魔法学園の料理当番
6
暗くなった街の通りを、七日と二人、並んで歩いていく。
「あー美味しかったー。久しぶりにお兄ちゃんの料理食べたよー」
七日は自分のお腹をポンポンやりながら言う。
俺は今、七日を中等部寮に送ってやっているところだ。
遅くなっちゃったからな。
「こんなんじゃまた体重増えちゃうよ、そしたらお兄ちゃんのせいなんだからね!」
「成長期なんだから仕方ないだろ。ちゃんと食ってちゃんと育てよ」
「ぶー、お兄ちゃんってば、相変わらず女心がわかってないんだからー」
わかってたって、言わなきゃいけないこともあるんだい。
「そういえば、お兄ちゃんは何が出来るようになったんだっけ?」
「ん? ああ、魔法のことな」
俺は前方に手をかざすと、指先に炎の形をイメージした。
「点火」
音も無く、俺の指先に火が灯る。
「わっ、なんだかすごく魔法使いっぽい!」
「これが中火、これが弱火……、そんでもって、これがとろ火」
そう口にしつつ、指先の火力を弱めていく。
かなり細かいコントロールが利くのだ。
そして指先の火を消す。
あんまりやるとクラクラしちゃうからな。
「まさにクッキング・ヒーターだね!」
「間違いなく料理には使えねえけどな」
実際、何の役に立つのかさっぱりわからない。
ライター一本持っておけば済む話だ。
「まったくリリアの奴、変な二つ名つけやがって」
「えー、いい二つ名だと思うけどなー。なんだか親近感あるよ?」
一家に一台ってか!
「七日もちょっと考えたんだー、お兄ちゃんの二つ名」
「ほお、なんて?」
「即席男!」
「却下!」
「きゃう!?」
思わずチョップしてしまった。
クッキングヒーターの方が百倍マシだった……。
「えーん、お兄ちゃんが叩いたー」
「なんか手っ取り早い男みたいじゃないか! しかも滅茶苦茶ザコっぽいじゃないか!」
「えー、三分で伸びちゃうヒーローだよー?」
「伸びちゃうのかよ!?」
ダメじゃないか!
やれやれ……我が妹は相変わらずスットボケだなぁ。
少し歩くと自動販売機があった。
俺はその前で立ち止まる。
「ちょっと待ってろ」
俺はそう言って財布から小銭を取り出す。
そして野菜ジュースを二つ買う。
ほれ、飲んどけ。
「えー、野菜ジュースきらーい」
「だめだ。夕食がカップ焼きそばだけなんて、兄さんは許さんぞ」
「じゃあ美味しくしてよ」
といって野菜ジュースの缶を突きつけてくる我が妹。
んな無茶な!
「大丈夫! カップ麺をあれだけ美味しく作れるお兄ちゃんなら、きっと野菜ジュースも美味しく出来るよ! なんとかしてよ!」
「できるか!」
と言いつつも、すでに俺はその方法を考えてしまっているわけで。
もうこれは、俺の体質みたいなもんだな……やるせない。
近くにベンチがあったので、ひとまず座る。
さて、どうやって調理したもんか。
「振ってみるか……」
俺はカクテルをシェークするような感じで、野菜ジュースの缶を振ってみた。
缶の中でブクブクと音が鳴る。
こうして空気を含ませてやれば、口当たりがまろやかになって美味しくなるかもしれない。
こういうのはイメージが大事だ。
美味しくなれと心で念じつつ、液体の挙動に全神経を注ぐ。
「…………こんなもんか」
勘の底をポンポンと叩き、中身を落ち着かせてから、パキッと缶の蓋を開けた。
「ほら、これで少しは美味くなったんじゃないか?」
缶を七日に渡す。
しかし我が妹は、難しい顔をして缶の飲み口を見つめた、一向に口にしようとしない。
「むー」
「なんだよ、これ以上はどうにもならないぞ?」
薬だと思ってグイっといくんだ。
七日はややしばらく飲み口を覗き込んだ後、ハッと何かに気づいたように顔を上げた。
「ねえお兄ちゃん! その魔法の炎でフランベしてみてよ」
「フランベ?」
何を言い出すかと思えば。
「お兄ちゃんのその魔法を、料理に使ってみて欲しいの! 絶対に美味しくなるよ、間違いないって!」
「むむう?」
急に目を輝かせはじめる妹だが、俺は首を傾げてしまった。
フランベというのはアルコール度数の高い酒をふりかけて燃やし、香り付けを行う調理法だ。
つまりお酒を使わなければ、そもそもフランベとも言えない。
炎を出すだけなんて、それこそ視覚的な演出でしかない。
それで野菜ジュースの味が変わるとも思えんのだが……まあ、気分も味のうちなのかな。
「その缶、そのまま持ってろよ」
と言って俺は、缶の飲み口に指を向けた。
これで妹が野菜ジュースを飲んでくれるなら、安いものだ。
「点火」
「おおおー」
缶の上からメラメラと炎が上がる。
夜の暗がりの中だから、その炎はとても幻想的に、まるでこの世ならざるもののように揺らめいた。
そして、やっぱりというかなんといか、あっけなく消えてしまった。
「ありがとう! じゃあ、頂きまーす」
と言って七日は、ようやく大嫌いな野菜ジュースに口をつける。
「むふ? んんー?」
目をぱちくりさせながら舌の上で野菜ジュースを転がす七日は、ペコちゃんのような顔になっていた。
「どうだ?」
「……普通? 美味しくはないけど、不味くもないよ!」
まあ、そりゃそうだろうな。
「でもちょっと甘くなってる! 気がするだけ?」
「どっちだよ……」
フランベした分ぬるくなって、甘味を強く感じるようになったのかもしれん。
俺も自分の分の野菜ジュースを開けてゴクゴクやった。
わりかし美味いと思うんだけどな、野菜ジュース。
「ねえお兄ちゃん。魔法ってさ、あんまり便利じゃないよね」
「……そうだな」
マンガやアニメのようには、なかなかいかないだろうな。
「実際に魔法の力を身につけちゃった人は、ヒーローにもヒロインにもなれないんだよ。知ってた?」
「まあ、なんとなく想像はしてたよ」
いろんな人の話を聞くかぎり、そんなに良いものでないことはわかっていた。
七日は急に神妙な面持ちになって話しを続ける。
「むしろ魔法を使えるようになった子達は、どんどん世間から隔離されていっちゃうの。そして孤独の中で死ぬまでこの世界の敵と戦い続けるハメになるの…………そう、不条理という名の敵と……」
「七日……?」
「現実っていうのはきっと、そういう風に出来ているんだよね……」
そう言って七日は遠い目をした。
この時の俺の目に、妹の横顔は今までになく大人びて見えた。
しかも良い意味での大人ではなく、言うならばそう、疲れた大人の顔だった。
「なあ、七日」
「なあに?」
「……不条理なんて言葉、知ってたんだな」
「ボディーブロー!」
「ぐふうっ!?」
妹の鉄建がみぞおちに食い込む。
「もうっ、人がまじめな話をしているのに!」
「わ、わりい……」
ふざけたことを言い合ってる俺たちの前を、夥しい数のヘッドライドが行き過ぎていく。
俺はもう余計なことは言わずに、黙って妹の話に耳を傾けることにした。
こういう時の七日には、あまり茶々を入れないほうが良いってことは、長年の経験からわかっていたはずなのだが……。
前に通ってた学校の友達と何かあったんだろうか。
「文通、やめちゃったんだよね。ずいぶん前に」
「えっ?」
それはけっこう意外な言葉だった。
電子機器を使えなくなってしまった七日が、もと居た学校の友達と連絡を取り合うために考えた方法、それが文通だったのだ。
俺と七日が電話で話しをするとき、決まってその話題が持ち上がるものだから、今でも続けているのだと思っていたのだが。
「書くことがね、全然なくなっちゃったの。魔法のことを知っているかぎり全部書いたら、あとはもうなにも……。一緒にお出かけすることも出来ないし、能力のせいでテレビもあまり見れないしパソコンもさわれない。だから話題が全然できないの」
「ああ……」
そうか、文通のこと以外に話すこと少なかったんだ。
七日と電話をしていた時の俺は、さながら魔法使いになる前にいた世界との架け橋みたいなものだったんだな。
「もう、みんなにずいぶん迷惑かけちゃってるって、わかってたから。だからね、思い切ってやめちゃったんだよ」
「いや……でも、寮の電話機だってあるだろ? 壊れないやつが」
中等部寮には、七日のような能力者ために特別頑丈につくられた電話機が設置されている。
俺と両親も、その電話機を使って七日と連絡をとっていたのだ。
「家族でもない人と長電話は出来ないよ。あれは大事な連絡用だから。それにもう……」
何かを言いかけて、七日は口をつぐんだ。
そして思いつめたような目で、両手で握った野菜ジュースの缶を見つめた。
その後に続く言葉は、何となく想像はつく。
七日は七日なりに、魔法使いという立場を受け入れて、新しい人生を歩もうとしているのだろう。
この点に関しては、間違いなく俺より妹の方が先達なのだ。
「……なんか魔法使いって寂しいよ、お兄ちゃん」
かすれ気味の声でそう言って、七日はその頭を俺の肩に預けてきた。
顔が髪に隠れて、その表情は見えないのだけど、かすかにすすり泣くような声だけが聞こえてくる。
「きっと、大丈夫さ」
そして俺は妹を安心させてやりたい一心で、そんな言葉を口にしてしまう。
特に確信があるわけでもなく。
「一人じゃないだろう?」
少なくとも魔法使いは一人ではない。
突然この世に生じてしまった異能のために、信じられないほど多くの人達が力を尽くしてくれているのだ。
ヒロミ君やリリアとだって、すぐに仲良くなれたじゃないか。
何かを無くした分だけ得られるものが、きっとあるはずだ。
「……うん」
すると七日は微かに頷いた。
前を向いて生きていくしかないのだと、自分に言い聞かせでもしているのだろうか。
俺は続ける。
「東京にきて早々、ひどい目に遭わされたりもしたけど、俺は魔法使いになれてよかったと思っているんだ」
「……そうなの?」
「ああ」
こうしてお前のそばに居られるから……とはさすがに口に出せなかったが。
「兄ちゃんって変わってるね」
「まああれだ。俺はお前と違って、高校に進学してすぐに編入になったからな。あんまり前の学校への未練とかないんだよ」
「そう……」
ずっと俺の肩に頭を押し付けていた七日だったが、突然ぎゅっと腕の肉をつねってきた。
「痛っ」
「お兄ちゃんずるいっ」
「そんなこと言われてもな……」
こればかりはタイミングの問題で。
お前は運が悪かったな、としか言いようがないわけで。
「ついてない七日のために、ついているお兄ちゃんは何か良いことをする必要があると思うのです」
「お、おう……?」
「じゃなきゃ不公平なのです。私とお兄ちゃんは兄妹なんだから」
「むむ……」
良くわからない理屈だが、七日がそれで満足するのなら兄としてやぶさかでもない。
「よし、じゃあ何でも一つ言うことを聞こうじゃないか」
「あっ!」
「ん?」
「今、何でもって言ったね! お兄ちゃん!」
言った。確かに間違いなく言った。
しかしこんなとき、妹が大した要求を出してこないことはわかっているのだ。
もう何年兄妹をやっていると思っている。
「ああ、何でもだ。いままで俺が約束やぶったことがあったか?」
「ないよ! 正直さにかけてはお兄ちゃんはまるで馬鹿みたいだもんね!」
「一応、褒め言葉と受けとっておこうか……それで、俺は何をしたらいいんだ?」
と言いつつ、俺は今まで妹に要求されてきたことを思い出す。
寝るまで枕元で本を読んで欲しい。
夜中の3時に出来立てのプリンが食べたい。
パソコンのセットアップ。
お父さんが美味しいそうに飲んでるお酒をこっそり味見……。
そんな他愛もないお願いばっかりだった。
どうせ今度も――。
「どうせ今度も大したお願いはしないって思ってるんでしょ?」
「ああ、もちろん」
「ふふふ、今度こそはお兄ちゃんが困るようなお願いをするんだから」
「おお、言ったな? お兄ちゃんに叶えられない願いなんてないんだぞ。どんとこいよ!」
「あっ、そっちこそ言ったね? 絶対に後悔するんだからね!?」
流石にここまで言い返されたことはなかったので、少し心配になってきた。
「わ、わかったから早く言えよ、ドキドキするじゃないか」
「うふふふ、じゃあ言うからね。一回しか言わないからちゃんと聞いてね」
何となくこの流れのなかで、俺は最低な想像をしてしまった。
魔法使いになって心が弱っている妹と、そこに現れた兄……。
ちょ……流石に兄妹でそれは……とか、そういうんじゃないだろうな……。
俺もシスコン気味ではあるのだが、こいつはこいつでブラコン気味なところがあるからな……。
そんなしょうもないことを想像して、図らずも固唾を飲んでしまった。
「彼女が出来たら、一番に紹介してね」
「…………ファ?」
一瞬、頭が真っ白になった。
実は大したお願いでもないのかもしれないが、想像の範囲をちょっと超えていたので。
「い、今なんて?」
「一回しか言わないって言ったよ!」
七日はそれだけ言うと、再び俺の肩におでこを押し付け、顔を隠してしまった。
彼女……? それはつまり恋人ってことだろうか。
一切のリアリティを伴わないその単語を前に、しばし呆然とする。
人は高校生になったら恋人の一人も出来るものなのだろうか?
「叶えてくれる?」
「う、うーん……?」
それにはまず、俺が彼女とやらを作らなければいけないわけで……。
いまいち実感が湧かない妹の願いを前にして、俺は困惑するより他になかった。
「そ、そうか……わかった」
「うん、よろしくだよ?」
今のところは、そう答えておく。
魔法の方がまだ現実味がありそうな気がした。
「あー美味しかったー。久しぶりにお兄ちゃんの料理食べたよー」
七日は自分のお腹をポンポンやりながら言う。
俺は今、七日を中等部寮に送ってやっているところだ。
遅くなっちゃったからな。
「こんなんじゃまた体重増えちゃうよ、そしたらお兄ちゃんのせいなんだからね!」
「成長期なんだから仕方ないだろ。ちゃんと食ってちゃんと育てよ」
「ぶー、お兄ちゃんってば、相変わらず女心がわかってないんだからー」
わかってたって、言わなきゃいけないこともあるんだい。
「そういえば、お兄ちゃんは何が出来るようになったんだっけ?」
「ん? ああ、魔法のことな」
俺は前方に手をかざすと、指先に炎の形をイメージした。
「点火」
音も無く、俺の指先に火が灯る。
「わっ、なんだかすごく魔法使いっぽい!」
「これが中火、これが弱火……、そんでもって、これがとろ火」
そう口にしつつ、指先の火力を弱めていく。
かなり細かいコントロールが利くのだ。
そして指先の火を消す。
あんまりやるとクラクラしちゃうからな。
「まさにクッキング・ヒーターだね!」
「間違いなく料理には使えねえけどな」
実際、何の役に立つのかさっぱりわからない。
ライター一本持っておけば済む話だ。
「まったくリリアの奴、変な二つ名つけやがって」
「えー、いい二つ名だと思うけどなー。なんだか親近感あるよ?」
一家に一台ってか!
「七日もちょっと考えたんだー、お兄ちゃんの二つ名」
「ほお、なんて?」
「即席男!」
「却下!」
「きゃう!?」
思わずチョップしてしまった。
クッキングヒーターの方が百倍マシだった……。
「えーん、お兄ちゃんが叩いたー」
「なんか手っ取り早い男みたいじゃないか! しかも滅茶苦茶ザコっぽいじゃないか!」
「えー、三分で伸びちゃうヒーローだよー?」
「伸びちゃうのかよ!?」
ダメじゃないか!
やれやれ……我が妹は相変わらずスットボケだなぁ。
少し歩くと自動販売機があった。
俺はその前で立ち止まる。
「ちょっと待ってろ」
俺はそう言って財布から小銭を取り出す。
そして野菜ジュースを二つ買う。
ほれ、飲んどけ。
「えー、野菜ジュースきらーい」
「だめだ。夕食がカップ焼きそばだけなんて、兄さんは許さんぞ」
「じゃあ美味しくしてよ」
といって野菜ジュースの缶を突きつけてくる我が妹。
んな無茶な!
「大丈夫! カップ麺をあれだけ美味しく作れるお兄ちゃんなら、きっと野菜ジュースも美味しく出来るよ! なんとかしてよ!」
「できるか!」
と言いつつも、すでに俺はその方法を考えてしまっているわけで。
もうこれは、俺の体質みたいなもんだな……やるせない。
近くにベンチがあったので、ひとまず座る。
さて、どうやって調理したもんか。
「振ってみるか……」
俺はカクテルをシェークするような感じで、野菜ジュースの缶を振ってみた。
缶の中でブクブクと音が鳴る。
こうして空気を含ませてやれば、口当たりがまろやかになって美味しくなるかもしれない。
こういうのはイメージが大事だ。
美味しくなれと心で念じつつ、液体の挙動に全神経を注ぐ。
「…………こんなもんか」
勘の底をポンポンと叩き、中身を落ち着かせてから、パキッと缶の蓋を開けた。
「ほら、これで少しは美味くなったんじゃないか?」
缶を七日に渡す。
しかし我が妹は、難しい顔をして缶の飲み口を見つめた、一向に口にしようとしない。
「むー」
「なんだよ、これ以上はどうにもならないぞ?」
薬だと思ってグイっといくんだ。
七日はややしばらく飲み口を覗き込んだ後、ハッと何かに気づいたように顔を上げた。
「ねえお兄ちゃん! その魔法の炎でフランベしてみてよ」
「フランベ?」
何を言い出すかと思えば。
「お兄ちゃんのその魔法を、料理に使ってみて欲しいの! 絶対に美味しくなるよ、間違いないって!」
「むむう?」
急に目を輝かせはじめる妹だが、俺は首を傾げてしまった。
フランベというのはアルコール度数の高い酒をふりかけて燃やし、香り付けを行う調理法だ。
つまりお酒を使わなければ、そもそもフランベとも言えない。
炎を出すだけなんて、それこそ視覚的な演出でしかない。
それで野菜ジュースの味が変わるとも思えんのだが……まあ、気分も味のうちなのかな。
「その缶、そのまま持ってろよ」
と言って俺は、缶の飲み口に指を向けた。
これで妹が野菜ジュースを飲んでくれるなら、安いものだ。
「点火」
「おおおー」
缶の上からメラメラと炎が上がる。
夜の暗がりの中だから、その炎はとても幻想的に、まるでこの世ならざるもののように揺らめいた。
そして、やっぱりというかなんといか、あっけなく消えてしまった。
「ありがとう! じゃあ、頂きまーす」
と言って七日は、ようやく大嫌いな野菜ジュースに口をつける。
「むふ? んんー?」
目をぱちくりさせながら舌の上で野菜ジュースを転がす七日は、ペコちゃんのような顔になっていた。
「どうだ?」
「……普通? 美味しくはないけど、不味くもないよ!」
まあ、そりゃそうだろうな。
「でもちょっと甘くなってる! 気がするだけ?」
「どっちだよ……」
フランベした分ぬるくなって、甘味を強く感じるようになったのかもしれん。
俺も自分の分の野菜ジュースを開けてゴクゴクやった。
わりかし美味いと思うんだけどな、野菜ジュース。
「ねえお兄ちゃん。魔法ってさ、あんまり便利じゃないよね」
「……そうだな」
マンガやアニメのようには、なかなかいかないだろうな。
「実際に魔法の力を身につけちゃった人は、ヒーローにもヒロインにもなれないんだよ。知ってた?」
「まあ、なんとなく想像はしてたよ」
いろんな人の話を聞くかぎり、そんなに良いものでないことはわかっていた。
七日は急に神妙な面持ちになって話しを続ける。
「むしろ魔法を使えるようになった子達は、どんどん世間から隔離されていっちゃうの。そして孤独の中で死ぬまでこの世界の敵と戦い続けるハメになるの…………そう、不条理という名の敵と……」
「七日……?」
「現実っていうのはきっと、そういう風に出来ているんだよね……」
そう言って七日は遠い目をした。
この時の俺の目に、妹の横顔は今までになく大人びて見えた。
しかも良い意味での大人ではなく、言うならばそう、疲れた大人の顔だった。
「なあ、七日」
「なあに?」
「……不条理なんて言葉、知ってたんだな」
「ボディーブロー!」
「ぐふうっ!?」
妹の鉄建がみぞおちに食い込む。
「もうっ、人がまじめな話をしているのに!」
「わ、わりい……」
ふざけたことを言い合ってる俺たちの前を、夥しい数のヘッドライドが行き過ぎていく。
俺はもう余計なことは言わずに、黙って妹の話に耳を傾けることにした。
こういう時の七日には、あまり茶々を入れないほうが良いってことは、長年の経験からわかっていたはずなのだが……。
前に通ってた学校の友達と何かあったんだろうか。
「文通、やめちゃったんだよね。ずいぶん前に」
「えっ?」
それはけっこう意外な言葉だった。
電子機器を使えなくなってしまった七日が、もと居た学校の友達と連絡を取り合うために考えた方法、それが文通だったのだ。
俺と七日が電話で話しをするとき、決まってその話題が持ち上がるものだから、今でも続けているのだと思っていたのだが。
「書くことがね、全然なくなっちゃったの。魔法のことを知っているかぎり全部書いたら、あとはもうなにも……。一緒にお出かけすることも出来ないし、能力のせいでテレビもあまり見れないしパソコンもさわれない。だから話題が全然できないの」
「ああ……」
そうか、文通のこと以外に話すこと少なかったんだ。
七日と電話をしていた時の俺は、さながら魔法使いになる前にいた世界との架け橋みたいなものだったんだな。
「もう、みんなにずいぶん迷惑かけちゃってるって、わかってたから。だからね、思い切ってやめちゃったんだよ」
「いや……でも、寮の電話機だってあるだろ? 壊れないやつが」
中等部寮には、七日のような能力者ために特別頑丈につくられた電話機が設置されている。
俺と両親も、その電話機を使って七日と連絡をとっていたのだ。
「家族でもない人と長電話は出来ないよ。あれは大事な連絡用だから。それにもう……」
何かを言いかけて、七日は口をつぐんだ。
そして思いつめたような目で、両手で握った野菜ジュースの缶を見つめた。
その後に続く言葉は、何となく想像はつく。
七日は七日なりに、魔法使いという立場を受け入れて、新しい人生を歩もうとしているのだろう。
この点に関しては、間違いなく俺より妹の方が先達なのだ。
「……なんか魔法使いって寂しいよ、お兄ちゃん」
かすれ気味の声でそう言って、七日はその頭を俺の肩に預けてきた。
顔が髪に隠れて、その表情は見えないのだけど、かすかにすすり泣くような声だけが聞こえてくる。
「きっと、大丈夫さ」
そして俺は妹を安心させてやりたい一心で、そんな言葉を口にしてしまう。
特に確信があるわけでもなく。
「一人じゃないだろう?」
少なくとも魔法使いは一人ではない。
突然この世に生じてしまった異能のために、信じられないほど多くの人達が力を尽くしてくれているのだ。
ヒロミ君やリリアとだって、すぐに仲良くなれたじゃないか。
何かを無くした分だけ得られるものが、きっとあるはずだ。
「……うん」
すると七日は微かに頷いた。
前を向いて生きていくしかないのだと、自分に言い聞かせでもしているのだろうか。
俺は続ける。
「東京にきて早々、ひどい目に遭わされたりもしたけど、俺は魔法使いになれてよかったと思っているんだ」
「……そうなの?」
「ああ」
こうしてお前のそばに居られるから……とはさすがに口に出せなかったが。
「兄ちゃんって変わってるね」
「まああれだ。俺はお前と違って、高校に進学してすぐに編入になったからな。あんまり前の学校への未練とかないんだよ」
「そう……」
ずっと俺の肩に頭を押し付けていた七日だったが、突然ぎゅっと腕の肉をつねってきた。
「痛っ」
「お兄ちゃんずるいっ」
「そんなこと言われてもな……」
こればかりはタイミングの問題で。
お前は運が悪かったな、としか言いようがないわけで。
「ついてない七日のために、ついているお兄ちゃんは何か良いことをする必要があると思うのです」
「お、おう……?」
「じゃなきゃ不公平なのです。私とお兄ちゃんは兄妹なんだから」
「むむ……」
良くわからない理屈だが、七日がそれで満足するのなら兄としてやぶさかでもない。
「よし、じゃあ何でも一つ言うことを聞こうじゃないか」
「あっ!」
「ん?」
「今、何でもって言ったね! お兄ちゃん!」
言った。確かに間違いなく言った。
しかしこんなとき、妹が大した要求を出してこないことはわかっているのだ。
もう何年兄妹をやっていると思っている。
「ああ、何でもだ。いままで俺が約束やぶったことがあったか?」
「ないよ! 正直さにかけてはお兄ちゃんはまるで馬鹿みたいだもんね!」
「一応、褒め言葉と受けとっておこうか……それで、俺は何をしたらいいんだ?」
と言いつつ、俺は今まで妹に要求されてきたことを思い出す。
寝るまで枕元で本を読んで欲しい。
夜中の3時に出来立てのプリンが食べたい。
パソコンのセットアップ。
お父さんが美味しいそうに飲んでるお酒をこっそり味見……。
そんな他愛もないお願いばっかりだった。
どうせ今度も――。
「どうせ今度も大したお願いはしないって思ってるんでしょ?」
「ああ、もちろん」
「ふふふ、今度こそはお兄ちゃんが困るようなお願いをするんだから」
「おお、言ったな? お兄ちゃんに叶えられない願いなんてないんだぞ。どんとこいよ!」
「あっ、そっちこそ言ったね? 絶対に後悔するんだからね!?」
流石にここまで言い返されたことはなかったので、少し心配になってきた。
「わ、わかったから早く言えよ、ドキドキするじゃないか」
「うふふふ、じゃあ言うからね。一回しか言わないからちゃんと聞いてね」
何となくこの流れのなかで、俺は最低な想像をしてしまった。
魔法使いになって心が弱っている妹と、そこに現れた兄……。
ちょ……流石に兄妹でそれは……とか、そういうんじゃないだろうな……。
俺もシスコン気味ではあるのだが、こいつはこいつでブラコン気味なところがあるからな……。
そんなしょうもないことを想像して、図らずも固唾を飲んでしまった。
「彼女が出来たら、一番に紹介してね」
「…………ファ?」
一瞬、頭が真っ白になった。
実は大したお願いでもないのかもしれないが、想像の範囲をちょっと超えていたので。
「い、今なんて?」
「一回しか言わないって言ったよ!」
七日はそれだけ言うと、再び俺の肩におでこを押し付け、顔を隠してしまった。
彼女……? それはつまり恋人ってことだろうか。
一切のリアリティを伴わないその単語を前に、しばし呆然とする。
人は高校生になったら恋人の一人も出来るものなのだろうか?
「叶えてくれる?」
「う、うーん……?」
それにはまず、俺が彼女とやらを作らなければいけないわけで……。
いまいち実感が湧かない妹の願いを前にして、俺は困惑するより他になかった。
「そ、そうか……わかった」
「うん、よろしくだよ?」
今のところは、そう答えておく。
魔法の方がまだ現実味がありそうな気がした。
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