。それに、これだけ過疎が進んでしまうと、かえってそういうのは少なくなるみたいなんです」
「まあ……そうなのかもしれませんね。妻も介護施設で働いていますが、口達者な人はあまりいないと言ってましたから。喋っても、嘘だか本当だかわからないことしか言わないと」
「ええ、僕のことも、別の形で色々言われていると思います」


 その後僕は、三春さんの子供のことについて幾つか話した。
 中学校は、全校生徒合わせて30人程しかおらず、小学校については1クラス4、5人しか児童がいない。
 そんな町の学校とは随分異なる環境に放り込まれながらも、意外に楽しくやっているという話らしい。


「もともと、そんなに外で遊ぶ子達じゃありませんでしたからね」


 転校元の友達とも、ネットを介してよく遊んでいるのだという。


 * * *


 まもなく、僕の畑に撒いたカミカワが穂を孕むようになった。
 細長い葉に守られるようにして、萌黄色の穂が頭を覗かせている。
 この時期が、もっとも牧草としての栄養価が高いのだそうだ。


 さっそく保坂から農機を借りてきて牧草の収穫をする。保坂さんの畑ではすでに一番草の収穫を終えていて、農機に空きがあるのだ。
 保坂さんは昨年度で酪農経営を終えた。70を過ぎて体力的に厳しくなってきたとのことだった。
 それでも農機だけは所有していて、畑の牧草を売って収入に変えている。


 使ったことのない農機も幾つかあったから、教えてもらいながら収穫作業をした。
 トラクターの背後で唸りを上げるモアコン。8枚のディスク型のカッターが高速回転し、あたかもバリカンで頭を丸刈りにするかように、草を刈り倒していく。
 畑一枚を刈り終えるころには、ツナギの下のTシャツが汗でグッショリになっていた。その8割は冷や汗だ。


 次に、テッターという機械をトラクターに取り付けて草を攪拌していく。二日ほどかけて水分量が50%ほどになるまで乾燥させ、ツインレーキで草を寄せ、ロールベーラーを使って巻いていく。
 3日がかりの作業。馴れない仕事に悪戦苦闘しながらも、なんとか機械を壊さずに終えることが出来た。最後にラッピングマシーンを使ってロール状に縛った草にビニールラップを撒きつけると、酪農地帯ではおなじみの、あのロールベールサイレージが出来上がった。


「おお、うまくできたなあ」


 畑の隅に積み上げられたロールベールを眺めながら保坂さんは言った。


「これならいつでも酪農始められるな」
「いえ、流石にそれは……」


 僕は数年前から、牧場を継がないかと誘いを受けていたのだが、もちろん丁重にお断りした。
 畑の管理から乳牛の世話まで全部一人でこなすなんて、常人に出来るものとは思えなかったから。


 僕の作ったロールベールは刈り取り時期が良かったので一個8000円で売れた。諸経費を差し引いても、かなりの収入になった。
 これなら少しは贅沢をしてもよいかなと、この時僕はほくほくと考えていたのだった。











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