魔法学園の料理当番
4
変な時間に寝たせいで、夜になって目が冴えてしまった。
「クカー、すぴー」
「ヒロミ君……」
スカートをはいたままへそ丸出しで眠っているヒロミ君の布団を直してから、俺はとりあえず洗面所へと向かう。
「ふう……」
手と顔を洗ってさっぱりとする。
明かりは洗面所の蛍光灯だけ、寮全体が鎮まり返っている。
どこから入り込んだのか、一匹の小さな蛾が、蛍光灯の光と格闘している。
以前そうしたように、玄関ロビーに置かれている自販機の前に行き、近くのベンチに腰掛けた。
そして、いつぞやのように物思いにふける。
窓の向こうを流星のように去っていくヘッドライト。
女子棟へと続く、奇妙に薄暗い通路。
そして、目を閉じればありありと思い浮かぶ、リリアの面影……。
「くっ!」
期待してしまっている自分に気づく。
こうしじっと目を閉じていれば、こっちの心を見透かしたあの魔女っ子がそろそろと忍び寄ってきて、気づかぬうちに目の前まで来ているのではなかろうか……と。
「ぐぬぬ……」
自分の情けなさと女々しさに気が滅入り、俺は思わず頭を抱えてしまった。
どうやら俺は、ホームシックならぬ、リリアシックにかかってしまったらしい。
ホームシックはリリアが治してくれた。
では、リリアシックは一体誰が治してくれるのだろうか?
ヒロミ君か? 七日か? それとも担任の真知子先生か?
否、そんな都合の良い相手などいるわけもないのだ。
これは流石に、俺自身の力で乗り越えるしかないのだろう。
頑張れ俺、負けるな俺。
リリアに頼ってばかりじゃ男がすたる。
あいつだって色々大変なんだ。
俺がここで頑張らなくてどうするんだ。
いつぞやのように、そう自分で自分を励ましてみる。
サンドウィッチを作ってやったり、心を丸ごと食わせてやったり。
ともすれば他人のために心身をすり減らし過ぎてしまうあいつの美味しいご飯として。
俺は精一杯、これからもやっていかなければならないのだ。
こんなことで、心をすり減らしていていけないのだ。
「すぅーーはぁーー」
大きく息を吸って、ゆっくりと吐いていく。
強くなれ、強くなるんだと自分に言い聞かせながら。
よし、もう大丈夫。
きっと大丈夫。
早く部屋に戻って眠りにつこう。
そう思いつつ俺は、孤独に立ち向かうための揺ぎ無い決意とともに顔を上げ――。
「じいぃぃーー……」
「!?」
そして、メデューサに睨まれた戦士のように、石になってしまった。
* * *
「こ、ここ……小石さん?」
「そう、私は小石……小石ノア」
「うん、知ってる……」
ご丁寧にフルネームで名乗ってきた小石さんは、いままで見てきた小石さんとは明らかに雰囲気が違っていた。
まず第一に、全然眠そうじゃなかった。こんな夜更けにも関わらずだ。
そして第二に、スク水魔女の姿をしていた。
訳がわからないことに、いつぞやのリリアがしていた格好とまったく同じだった。
強いて違いを挙げるとするならば、胸元が多少たぼついているくらいか。
「チョップ」
「うっ!?」
すると小石さんは、いきなり俺にチョップをかましてきた。
「失礼なことを考えないで欲しい」
「……す、すみません」
どうやら心を読まれたみたいだ。
暗に、小石さんのバストサイズをディスってしまった。
というか、こんなにも力強いつっこみをしてくる人だったのか、小石さんって。
なんだかもう、意外なことだらけだな。
「どうしてこんな夜更けに……?」
しかもそんな格好で?
「この服はリリアから奪ってきた」
「え……? えっえっ?」
「リリアが……またこんなハレンチな姿で生放送しようとしてたから、奪ってきた」
「ほあ……?」
つまり、リリアの友達として思うところがあったってわけか?
確かにハレンチなことは褒められたことではないけど。
でもなんで小石さんが着ているのか。
「ならば私の代わりにスク水配信をしろと言われた、それで仕方なく」
着たわけか。
「近頃のリリアはよくわからない。ちなみにこれは本当に着ただけ、配信はしていない」
少しホッとするな……でもリリアは?
「今は寝ている」
「そう、か……」
「ぐっすりと」
疲れてたみたいだもんな。
というか、俺のせいなんだが。
「って……あれ?」
途轍もない違和感に襲われたのはその時だった。
何か重要なことを見落としているような感覚だ。
今日、リリアが一口目に食べたサンドウィッチは?
「ツナサンド」
リリアのライブのあと、ヒロミ君と話したことは?
「男の子の秘密」
今夜のヒロミ君の寝巻きは?
「マジカ君エアロファイティグモード」
「えええええ!?」
そして俺はようやく、その驚愕の事実に気づいたのだった。
「小石さん……魔法で俺の心を……!?」
読んでいる!?
恐る恐るそう聞くと、小石さんはだまって頷いてきた。
つまり、魔法は使えないと言っていた小石さんは、実は魔法を使えたということなのだ!
「隣……座っていい?」
「あ、あわわ……」
俺はわけがわからないまま、ひとまず小石さんが座るスペースを空けた。
すると小石さんは、殆ど俺にぴったりとくっつくような距離で座ってきた。
「…………」
「…………」
そしてジイイィと俺の顔を見つめてきた。
どういうことなんだ?
小石さんは実は魔法が使えた。
しかし、何故使えない振りをしていたのか。
どんなに頭をひねってもわからない。
俺の思考は、ただひたすらに混乱するのみだ。
「…………」
「…………」
そうして1分ばかしの沈黙が流れた。
こんな夜更けに、出会って間もない女子に凝視されつつ、沈黙の1分間を過ごす。
それがこんなにも長い時間に感じるなんて思いもよらなかった。
授業中の50分間よりも、果てしなく長く感じられるくらいだった。
「相対性理論」
「は?」
突如、小石さんの口から発せられた言葉を、俺はまるで飲み込むことが出来なかった。
「アインシュタインが言っていたこと。焼けた石の上に手を置いて過ごす1分間は、恋人と過ごす一分間より果てしなく長い……それが相対性理論」
「………??」
何を言っているのかは良くわからなかったが、小石さんが確実に俺の思考を読んでいることだけはわかった。
「出会って間もない相手と過ごす1分間は、焼けた石の上に手を置いて過ごす1分間と変わらない。でも、その長い長い1分間は、私にとってかけがえのない1分……」
「……いや……その」
そこまで苦痛な時間だとは思わなかったけど……。
ただ、意表をつかれたといか、まったく心の準備が出来てなかったというか。
「五日は私のことを嫌いじゃない、それは知っている」
「うん……まあ」
「むしろ気になっている。気になって仕方がない」
「…………」
色々と誤解のある言い方だが……。
でも何となくわかってきた。
小石さんは、今の1分間で俺の人となりを把握していたのだ。
魔法が使えて、人の心が読める小石さんなら、そういったことも出来るはずだから。
「保護研時代の……二人の話を聞いたんだ、リリアから。それで、俺は……」
二人のことが気になって……。
「でも、私が魔法を使えなくなった理由までは聞いていない」
「……う、うん」
「でも私は、魔法を使えなくなったわけではない」
「……う、うん?」
頭がこんがらがるような言い方だった。
小石さんは、一体俺に何を……?
「一つ聞いていい」
「……うん」
「七月五日、あなたは――」
小石さんの、今まで見たことのないような凛々しい視線が俺を貫いた。
こんなにも力強い、そして澄み切った目をしているなんて、いままで全然気が付かなかった。
それはまるで、ダイヤモンドの原石のような輝きと、そして頑なさをもった瞳……。
そして。
「上来リリアのことを愛していますか?」
「…………」
そして俺は再び石と化した。
こんなにもド直球な質問を、俺は後にも先にも聞くことないだろうと思った。
* * *
恋しいだかとか、好きだとか。
そんな質問ならまだわかるんだ。
しかし、いきなり『愛』と来た。
まだ高校生になったばかりの若造に、愛など語れるものだろうか。
「わかっている。でもあえて問う」
再び、照射されるダイヤ色の眼光。
「愛していますか、と」
「…………」
もはや是非もなかった。
小石さんはどことなく大人びているところがあると思っていた。しかし、今目の前にいる小石さんは、そんな俺の認識を遥かに凌駕していた。
その身に大きな使命と責任を背負った者、背負い続けてきた者のみが持つ気迫とでもいうのだろうか。
そんな気迫がこめられた眼差しで真剣に問いかけられれば、こっちだって真剣に向き合わなければならないだろう。
「むむむ……」
思わずうなってしまう。
おそらくは命がけの質問だ。そんな気がする。
何がそこまで彼女を駆り立てるのかはわからない。しかし、今の小石さんを見ていると、とにかく命がけで必死なんだなという印象しか浮かんでこないのだ。
こちらとしても真摯に答えなければ、それこそ天罰が下るだろう。
だから俺は答えようと努めた。可能な限り真剣に、偽りのない心のままに。
「リリアは……たぶん、魔法使いになっちまった俺に、最初に助けの手を差し伸べてくれた奴なんだ」
公衆の面前で人間椅子にされた時のことを思い出す。
今にして思えばあれは、これからの新生活に大きな不安を抱いていた俺の気持ちを、これ以上なく吹き飛ばしてくれていたように思う。
俺がホームシックに陥っていた時だって、ジャストなタイミングで駆けつけてくれて、そうして怪しげなトークと仕草で慰めてくれたのだろう。
今となってはそれは、恩義と呼ぶしかないものだ。
「それに、あいつの生き様を俺は……尊敬に値するものだとも思っている」
いままで幼き魔法使いの人権を守るために奔走してきたあいつの生き様は、尊敬という言葉以外では言い表せないものだろう。
恩義を感じ、尊敬もしている。
しかし、それだけでは、愛と呼ぶには何かが足りない。
「そして俺は……」
そう言って、小石さんの曇りなき瞳を見る。
そこには磨きたての鏡のような鮮明さで、俺自身を映し出す二つの宝石がある。
「そして五日は」
「そして俺は……」
あいつの力になってやりたい――。
そう心の底から願っている。
絶えず側にいて、その支えになってやりたいと願っている。
この気持ちは……この気持ちはもしかすると――。
「いやでも……」
でもこの気持ちは、リリアによって誘導されたものに他ならないのだ。
その相手を愛するように、恋焦がれるようにと誘導された感情……それはきっと、愛とは呼べないものだ。
そんなこと、高1の俺にだってわかる。
だから。
「ごめん……小石さん……。どうして小石さんがそんなことを聞くのかはわからないけど、俺はやっぱりリリアのことは……」
「違う、五日の想いは本当のもの」
「え……」
「リリアは魔法なんか使っていない。ましてや、五日の心を支配しようなどとは思っていないから」
一瞬、胸の中がすっからかんになる。
実際リリアは、俺の心を読んで、自分の思い通りに操って、俺を虜にしたのではないのか?
「なぜならば……リリアは魔法を使えないのだから」
「……!?」
天地が逆さまになったような衝撃だった。
ちょっとまて。
じゃあ、プールサイドで俺に見せてくれたあの奇跡は一体何だったんだ?
「あれは……五日がいたから。リリアは純粋に……五日のことを……」
しかし、途中まで言いかけて小石さんはゆるゆると首を振った。
「でも、今はとにかく信じて欲しい。リリアの気持ちを、そして五日、あなた自身の心の中にある……想いを」
「小石さん……」
「いつか……全部話せる日が来ると思うから」
そこまで言うと、小石さんは立ち上がった。
「今日、あなたに話せることはここまで。今聞いたことは誰にも話さないで」
それは、リリアを除いて……という意味なんだろうな。
俺が心の内でそう問いかけると、小石さんはその時初めて、うっすらとではあるが微笑みを浮かべたのだった。
「あなたのことは信じている……お願い、リリアを助けてあげて」
「……うん」
俺がそう答えると、小石さんもう何も言わずに俺に背を向け、女子棟に向かって歩いていく。
リリアから奪ったというスク水とニーソと黒マントが、小石さんの歩行にあわせてだぼだぼと揺れていた。
その様子は何故か、小石さんがリリアを背負って運んでいるように、俺は見えたのだった。
小石さんは、自分とリリアに関する重要なことを、俺に伝えに来たのだろうか?
そして、俺が信頼に値する人物かどうか、いままでずっと見定めていたのだろうか?
小石さんが実は魔法を使えるとか、逆にリリアが魔法を使えないとか、むしろそんなことはどうでも良いことだとさえ、不思議と俺は思っていた。
それは恐らく、小石さんが本心で語りかけてきたからだろう。
いつもは教室で眠そうにしている、心の周囲に濃い霧が立ち込めた感じでいる小石さんは違って。
本心で。
「小石さん!」
気づけば俺は、その小さな背中に呼びかけていた。
歩行を止め、どこか不安げな様子で振り向いてくる小石さんに俺は。
「今度の休み、みんなで朝ごはんを作って食べようと思っているんだ。リリアと、ヒロミ君と、あとうちの妹も呼んで」
「…………」
小石さんは身じろぎひとつせず俺の言葉を聞いていた。
その瞳の奥にたたずむ光が、ほんの僅かだけ揺れたような気がしたけど。
「だからその……小石さんも……良かったらどうかな!?」
「…………」
そうして俺は、しばし小石さんと見つめあった。
時間にして1分間ほどだったろうか。
でものその時間は、先ほどの1分間よりはかなり短いものになっていた。
焼けた石が、いつの間にか暖かい石に変わっていたのだ。
「……気が向いたら」
「うん、気が向いたら」
はいでもいいえでもないけれど、その答えを聞けただけで、俺はなんだかホッとした。
そして、もう難しく考え込まないことにした。
リリアと小石さんが俺を信頼してくれているというのなら。
今はそれで良いのだろう。
気づけば時計の針が0時を過ぎていた。
部屋に戻ろう。
そして眠ろう。
俺に純粋に、そう思った。
「クカー、すぴー」
「ヒロミ君……」
スカートをはいたままへそ丸出しで眠っているヒロミ君の布団を直してから、俺はとりあえず洗面所へと向かう。
「ふう……」
手と顔を洗ってさっぱりとする。
明かりは洗面所の蛍光灯だけ、寮全体が鎮まり返っている。
どこから入り込んだのか、一匹の小さな蛾が、蛍光灯の光と格闘している。
以前そうしたように、玄関ロビーに置かれている自販機の前に行き、近くのベンチに腰掛けた。
そして、いつぞやのように物思いにふける。
窓の向こうを流星のように去っていくヘッドライト。
女子棟へと続く、奇妙に薄暗い通路。
そして、目を閉じればありありと思い浮かぶ、リリアの面影……。
「くっ!」
期待してしまっている自分に気づく。
こうしじっと目を閉じていれば、こっちの心を見透かしたあの魔女っ子がそろそろと忍び寄ってきて、気づかぬうちに目の前まで来ているのではなかろうか……と。
「ぐぬぬ……」
自分の情けなさと女々しさに気が滅入り、俺は思わず頭を抱えてしまった。
どうやら俺は、ホームシックならぬ、リリアシックにかかってしまったらしい。
ホームシックはリリアが治してくれた。
では、リリアシックは一体誰が治してくれるのだろうか?
ヒロミ君か? 七日か? それとも担任の真知子先生か?
否、そんな都合の良い相手などいるわけもないのだ。
これは流石に、俺自身の力で乗り越えるしかないのだろう。
頑張れ俺、負けるな俺。
リリアに頼ってばかりじゃ男がすたる。
あいつだって色々大変なんだ。
俺がここで頑張らなくてどうするんだ。
いつぞやのように、そう自分で自分を励ましてみる。
サンドウィッチを作ってやったり、心を丸ごと食わせてやったり。
ともすれば他人のために心身をすり減らし過ぎてしまうあいつの美味しいご飯として。
俺は精一杯、これからもやっていかなければならないのだ。
こんなことで、心をすり減らしていていけないのだ。
「すぅーーはぁーー」
大きく息を吸って、ゆっくりと吐いていく。
強くなれ、強くなるんだと自分に言い聞かせながら。
よし、もう大丈夫。
きっと大丈夫。
早く部屋に戻って眠りにつこう。
そう思いつつ俺は、孤独に立ち向かうための揺ぎ無い決意とともに顔を上げ――。
「じいぃぃーー……」
「!?」
そして、メデューサに睨まれた戦士のように、石になってしまった。
* * *
「こ、ここ……小石さん?」
「そう、私は小石……小石ノア」
「うん、知ってる……」
ご丁寧にフルネームで名乗ってきた小石さんは、いままで見てきた小石さんとは明らかに雰囲気が違っていた。
まず第一に、全然眠そうじゃなかった。こんな夜更けにも関わらずだ。
そして第二に、スク水魔女の姿をしていた。
訳がわからないことに、いつぞやのリリアがしていた格好とまったく同じだった。
強いて違いを挙げるとするならば、胸元が多少たぼついているくらいか。
「チョップ」
「うっ!?」
すると小石さんは、いきなり俺にチョップをかましてきた。
「失礼なことを考えないで欲しい」
「……す、すみません」
どうやら心を読まれたみたいだ。
暗に、小石さんのバストサイズをディスってしまった。
というか、こんなにも力強いつっこみをしてくる人だったのか、小石さんって。
なんだかもう、意外なことだらけだな。
「どうしてこんな夜更けに……?」
しかもそんな格好で?
「この服はリリアから奪ってきた」
「え……? えっえっ?」
「リリアが……またこんなハレンチな姿で生放送しようとしてたから、奪ってきた」
「ほあ……?」
つまり、リリアの友達として思うところがあったってわけか?
確かにハレンチなことは褒められたことではないけど。
でもなんで小石さんが着ているのか。
「ならば私の代わりにスク水配信をしろと言われた、それで仕方なく」
着たわけか。
「近頃のリリアはよくわからない。ちなみにこれは本当に着ただけ、配信はしていない」
少しホッとするな……でもリリアは?
「今は寝ている」
「そう、か……」
「ぐっすりと」
疲れてたみたいだもんな。
というか、俺のせいなんだが。
「って……あれ?」
途轍もない違和感に襲われたのはその時だった。
何か重要なことを見落としているような感覚だ。
今日、リリアが一口目に食べたサンドウィッチは?
「ツナサンド」
リリアのライブのあと、ヒロミ君と話したことは?
「男の子の秘密」
今夜のヒロミ君の寝巻きは?
「マジカ君エアロファイティグモード」
「えええええ!?」
そして俺はようやく、その驚愕の事実に気づいたのだった。
「小石さん……魔法で俺の心を……!?」
読んでいる!?
恐る恐るそう聞くと、小石さんはだまって頷いてきた。
つまり、魔法は使えないと言っていた小石さんは、実は魔法を使えたということなのだ!
「隣……座っていい?」
「あ、あわわ……」
俺はわけがわからないまま、ひとまず小石さんが座るスペースを空けた。
すると小石さんは、殆ど俺にぴったりとくっつくような距離で座ってきた。
「…………」
「…………」
そしてジイイィと俺の顔を見つめてきた。
どういうことなんだ?
小石さんは実は魔法が使えた。
しかし、何故使えない振りをしていたのか。
どんなに頭をひねってもわからない。
俺の思考は、ただひたすらに混乱するのみだ。
「…………」
「…………」
そうして1分ばかしの沈黙が流れた。
こんな夜更けに、出会って間もない女子に凝視されつつ、沈黙の1分間を過ごす。
それがこんなにも長い時間に感じるなんて思いもよらなかった。
授業中の50分間よりも、果てしなく長く感じられるくらいだった。
「相対性理論」
「は?」
突如、小石さんの口から発せられた言葉を、俺はまるで飲み込むことが出来なかった。
「アインシュタインが言っていたこと。焼けた石の上に手を置いて過ごす1分間は、恋人と過ごす一分間より果てしなく長い……それが相対性理論」
「………??」
何を言っているのかは良くわからなかったが、小石さんが確実に俺の思考を読んでいることだけはわかった。
「出会って間もない相手と過ごす1分間は、焼けた石の上に手を置いて過ごす1分間と変わらない。でも、その長い長い1分間は、私にとってかけがえのない1分……」
「……いや……その」
そこまで苦痛な時間だとは思わなかったけど……。
ただ、意表をつかれたといか、まったく心の準備が出来てなかったというか。
「五日は私のことを嫌いじゃない、それは知っている」
「うん……まあ」
「むしろ気になっている。気になって仕方がない」
「…………」
色々と誤解のある言い方だが……。
でも何となくわかってきた。
小石さんは、今の1分間で俺の人となりを把握していたのだ。
魔法が使えて、人の心が読める小石さんなら、そういったことも出来るはずだから。
「保護研時代の……二人の話を聞いたんだ、リリアから。それで、俺は……」
二人のことが気になって……。
「でも、私が魔法を使えなくなった理由までは聞いていない」
「……う、うん」
「でも私は、魔法を使えなくなったわけではない」
「……う、うん?」
頭がこんがらがるような言い方だった。
小石さんは、一体俺に何を……?
「一つ聞いていい」
「……うん」
「七月五日、あなたは――」
小石さんの、今まで見たことのないような凛々しい視線が俺を貫いた。
こんなにも力強い、そして澄み切った目をしているなんて、いままで全然気が付かなかった。
それはまるで、ダイヤモンドの原石のような輝きと、そして頑なさをもった瞳……。
そして。
「上来リリアのことを愛していますか?」
「…………」
そして俺は再び石と化した。
こんなにもド直球な質問を、俺は後にも先にも聞くことないだろうと思った。
* * *
恋しいだかとか、好きだとか。
そんな質問ならまだわかるんだ。
しかし、いきなり『愛』と来た。
まだ高校生になったばかりの若造に、愛など語れるものだろうか。
「わかっている。でもあえて問う」
再び、照射されるダイヤ色の眼光。
「愛していますか、と」
「…………」
もはや是非もなかった。
小石さんはどことなく大人びているところがあると思っていた。しかし、今目の前にいる小石さんは、そんな俺の認識を遥かに凌駕していた。
その身に大きな使命と責任を背負った者、背負い続けてきた者のみが持つ気迫とでもいうのだろうか。
そんな気迫がこめられた眼差しで真剣に問いかけられれば、こっちだって真剣に向き合わなければならないだろう。
「むむむ……」
思わずうなってしまう。
おそらくは命がけの質問だ。そんな気がする。
何がそこまで彼女を駆り立てるのかはわからない。しかし、今の小石さんを見ていると、とにかく命がけで必死なんだなという印象しか浮かんでこないのだ。
こちらとしても真摯に答えなければ、それこそ天罰が下るだろう。
だから俺は答えようと努めた。可能な限り真剣に、偽りのない心のままに。
「リリアは……たぶん、魔法使いになっちまった俺に、最初に助けの手を差し伸べてくれた奴なんだ」
公衆の面前で人間椅子にされた時のことを思い出す。
今にして思えばあれは、これからの新生活に大きな不安を抱いていた俺の気持ちを、これ以上なく吹き飛ばしてくれていたように思う。
俺がホームシックに陥っていた時だって、ジャストなタイミングで駆けつけてくれて、そうして怪しげなトークと仕草で慰めてくれたのだろう。
今となってはそれは、恩義と呼ぶしかないものだ。
「それに、あいつの生き様を俺は……尊敬に値するものだとも思っている」
いままで幼き魔法使いの人権を守るために奔走してきたあいつの生き様は、尊敬という言葉以外では言い表せないものだろう。
恩義を感じ、尊敬もしている。
しかし、それだけでは、愛と呼ぶには何かが足りない。
「そして俺は……」
そう言って、小石さんの曇りなき瞳を見る。
そこには磨きたての鏡のような鮮明さで、俺自身を映し出す二つの宝石がある。
「そして五日は」
「そして俺は……」
あいつの力になってやりたい――。
そう心の底から願っている。
絶えず側にいて、その支えになってやりたいと願っている。
この気持ちは……この気持ちはもしかすると――。
「いやでも……」
でもこの気持ちは、リリアによって誘導されたものに他ならないのだ。
その相手を愛するように、恋焦がれるようにと誘導された感情……それはきっと、愛とは呼べないものだ。
そんなこと、高1の俺にだってわかる。
だから。
「ごめん……小石さん……。どうして小石さんがそんなことを聞くのかはわからないけど、俺はやっぱりリリアのことは……」
「違う、五日の想いは本当のもの」
「え……」
「リリアは魔法なんか使っていない。ましてや、五日の心を支配しようなどとは思っていないから」
一瞬、胸の中がすっからかんになる。
実際リリアは、俺の心を読んで、自分の思い通りに操って、俺を虜にしたのではないのか?
「なぜならば……リリアは魔法を使えないのだから」
「……!?」
天地が逆さまになったような衝撃だった。
ちょっとまて。
じゃあ、プールサイドで俺に見せてくれたあの奇跡は一体何だったんだ?
「あれは……五日がいたから。リリアは純粋に……五日のことを……」
しかし、途中まで言いかけて小石さんはゆるゆると首を振った。
「でも、今はとにかく信じて欲しい。リリアの気持ちを、そして五日、あなた自身の心の中にある……想いを」
「小石さん……」
「いつか……全部話せる日が来ると思うから」
そこまで言うと、小石さんは立ち上がった。
「今日、あなたに話せることはここまで。今聞いたことは誰にも話さないで」
それは、リリアを除いて……という意味なんだろうな。
俺が心の内でそう問いかけると、小石さんはその時初めて、うっすらとではあるが微笑みを浮かべたのだった。
「あなたのことは信じている……お願い、リリアを助けてあげて」
「……うん」
俺がそう答えると、小石さんもう何も言わずに俺に背を向け、女子棟に向かって歩いていく。
リリアから奪ったというスク水とニーソと黒マントが、小石さんの歩行にあわせてだぼだぼと揺れていた。
その様子は何故か、小石さんがリリアを背負って運んでいるように、俺は見えたのだった。
小石さんは、自分とリリアに関する重要なことを、俺に伝えに来たのだろうか?
そして、俺が信頼に値する人物かどうか、いままでずっと見定めていたのだろうか?
小石さんが実は魔法を使えるとか、逆にリリアが魔法を使えないとか、むしろそんなことはどうでも良いことだとさえ、不思議と俺は思っていた。
それは恐らく、小石さんが本心で語りかけてきたからだろう。
いつもは教室で眠そうにしている、心の周囲に濃い霧が立ち込めた感じでいる小石さんは違って。
本心で。
「小石さん!」
気づけば俺は、その小さな背中に呼びかけていた。
歩行を止め、どこか不安げな様子で振り向いてくる小石さんに俺は。
「今度の休み、みんなで朝ごはんを作って食べようと思っているんだ。リリアと、ヒロミ君と、あとうちの妹も呼んで」
「…………」
小石さんは身じろぎひとつせず俺の言葉を聞いていた。
その瞳の奥にたたずむ光が、ほんの僅かだけ揺れたような気がしたけど。
「だからその……小石さんも……良かったらどうかな!?」
「…………」
そうして俺は、しばし小石さんと見つめあった。
時間にして1分間ほどだったろうか。
でものその時間は、先ほどの1分間よりはかなり短いものになっていた。
焼けた石が、いつの間にか暖かい石に変わっていたのだ。
「……気が向いたら」
「うん、気が向いたら」
はいでもいいえでもないけれど、その答えを聞けただけで、俺はなんだかホッとした。
そして、もう難しく考え込まないことにした。
リリアと小石さんが俺を信頼してくれているというのなら。
今はそれで良いのだろう。
気づけば時計の針が0時を過ぎていた。
部屋に戻ろう。
そして眠ろう。
俺に純粋に、そう思った。
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