ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

優しさは忘れない 2

 朝の騒動を知ってか知らずか、朝食を済ませて部屋に戻る人達の様子はいつもと変わらなかった。


 今朝の献立は玄米と味噌汁、そして大根の煮物だったようだ。
 朝夕の食事の用意は、住民達の中からアルバイトを募ってやっている。
 私も参加しようと思えばできるのだが、ただのELFでないことがバレてしまうので出来ない。


 食堂と厨房の様子を記録してそこに異常が無いことを確かめ、寮の正門を出て通勤通学路の巡回を始める。
 私達ELFスタッフの主な仕事は監視ということになるが、それは寮の人達の安全を守る意味合いもある。
 通勤通学時を狙った排斥運動が度々起こるため、朝の見送りは特に重要な任務の1つとなっている。


 通勤通学の時間が過ぎると、続いて寮内の見回りに移る。
 共有棟の一角では、保育士資格を持つ寮の人達が、未就学児童の面倒を見ている。
 寮の敷地内にある畑では、数名の人達が農作業に取り組み、朝夕の食事の材料を生産している。


 このように、寮の住民の2割ほどが何らかの形で寮運営に参加している。
 有償の仕事もあれば、ボランティアのようなものまであるが、これら寮運営に関わる仕事をしている人は、失業者のBI受給要件である月に2回の就職活動が免除されるという特典がある。


 そのため、ずっと寮で暮らし続けようという意欲のある人は、日頃から寮内における仕事を探し回っている。
 共有棟にあるパソコンルームは24時間開放されていて、常に誰かしらが仕事を探したり、ネットを通して出来る仕事をしている。
 年収がBI収入を含めて150万円を超える見込みの人は、一定期間内に退寮する決まりになっているので、しばらくその額を超えないように仕事をして、貯蓄と自信ができ次第、寮を離れる人が多いようだ。


 寮民の6割は一生をここで過ごす決意を固めているが、その中には、ムナイさんのように精神に失調をきたしてしまう人もいる。
 これがしばしばニュースになりBI生活者に対するバッシングへとつながっている。
 集団生活をする上での特有のストレスもあり、住民同士が諍いを起こすケースも多い。


 故に、絶えず見回りをすることは欠かせない。
 監視カメラでそれを行うより、人の形をしたELFが見回る方が、住民への心理的圧迫感が少なく、また人が行うよりも中立的で確実だ。
 そのため、民営寮にELFを設置することは国から推奨されており、補助金まで出ているほどだ。


 寮で暮らす人達のモチベーションを維持し、社会活動への参加を促すことが寮管理者の責務であり、私達ELFもその一翼を担うものとして存在している。
 社会が望む望まないに関わらず、民営寮という場所は今後も拡大を続けていくと予想されており、その運営コストの低下のために、より幅広いELFの活用が模索されている。


 もしかするとここは、ELFの社会適用技術における最前線に位置するのかもしれない。


 ほどなく時刻は正午を回る。昼食は各自用意しなければならない。
 見回りを終えて共有棟に戻ると、いつも決まってカップ麺を作っている人がいる。
 給湯設備は共有棟にしかなく、部屋での自炊は禁止されているので、パンなどを買って近くの公園で食べる人もいる。


 月に7万5623円のBI給付のうち、4万円が寮費であり、さらに残りの殆どが公課で持って行かれる。
 これは無駄なお金の移動と批判されているが、今日に至っても解決されていないことだ。
 結局のところ、BI生活者の純粋な小遣いと言えるものは、毎日のラジオ体操でえられる500円くらいのものである。


 昼食にかけるお金は平均して150円程度。
 コーヒーなどの嗜好品は格安のものしか買えず、スナック菓子に至っては高級品と見なされており、ポップコーン用のとうもろこしを一括購入して、みんなで分け合ったりしているほどだ。


 衣類や毛布も擦り切れるまで使いまわす。
 幸か不幸か、酒たばこを嗜む人が必然的に少なくなるので、健康状態は良好な人が多い。
 毎朝ラジオ体操をして小遣いを稼ぎ、質素な食事をとって身の回りの清掃をし、あとは図書館にでも出かけて暇を潰す。
 それが平均的な寮民の生活だった。


 就業機会を増やすため、職業訓練制度をより拡充させるべきとの声も大きいが、BI生活者への甘やかしという批判もまた根強く、なかなか実施に至らないのが現状だ。


「それでは、外周清掃を初めます」


 寮長の合図で、寮周辺の清掃が始まる。
 各自、ゴミ袋と鉄鋏を持って外に出る。


 外周清掃は平日の午後2時から定員10名で開始され、ELFが動く監視カメラとして同行する。
 これはサボらないかどうかの監視でもあるが、それ以上に、ヘイト行為から住民を守るという目的が大きい。 


「もって」


 参加者の1人からゴミ袋を持つよう指示をされるが、指示が具体的ではないので困ったふりをする。
 その人は私の手を取ると、改めて指示を出してきた。


「右手、開いて、握る、そのまま」


 私にゴミ袋をELFに持たせた参加者は、そのまま路肩を降りていって、茂みの中に落ちていたスナック菓子の袋を拾って戻ってきた。
 ゴミ袋に入れてから再び指示を出す。


「ゴミ袋返して」
「了解しました」


 もう慣れたが、長いあいだ人間のふりをしてきたせいで、初めは少なからずショックを受けたものだ。
 しかしながら、現在の人々の多くがどのようにELFを捉えているのか、はっきりと私に思い出させてくれるものでもあった。
 まだまだ多くの人にとって、ELFはELFでしかない。


 足元にはタバコの吸い殻が落ちているが、私はそれを拾うことができない。
 通常のELFに、路上のゴミを識別して拾う機能はないからだ。
 しかたなく無視して進んでいくと、今度は、塀にスプレーでいたずら書きがされているのが見えてきた。


「まったく……誰がこんなことをするんだ」
「自分が世話になるかもしれないって考えないのかな」


 最近誰かにやられたようだが、今のところそのままになっている。
 ペンキの塗り直しもやろうと思えばできるのだが、そのような機能もまた今のELFには備わっていない。


 寮周辺を一周して戻ってくるとそこで解散となる。
 外周清掃は時給換算で500円分の報酬が出るので、取り合いになるほどの人気がある。
 参加予約は1月先までびっしりで、参加した人の殆どが次回の予約を入れてから部屋に戻る。







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