魔法学園の料理当番

ナガハシ

 人間は大雑把に4つのタイプに分類できると俺は思っている。


 1、浅く狭く考える人。
 2、深く狭く考える人。
 3、浅く広く考える人。
 4、深く広く考える人。


 1は混雑しているファミレスでも平気で無茶な注文をするような人
 2は周りのことを気にせず、自らの世界に没頭できる人。
 3は社交的だが、自分の考えをあまり持っていない人。
 そして4は……。


「うつら……うつら……」


 まさに小石さんのような人だった。
 深くて広い、超広大な領域にまで思考の軸索を伸ばし、ただひたすら考え続ける人。
 ともすれば、何も考えずにボーっとしているようにも見えてしまうし、周囲の人にはなかなか理解されない、まさに哲学者だ。
 先ほどの海苔巻きご飯をめぐるやりとりで、俺は何となくそれがわかってしまった。


 小石さんが眠そうにしているのは、その超広大な領域に、殆どの意識をもってかれているからなのだと。


「それで……私は五日の海苔を食えばよいのだな?」
「………こくり」


 かくんと、首がもげて落ちそうな頷きを小石さんは返した。
 俺は海苔を一枚手にとると、魔法の炎でシュッと炙って渡した。


「では……」


 炙った海苔をわさび醤油に浸し、シナシナにならないうちにご飯に巻いて口にいれる。
 ただそれだけのことのために、リリアの額に冷や汗が伝っていた。


「はむっ…………パリパリ…………もぐもぐ」


 神妙な面持ちで俺の海苔を咀嚼するリリア。
 固唾を飲んで様子を見守るみんな。
 そして。


「むう……美味いと言えば美味いが……これは何の変哲もないただの海苔だ……」


 平然とした様子でそう言ってのけるリリアだが、その場にいた誰もが見逃すはずもなかった。
 リリアの頬に、一筋、また一筋と雫がつたう。


「……なのに…………なのに何故、こんなにも胸が苦しいのだ」
「言っとくが、毒なんて入ってないからな」
「うむ……おそらくこれが……私の本当の心なのだろうな」


 リリアはそのまま3口ほど海苔巻きご飯を食べた。
 そして箸を置き、正面に座っている小石さんの顔を見た。


「リリア」
「ノアよ……」


 いつの間にか眠り姫ではなくなっている小石さん。
 二人はまるで、数年ぶりに再会した親友同士のような面持ちで見つめ合っている。


「4年ぶりか」
「うん、こうして『完全な心』を向き合わせて話をするのは」


 神妙な会話を始めた二人を、七日が産卵中のシャケみたいな顔で眺めていた。
 少し落ち着け。


「どうやら、随分と世話になってしまったようだな、ノア」
「ううん、私がこうして普通に暮らせているのは、みんなリリアのおかげ」


 どこか悲しげな微笑みを浮かべる小石さん。
 しかしリリアは、苦しげな様子で首を横に振った。


「いいや、私がしたことはただのやぶれかぶれ……精神的な自殺にすぎん。その後、抜け殻と化した私の体を上手く使って、ここまで生き延びたのはノア、純粋のお前の機転なのだ」


 テーブルの上に置かれていた手をきつく握り締める。


「私のしたことなど、取るに足りないものだったのだ……!」
「リリア!」


 その握られた拳の上に、小石さんの小さな手のひらが乗せられる。


「リリアにはどんなに感謝をしてもしたりない。そして、謝罪の言葉も……。リリアは私のために心を捨ててしまった。ただ一口の海苔巻きごはんですら、心から味わうことのできない、そんな体になってしまったの」
「ノア……それはお前とて同じことだろう……! 私の体を動かすのにその心の殆どを使ってしまって、おまえ自身の体は抜け殻同然だったのだろう? 私の方こそ、贖罪の言葉が見つからないほどだ!」
「リリア!」
「ああ! ノア!」


 感極まった様子で二人は立ち上がった。
 そして繋いだ両手と両手をさらにきつく結んだのだった。


「五日」
「五日よ」


 こちらに視線を送ってくる二人。
 俺は神妙な心持ちで、その言葉を待った。


「ありがとう」
「感謝するぞ」
「……は、はい!?」


 もっと照れくさい気持ちになるかと思ったが全然違った。
 神社の境内で手を合わせている時のような、しゃっきりとした気持ちに俺はなった。
 やがて視線を戻す二人。


「だがこの先、何事もなく平穏無事とはいかないだろうな」
「うん、まだリリアには心を失った状態でいてもらわなければならない」
「ふ……そうだな。五日の美味い飯を『心から』堪能するのは、しばしお預けだ」
「残念だけれど、仕方がない。私達の大切な世界を守るために」
「我々の大切な仲間達を守るために」
「守るために」


 きつく結ばれていた両手と両手が切り離される。
 二人とも、まるで電池の切れたロボットみたいに、くたりと椅子に崩れ落ちる。
 完全なシャットダウン、やがてリリアだけが目を覚ます。


「どうやら全てを話す時がきてしまったようだ」


 ゆるりとこちらを見据えてきたリリアの瞳は、いつもの輝きを取り戻しているようだった。


「あ、あのぉー……」


 不束者な我が妹が、プルプル震えながら手を上げた。


「小石先輩がぁ……これはぁ……」
「すやり……すやり……」


 いつもは眠そうにしているだけの小石さんが、完全に寝入ってしまっていた。


「ふふふ、そっちの体は休ませてやってくれ。説明はこっちの体でも出来るから問題ない」
「も、問題ないって……ええ!?」


 七日がリリアと小石さんの顔を交互に見る。


「……えええっ!?」


 そこには心の入れ替え可能な二つの体があるようにしか、今の俺たちには見えない。


「エエエエエエエエエエ!?」


 やがて妹の叫び声が、食堂ホールいっぱいに響き渡った。




 * * *




「それは私達が小学6年生の時、つまり保護研における最後の年の話だ」


 そして『リリア』は語りだす。


「小石は、保護研に『保護』された時から、電子妖精シルフィードのコードネームを与えられ、厳重な監視下に置かれていた。無線機器類を含む全ての電子機器を意のままに操るその能力が、他の能力者とは比較にならないほどに危険視されていたからだ。そのために小石は、中等部に進学できるかどうかが危うかったのだ。専用の施設に隔離するべきだという論争が、当時の政府内で巻き起こっていた」


 物心ついたときからずっと一緒に過ごしてきたリリアにとって、それは看過できない問題であったことは想像に難くない。


「施設の職員からも、小石と同じ学校に進学することは難しいだろうと言われた。私は考え付く限りの手段を用いて事態を打開しようと努めたが、当時まだ幼く、施設内に閉じ込められていた私に、政治のメインストリームまで動かすほどの力はなかった。いま、こうして小石の力を借り、『心奪者ハートキャプチャー』の力を得た今でさえ、それは絶望的に困難なことなのだからな」


 政治の主流を変えるというのはつまり、日本という国の行く先自体を変えるということだ。
 1億数千の意志を動かす、それは惑星の軌道を変えようとするようなものだろう。


「追い詰められた私は、そこで苦肉の策に打って出た。なんらかの方法で私の心を『消滅』させ、抜け殻となった私の体に小石の心を『憑依』させようと、私は試みたのだ」


 小6の女の子が考えるようなことじゃなかった。
 色々と疑問が湧いてきたので、俺はリリアに聞いてみる。


「その憑依っていうのはどういう理屈で出来るものなんだ? 小石さんの能力は電子機器限定なんじゃないのかよ?」
「心を失った肉体は電子機器と変わらないのだ。材料がシリコンとたんぱく質の違いであるだけでな」
「……そうか」


 質問したことを後悔するような返答だったが、仕方がない。
 そういうものなのだと受け入れるしかないのだろうな。


「ただし、普通の電子機器より何億倍も複雑であることに変わりはない。小石の精神をまるごと受け入れるだけの容量があれば、その心をも保存できるのではないかと私は考えたのだ」
「……そうやって心を保存して、小石さんの心だけでも中学に進学させようっていう作戦だったのか」
「そうだ、愚かであると罵ってくれてかまわん」


 愚か……確かに愚かとしか言いようがない。
 それではリリア自身が救われないではないか。
 そして、小石さんの気持ちすらも。
 昔から、人に尽くしすぎる奴だったんだな……。


「それで、どうやって心を消滅させたんだ?」
「台風を使った」


 予想外のキーワードだった。
 ヒロミ君が身を乗り出して聞き返す。


「台風だって? 台風ってまさか……あの時の台風か!?」
「そうだヒロミ。日本中の……いや世界中の気象学者を仰天させた、あの逆進消滅現象を起こした台風のことだ」


 七日が俺の袖をクイクイと引っ張ってくる。


「ねえお兄ちゃん……それニュースで見たことあるよ」
「ああ……俺も覚えている」


 今から4年前の9月、日本に上陸しつつあった台風が突如方向転換し、太平洋上にまで押し返されて自然消滅した、特異的気象事象。
 まさか、あれが……。


「そうだ、アレは私がやったのだ」
「…………」
「私は自分の心と引き換えに、台風を一つ消滅させたのだよ」


 全員が絶句した。
 台風のエネルギーに匹敵する程のリリアの魔力と、そうまでして心を消滅させたかったリリアの意志、その両方に。


「ここは語り手を変えるべきだろう。私はしばし眠りにつく」


 と言ってリリアは目を閉じ、すやすやと寝息を立て始めた。
 それと入れ替わるようにして、小石さんがパッチリと目を覚ました。


「9月のある日の朝、目を覚ますとリリアが目の前に立っていた。読心能力も持っていた私は、すぐにリリアがもぬけの殻になっていることに気が付いた。そして、その意味するところも」


 小石さんは目を閉じると、静かに首を横に振った。


「あんなに悲しい気持ちになったのは、後にも先にも、きっとない。そして悔しくもあった。どうして一言でも私に相談してくれなかったのかと。私だけが特別な施設に隔離されることも、覚悟は出来ていた。どんなに辛い日々でも、いつかリリアが助けに来てくれるのならきっと耐えられるって、そうリリアに伝えようと思っていた、その矢先の出来事だったから」


 さぞかし無念だっただろうと思う。
 七日が胸の前でぎゅっと拳を握り締め、涙を堪えている姿が横目に映る。


「そして私は決意した。いつか必ず、リリアの心を取り戻してみせると。それから私は、リリアの体に憑依して、リリアとしての生活を送り始めた。そして、あることに気が付いた。この心を完全にリリアに乗り移らせると、元の体では魔法的な反応の一切がなくなることに。そして私は賭けにでたの」
「……ここから小石ちゃんの、一世一代の名演技が始まるんだな?」


 ヒロミ君が熱い口調で問いかけると、小石さんはただ一つ、確信的な頷きを返した。


「みんなと離れ離れになるくらいなら、死んだほうがまし――そう遺書に書き残して、私は感電自殺を試みた。もちろん、心はリリアの体に移し変えて。断線させた電気コードを胸に貼り付けて、倒れこむ時の衝撃でスイッチが入るようにした。私の体は心肺停止状態で病院に運ばれた。そして……」
「そのショックで魔法が使えなくなった……ってことにしたのか」


 ヒロミ君の問いかけに、小石さんは黙ってうなずく。
 俺たちの口から嘆息がこぼれた。
 小石さんの自殺未遂が施設職員や政府関係者に与えた衝撃は凄まじかっただろう。
 その上、見かけ上は魔法の力を失ったわけだ。
 これではもはや、小石さんを隔離する理由がない。


「それから保護研を卒業するまで私は、心があったときのようにリリアを動かし続けた。喋り方の癖や、些細な仕草まで再現して、誰にも気づかれないように努めた。それと平行して私自身の体も、通常の学校に進学できるくらいには活動させる必要があった。これは、とても大変なことで……たぶん、施設の人達の何人かにはバレてしまっていたと思う。こうして無事に高等部までこれたことは、運が良かったとしか言い様がない」


 ヒロミ君が腕をくんで頷いた。
 彼もおそらく、気づいていた人の一人なのだ。


「俺がどんだけリリアちゃんの世話になったか……そりゃあ、気づくさ」
「……ありがとう雛田君、あなたには何度も助けられた」
「あったりまえよ! 二人とも俺の大切な『友達』なんだからな!」


 その言葉を受けて、小石さんの目もとに心からの笑顔が浮かんだ。
 七日はもう堪えきれずに涙腺崩壊していた。
 俺はといえば、エロ本を教えてもらった件を思い出して、微妙な気持ちになっていた。


「小石先輩!」
「……七日ちゃん?」
「抱きしめていいですか!」
「え?」


 次の瞬間には、七日は小石さんに抱きついていた。
 妹よ、小石さんはまだ、良いとは言っていない。
 そしてしばらくワンワン泣いた後、今度は眠っているリリアに向き直った。


「リリア先輩も!」
「……了解」


 小石さんはそう言ってすぐに眠りについた。
 そしてリリアが目覚める。


「先輩! 愛してます! 大好きです!」
「うおお!? な、何事だ!」


 しばらくジタバタしていたリリアだが、やがて俺を見てこう言った。


「五日よ、よくぞここまで育て上げた……な。中学生とは思えぬ成長ぶりよ……」
「!? おいっ!」


 どこさわってる!?
 どさくさにまぎれて胸をまさぐるリリアから、俺は七日を引き剥がしたのだった。




 * * *




「けふんっ、そしてリリアの最後の謎なわけなのだが……」
「ふむ、そうだな」
心奪者ハートキャプチャーの能力、それはやっぱり、小石さんの魔力の影響なのか」
「そうとも言えるが、それだけではないようなのだ。正直言ってこの能力には、私自身よくわかっていない部分が多い」


 と言ってリリアは、外国人のようなジェスチャーをした。
 先ほどの小石さんの話だと、今目の前にいるリリアは、実は小石さんだということになるのだが。


「端的に言えば、私は小石であると同時にリリアなのだ」
「……さっぱりわからん」
「わかるわけがなかろう。量子力学を極めた物理学者であれば、その片鱗くらいは理解できるかもしれないが……とにかく、そういうレベルの話なのだ」


 じゃあ、わからないということで良しとしておこう。


「心を失ったと言っても、記憶まで失ったわけではない。幼いころの記憶も、台風とともに心を消滅させた時の記憶も、そして小石に操られていたであろう時期の記憶も、みな私の中にある」
「記憶と心は別物……ってことか」
「然り。心を消耗しすぎて自分を失っている時の状況は、この間お前に実地で教えてやったであろう? 例のプールサイドでの件だ」


 例のプールとか言うな、なんだか響きがいかがわしいだろう。


「むう……」
「茫然自失とした状態であっても、その記憶までは失われておらんだろう? つまり、心と記憶は別物なのだ。どこからどこまで自分の心による行動で、小石に心に操られての行動なのか、私自身にはさっぱり区別が付かない。記憶は確実に継承されているのだが」
「……ん? ちょっとまてリリア、お前の心は『消滅』したんじゃなかったのか?」


 心が消滅するとか、ちょっと言ってて寒気がするんだが……。
 しかしリリアはニヤリと笑った。


「多少は回復してきておるのだよ、時の流れとともにな。今はまだ、小石の補助なくしてはまともに動けんようだが」
「!?」


 ヒロミ君と七日の表情が一気に明るくなった。
 まるで闇の中に一筋の光が差し込んだような気持ちだった。


「特に私は、人の注目を浴びている時にに心が活性化するようなのだ。そして、大規模な魔法もその時だけは使用可能になる。お前にはもうわかるな……五日よ」
「ああ……」


 プールサイドでリリアが俺に見せてくれた奇跡のことだ。
 あの時は、俺のリリアに対する強い関心がリリアの心を活性化させて、一時的にその魔力を高めていたのだろう。
 そのことを知っていたからこそ、小石さんは俺に『あれは五日がいたから』と言ってきたのだ。


 見た目上、リリアは俺の心を奪ったように見える。
 しかし実際には奪っていなかったのかもしれない。
 ただ俺とリリアがそれぞれ勝手に盛り上がって、心を強めたりすり減らしたりしていただけなのかもしれない。 


 二人の間に、見えないケーブルがあったのかなかったのか。
 それはきっと誰にもわからないことだ。
 あると言えばある、ないと言えばない。
 そのどっちでもあるもの。


 それが、心というものなんだろうから。


 本来ならば台風をも消し去る程の魔力を秘めているリリアは、何らかの方法で心を回復させさえすれば、それで魔法を使えてしまう。
 類稀な才能を持ちながら、数奇な経緯でその才能を失ってしまったリリア。
 そんな彼女だからこそ獲得しえた能力、そして二つ名。
 それが心奪者ハートキャプチャーだったのだ。


「よろしい、花丸満点をあげようではないか」


 と言ってリリアがしたたかに笑う。


「なぜ他者の関心が私の心を活性化させるのか、それだけは永遠の謎なのだがな」


 それこそ、魔法みたいなもんだろうと、俺は思った。


「つまり心奪者ハートキャプチャーの能力は、リリアちゃんの心の回復の表れでもあるわけか」
「その通りだヒロミ。そして五日の魔法によって炙られた海苔には、一時的に心を完全回復させる効果があるようだ」
「さっきのリリアちゃんと小石ちゃんの様子からして……30秒ってところか?」
「うむ。まさに4年ぶりの心の再会をさせてもらったよ」


 俺の炎にそんな効果があるとは、小石さんにも見抜けなかったのだろう。
 そして図らずも今日の朝食会で、その効果を知ることになってしまった。
 俺の海苔のせいで、リリア達が過去を吐露する運びになってしまった。
 そう思うと、少し申し訳ない気がして俺は――


「マジか……」


 と、思わず定番セリフをつぶやいてしまう。


「……あ」


 すかさず手で口を覆うが、どうやらもう遅かったようだ。
 リリアとヒロミ君と七日が、真剣な目で俺の顔を見つめてきた。
 そして。


「マジなんてものじゃないぞ五日よ!」
「マジなんてもんじゃないよお兄ちゃん!」
「マジとかそういうレベルじゃねえ!」
「ううっ……!」


 一斉にがなり立てられる。
 自覚のない自分の一言に対する気恥ずかしさだけが、この心を吹き抜けていった。


「スヤスヤ……」


 小石さんだけが心地よさそうな寝息を立てていた。











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