アシアセラフィカ ―久遠の傍観者―

ナガハシ

罪過

「本当に、研究者ってのは面倒くさい生物だ」
「頭でっかちのくせに、何もわかってないんだね」


 僕は首を傾げる。


「どういうことですか?」
「ああ、もう、面倒くさいなあ……。いいかい? 大手さんはね、五感テレビを『世界中の人間』に対して売ろうとしているんだ。年収30万以下の人間が何十億もいる市場にだ。それを考えればだね、あの玩具みたいな電気パルス方式だって十分に価値のあるなものなんだよ。それをね君、文化の相互作用とか、新しい価値観の創造とか、はっきり言って夢を見ているとしか言いようがない。彼らにまず必要なものは、退屈を紛らわせるための手段なんだ」


 僕はだまって彼の話を聞く。要点はそこじゃない。
 重要なのは、そんな低所得層の生活向上を図る気が、彼らにあるのかということだ。
 そうでなければ、途上国の人達を家畜同然に扱っていることになる。


「高価な味覚再現装置を無理やり普及させようとすることは、彼らの存在を丸ごと無視することだと俺は思うけどね。そこんとこどうだい?」
「プリント方式は、一台あれは何十人でも使えます。電気パルス方式は基本的に一人一台。複数人で使いまわすことは衛生上好ましくありません。ただ安いだけのものは、所有者にいい影響を与えないと考えます」
「だが、プリント方式はカートリッジを買い足す必要があるよね? 一度買ってみたはいいものの、誰がどう維持するかで揉めたりしないかな? コスト的にも厳しいと言わざるを得ないし」
「所有に関する問題は、共有して使う以上、どんな商品にもついて回ります。コストは大量生産によってある程度緩和できます。電気パルス方式は、そもそも味の再現自体が不可能と言っていい水準です。先ほどおっしゃられましたが、本当に玩具です」
「いいんだよ、玩具で」


 彼はそう言いきった。
 その言葉で僕は確信した。
 この男は、人を人として見ていない。
 何もかもみな、金儲けの手段なのだ。


「そうでしょうか……」
「要は、テレビの向こう側と繋がることが出来ればいいんだ。味覚なんてそもそも曖昧なものだからな」
「どんなに安くしても、使いまわしは起ります。衛生上の問題が解決できません」
「そこまで考えていては途上国を相手には商売をできんよ。なにせ、生ゴミの上で平気で生活しているような連中なんだから……」


 僕はそこで押し黙る。押し黙ってみせる。
 そして相手の出方を伺ってみる。


「潔癖すぎるんだよ。君は日本人だから、日本人の価値観でしか物を語れない。世界は広いんだ。そして随分と酷い場所なんだ」


 僕は息を吐いた。このひどく現実主義的な男が、人類への貢献などまったく考えていないということが良くわかった。
 売りやすいものを作って売る。それだけなのだ。
 さらには、そのためには手段を選ばない冷徹な男でもある。


「途上国はいつまでも途上国ではないと思います」
「人類がみんな中産階級になったら、この星は終わりだ」
「教育と文化水準が上がれば、人口爆発も抑えられるのでは……」
「残念ながら、もう手遅れだよ」
「しかし……」
「数十億の人間が、一気に美食家になってしまったら世界はどうなる? 言っちゃなんだが、彼らには貧相であってもらわなくてはならない。物質的にも、文化的にもね」


 そうして僕は、返す言葉を失ってしまう。
 アジア地域には地球人口の半分が暮らしていて、現在、爆発的な成長を遂げている。
 そこに当然、日本の企業も打って出なければならないのだけど、あまりに品質の高いものを普及させてしまうと、現地の人達の感性が肥えてしまって、いずれ環境の方が市場の需要に耐えられなくなる。
 確かにこれは、恐ろしく説得力のある理屈だったから。


 ガックリと肩を落としてため息をつく。
 彼らの言っていることには、確かに筋が通っているようだ。
 しかし、その人間性はどうしようもないものだった。


 心拍数が急激に上がっていく。
 いよいよ核心だ。もうこれ以上話を引き伸ばしても仕方がない。


「わかりました。僕は新谷さんにはついていきません」
「ああ、それが懸命な判断だと思うよ」
「むしろ条件しだいでは、新谷さんに独立をしないよう働きかけても良いです」
「ほほう。その条件とは?」


 僕は覚悟を決めた。
 そして、男の眼をしかと見据えながら――告げた。


「二葉さんを元に戻してあげてください」


 しばし、会議室が静寂に満たされた。
 男はかすかに口をすぼめると、穴のような瞳で僕を見下ろしてきた。
 そして隣にいる男に視線を向け、肩をすくめて見せてきた。


「言っていることの意味がわからないな」


 一点の変化も見せないポーカーフェイス。
 自分が二葉さんの交際相手であると、自分自身すら騙しきっているかのようなその態度。
 どこまでも無機質なその表情を、僕はしかと凝視する。


「二葉さんの洗脳を解いてあげてください」
「おやおや……」


 とうとう頭がおかしくなってしまったか――?
 そんな心の声が聞こえてくるようだった。


「そして出来れば、それ以外の人にも。あなたをよく知る人は、みなさん不思議がっていました。どうして取引先はあなたの話ばかり聞くのかと」


 男はなにも答えない。
 ただ、薄気味の悪い笑みをニヤニヤと浮かべながら、虫を見るような表情で僕を見下ろしているだけだ。


「君は一体……俺のことをなんだと思っているんだ」


 やれやれと首を振りながら男は言う。


「まったく不愉快だな。もう君に用はない、失礼させてもらうよ」


 と言って、二人同時に席を立つ。
 わざとらしくガタンと大きな音を立てて、僕を威嚇してくる。


「待ってください。僕達にはわかっているんです。二葉さんが僕達を訴えてくるはずがない」
「ああもう、うるさいなあ」


 振り向きざま、肩を掴まれる。
 強い力がこめられて、鋭い痛みが骨に走る。


「うっ……!」
「きみね、少しは自分の立場ってものを考えたらどうなんだ」
「入社二年目のガキが、ヒーローぶってるんじゃねえよ」


 俺達がその気になれば、お前一人くらいどうにだって出来る――。
 僕は不覚にも、足が震えてしまっていた。


「ふん……。君が一体何を考えてるのかは知らないが、人のプライベートにまで首をつっこまないで欲しいね」
「そうそう、あくまでも、プライベートなんだから」


 中背の方の男がそう言うと、もう一人がたしなめるような視線を向けた。
 そのやり取りで僕は理解してしまった。
 彼らは、『個人的』にも二葉さんを利用している。


「くっ……」


 このまま二人を返す気はなかった。
 何としてでも、彼らの暴走を止めなければ。


「いいんですか? このままだと、僕は完全にお二人の敵にまわりますよ? 新谷さんと、研究室の方々と、徹底的にあなたがたを追求しますよ? それでも――」
「おい」


 背が高い方の男が顎をしゃくる。
 すると間髪おかずに、もう一人の男が、僕の顎下に掌打を打ち込んできた。


「ぐっ……!」


 外傷が出来ないよう、よくよく注意された攻撃。
 僕は後ろに吹き飛ばされて、激しくテーブルにぶつかってから床に倒れる。
 カランと音をたてて、果物ナイフが落ちてくる。


「調子こいてんじゃねえぞ」


 ネクタイを掴み上げられる。
 背が高い方の男が、そのやけに長い足で僕のみぞおちを蹴り飛ばしてくる。


「げほっ……!?」
「君ごときに何が出来ると思っているんだ」


 会議室の鍵は僕が自分でかけた。
 外に助けを求めることは出来ないし、運良く誰かが通りがかったとしても、この二人はうまく誤魔化してしまうのだろう。


「ぐうっ……」
「身の程をわきまえない奴だ」
「もう来月あたりから、お前の席はないんじゃないかな」


 背の高い男は、僕の胸ぐらを掴んで引き寄せる。
 僕のすぐ側にしゃがみこんでくる。
 そして耳元でそっとつぶやく。


「お前は、二葉という女に惚れていたのか?」
「…………」


 僕は首を横に振る。


「だったらいいじゃないか。所詮、君には関係のない生き物だ」
「うっ……」


 立場も、知力も、腕力も。
 何もかもが圧倒的に足りない。


 僕ではこの男たちを止めることが出来ない。
 このまま放っておけば、彼らは二葉さんのような犠牲者を次々と作り出しながら、この世界を自分たちの思い通りに作り変えていくのだろう。
 この星に生きる大多数の人間の尊厳を密かに踏みにじって、そこから得られる甘い蜜を吸い続けるのだろう。


 だが僕には何も出来ない。
 ただ無力感だけが、僕の中身を支配していく――。


「残念だが、俺達に楯突いたお前は、もう終わりだよ」


 噛み含めるようにそう言うと、男は僕のワイシャツから手を離した。
 どんな手段で潰されるのかはわからない。
 ただ、僕の居場所は遠くないうちにこの会社から消えてなくなるのだろう。


 無力で、惨めで、情けなかった。
 自分がいかにちっぽけな存在か、この世界がいかに非情な場所であるか。
 この時ほど身に沁みて思ったことはない。


 視界がぐるぐると回って、自分が今どこにいるのかさえわからなかった。
 何が正解なのか、僕がするべきことは何なのか、その一切がわからない。
 僕はすっかり、現代社会という名の迷宮のなかで迷子になってしまっていた。
 明日からどんな顔をして生きていけば良いか、この時の僕には、それすらもわからなかったのだ。


 ただ一つだけ、胸を張って言えることがあった。
 この時僕は、彼らを殺そうだなんて一切考えていなかった。
 いかなる理由があっても、殺人は許されない行為だ。
 そのことを、僕の頭はしっかりと認識していたのだ。


「ん――?」


 次の瞬間、男がにわかに首を傾げた。
 その首筋に、そっと手を当てる。


 そしてそこに、生ぬるい感触があるのを確かめる。
 僕の眼に映っていたいたのは眼の覚めるような赤だった。
 頸動脈から流れ出る、酸素をたっぷり含んだ真っ赤な血。
 それがどうして男の首筋から吹き出ているのか、僕はしばらく理解できなかった。


「バカな……!」


 首筋を強く手で抑えてうろたえる男。
 もう一人の男も、一体何が起きたのか、理解しかねているようだった。


 僕が手にかけた男は、剣道の有段者だった。
 相手が丸腰で、僕が日本刀の真剣を持っていたとしても、まず間違いなく勝てない相手だ。


 それにもかかわらず。


「う、うあああ……!」


 男の動きにあわせて血の噴水が会議室中にばら撒かれる。
 必死に首の付け根を抑えて止血しているが、一向に出血は収まらない。


 いつしか僕のワイシャツは赤く染まっていた。
 右手にはいつの間にか握られている果物ナイフ。
 赤く血塗られたそれを見て、僕はようやく理解する。


――知らない間に手が勝手に動いて、男の首筋を切り裂いた。


 相手には僕の手の動きが見えなかったのだろう。
 僕自身にさえ、わからなかったのだから。
 殺気を一切まとわない僕の攻撃を受けて、さすがの彼も対応できなかったのだ。


 そうでなければ、僕なんかが彼を殺せるわけがない。


「あああ……」


 最後に力ない声を残して、男は意識を失う。
 そしてその場にバタリと倒れた。


「ヒイイイィ!」


 全身をガタガタと震わせているもう一人の男が、その足をもつれさせながら会議室から飛び出していった。


 その数分後、けたたましい女性社員の金切り声とともに、血まみれの僕と死んだ男とが発見されることになる。









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