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アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―

ナガハシ

進歩

 医療用分子機械が実用化されたことで、殆どの癌が早期発見されるようになり、癌を発症した場合の生存率は著しく向上していた。
 それでもなお、脳実質を病原とする膠芽腫の治療は難しく、一年後生存率が72%、三年後生存率が34%、5年後生存率が14%という、数ある癌の中でもトップクラスの治療成績の悪さだ。


 僕のケースでも、超早期に発見され、直ちにDNAポインターによるピンポイント薬物治療が施されたが、それでも根治は不可能で、刻一刻と病状は悪化している。
 失われた脳組織の割合は3割を越え、分子機械が不眠不休で神経軸索の架橋工事をしていくれているにも関わらず、最近ではしばしば記憶が飛んだり、言葉がつかえたりするようになった。
 医師の話では、いつ精神活動が終わってしまってもおかしくない状態だということだ。


 分子機械によってジリジリと脳細胞が人工物に置き換えられていく。
 いずれ僕は僕ではなくなり、ただの老いた肉になる。
 その瞬間がいつ訪れるかはわからないが、僕の精神活動をリアルタイムで測定する脳内装置によって、僕が人間でいられる期間――すなわち余命――がはじき出されている。


 推定精神余命85日。
 つまりは、あと三ヶ月ばかりというわけだ。


 ただし、この数値はかなりアバウトで、日によってまちまちだ。
 昨日は109日だったし、一昨日は72日だった。
 一度は40日を切ったこともあったし、一番高い時には160日もあった。
 グラフはこうしてジグザグな曲線を描きながらも、確実に下向きに進行していっている。


 朝食が運ばれてくる。
 M-278がかいがいしく働いて、朝食の乗ったトレーをそれぞれのパーテーションに運び入れていく。
 障害物を完璧に回避し、両手に一つずつトレーを乗せて、蹴り飛ばされでもしない限り転ぶこともない。完璧なバランスを保ちながら、病棟の中を歩き回る。
 僕が少年の頃にはSF小説の題材としても、いささか古びたものとなっていった人型ロボットは、技術者達の弛まぬ努力と、計算機能力の飛躍的発展により、こうして現実のものとなった。


 今朝の献立は、白米、油揚げの味噌汁、代用ささみ肉の梅しそ和え、養殖昆布と豆の佃煮、レタスサラダ、牛乳。全て国産食材で作られている。
 味噌汁をすすり、白米を一口。そして代用ささみ肉に箸を入れる。見た目はまったくもって鶏ささみ肉なのだが、箸を入れたときの感覚はまるで羊羹でも切っているかのようだった。
 梅しそダレと合わせて口の中に放り込む。ぱさつくような感覚はなく、ねっとりとした食感だ。鶏肉を食べているという実感は、あると言えばある。


 世界人口は現在99億人。国別人口トップのインドが食料輸入国に転じ、地下水の枯渇と温暖化の進行で、世界の穀物生産量は2020年代と比べて3割も減少した。今も人類の食糧事情は悪化の一路を辿っている。
 日本では食料の完全自給が必須課題になった。飼料穀物が手に入らなくなったために畜産経営には大きな制限がかかり、本物の肉は、食料というよりもむしろ嗜好品や薬膳といったものに近い扱いになった。
 そして食品合成機械によって大豆タンパクから作り出される代用肉が、肉に代わって店頭に並ぶようになった。


 農業地帯の一部には巨大な野菜工場のビル群が立ち並び、ある種、都市のような様相をなしている。
 生乳生産の現場では、ウシが牧草飼料だけで生乳を生産できるよう品種改良され、バイオマス施設が完備されたメガファームにて集約的に育てられるようになっている。
 地方自治体の数は激減したが、一部の自治体には人口が流入し、主に農業生産を行うための1万人程度の自治体が自然発生的に形成された。


 一方海では、海洋汚染が一定水準を越え、乱獲により漁業資源が枯渇し、漁業が実質的に不可能になった。代わりに人工海水を使った養殖技術が発達したが、魚肉や海草類の生産量は大きく減り、いまや魚肉はこの世で最も希少な食材になっている。
 かつてはどの街にもあった回転寿し屋は消えてなくなり、寿司を扱う店は、もっぱら高級店に限られるようになった。


 病院食の朝の献立一つとってみても、僕が生まれた時代とは相当に事情が変わってしまった。
 僕は一つ一つの料理を、じっくりと味わいながら食べる。
 あたかも76年の人生を噛み締めるように。
 三度の食事が、入院患者にとっての貴重な楽しみであることは、今なお変わってはいない。


 * * *


 食事を取ってしばらく休憩した後、僕は起き上がって厚手の上着を着込んだ。
 回診が無いときはいつも午前と午後の二回、病院の裏庭を散歩することにしているのだ。


 ベッドから降りてゆっくりと立ち上がり、院内端末機を首にかけて病室を出る。
 M-278が声をかけてくる。


《車椅子を利用しますか?》


 病院のケアボットは、全ての患者の容態と行動パターンを理解し、記憶している。


「いいや、自分でするよ、ありがとう」


 僕は手を振りながら彼女に答える。M-278は軽く会釈をすると、また元の待機位置へと戻っていった。
 通路脇の収納スペースから車イスを一台引き出す。そして押し手の位置を高くして、車輪に抵抗ギアをかける。
 こうすることで、この車イスは歩行器として使えるようになる。
 押し手に上半身を預け、体重をかけて押し出すようにして、僕は一歩ずつ足を踏み出していった。


 通路を渡り、ナースステーションの前を右折して、エレベーターホールに出る。
 一階に下りて、クリーム色で統一された通路を、裏庭へ続く出口に向かって歩いていく。
 人影はまばらで、巨大な窓ガラスから注ぎ込んでくる陽の光が、どこか神聖な雰囲気を院内にもたらしていた。
 待合所の方からごく小さく響いてくる、クラシック音楽の音がある以外は、じつに静かなものだった。


 途中でストレッチャーに乗せられて運ばれていく患者とすれ違った。
 シーツで何重にも体をくるまれ、いくつもの点滴をぶらさげた老婦人。ケアボット二体の他に、人間の看護士が一人随伴していることから、容態の悪化した患者であることが推察された。
 ストレッチャーが行き過ぎると、通路には再びもとの静けさが残った。


 医療ネットワークの普及によって、一昔前の外来患者で待合室が一杯になっていたあの光景はすっかり消えてしまった。
 今では8割近くの病気が通信診療と薬の処方で解決できてしまう。実際に病院に来るのは、精密検査が必要と認められた人と、直ちに医療処置が必要な重症・重病患者、そしてなんらかの理由により通信診療を利用できない一部の患者のみなのだ。


 裏庭へと続く透明な扉の前まで来ると、僕は車イスに座って一息ついた。
 温室の中は、太陽の光で満たされている。







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