魔法学園の料理当番

ナガハシ

魔法使いになった俺は、いきなり女の尻に敷かれました

「ちょいとそこの青年、私の椅子になってくれ!」


 中央線武蔵小金井駅から少し歩いた場所で、俺は突然、背後から声をかけられた。


「うお!?」


 それと同時に俺の手足は、まるで機械にでも挟まれたみたいに動かなくなってしまった。


「あがががっ!」


 続いて全身に、理不尽としか言いようのない力が加えられる。
 物凄い力で上から押さえつけられて、手足の間接が勝手に折れ曲がっていく。
 そして気付けば、俺はアスファルトの上で四つん這いの姿勢になっていた。


「どういうことだ……」


 唐突にこの身にふりかかってきた災難を前に、俺は為す術もなくつぶやく。
 間違いない、これは魔法だ。
 どうやら俺は、たちの悪い魔法使いにからまれてしまったようだ。
 そして結構な人通りのある駅前通りで、こんな屈辱的な姿勢にされてしまった……。


「くそっ……なんなんだ!」


 一体だれが何のために!?
 どうにか体を動かそうと足掻いてみるものの、全身にかけられた魔法の力は、どこまでも頑なだった。
 どんなに抵抗しようとしても、全身に気持ち悪い汗が滲んでくるだけだった。


「まあ、そう暴れるな。ちょいと休ませてもらうだけだからな」


 その時、やけに透き通った少女の声が背後から響いてきた。
 こいつか、こいつの仕業なのか!?


「おい……! こらぁ!」


 当然のように俺は抗議する。
 そして石のように固まってしまった体に力を込め、なんとか首の上だけでも動かせないかと頑張ってみる。
 せめて犯人の顔だけでも覚えておかなくては!


「運動中枢を制圧した。もはや指の一本も動かせないはずだ」


 言われた通り、どんなに頑張っても顔の筋肉以外は動かせなかった。


「うぐぐぐ……!」


 どう抵抗して良いのかもわからず、俺はただ呻き声をあげる。
 すると不意に、やたらと柔らかい物体が俺の背中に乗っかってきた。


――むにょん。


「はう!」


 丸く、柔らかく、熱っぽい。


 したたかな肉の弾力の奥に、滑らかな骨の感触を感じる。
 俺の背中のセンサーが誤作動をおこしているのではないとしたら、これは間違いなく――女子の尻だ。


 俺、本当に椅子にされちまったのか!?


「ふー、やれやれ。まったく魔法使いってのも楽じゃないなあ、青年」
「だから誰なんだよアンタ!」
「見てわからんか? ただの通りすがりの魔法美少女さ」


 自分で美少女って言った!?
 というかか、首を動かせないから確かめようがないんだが……。


「おおそうか、では首だけでも動かせるようにしてやろうじゃないか」


 パチンッ、と指を鳴らす音が響く。


「お!?」


 すると突然、首が回るようになった。
 身体を自由に動かせるってのは実に素晴らしいことだと思いつつ、俺は俺の背中に座り込んでいるやつを見た。


「ふふふ、いかがかな? 青年」
「あ、ああ……」


 確かに、自分で美少女と言うだけのことはあった。
 発光しているみたいなピンクの髪が、強烈な印象ともに視界に飛び込んできた。
 肩ほどの長さに揃えられ、毛先が気ままに遊ぶ、どこか悪戯なヘアースタイルは、そのままそいつの性格を現しているかのようだった。
 目はカラーコンタクトでも入れてあるのか、明るいバイオレットに光っている。
 そのスッと通った鼻筋とか、凛々しい顔の輪郭とか、全ての要素に強い自己主張が感じられる。
 そして唇にはなんと、水色の口紅が塗られている。


「うーむ……」


 なるほどまさに、この世ならざる世界から飛び出てきたかのような女だった。
 普通ならあんなメイクは、悪目立ちするだけなのだろうが、この女はごく自然にやってのけてしまっているあたりがすごかった。
 むしろとても似合っていて、可愛いのだ。


「ふふふ、そんなに褒めてくれるな。別に照れたりはしないのだがな」


 いや、まだ何も言ってないんだが……読心術でも心得てるのか?
 俺が心の中でそうつぶやくと、そいつは口元にニヤリと不敵な笑みを浮かべて先を続けた。


「次にお前が考えることは。私の服装についてだ。知っての通り、これは国立東京魔法学園の女子制服だ。上は白、下は茶色を基調としたブレザータイプ。右の襟に波紋状の刺繍がされているのが特徴だ。まるで見習いマジシャンのようだと良く言われるな」


 付け加えると、今この女子が着ているのは夏用のノースリーブジャケットで、胸元にはやたらとでっかい薔薇状の赤いリボンが添えられている。


「補足説明、感謝するよ」


 なんだよコイツ、本当に人の心が読めるみたいだ。
 幾つかの疑問を胸に抱きつつ、俺は周囲の状況を確認する……。


「げっ!」


 当然のことだが、全ての通行人が、四つん這いになった俺の姿を見ていた。


――ヒソヒソ……ヒソヒソ……


 それは不審者を見る目というよりはむしろ、哀れみの目に近かった。
 白昼堂々と女の尻に敷かれている男がここに……。
 魔法使い同士の痴話喧嘩とでも思われているのだろうか?


「そう気にするな。魔法首都マジカルポリスたる、ここ東京では良くあることだ」
「見知らぬ相手をいきなり椅子扱いすることがか!」
「見知らぬ相手などではない。お前は魔法使いだろう? 魔法使いならば同胞だ。見た目ですぐにわかったぞ。そんなわかりやすい格好をした魔法使いは東京でも珍しい」
「ぐぬぬっ……」


 確かにその通りだった。
 もはやグウの音も出なかった。
 俺は今、黒マントにとんがり帽子という、あまりにもコテコテな魔法使いの格好をしているのだった。
 おまけに旅行鞄まで真っ黒だ。あとは木の杖でも握っていれば完璧だっただろう。


 別にコスプレ趣味があるわけじゃない。
 ある日突然魔法使いになっちまった俺は、強制的に魔法学園に転校させられて、その魔法学園の寮へと向かうため、急ごしらえで魔法使いの格好をしなければならなかったのだ。
 色々と疑問があるかもしれないが、とにかくそういうことなのだ。


「じ、時間がなかったんだ」
「どうやらそのようだな。だが良い心がけだ。まるで法令順守の鏡のような格好だ」


 そう、法令順守なのだ。


 突然、人類が魔法に目覚めちまったあの日以来、魔法使いに関する多くの法令が矢継ぎ早に打ち出された。
 その一つに『魔法使いの服装に関する規定』ってのがあって――。


「魔法能力者は公共空間において、一目で魔法能力者とわかる服装をしていなければならない」


 その女は、俺の思考を代弁するようにしてそう言った。
 そう、それだっ。


「どこにどんな魔法使いが潜んでいるかわからないという状況が、一般市民にとって居心地が良い訳がない。かといって魔法使いの行動を過度に制限することは、仮にも先進的な民主主義国家であるこの国で許されるはずがない。そんなジレンマの末に定められた各種の法令、その一つが、魔法使いの服装に関する規定だ」


 そいつは背中の上で脚をぶらぶらさせながら、俺の思考を代弁してくれた。


「ふむふむ、だがそう恥じるものでもないぞ青年。それはそれでなかなか似合っている」


 突然のほめ言葉に戸惑いを感じつつも、そんなに悪い気もせず、ずっと奇異の目に晒されてきたことへの慰めと言うか、何となくホッとするものを感じつつも俺は。


「いや、そんなことはどうでもいいんだ! 早く背中からどいてくれよ!」


 言うべきことをきっぱりと言った。


「一体何がしたいんだよ!?」
「またまた、何を言うかね青年」


 と言って背中の上の女子は、何事か、その腰をクネクネと動かしてきた。
 その柔らかな感触が、俺の背中に刻みつけられていくかのごとしだ。


「本当はもっとこうしていて欲しいと思っているのだろう? 思春期真っ盛りの青年よ」
「いやいや思ってない! 思ってないぞ!」


 オレは顔をぶんぶん振って否定した。
 確かに、田舎から上京してきてすぐに、かわいい女の子に声をかけられるというのは、ある意味ではラッキーな状況かもしれない。
 こうして女の尻に敷かれることを、喜ばしく思う男が居ないわけでもないだろう。
 でも公衆の面前でというのはあんまりだ!
 というか、本当に何がしたいんだ!


「ふむ。実はな、私はお前さんに一目惚れをしてしまったのだ」
「……えっ!?」


 そう言って、わずかに赤らんだ頬に手を添える魔法美少女。
 ぶっちゃけ何を言っているのかよくわからなかった。
 話、飛びすぎだ。


「故に、お前さんの心が欲しくなったという、実にシンプルな理由だ」
「はあっ?」


 なんだそれ? どういうことだよ? 新手の詐欺か何かなのか……?


「その言いようはあんまりじゃないか。さすがに傷つくぞ……くすん」
「いや、だからまだ何も言ってないって! 心を読む魔法でも使えるのかよ!?」
「うむ、その通りだぞ? 私の顔をみて気づかなかったのか? この世間知らずめが」


 するとその自称魔法美少女は、自分の胸に手を置き、こう言った。


「私こそが、かの【心奪者ハート・キャプチャー】の二つ名を持つ魔法少女……」


 そして不服を訴えるかのような目で俺を見据える。


「上来リリアであるというのに!」
「か、かみくる……?」


 苗字も名前も印象的だった。
 言われてみれば、ニュースか何かで耳にしたことがある。
 国内最年少で魔法指導員資格を得たと言う、天才魔法少女の名が確か……。


「そうだ、それが私だ」


 といってリリアとかいう女は、俺の背中の上でえっへんと胸を張った。
 あまりない胸を張った。


「だから、無礼なことを考えるでないっ」
「イデデッ!」


 背中の肉をつねられた。
 くそ、本当に人の考えてることが読めるのか!
 こんな状況ではあるが、いちおう自己紹介を受けたのだから、こちらもきっちり名乗りを返さなければならないだろうか……?


「いや、その必要はないぞ。私はお前のプロフィールだって読むことが出来るのだからな。お前の名前は七月五日ななつき・いつか。二つ名はまだない。妹の名前が七日なのかで、父親の名前が一日ついたちだ。お袋さんの名前だけ普通で華香ハナカ。ちなみにお前の電話番号とメールアドレスもすでに読めている」
「な! 人の個人情報を!?」


 魔法の悪用は重罪だろ!?


「わかっているさ。悪用はしないから安心しろ。こんなところでベラベラと喋ったりはせん……。お前は地元の高校に進学したが、調理実習の時間にフライパンから不思議な炎を出した。そして魔法能力者に認定された。違いないな?」
「……お前が人の頭の中を覗き見できるのは良くわかったよ」


 そんなことより、俺は一体いつになったらこの羞恥プレイから開放されるんだ?
 そろそろ、あちこちと痺れてきたんだが。


「案ずるな。そろそろ私の心も満たされてきたのでな」


 心が満たされる?
 人をこんな目に合わせておいて……なんという鬼畜サディストなのだろう。
 俺は東京という街の、言い知れぬ恐ろしさを実感し、心の底から震え上がる思いだった。


「消耗した魔力を補給するには、やはりお前さんのような美味なハートをもった者をいたぶるに限る」
「う、うまそう……だと?」


 消耗した魔力? ハート?
 俺の背中に座るとそれが回復する?
 わからない……。今の俺には、この女の考えていることがさっぱりわからなかった。


「よし、充電完了だ。それでは行くとするか」


 と言って自称魔法美少女はようやく立ち上がった。そして再びパチンと指を鳴らす。


「もう動けるぞ」


 ハッと気付いて体を起す。
 あんなに強張っていた体が嘘のようにほぐれていた。
 さらに二度、指を鳴らす音が響く。
 それと同時に彼女の身体が、宙に浮き上がった。
 スカートの裾がふわふわと風に舞い、ローファーの靴底から光が放たれる。


「協力感謝するぞ、青年。ではまたいずれ会おう」
「え、ええ……? うわ!」


 一瞬にしてリリアの全身がつむじ風に包まれた。
 そしてあたかも、風に巻き上げられる木の葉のように、あっと言う間に空の彼方へ吹っ飛んで行ってしまった。


「なんだったんだ……」


 俺はひとまず立ち上がり、旅行鞄を持ち上げる。
 そして、グオオオンと不可解な残光を残して飛んでいく、自称魔法美少女の姿を見送った。


 心奪者ハートキャプチャーのリリア。
 いきなりとんでもないのに絡まれてしまった。
 再び平穏さを取り戻した街の景色を眺めながら、俺はそう思わずにはいられなかった。











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