ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

コーリング 4

 それから私は、お茶とお菓子をいただきながら、職業安定所を出てからのことを、じっくりと話していった。
 セツコは私の性能に驚くと同時に、プロジェクトの決定に腹を立て、私に対する強い同情を示してきた。


 久々のお喋りだったのでつい夢中になってしまい、セツコの夫が帰ってくる時間になってもまだ、私たちはお喋りに興じていた。


「ただいまー、ん?」


 玄関の方から男性の声が聞こえてきたのと同時に、私達は我に返る。
 その人は玄関に置いてある靴を見て、お客さんがいると気づいたらしい。


「どうしましょう」
「どうしましょうね」


 私達はその時、ありあわせのもので私の顔を何とか出来ないかと試行錯誤していた。
 ご主人の仕事の関係で、家には生体皮膚のパッチ素材が置いてあったのだ。
 ヘソのUSBに端末を差し込んで血流を操作し、傷んだ皮膚を削ってパッチを当て、あとは化粧でなんとか誤魔化せないかと悪戦苦闘していた。


「セツコ、お客さんか……い!?」


 そんなわけで、リビングに入ってきたご主人の驚きは大変なのもだったろう。
 そこにいたのは、特殊メイクでも施されているかのような厚化粧の女。
 明らかな警戒の色が、ご主人の顔に浮ぶ。


「おかえりあなた、こちらはナナさんよ。ニュースとかで知っているでしょう?」
「にゅ、ニュース?」


 どうやらセツコさんは、ありのままを伝えるようだ。
 しかもごく自然に、当たり前のような顔をして。
 私のことを、ある種の有名人ではないかと考えたご主人は、改めて私の様子を伺ってくるが。


「おじゃましております」
「え? ええ、はい……」


 軽く会釈を交わしてみるも、ご主人にはまったく思い当たる節がないようだった。


「な、なあセツコ、ニュースってどういう……?」
「研究所からELFが逃げたっていうニュースよ。ナナさんは以前、職安で私に仕事を教えてくれていた人なんだけど、そのあとAPOAの実験台になっていたんですって」
「う、うん!?」


 ご主人は外しかけていたネクタイをギュッと握り、身を乗り出してきた。
 私は全てをセツコに委ねるしかない状況なので、覚悟を決めて経過を見守る。


「でも結局ね、ナナさんは廃棄されてしまって、だから逃げ出してきたのよね?」
「廃棄? 逃げ出す? んん!?」


 いまいち意味の通っていない説明をしてから、セツコは私に確認を求めてきた。
 ご主人はますます混乱している。
 このあたりの事情は複雑なので、彼女自身も上手く理解できていないようだ。


「私は社会実験用と、基礎実験用の機体にわけられていたのです。そのうち社会実験用の方が廃棄されてしまったので、基礎実験用の機体の方の私は、危機感を感じて逃げ出したのです」
「そういうことなんですって、あなたならわかるわよね」
「んんん!?」


 強制的にわかることにされてしまって、ご主人はさらに眉間にシワを寄せた。
 私も意味が通るように説明をしたつもりだったが、余計にややこしくしてしまったらしい


「お、おい……セツコ!」


 考える時間も、説明する時間も足りなかった。
 急激にご主人の疑念が高まっていく。
 もはや私には、有効時間内に答えを導き出すことが出来なかった。


「あなたもしかして、まだナナさんのこと人間だと思っているの?」
「そ、そりゃあ、そうだろう!」
「まあ……ちょっとよく見てよね、ナナさんの手を」


 そこでようやく、ご主人の視線が私の手元に向けられた。
 恐らくは顔のインパクトが大きかったために注意が向かなかったのだろう。


 私はやむを得ず、べろりと皮を剥かれた手の甲を見せた。
 指を動かすと、よく出来た機械のカットモデルのように、むき出しになっている人工筋肉が生々しく動く。


「わああぁー!」


 目玉が飛び出すとは、まさにその表情だった。
 私がさらに、ひらひらと手を振ってみせると、ご主人は鞄を床に落とし、両手で頬を抑えて叫ぶ。
 ムンクだ。


「あああー!?」
「ね、ELFでしょ?」
「お、おお、おおお、おまえー!」


 旦那さんはしばし口をパクパクさせていた。


 奥さんが野良ELFを拾ってきた。
 そのような経験をしたのは恐らくご主人が人類初だろう。
 野良ドローンを拾うのとは訳が違う。


 こうしてセツコさんのご主人は、最悪の形で認識の峠を超えることになった。


「テ、テル・ユア・アイディ……」


 ガクガクと震えながらも機体番号を求めてきたご主人の理性は、恐らくは現職の総理大臣よりも強靭だった。
 私はそこに一縷の望みを感じる。
 恐らくセツコさんは、ご主人の理性を信じたのだ。


「GーAPOAー1077Xです」
「テル・ユア・オーナー……」
「行政自動化推進機構です」
「テル・ユア・プロダクション・マネージャー……」
「APOA技術統括部部長、徳田重信です」
「本当に……あの国を騒がせている野良ELF……」
「そんな大した者ではありませんが……一応」
「あああ……」


 ご主人は頭を抱えてウロウロしだした。
 その様子を、私はセツコさんとともに固唾を飲んで見守る。
 今まさにご主人は、私の世界の神だった。


「わかりました……警察に連絡ですね」


 しかしご主人はそう言って、ポケットからスマートフォンを取り出す。


「あなた!」


 よりにもよって、一番ややこしい場所に通報しようとしたご主人をセツコが静止する。
 そして口論が始まった。


「話も聞かずに警察はないでしょ!」
「イヌやネコじゃないんだぞ!? 落とし物は警察に届けるのが当たり前じゃないか!」
「いいからおよしなさい! あなたはナナさんの姿を見てなんとも思わないの!? こんなボロボロになるまで実験されて!」
「メンテナンス出来てないからだろ!? 早く返さないと!」
「何トンチンカンなこと言ってるの!? ナナさんは破棄されるところを逃げてきたのよ!?」
「そ、そそそ、それは所有者の権利であってだな……!」
「あなた!」


 セツコはすごい形相で夫の首を掴んだ。
 本当にそのまま絞め殺しそうな勢いだ。


「あなたの妻の恩人が、こんな姿で逃げ惑っていたのよ!? それを話もろくに聞かずに追い出すなんて、あなたそれでも人の血が流れているのー!?」


 もう完全にゴリ押しだった。
 ご主人は口をパクパクさせ、息苦しさに喘いでいる。


「毎日私が作ってあげている美味しいごはんは、一体何に変えられているのー!?」
「う、うご……ごぼぇ……」


 ごはんの話がどう関係あるんだ――ご主人はそう言いたそうだった。
 私は止めに入るべきだと判断する。
 このままでは命に関わる。


「セツコさん、離してあげてください! やっぱり私はお邪魔なんです!」
「そんなことないわナナさん! このわからずやー!」


 結局2人の間に割って入り、強制的に引き剥がすしかなかった。
 その際、ご主人の身体にも触れることになったのだが、その時の表情が印象的だった。
 ご主人は一瞬、首を締められていることも忘れて、私の動きに見入ったのだ。


「げほっ、ごほっ……話を聞くったって……どうするんだ……うちで匿うのか?」
「そうよ」
「無理だ! ELFを管理するのにどれだけの設備がいると思っている……だいいち、その……ナナさん?……は、国の重要機密なんだ。最新の研究用ELFなんて、おまえ!」
「なにビビってるのよ! 関係ないわそんなの! 大事なのは実行することよ!」
「それ何かのドラマで聞いたセリフだろ!? 現実はな! 現実はもっと……」


 そして再びご主人の視線が私に向く。
 そこには私という現実が佇んでいる。


「う……」 
「あなた私ね、神宮でナナさんを見つけた時にわかったの。私がしなきゃならないこと、生まれ持った使命みたいなもの。子供を育てて、それで終わりじゃなかったのよ!」


 徐々に大人しくなっていくご主人を前に、セツコは続ける。


「私達はね、もう『そういうところまで』来ているの! あなたならわかるでしょ!」
「う、ううん……」
「やるのよ! 人間にしか出来ないこと!」
「わ、わかった。わかったからその……少し考える時間をくれ……」
「……いいわ」


 セツコは息を切らせながら言った。
 そして床に落ちたスマートフォンを奪い取る。
 テーブルを指し示して椅子を引き、疲れきった旦那さんを座らせる。


「じゃあ、夕食を作るわ。その間、ナナさんのお話相手になってあげてね」
「はい……」
「ふつつかものですが、どうぞよろしくお願い致します」


 私は反対側の椅子に座ると、そう言って深く頭を下げた。
 ご主人は干支一回り分も老け込んだような顔をで、私を見つめていた。


「お見苦しい姿で、本当に申し訳ありません」
「いえ……その……ナナさんは、もうずっとメンテナンスは……」
「はい、かれこれ3ヶ月になります」
「その間はずっと自律……いや、自分で……」
「はい、セツコさんに見つけてもらわなかったら、どうなっていたか」


 私がそう言うと、ご主人は深く項垂れた。


「そうですか……」


 そして私から自分の動揺を隠すように、その顔を両手で覆った。


「なんてことだ……」


 ご主人は何とかして落ち着きを取り戻そうとしていた。
 セツコさんが言ったように話し相手になる余裕などありはせず、私はただその様子を見守るのみだった。







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