魔法学園の料理当番

ナガハシ

 男には戦わなければならない時があるものだ。
 たとえ、それが何も救い得ない戦いであっても。


 はっきり言って、俺達が何かしたところで、事態がややこしくなるだけかもしれない。
 しかし今ここで何もしなければ、一生の後悔になる気がする。
 何でもいい、出来る限りのことをしなければ……。


 時刻は夜中の23時を過ぎようとしていた。
 今のところ、寮内に変わった動きはない。
 通路の明かりは落とされ、玄関は施錠されている。
 外泊中の寮生はおらず、みんな自室で就寝中か、もしくはじっと息を潜めている。


 寮の周囲に厳重な警戒が敷かれているのと、女子棟の一部にプロの見張りがいること以外は、普段と何も変わるところがない夜だった。


「よしっ……」
「出来たか五日」
「ああ、ばっちりだよヒロミ君」
「よし、じゃあ行こうか」


 そんな夜更けのこと、俺は手の平サイズの“武器”を詰め込んだバスケットを抱えて部屋を出た。
 熱した焦げ茶色の液体の入ったやかんを持ったヒロミ君も後に続く。


「びびってんのか五日?」
「まさか、ヒロミ君こそ」


 寝静まったかのような通路。
 強がりを言いつつも、僕もヒロミ君も間違いなくブルっていた。
 目指す場所は小石さんの部屋の前。
 目的は当然、あの二人のSPに一泡吹かせることだ。




 * * *




「こ、こんばんわ」


 ぎこちない挨拶をする。


「…………」
「…………」


 僕達よりも一回り背の高い二人の男は、一寸たりとも視線を動かさず黙っていた。


「こんな夜更けまで仕事っすかあ? 大変っすねえ」


 ヒロミ君は軽いノリで絡んでいくが、二人に反応はない。


「ぐ……」
「むむ……」


 僕らの首筋に嫌な汗だけが伝っていく。
 正直、今すぐにでも部屋に逃げ帰りたかった。
 しかし、それではこの武器を作った意味がなくなってしまう。
 俺達は意を決して、さらに彼らに近づいた。


「おなか空いてるんじゃないかと思って……うっ!」


 俺が“武器”の入ったバスケットを開こうとすると、一斉に二人の視線がそこに凝縮してきた。
 なんという鋭い眼光なのだろう。
 その気になれば、バスケットごと消し炭に変えられるのではないかというほどだ。


「作ってきたんですけど……」
「…………」
「…………」


 二人はしばしバスケットの中に入っている『おにぎり』を睨みつけ、互いに視線を交わす。
 そしてすぐに直立不動の体勢に戻ってしまった。


「し、失礼しました……」


 俺は如何ともし難いプロの気迫に押されるように、回れ右をしてしまった。


「ちょっ、おい! 五日! 逃げんのかよ!?」
「だ、だってさ……やっぱり食べてくれるはずないよ……」


 俺たちが授業中に早弁するのとは訳が違うんだよ?


「そんな簡単に諦めちまうのかよ五日! お前のリリアちゃんへの想いはそんなものなのか!?」
「リリアっていうか……小石さん」
「小石ちゃんが連れてかれたら、セットでリリアちゃんも付いていくのはほぼ確定なんだ。お前がそんなへたれキャラだとは思わなかったぜ……!」
「むっ……俺だって何とかしたいよ……でもさあ!」


 俺が作った『魔法がかった美味さ』のおにぎりを食べれば、たとえ仕事中のプロのSPとはいえ、胸襟を開くのではないか――?
 それが、ヒロミ君が考えた作戦だったのだけど。


 食べてくれるわけ……ないじゃないか!


 二人のプロの男達を前にすれば、そう感じざるを得ないのだった。


「こういう時はなあ五日……こうするんだよ」


 そう言うと、ヒロミ君はSPのまん前であぐらをかいて座り込んだ。


「座り込み……?」
「おうよ、こうして相手がじれるのを待つんだぜ……」
「う、ううん……」


 こちらの心が折れるのが先なのでは……。
 すぐにそう思ったけど、ここまま引き下がるのも確かに癪だった。
 俺はひとまず、ヒロミ君にならんで座り込む。
 おにぎりは食べてもらえなくても、ここに居座ってさえいれば、何か動きがあった時にすぐわかるかもしれないし。


「お腹が空いて我慢できなくなったら」
「いつでも言ってくだせえよお兄さん方」
「…………」
「…………」


 二人は一瞬だけ互いに視線を交わすと、ちょっとだけ肩をすくめるジェスチャーをする。
 この時ほんのわずかだけ、二人の人となりが垣間見えた気がした。
 俺は案外、二人とも良い人なんじゃないかと思った。
 人を守る仕事を選んだのだから、その心の奥底には間違いなく優しさが秘められているはず。
 少なくとも良き両親の元で、美味しいものをたくさん食べて育ってきたはずなのだ。




 * * *




 スマホで時刻を確認する。
 夜中の0時をまわろうとしていた。
 リリアと小石さんはもう眠っているのだろうか?
 先ほどから物音一つ聞こえてこないけど、こんな状況でぐっすり眠れるわけもない。


 たぶん、二人とも起きているのだろう。
 俺たちがここに座り込んでいることも知っているし、おにぎり大作戦のことも心を読むことで理解しているだろう。
 ちなみに、おにぎりに巻いた海苔はただの海苔だ。
 魔法の炎で炙ったりはしていない。
 余計なことをして墓穴を掘るのは嫌だからな。


 始めはブルっていた俺の心だったが、こうして一時間近くも相手と向き合っていると、だんだん慣れてきたのか、何とも思わなくなってきた。
 むしろ相手のことを観察する余裕が出てきたくらいだ。


 二人とも身長は180センチ以上はあるだろう。
 一人は丸刈りで、もう一人は短い黒髪を整髪料で逆立てている。
 細身のスーツを着ているけど、その下は鍛え抜かれた肉体であろうことが、暗闇の中でさえ良くわかった。


 二人とも裸眼で、相当な視力を持っていそうなのだが、その焦点はこの世のどこにも合わせられてないように見えた。
 どこを見ているのかさっぱりわからないのは、おそらくは、周囲にあるすべてのものの動きに注意をはらっているからだろう。
 こんな気の遠くなるような集中を、一瞬の隙もなく行っているのは、正直凄いとしか言いようがない。
 二人は今、その全能力を小石さんを保護かんしするために使っているのだ。


「お二人は、どんな能力を持っているんすか?」


 唐突にヒロミ君が口を開く。
 静まり返った夜の廊下に、その声は驚くほど大きく響いた。


「…………」
「…………」


 二人のうちどちらかが、一瞬ではあるがため息をついた。
 今のヒロミ君の質問で、緊張の糸が切れたのかもしれない。
 ここは畳み掛けるチャンスだろうか。


「ちなみに俺っちは人形を操れて、こっちの五日は炎を出せます」
「出せます」


 俺は鍋敷きの上に置いてあるやかんに指を向ける。


「点火」


 かすかに聞こえる、お茶が沸く音。
 たまにこうして、やかんの中に直接炎をぶちこんで暖めているのだ。


「だからまだ、熱々です」
「熱々です」


――グウウゥゥー……


『『!?!?』』


 誰かの腹がなったのはその時だった。


「今の……ヒロミ君?」
「いんや、俺ここに来る前に、五日のおにぎり三個も食ったし」
「俺も味見で一個食べたし……じゃあ」


 俺たちは目の前に立つ屈強な男達を見る。


「はぅ……」


 丸刈りの方のSPさんが、照れくさそうな様子でお腹をさすっていた。


「ぶはははははっ!」


 突如、背後からけたたましい笑い声が聞こえてきた。
 リリアの部屋の扉の向こうからだ。


「な、なんだ?」


 俺は驚いて振り返る。やっぱり起きてやがったのか。
 リリアはしばし扉をバンバン叩きながら爆笑した後、そろそろとドアを開けて外に出てきた。


「く、くくくっ、いやあこんな夜更けに、面白いものを見させてもらった」
「お、お前……」


 目じりに涙までためて、どんだけおかしかったんだ。


「私があれほど言っておったのに、お前達ときたら……なんだそのおにぎりは。こんな夜更けに、飯テロか?」
「……食いたいのか?」
「ああ、食いたい」


 今度はリリアの腹から、リスが鳴くような音が響いてきた。
 まさに今は、食欲の魔が差す時間帯だ。


「……むにゃむにゃ、リリアうるさい」


 今度は反対側の部屋から小石さんが出てきた。
 さらに、いくつかの部屋の扉が開かれ、中の住民達がちらちらとこちらの様子を伺ってきた。


「ちっ」


 それを見て、短髪のSPが舌打ちする。
 そしてポケットからスマホを取り出し、どこかに連絡を取ろうとした。


「ああ、寮監室に連絡を取るのだな。それならば心配いらぬ、今私の方から真知子先生にメールをしておいた。すぐに来るだろう」
「……む」


 短髪SPはリリアをしばし睨みつけると、黙ってスマホをポケットにしまった。
 リリアの言ったことをためらいなく信じたのだ。
 何か……魔法的な能力によるものかもしれないと俺は思った。


 そしてリリアの言葉の意味するところ。
 それは、もうすぐここに真知子先生がやってきて、俺たちを部屋に連れ戻すということ。
 リリアはこれ以上、俺たちを関わらせたくないのだ。
 でも……。


「今日はもう遅い、明日は授業もある。早く部屋に帰って眠るのだ」
「リリア……でも」
「そのおにぎりを一個ここに置いて……な?」
「お前……」


 リリアの食い意地にげんなりとする。
 しかし残念ながら、このおにぎりはお前に食わせるために作ったのではないのだ。
 お前のために作ったものではあるのだけれど。


「五日君! ヒロミ君!」


 共用棟の方から、真知子先生の声が響いてきた。


「何をやっているの!? こんなところで!」


 先生は見るからに青ざめた顔をしていた。
 さすがに、いつものの保育所の先生的なノリではない。


「すぐに部屋に戻りなさい! お二人には私から謝っておくから」
「でも先生! 俺どうしても我慢ならないんだ!」


 ヒロミ君が食って掛かる。


「小石ちゃんとリリアちゃんが、どっか連れて行かれちゃうかもしれないんだぜ? 先生はそれでなんともないのかよ!?」
「し、仕方ないじゃない! 国が決めることに逆らえるわけが……。それに、このお二人に迷惑をかけたって、どうにもならないわ!」


 そして真知子先生は、SPの二人にペコリと頭を下げた。
 俺はそんな先生の『大人の対応』に、何故だかカチンと来てしまった。
 先生だけには、大人になりきらない何かを持っていて欲しかった。
 そんな期待があったのかもしれない。


「俺は、迷惑かけようだなんて思ってないです!」
「五日君?」
「俺はただ、二人がお腹空かしてるんじゃないかって、心配になっただけです!」
「そんなこと五日君は気にしなくていいのよ……!?」
「でも、気になって夜もろくに眠れなかったんです!」


 半分は口からでまかせだった。
 でも、一晩中寝ずに監視にあたっている二人のことが心配にならなかったわけではないのだ。
 それが恐ろしくきつい作業であることは、想像に難くなかったから。


「そ、そんなことを言ったら……先生だって夜中の仕事は小腹が空いて大変よ?」
「じゃあ、今度真知子先生にも作ってあげますよ」


 俺はおにぎりの入ったバスケットを掲げつつ言う。


「なんたって俺の二つ名は『料理当番クッキングヒーターですからね!』
「く、くっきんぐ……?」
「そこ、通してください!」
「え、ちょっと! 五日君!?」


 いい感じにしどろもどろになっている真知子先生を押しのけて、俺はSPの二人につめよった。
 今なら行ける気がしたのだ。


「一口で良いんで食ってください! それで俺の気は済みますから!」


 これまでの人生で、最高の気迫を纏っていたと思う。
 傍らにいたヒロミ君が、おおと嘆息する声が聞こえた。
 他に誇れるものなど何もないけど、こと料理に関しては譲れないものがある。
 美味い飯を前にすれば、人は誰でも等しく従順になるのだ。


「く……」


 俺がぐいぐいとバスケットを押し付けると、二人は一歩後ろに引き下がった。
 押している? しがない高校生でしかない俺が、おにぎりの力のおかげてプロの大人達を押している?
 やっぱり食い物の力は凄いんだ……。
 妙な自信が湧いてきた俺は、そのままさらにつめよっていった。


 二人の背中が壁にぶつかる。
 その時だった。


「わ、わかったよ」
「仕方がない……」


 苦しげな顔をしながら二人の男は、やれやれと首を振りつつそう言った。
 俺は胸のうちでガッツポーズをとった。


「よっしゃ! やったぜ五日!」


 ヒロミ君はあけっぴろげにガッツポーズをとっていたけど。


「い、いいんですか?」


 明らかに狼狽した様子で二人に問いかける真知子先生。
 しかしSP達はそれをやんわり手の平で制すると、おもむろに俺のバスケットに手を伸ばしてきた。


「毒は入っていないな」
「ああ問題ない」


 丸刈りの方の人が、おにぎりを一瞥しただけで断定してきた。
 おそらくは、危険物を見分けるとか、そういった能力を持っているのだろう。


「よしじゃあ」
「食ってやるか」


 そして二人は、思いがけないほど豪快に、がぶりと食いついたのだった。


「もぐもぐもぐ」
「もぐもぐもぐ」


 スクラップを粉砕する機械のように淡々と、おにぎりが咀嚼されていく。
 そして二人ののどを滑り落ち……。


「むおっ!?」
「こ、これは!?」


 奇跡となって戻ってきた。
 全身をわなわなと震わせつつ、二口目に食らいつく男達。
 やがてその全身が純粋な食欲に満たされて、ただの食べる機械と化していく。
 これが、これこそが、俺のもてる最高の武器なのだ。


「な、なんと……」


 リリアが目を見開いていた。
 真知子先生は口をポカンと開けたままだった。


「おにぎりを……食べてる……」


 小石さんが眠そうな様子でつぶやいた。
 合計6個あったおにぎりが全部なくなるのに、そう時間はかからなかった。
 途中で喉つっかえしそうになった二人に、やかんのお茶を注いで渡してあげたりもした。


「ふう……」
「食ったなあ……」


 やがて二人は、満足げな表情とともにそう言った。


「小さい頃、お袋がつくってくれた握り飯を思い出したよ……」
「ああ、このおにぎりは、そんな味のするおにぎりだ……」


 そしてどこか遠い目になっていた。


「作戦成功だな! 五日!」
「あ、ああ……」


 いまいち実感がわかないが。


「さすがは五日の飯だ!」
「お、おう!」


 ひとまず俺は、ヒロミ君と手を叩き合わせた。
 これで何がどうなるわけでもないのだけれど、一仕事やり遂げた達成感が確かにあったから。









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