ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

エンドレス・シーカー 5

 図書館で今日の新聞に目を通していると、ポケットの中でアラームが鳴った。
 ヨコイチさんに入手してもらったプリペイド携帯には『17:30』と表示されている。
 そろそろ仕事に行かなければならない。


 私はコートを着て、マフラーで口元を隠し、すっかり昼の住居となってしまった図書館を後にする。
 道の所々に防犯カメラが設置されているが、私は気にせず通り過ぎていく。
 厚手のコートとハイヒールによって、歩行時の関節の動きを用いたバイオメトリクス分析を困難にしてある。
 こんな単純なことでステルス性を確保できるのだから、AI技術もまだ道半ばというものだろう。


 開店は18時からだが、失業者達は飲み始めるのも早い。
 私がカウンターに立つ頃には、既にアライさんが赤ら顔になっていた。


「ああ、ねーちゃん。また面接落ちちゃってさ」
「あら、また落ちてしまったんですね」


 いきなりため息まじりに言われたので、受け答えがそっけなくなってしまう。


「タダでいいなら雇ってやるとか言われちゃって」
「タダなら雇ってもらえるのですか?」
「うん、それでも良いって我慢して答えたんだけど、それでも落ちちゃったんだ」
「よく我慢できましたね」
「本当に、世の中腐ってるよ」
「はい、世の中、本当に腐っています……」


 飲み干されたグラスに、新しい氷を追加する。


「まるでボッコちゃんだな」


 隣でいつものウィスキーを飲んでいたフルイさんがつぶやく。


「なんすかそれ?」
「知らんなら、別にいいさ」


 アライさんは首を傾げる。


「フルイさんは、お仕事は探されていないのですか?」
「俺くらいの歳になったら、もう金でも積まない限り雇ってはもらえないさ」
「班長までいった実績があるのに……?」
「むしろ、その実績がやっかいなんだ。ちょっとでもクセがあると思われたら、その時点で口を聞いてもらえなくなる。ロボット以上に従順にならなきゃ雇ってもらえないなんてそんなの俺は耐えられねえ」


 つまりは、完全にBI暮らしを受け入れているということだ。


「いつぞやは70歳まで働けとか言っていたくせに、40代ですでに隠居だぜ」
「教育費とか大丈夫なんですか?」
「子供らには公立に行くよう言ってある。BIと学費免除で何とかしろって感じだな」
「たくましく育ちそうです」
「良いんだか悪いんだか知らねえけどな。なあアライよ、お前もさっさと子供作っちまえばいいんじゃないか? 今なら産めば産むほど金がもらえる」
「でもなー、相手が……。あ、そういえばナナちゃん。付き合ってる人っている?」


 私は何も言わずに、ただ菩薩のような笑顔を浮かべた。企業秘密だ。


「やめとけやめとけ、おまえさんには過ぎた相手だ」
「やっぱりそうかなー、ナナちゃん仕事できそうだから、おいら専業主夫でもやってあげようと思ったんだけど」
「んー、まあ、近頃は男より女の方が職場需要高かったりもするしな」
「男の主夫も増えてるみたいじゃないですか。いいなあ、憧れるなあ」


 と言ってアライさんは遠くを見つめた。どうやら冗談でもないようだ。


「へっ、おかしな時代になったもんだ。男じゃまともな職につけねえ。よっぽど能力があるか、もしくはバカか」
「おいらバカだけどクビになりましたぜ?」
「いいや、ただのバカじゃダメなんだ。筋金入りじゃなきゃな。俺の同期で、今でも職場に齧りついている奴がいるんだが、そいつがまたすげえんだ」
「どう凄いんです?」
「追い出し部屋に入れられて、もう10年以上粘ってるんだ。何もない部屋で、ノギスだけ渡されて、測る意味のない部品をひたすら測らされているんだとよ」


 アライさんは目を見開く。


「気が狂うんじゃないですか?」
「もうとっくに狂っちまってるよ。そいつ足が悪くてさ、いわゆる障がい者枠だったんだが……」
「え? じゃあなんで追い出し部屋? オペレーターとか普通にできるでしょ」


 在宅オペレーター業に取って代わられたのではないかと私は推測するが。


「出来ていたうちは良かったんだが……。やっぱ、いらなくなっちまったんだな。全部クラウドに外注だ」
「あー、そっちのパターンか! もう、退職金もらって隠居でいいでしょ!」
「それがな、やたら権利意識の強いヤツでな、頑として退職同意書に判子を押さなかったんだ」 
「うわー」
「人権団体の後ろ盾も受けてな、かなり強力に法廷闘争しようとしたもんだから、会社側も折れざるを得なくてな。そいつ専用の部屋まで作って仕事を用意してやったんだとよ」


 アライさんは信じられないと言った様子で、プルプルと震えていた。


「それ以来、ずっと1人で、測る意味のない部品を測っている。狂ってるんだよ、人も会社も」


 と言ってフルイさんは、オンザロックを飲み干した。
 私には新しいグラスを用意することしかできない。


「まさに闇ですねぇ……」


 丸氷を作っていたマスターが話しに加わる。
 私は出来たばかりの氷をロックグラスに入れると、追加のウィスキーを注いだ。


「会社という場所は、利益を追求する場所である以上、儲けに繋がらない要素を削ぎ落としていくというのは、本来正しいことなのでしょうが……」


 社会全体として見た場合、それは必ずしも世の中を豊かにしていない。
 そのような含みを、マスターは語尾ににじませる。


「変化についていけない人にはつらい時代です。大きな会社の社員になれば、それで一生安泰だって思っている人は、まだ沢山いるわけですから」


 その言葉を最後に、3人とも口を閉じた。
 人が働くのは、豊かさと幸福を手に入れるためなのに、現代社会はそれを目的として機能していない。
 その事実を噛みしめるように。


 重苦しい停滞感が漂い始めたので、どうしたら時代についていけない人達が幸せになれるのだろうかと、私なりに考えてみた。


 まずやはり、誰もが人から狂っているとは言われたくないだろう。
 働く意欲がある人ならなおさらだ。
 誰かがその人のことを認めてあげる必要があるのではないか。


「仕事に意味が有るか無いかというのは、この際あまり関係ないのかもしれません」


 私がそう口を開くと、3人とも興味深げにこちらを見てきた。
 仕事の意味を考えることが、逆に問題を重くしてしまっている。それが今のところの私の考えだった。


「その人が、それで満足なら良いのではないでしょうか」
「うーん、そうかなー」


 と言って、フルイさんは難しい顔をした。
 一方アライさんは、どこかすっきりした顔で。


「あ、俺ねーちゃんの意見に賛成かも。そう考えるとなんか楽になるわ。結局、気分が良ければそれでOKだもんなー」
「うふふ、ありがとうございます」


 賛同を得られたことの感謝として、私はアライさんの皿におつまみを追加した。
 私の意見が、多少なりともお酒を美味しくできたのなら幸いだ。


「その、毎日望まれもせずに出社して、測る意味のない部品を測り続けている人は、もしかすると、凄い人なのかもしれません」


 3人は一様に宙を眺め、それぞれに何かを想像したようだ。


「うーん……」
「すげーっちゃすげー」
「ほほう……」


 一番事情をよく知るフルイさんは、相変わらず難しい顔だ。
 しかし私はあえて続ける。


「もし、一切の人間が働かなくて済むようになっても、それだけでは私達は幸せになれないのではないかと考えたのです。やはり人は、意地でもなんでも良いので、何か目的のようなものを持たないと、輝けないのではないかと」
「うーん……」


 フルイさんはやっぱり、私が言っていることを飲み込めないようだった。
 私とて、私自身の考えに完全に納得がいっているわけではないのだが。


「その方は、いつか来るその日に向けて、メッセージを発しているのかもしれません」
「んー、深いな!」


 アライさんが賛同を示してきたが、フルイさんは無精髭をさすりながら。


「いや姉ちゃん、あいつはそんなに深く考える奴じゃねえ。本当に、ただ意地になっているだけだ」
「それでも、何かしらの影響を周囲に与えているのですよ」


 人は情報の塊である。
 私ほどそれを知っている存在はないと自負できる。
 ふと隣に目を向けると、マスターが何やら嬉しそうに微笑んでいた。


「そもそも、働かなくて済むのならそれに越したことはないじゃないか。なあマスター」
「ふふふ……」


 フルイの発言にはどこか、バーテンダーという仕事を、職業として認めていないようなニュアンスがあった。
 それ故に、マスターはどうにも答えにくいようだった。


「マスターは、どうして店を持とうと思ったのですか?」


 だから私は合いの手を入れてみた。
 マスターは一瞬驚いたように私を見たが、すぐに何かを決意したように話を始めた。


「自分で店を開けば、自分をクビにできるのは自分だけじゃないですか」
「あ……」


 フルイさんはけして察しの悪い人ではない。
 今の一言で、自分がマスターに対して失礼なことを言ったことに気づいたようだ。


「私も昔は工場で働いていたんですが、下請け搾取のひどい会社でね……。常々、目の前の人を喜ばせるような仕事がしたいって思ってたんです。お酒も好きでしたし……最初は半分趣味みたいなものでしたが」


 マスターはグラスを拭く手を止めて遠くを見つめる。


「でも、しばらくして常連さんが付くようになって、色んな人の話を聞いているうちに、働くことって大事なんだなあと、しみじみ思うようになったんです。みなさん本当に仕事の愚痴が好きですけど、逆に言えば、仕事へのこだわりが強いからなんですよね。仕事そのものが嫌いな人って、案外少ないんじゃないかと」
「ううん……」


 マスターがそこまで言い終えると、フルイさんは深く頷いた。


「フルイさんだって、本当はねえ?」
「確かにな。子供らにいい格好できない自分が、時々嫌になる。そうだな、俺も何かやってみるかな……金になるかどうかはわからないが」
「面白がってやっているうちに、気づけば大人気に……っていうのもありますからね。そういうことを見つけるのが、今後ますます大事になっていくんでしょう」


 マスターは嬉しそうに微笑むと、棚から少し高いウィスキーを取り出した。


「今日はなんだか気分が良いのでサービスします。私もちょっと飲みたいし」
「おおいいねー」
「ありがとうございやす!」


 サービスという言葉はいつ聞いても良い響きだ。
 味がわからないとか言っていたアライさんも、良いお酒を奢られた時は、いつも以上に美味しそうに飲む。


「私はねえ、バーテンダーは人類最後の職業だと思っているんです」


 お酒を注ぎつつ、マスターは意味深なことを言う。
 アライさんとフルイさんは、しばし考えた後にそれぞれ違う意見を述べる。


「バーテンさんがみんな機械に置き換えられちまった時、人類は滅んじまうってこと?」
「いや違うだろう。ロボットがバーで酒を飲むようになっても、マスターは働き続けるってことだ」


 マスターは少しだけ注いだ自分のグラスを口にする。


「さあ、どっちでしょう……」
「なんだよ、気になるな」


 私はその光景を、ただ笑って眺めていた。
 どちらが正解で外れなのか、それはもしかすると、マスターにもわからないのかもしれない。


 だがロボットである私は、マスターのような人が居続けるかぎり、人類は滅ばないのではないかと思った。




 * * *




 私の勤務時間は、夕方6時から深夜の2時までの8時間だ。
 その後は、近くのネットカフェで朝まで過ごす。甘いドリンクを用意して個室にこもり、PCを立ち上げ、ライブニュースを多重表示していく。
 どれも街角の光景が映し出されているもので、私にとっての貴重な情報源だ。


 毎日これを繰り返した結果、先日ついに、金山駅付近を歩行する鈴木を発見した。
 朝の5時に、酔っ払って歩いている彼の姿を見た時、私はその能力を認めずにはいられなかった。
 直感と推論を駆使して最短距離で私に近づいてきているその姿は、まさに国の情報職員を名乗るにふさわしいものだった。


 夜の店をしらみ潰しにあたっているのだと、私は即座に認識した。
 彼と鉢合わせする確率はかなり低いが、このままでは安心して働けない。
 さしあたっては、金山駅周辺に張り込んで、鈴木の滞在先を突き止める必要があるだろう。


 彼の行動を逆に追跡することができれば、それは大きなアドバンテージになる。
 いつもなら、ネットカフェに8時まで滞在した後に図書館に向かうのだが、その日は明るくなると同時に店を出た。


 最寄りの駅から名古屋方面の電車に乗り、自動販売機で買った新聞に目を通す。
 その日の新聞をつぶさに調べるだけでも、国の動きがある程度わかる。


 特に、総理をはじめとするプロジェクトメンバーの表情が重要だ。
 彼らの顔に深い影が差すようであれば、何らかの形で危機に瀕しているということなのだから。







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