ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

優しさは忘れない 13

 その後、駆けつけてきた警察官が犯人を現行犯逮捕した。


 すぐに現場検証が開始され、被害状況の確認と凶器の回収が行われる。
 記録映像の提供も求められたが、刺された時の衝撃で記録が止まったということにした。


 連絡を受けて戻ってきたご主人は、突き破られた窓ガラスを見て呆然としていた。
 そして私が国に回収されてしまうことを悟ったのか、ただ一言「無念だ……」と呟いて椅子に座り込んでしまった。


 警察の調査は日付が変わるまで続けられたが、その間ずっとセツコは、近所からやってきた野次馬に手を焼いていた。
 台所に風穴が空いてしまったせいで、セツコもご主人も、その日は眠る気にすらならなかったようだ。


 明日は2人揃って休みを取る予定だが、落ち着けるのはまだ先のことだろう。
 窓を直したり、寮長と話をつけたりもしなければならない。
 私の身代わりのELFだけが寮に出勤する。彼女にはそのうち、子供たちから借りたドローンを持たせようと思う。


 私があの寮に行くことはもうないだろう。
 すでに多くの人に正体を明かしてしまった私を、プロジェクトが放っておくわけがない。
 私という人格は永久に凍結されるだろうが、今は一切の心残りがなかった。


 史上初のサブマリナブルELFとしての使命は、十分に果たせたと思うから。


 翌日の夜、官邸から職員が派遣されてきた。
 その中には真司も同行しており、私達は実に4ヶ月ぶりの再会となった。


「少し痩せた?」


 開口一番に拍子抜けするようなことを言ってきたが、その緊張感のなさに、かえって私は安心する。
 彼の身の上については、ひとまず心配はないようだ。


 参考人として、寮長と竹下さんが呼び寄せられた。
 前田家のリビングに仮設の会議室が設置され、セツコさんとご主人が緊張した面持ちでお茶を配って回った。


 会期中で忙しい総理は、タブレット端末での参加となる。
 普段はテレビや新聞でしか見ないその顔が映し出されると、セツコさんを初めとした参加者が、次々と息を飲んだ。


「お久しぶりです、総理」


 話は私から切り出すことにした。


「私が研究所を脱走してからの経緯は、すべて報告したとおりです。色々とありましたが、こちらの前田夫妻を始めとする、多くの方のお力添えがあって、こうして今も元気にやっております」


 そこまで言うと、総理は軽く鼻をならした。
 真司の様子からも薄々感じ取っていたことだが、やはり私が自分から名乗り出てくるのを待っていたようだ。


「私を助けてくれた方達は、みな人としての善意に基づいて、行き倒れそうになっていた私を助けて下さいました。あくまでも私が迷惑をおかけしたのであって、皆様方の行動に罪がないのは明らかです。私は今後どうなろうと構いませんので、皆様に対してはどうか寛大な処置をお願い致します」


 私はそう言って深く頭を下げた。
 今の私に責任能力は付与されていないが、私自身の意思として責任を取る決意があることだけは念押しして伝えておく。


 顔を上げてタブレット端末に目を戻す。
 総理はやや険しい顔をして何かを考えている。


「私からもお願いがあります!」


 続いて口を開いたのはセツコだった。


「ナナさんはこう言ってますけど、彼女を見つけて自分のものにしようとしたのは私なんですよ! 実際大変な大悪党ですよね!? 国の資産を盗んだのですもの! 私も主人もどんな罰でもお受けする覚悟でいます。だからどうか……」


 セツコはご主人に目配せし、どこか強制的に頷かせる。


「ナナさんのこと、きちんと人として扱って下さい! この子はそんじゃそこらの人間なんかよりよっぽど人間らしい、とても良く育った女の子です! もう本当に私達、娘みたいに思っているんです! どうかお願いします!」


 それに続いて、寮長と竹下さんが声を上げた。


「わ、私からもお願いします! 最初はびっくりしましたけど、もう、本当に、色々とすごくて! 彼女をなかったことにするなんて……そんなの」
「僕からもです、ナナさんは本当に人類の宝です、捨ててしまうなんてとんでもない!」
「子供たちだって、また会えるのを待ってます!」


 寮長の口から子供たちという単語が出た時にだけ、総理の眉が若干動いた。
 その後、右から左へと視線を巡らせ、その場にいる人々の顔と、私が3ヶ月あまりの生活を送った前田家の様子を確認する。


 すでに子細を報告してあり、私が置かれた状況については熟知しているはずだ。
 あとはそれを、目の前の出来事として実感しようとしているのだろう。


『あと、ナナさんの正体を知っているのは、常盤美香さんと、横一よこ・はじめさん、という方だけで間違いないですか?』
「はい、それで全員です」
『そうですか……。全員がナナさんの存続を望んでいて、なおかつ重大機密であることをわきまえた上で、けして口外しないことを約束している……と』


 総理は目を閉じると、一度大きく深呼吸をした。


『わかりました……。私としては今後、みなさんの願いを叶えられるよう、閣議、国会へと話を進めていくつもりです』


 ああ――と、セツコさん達が胸をなでおろす。
 しかし。


『だが、万事うまくいく保障はないし、全てを公開するわけにもいかない。やはりナナさんに、そのままの状態でいてもらうわけには……』


 安堵の表情を浮かべようとしていたセツコさん達が、再びその表情を凍りつかせた。


「はい、すべて総理の意のままに」


 そう言われることがわかっていた私は、ただ粛々とそう答える。
 私の運命は、生まれたその時から決まっていたのだ。







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