魔法学園の料理当番
2
焼けた石の上に手をおいて過ごす一分は果てしなく長い。
これは以前、小石さんが俺に教えてくれたことだ。
では、それが一分ではなく一時間だったとしたら。
それは果てしないなんてものじゃない、永遠に近しい時間に感じられるはずだ。
「遅い……」
部屋の片隅で体育座りをしているヒロミ君がポツリつぶやいた。
いつだって日向で寝転んでいる猫のようにくったくのない彼が、今日だけは冷え冷えとしたオーラを放っている。
今、この場にいるのは彼と俺と、そして七日の三人だけ。
抜き打ち検査の対象は小石さん一人だったのだけど、強引にリリアもついていった。
今頃、政府の特殊車両の中で、魔力検査が行われているのだろう。
時計の長針がちょうど一週した頃、ようやく部屋の扉がノックされた。
「いま……もどった」
「どうだった!? リリアちゃん!」
まるで覇気のない、しょぼくれた様子のリリアが一人で戻ってきた。
そして食いつくようなヒロミ君の問いかけに対して、だまって首を横に振った。
「政府の職員どもはみな、私が読心能力を持つことを良く知っている。その対策は完璧だったよ。恐らくは車両内の魔力計測室の中にいる職員のみが、計測結果を知っているのだろう。もちろん、小石本人にも知らされてはいない」
「け、計測って……小石先輩、怖い目にあったりしてませんよね?」
「ああ、それに関しては大丈夫だ。七日君や五日が以前受けたものとまったく同じものだからな」
俺と七日が魔法使い認定された時も、パラボラアンテナのついたごっついバスの中に閉じ込められて色んな質問をされたものだった。
全体がまるごとレーダーアレイになっている部屋があって、その中で魔法仕掛けの嘘発見器を取り付けられて、色んな質問を小一時間にわたってされるのだ。
俺はその部屋の中で魔法の炎を実際に出してみせたのだが、世の中には自分が魔法使いであることを認めない人だっているのだろう。
あの計測室はいわば、現在の魔女狩り装置だ。
「小石の魔力が計測される可能性は低い。今まで何度も同じような検査を受けて、くぐり抜けてきたのだからな。小石の心は今は丸ごとこちらの体にある。何をどうしたところで、魔力など検出されるわけもないのだ」
「そうだよな……いままでずっと隠し通してこれたんだもんな」
確信めいたことを言いながらも、リリアもヒロミ君も元気がない。
俺も正直、いやな予感しかしなかった。
今までが大丈夫だったとしても、これからも大丈夫だとは限らないのではないだろうか。
そんな考えが、脳裏からぬぐいきれないのだ。
「と、とりあえず何か食べて落ち着きましょうよ、リリア先輩……」
七日がみんなを元気付けようと、無理にはしゃいで言う。
テーブルの上には、まだお菓子がたくさん散らばっている。
俺はしなびけたフライドポテトを手にとると、殆ど反射的に魔法の炎を照射しようとしてしまった。
さっきまでさんざっぱら、そうやってきたから。
「……はっ」
俺の魔法の炎には、心を回復させる力がある。
そのことを思い起こして、心底ゾッとした。
もしかして……俺のせいで。
俺の魔法のせいで、小石さんの魔力が回復してしまっていたら……。
「五日よ!」
「うおっ!?」
リリアは俺のすぐ目の前で膝をつくと、がっちりと両肩をつかんできた。
「お前のせいなどではない……。この先どんなことが起ころうと、お前が私達に美味いものを作ってくれた恩義は絶対に忘れぬ!」
「り、リリア……」
「だからけして自分を責めるな……よいな、五日」
「あ、ああ……」
有無を言わさぬ気迫だった。
どんな些細なことも人のせいにしたりはしない。リリアはそんな奴なのだ。
しかしおそらくそれは、リリアだけの意志ではないだろうと俺は直感していた。
今のリリアの背後にだぶって見えたのは、間違いなく小石さんの心だったのだから。
「そういえば、小石さんは……?」
検査は終わったのだろう?
今は一体どうしているのか。
「小石は……自室で軟禁状態にある」
「な、軟禁!?」
七日がひっくり返った声を出す。
おそらく意味はわかっていないと思うが、それが物々しい行為であることは感じとったのだろう。
「小石の部屋の前に二人、寮の全ての出入り口に数人のSP。そして学生寮の周辺警戒にあたっている魔法能力持ちの職員の数が倍増された」
「これまで、小石ちゃんが検査を受けたときと同じだな状況」
「ああ、小石が検査結果を恐れて学生寮から逃げ出すのではないかと警戒しておるのだ。検査結果が陰性であれば、軟禁状態は解除されるのだが……」
「な、軟禁ってさあ……」
小石さんの自由とか、尊厳とかはどうなるんだろう。
俺には国家権力という比類なく強固な牢獄の中で一人佇む、小石さんの姿しか思い浮かばないのだが。
「度の過ぎた力を持つというのはそういうことなのだよ、五日。検査結果と、それに基づく閣議決定を待つ……それだけが我々に許された行為だ」
「閣議……」
この国で最高位の意思決定機関。
話しが大きすぎて、その凄さを実感できないほどだ。
しかし実感できないほどの高みにあるその組織が、現実に、俺たちの世界を統括している。
ただ、首筋に冷たい汗だけが伝い落ちていく。
「祈るしかないってことか……」
そして永遠ともいえる沈黙が場を支配する。
目の前に積まれたお菓子の山に手を出そうとする者など、いるわけもなかった。
* * *
嫌がる七日を無理やり中等部寮まで送り返した。
その途中で、例のパラボラアンテナのついた特殊車両が俺たちのすぐ側を走り抜けていったのだが、七日はそれはもう忌々しげな表情でそれを睨みつけていた。
やれやれと思いつつ天晴寮に戻ってくると、玄関の近くに数人のスーツ姿の政府職員がたむろしていた。
もっとこう、ビシッとしているのかと思いきや、雑談などをしたりとどこか余裕な様子だ。
「むっ……」
何となくカチンとくる。
ここに住み始めてまだ2週間しかたっていないけど、自分達の領域で見知らぬ大人が我が物顔でいるというのは、正直気分の良いものではないな。
玄関に入って上履きに履き替えると、近くの自販機の前のベンチに数名の男子寮生が座っていた。
みんな、外にいる政府職員が気になっているようで、どことなくソワソワしていた。
「よし……」
俺はまっすぐには自室に向かわず、暗黙の了解で足を運びにくくなっている女子棟の方に歩いていった。
今なら大義名分があるのだ。
小石さんの部屋の前に陣取っているという二名のSPを見物……いや監視すると言う名目が。
通路の曲がり角までまで来たところで、女子棟特有の甘ったるい香りが漂ってきた。
男の部屋からはまずしないような類の香りだ。
部屋の前に貼られている名札も、お洒落な木彫りの名札だったり、フラワーアレンジが施されていたり、色々と女の子らしいことになっている。
俺の部屋のなんて、コピー用紙にマジックで書いただけの名札なのだがな。
小石さんの部屋は女子棟一階の一番奥にある一人部屋だ。
今にして思えば、こうなることを見越しての処置だったのだろう。
通路の一番奥には非常口があって、学生寮の裏門がそのすぐ目の前だ。
誰にも知られず、ひっそりと小石さんを連れ出すにはもってこいの場所だと俺は思った。
「そーっと……」
息を潜めて小石さんの部屋のある位置を注視する。
確かに二人、意外なほどに細身の男の人が立っていた。
まさに直立不動の姿勢で、物々しい威圧感を放っている。
仮にも俺たちの生活空間に、あのような異質な存在があってよいものだろうか。
そう思わずにはいられなかった。
小石さんだけじゃなく、近くの部屋の女子だって迷惑だろうに。
「……やっぱり来てたかのか」
「ヒロミ君!?」
「だけじゃないぜ?」
「……はっ!」
振り向けばいつのまにか、ほぼ全ての男子寮生が集まってきていた。
「誰かが一番に切り込むのを、みんな待ってたんだぜ?」
「!?」
俺が愕然とした表情でいると、そこにいた男子全員がグッドサインを送ってきた。
『『GJ!』』
「べべべ、別に一番乗りしようと思ったわけじゃないよ!?」
――うわあ、本当にいるよ。
――小石ちゃん、気の毒にな……。
――俺、女子棟の通路って始めてみた……案外さっぱりしてんのな。
――すうーはあー、ああー、いいにおいがするなー。
みんな口々に色んなことをつぶやく。
俺たちの存在はすでにあちらには筒抜けのようで、SPのうち一人がちらちらとこちらの様子を伺ってきていた。
――何とかして追い出せねえかな。
――誰かが注意をひきつけてくれれば、俺が背後から襟つかんで投げ飛ばしてやるぜ?
――だれか重力系の魔法つかえねえか? 山中が技をかけやすくなるかもしれねえ
――はあはあ、たまらん、女子のスメール、たまらんのお、くんかくんか。
『『!?』』
俺たちは一斉に後ろを振り向いた。
明らかに異質な存在が一人、そこにはいた。
「いい歳こいた男どもがそろいもそろって、エロいことしか頭にないのか!」
リリアだった。
さっきからハアハアとかクンカクンカとか言ってたのお前か!
『『え、エロいことなんて考えてないわ!!』』
男どもの声が綺麗に重なった。
そうだぞリリア、みんな小石さんのことが心配なんだ。
俺が、いや俺たちが、そうやって心の声を伝えていると、リリアはやれやれと首を振った。
「……これだからお子様は。お前達が何人束になろうとも、あのSPどころか玄関先でぶらぶらしている政府職員すら倒せはしないぞ。全員魔法能力持ちで、特殊な訓練を受けている者たちなのだからな」
「う、うう……」
むさくるしいだけの俺たち男どもは、ただリリアの告げる真実の前に狼狽するしかなかった。
「でもよおリリアちゃん!」
今日もぶれることなく柔道着姿の山中君がリリアに迫る。
「こんなん、どう考えたっておかしいだろう!? 人権侵害もいいところだ!」
そうだそうだ!
全員が息をそろえて抗議した。
「人権侵害ではなく保護行為なのだ。どうすることもできんよ……国の最高意思決定機関が、小石を保護せよと言っているのだ」
「なんで保護されなきゃいけないんだよ! だれもそんなこと頼んでないだろう!?」
そうだそうだ!
俺たちの生活は俺たちで守る!
ただ暑苦しいだけがとりえの若い男達は、威勢だけは一人前だ。
「仕方あるまいに。我々はまだ未成年なのだからな。小石の保護を誰よりも願っているのは他でもない、両親なのだ」
「うっ……」
これだけ雁首そろえて、誰もリリアを論破できない。
自分達がまだ子供なのだと突きつけられて、みな苦々しい表情を浮かべた。
「そうか、お前達はそんなに小石のことを助けたいのか」
「そりゃあ、普通はそうだろう……」
みんな、血も涙もない冷血漢ではないのだ。
むしろ魔法使いになっちまった男達には、暑苦しい人が多いように感じられる。
それが、特別な力を授かったという密やかな自信から来るものなのか、ただマジカ君の影響を受けているだけなのか、その辺りは良くわからないけど、とにかく目の前で生きる自由を奪われてようとしている女の子を前にして、平然としていられる人達ではないのだ。
「……ならばお前達は、その気持ちをどうかずっと忘れないでいてくれ」
ただそれだけ言って、リリアは女子棟にある自室に向けて歩いていく。
その横顔は寂しげではあったが、妙にすっきりしているようにも感じられた。
「そうすれば必ずや、良い魔法使いになれるだろうかららな」
「リリア……」
みんな、何か偉大なものでも見送るように沈黙していた。
リリアの部屋は小石さんの部屋の向かいで、一人部屋だ。
なんだかんだと、あの二人は特別なのだ。
そう、みんながひしひし感じているのが良くわかった。
――お?
自室に入る前に、リリアは10秒ほどじっと二人のSPを睨みつけていた。
腕力でも、魔力でも、権力でも、何一つ勝ち目のない。
それはネズミとゾウの睨み合いだった。
――おお……。
しかし最後の瞬間、何らかの要素が勝ったのか、リリアが二人の気迫を押し返したように見えた。
俺たちの目には見えない、心と心のやりとりがあったのかもしれない。
傍目には一対二の状況だったけど、小石さんの心もあわせれば二対二だ。
そのあたりも、影響したのかもしれない。
そうしてリリアが自室の中へと消えてゆき、通路は再びしんと静まり返る。
彼女の見えない戦いを見送った男達は、一人、また一人とその場を去っていった。
恐らくは、どうしようもない無力感と悔しさを胸の内に秘めながら。
その最後の一人が立ち去っても、俺はまだそこから離れる気にはならなかった。
「何か……出来ることはないのか」
まだ高校生になったばかりの俺にでも出来る、何かが。
この世に魔法があるというのなら、奇跡の一つでも起こせないのか。
ただ俺たちを苛め苦しめるだけの魔法なら、いらないというのに。
どうしてこう世の中は、こんなにも都合悪く……。
「くそっ……!」
たまには役に立って見せろってんだ、魔法!
俺はいてもたってもいられず、通路の壁を蹴っ飛ばす。
「五日」
そんな俺の肩に乗せられる手のひら。
「ヒロミ君……」
「ひとまず、戻ろうぜ?」
その糸のような瞳はいつになく優しく、そして決意に満ちているように感じられた。
「うん……」
ああ、ヒロミ君も男なんだな。
普段はスカートばっかり穿いてるけど。
俺は率直にそう思った。
そうして俺は、ヒロミ君の後について自室に戻った。
何があっても小石さんを、そしてリリアを守る。
そんな決意を胸に秘めて。
これは以前、小石さんが俺に教えてくれたことだ。
では、それが一分ではなく一時間だったとしたら。
それは果てしないなんてものじゃない、永遠に近しい時間に感じられるはずだ。
「遅い……」
部屋の片隅で体育座りをしているヒロミ君がポツリつぶやいた。
いつだって日向で寝転んでいる猫のようにくったくのない彼が、今日だけは冷え冷えとしたオーラを放っている。
今、この場にいるのは彼と俺と、そして七日の三人だけ。
抜き打ち検査の対象は小石さん一人だったのだけど、強引にリリアもついていった。
今頃、政府の特殊車両の中で、魔力検査が行われているのだろう。
時計の長針がちょうど一週した頃、ようやく部屋の扉がノックされた。
「いま……もどった」
「どうだった!? リリアちゃん!」
まるで覇気のない、しょぼくれた様子のリリアが一人で戻ってきた。
そして食いつくようなヒロミ君の問いかけに対して、だまって首を横に振った。
「政府の職員どもはみな、私が読心能力を持つことを良く知っている。その対策は完璧だったよ。恐らくは車両内の魔力計測室の中にいる職員のみが、計測結果を知っているのだろう。もちろん、小石本人にも知らされてはいない」
「け、計測って……小石先輩、怖い目にあったりしてませんよね?」
「ああ、それに関しては大丈夫だ。七日君や五日が以前受けたものとまったく同じものだからな」
俺と七日が魔法使い認定された時も、パラボラアンテナのついたごっついバスの中に閉じ込められて色んな質問をされたものだった。
全体がまるごとレーダーアレイになっている部屋があって、その中で魔法仕掛けの嘘発見器を取り付けられて、色んな質問を小一時間にわたってされるのだ。
俺はその部屋の中で魔法の炎を実際に出してみせたのだが、世の中には自分が魔法使いであることを認めない人だっているのだろう。
あの計測室はいわば、現在の魔女狩り装置だ。
「小石の魔力が計測される可能性は低い。今まで何度も同じような検査を受けて、くぐり抜けてきたのだからな。小石の心は今は丸ごとこちらの体にある。何をどうしたところで、魔力など検出されるわけもないのだ」
「そうだよな……いままでずっと隠し通してこれたんだもんな」
確信めいたことを言いながらも、リリアもヒロミ君も元気がない。
俺も正直、いやな予感しかしなかった。
今までが大丈夫だったとしても、これからも大丈夫だとは限らないのではないだろうか。
そんな考えが、脳裏からぬぐいきれないのだ。
「と、とりあえず何か食べて落ち着きましょうよ、リリア先輩……」
七日がみんなを元気付けようと、無理にはしゃいで言う。
テーブルの上には、まだお菓子がたくさん散らばっている。
俺はしなびけたフライドポテトを手にとると、殆ど反射的に魔法の炎を照射しようとしてしまった。
さっきまでさんざっぱら、そうやってきたから。
「……はっ」
俺の魔法の炎には、心を回復させる力がある。
そのことを思い起こして、心底ゾッとした。
もしかして……俺のせいで。
俺の魔法のせいで、小石さんの魔力が回復してしまっていたら……。
「五日よ!」
「うおっ!?」
リリアは俺のすぐ目の前で膝をつくと、がっちりと両肩をつかんできた。
「お前のせいなどではない……。この先どんなことが起ころうと、お前が私達に美味いものを作ってくれた恩義は絶対に忘れぬ!」
「り、リリア……」
「だからけして自分を責めるな……よいな、五日」
「あ、ああ……」
有無を言わさぬ気迫だった。
どんな些細なことも人のせいにしたりはしない。リリアはそんな奴なのだ。
しかしおそらくそれは、リリアだけの意志ではないだろうと俺は直感していた。
今のリリアの背後にだぶって見えたのは、間違いなく小石さんの心だったのだから。
「そういえば、小石さんは……?」
検査は終わったのだろう?
今は一体どうしているのか。
「小石は……自室で軟禁状態にある」
「な、軟禁!?」
七日がひっくり返った声を出す。
おそらく意味はわかっていないと思うが、それが物々しい行為であることは感じとったのだろう。
「小石の部屋の前に二人、寮の全ての出入り口に数人のSP。そして学生寮の周辺警戒にあたっている魔法能力持ちの職員の数が倍増された」
「これまで、小石ちゃんが検査を受けたときと同じだな状況」
「ああ、小石が検査結果を恐れて学生寮から逃げ出すのではないかと警戒しておるのだ。検査結果が陰性であれば、軟禁状態は解除されるのだが……」
「な、軟禁ってさあ……」
小石さんの自由とか、尊厳とかはどうなるんだろう。
俺には国家権力という比類なく強固な牢獄の中で一人佇む、小石さんの姿しか思い浮かばないのだが。
「度の過ぎた力を持つというのはそういうことなのだよ、五日。検査結果と、それに基づく閣議決定を待つ……それだけが我々に許された行為だ」
「閣議……」
この国で最高位の意思決定機関。
話しが大きすぎて、その凄さを実感できないほどだ。
しかし実感できないほどの高みにあるその組織が、現実に、俺たちの世界を統括している。
ただ、首筋に冷たい汗だけが伝い落ちていく。
「祈るしかないってことか……」
そして永遠ともいえる沈黙が場を支配する。
目の前に積まれたお菓子の山に手を出そうとする者など、いるわけもなかった。
* * *
嫌がる七日を無理やり中等部寮まで送り返した。
その途中で、例のパラボラアンテナのついた特殊車両が俺たちのすぐ側を走り抜けていったのだが、七日はそれはもう忌々しげな表情でそれを睨みつけていた。
やれやれと思いつつ天晴寮に戻ってくると、玄関の近くに数人のスーツ姿の政府職員がたむろしていた。
もっとこう、ビシッとしているのかと思いきや、雑談などをしたりとどこか余裕な様子だ。
「むっ……」
何となくカチンとくる。
ここに住み始めてまだ2週間しかたっていないけど、自分達の領域で見知らぬ大人が我が物顔でいるというのは、正直気分の良いものではないな。
玄関に入って上履きに履き替えると、近くの自販機の前のベンチに数名の男子寮生が座っていた。
みんな、外にいる政府職員が気になっているようで、どことなくソワソワしていた。
「よし……」
俺はまっすぐには自室に向かわず、暗黙の了解で足を運びにくくなっている女子棟の方に歩いていった。
今なら大義名分があるのだ。
小石さんの部屋の前に陣取っているという二名のSPを見物……いや監視すると言う名目が。
通路の曲がり角までまで来たところで、女子棟特有の甘ったるい香りが漂ってきた。
男の部屋からはまずしないような類の香りだ。
部屋の前に貼られている名札も、お洒落な木彫りの名札だったり、フラワーアレンジが施されていたり、色々と女の子らしいことになっている。
俺の部屋のなんて、コピー用紙にマジックで書いただけの名札なのだがな。
小石さんの部屋は女子棟一階の一番奥にある一人部屋だ。
今にして思えば、こうなることを見越しての処置だったのだろう。
通路の一番奥には非常口があって、学生寮の裏門がそのすぐ目の前だ。
誰にも知られず、ひっそりと小石さんを連れ出すにはもってこいの場所だと俺は思った。
「そーっと……」
息を潜めて小石さんの部屋のある位置を注視する。
確かに二人、意外なほどに細身の男の人が立っていた。
まさに直立不動の姿勢で、物々しい威圧感を放っている。
仮にも俺たちの生活空間に、あのような異質な存在があってよいものだろうか。
そう思わずにはいられなかった。
小石さんだけじゃなく、近くの部屋の女子だって迷惑だろうに。
「……やっぱり来てたかのか」
「ヒロミ君!?」
「だけじゃないぜ?」
「……はっ!」
振り向けばいつのまにか、ほぼ全ての男子寮生が集まってきていた。
「誰かが一番に切り込むのを、みんな待ってたんだぜ?」
「!?」
俺が愕然とした表情でいると、そこにいた男子全員がグッドサインを送ってきた。
『『GJ!』』
「べべべ、別に一番乗りしようと思ったわけじゃないよ!?」
――うわあ、本当にいるよ。
――小石ちゃん、気の毒にな……。
――俺、女子棟の通路って始めてみた……案外さっぱりしてんのな。
――すうーはあー、ああー、いいにおいがするなー。
みんな口々に色んなことをつぶやく。
俺たちの存在はすでにあちらには筒抜けのようで、SPのうち一人がちらちらとこちらの様子を伺ってきていた。
――何とかして追い出せねえかな。
――誰かが注意をひきつけてくれれば、俺が背後から襟つかんで投げ飛ばしてやるぜ?
――だれか重力系の魔法つかえねえか? 山中が技をかけやすくなるかもしれねえ
――はあはあ、たまらん、女子のスメール、たまらんのお、くんかくんか。
『『!?』』
俺たちは一斉に後ろを振り向いた。
明らかに異質な存在が一人、そこにはいた。
「いい歳こいた男どもがそろいもそろって、エロいことしか頭にないのか!」
リリアだった。
さっきからハアハアとかクンカクンカとか言ってたのお前か!
『『え、エロいことなんて考えてないわ!!』』
男どもの声が綺麗に重なった。
そうだぞリリア、みんな小石さんのことが心配なんだ。
俺が、いや俺たちが、そうやって心の声を伝えていると、リリアはやれやれと首を振った。
「……これだからお子様は。お前達が何人束になろうとも、あのSPどころか玄関先でぶらぶらしている政府職員すら倒せはしないぞ。全員魔法能力持ちで、特殊な訓練を受けている者たちなのだからな」
「う、うう……」
むさくるしいだけの俺たち男どもは、ただリリアの告げる真実の前に狼狽するしかなかった。
「でもよおリリアちゃん!」
今日もぶれることなく柔道着姿の山中君がリリアに迫る。
「こんなん、どう考えたっておかしいだろう!? 人権侵害もいいところだ!」
そうだそうだ!
全員が息をそろえて抗議した。
「人権侵害ではなく保護行為なのだ。どうすることもできんよ……国の最高意思決定機関が、小石を保護せよと言っているのだ」
「なんで保護されなきゃいけないんだよ! だれもそんなこと頼んでないだろう!?」
そうだそうだ!
俺たちの生活は俺たちで守る!
ただ暑苦しいだけがとりえの若い男達は、威勢だけは一人前だ。
「仕方あるまいに。我々はまだ未成年なのだからな。小石の保護を誰よりも願っているのは他でもない、両親なのだ」
「うっ……」
これだけ雁首そろえて、誰もリリアを論破できない。
自分達がまだ子供なのだと突きつけられて、みな苦々しい表情を浮かべた。
「そうか、お前達はそんなに小石のことを助けたいのか」
「そりゃあ、普通はそうだろう……」
みんな、血も涙もない冷血漢ではないのだ。
むしろ魔法使いになっちまった男達には、暑苦しい人が多いように感じられる。
それが、特別な力を授かったという密やかな自信から来るものなのか、ただマジカ君の影響を受けているだけなのか、その辺りは良くわからないけど、とにかく目の前で生きる自由を奪われてようとしている女の子を前にして、平然としていられる人達ではないのだ。
「……ならばお前達は、その気持ちをどうかずっと忘れないでいてくれ」
ただそれだけ言って、リリアは女子棟にある自室に向けて歩いていく。
その横顔は寂しげではあったが、妙にすっきりしているようにも感じられた。
「そうすれば必ずや、良い魔法使いになれるだろうかららな」
「リリア……」
みんな、何か偉大なものでも見送るように沈黙していた。
リリアの部屋は小石さんの部屋の向かいで、一人部屋だ。
なんだかんだと、あの二人は特別なのだ。
そう、みんながひしひし感じているのが良くわかった。
――お?
自室に入る前に、リリアは10秒ほどじっと二人のSPを睨みつけていた。
腕力でも、魔力でも、権力でも、何一つ勝ち目のない。
それはネズミとゾウの睨み合いだった。
――おお……。
しかし最後の瞬間、何らかの要素が勝ったのか、リリアが二人の気迫を押し返したように見えた。
俺たちの目には見えない、心と心のやりとりがあったのかもしれない。
傍目には一対二の状況だったけど、小石さんの心もあわせれば二対二だ。
そのあたりも、影響したのかもしれない。
そうしてリリアが自室の中へと消えてゆき、通路は再びしんと静まり返る。
彼女の見えない戦いを見送った男達は、一人、また一人とその場を去っていった。
恐らくは、どうしようもない無力感と悔しさを胸の内に秘めながら。
その最後の一人が立ち去っても、俺はまだそこから離れる気にはならなかった。
「何か……出来ることはないのか」
まだ高校生になったばかりの俺にでも出来る、何かが。
この世に魔法があるというのなら、奇跡の一つでも起こせないのか。
ただ俺たちを苛め苦しめるだけの魔法なら、いらないというのに。
どうしてこう世の中は、こんなにも都合悪く……。
「くそっ……!」
たまには役に立って見せろってんだ、魔法!
俺はいてもたってもいられず、通路の壁を蹴っ飛ばす。
「五日」
そんな俺の肩に乗せられる手のひら。
「ヒロミ君……」
「ひとまず、戻ろうぜ?」
その糸のような瞳はいつになく優しく、そして決意に満ちているように感じられた。
「うん……」
ああ、ヒロミ君も男なんだな。
普段はスカートばっかり穿いてるけど。
俺は率直にそう思った。
そうして俺は、ヒロミ君の後について自室に戻った。
何があっても小石さんを、そしてリリアを守る。
そんな決意を胸に秘めて。
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