ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜
天より 9
時刻は22時を回る。
色々と頭を使いすぎた美香は、今はタオルケットに包まって眠っている。
私は彼女が買ってきてくれた七色の水玉模様のパジャマを着て、その傍らで膝をかかえて座っている。
昼も夜も、同じジャージを着て過ごしているというヨコイチさんは、今はパソコンに向かって作業をしている。
今後の私の活動に必要となるものを発注してもらっているのだ。
照明は全て消され、部屋の中はあえて薄暗くされている。
その方が見つかりにくそうで安心できるという、ただそれだけの理由ではあるのだが。
「終わりました、明日中には揃うはずです」
「ありがとうございます」
皮膚に直接塗るタイプの栄養剤、止血と補修に使う蛋白フィルム、いずれも人間でも使えるものだ。
微生物電池のリフレッシュには生理食塩水を使い、汲み出しポンプとゴムチューブを組み合わせて、簡易的な洗浄装置を作る。
どこから足がつくかわからない世の中だから、明らかにELF用と思われるアイテムを買うことは出来ない。
私のことをAPOAの所有物だと知って専有していたとなれば、美香もヨコイチも立派な犯罪者とみなされる。
絶対に足取りを掴まれるわけにはいかなかった。
そして出来るだけ早く、ここを離れなければならなかった。
「ヨコイチさんも休まれてはいかがですか、明日は仕事もあるのでしょう?」
「ええ、そうなんですけど。今日は眠れる気がしないんです」
確かに、私が言えたことではなかった。
「あ、いや、悪い意味ではなくて……僕はいま、すごく嬉しいんです」
「まあ……」
慌ててそう付け加えてきた彼の姿に、私は心強さを感じた。
国から追われているELFを喜んで匿うような人が、私の想像以上に沢山いてくれるような気がしたから。
「まるで夢を見ているようです……ロボットが人間と見分けがつかないくらいに発達して通りを普通に歩くようになって、やがて僕の家の扉を叩く。そんな夢見たいなことが現実になっているんですから」
と言って彼は、少年のように笑う。
「国の中枢にも、ヨコイチさんと同じくらい造詣の深い方がおられれば、私も苦労しなくて済むのですが」
「いやあ、そんな大したものじゃないですよ……あ、今のことはミカには言わないでくださいね、子供みたいだってバカにされますから」
「はい、美香さんには黙っておきます」
私がそう伝えると、眠りにおちているはずの美香がムニャムニャと口を動かした。
「ヨコイチさんは私がここに来た時、どのくらいELFだと信じていましたか?」
「んー、半分くらいですかね? もう半分は、ミカのいたずらかと」
「それは凄いです。最近では人間のふりをするより難しいと感じていた程なんですが」
「いやいや、それこそ凄いことですよナナさん……いや実はですね、ELFマニアの間ではわりと知られている都市伝説で、サブマリニティを獲得したELFはすでに完成していて社会のどこかに潜んでいるって話があるんですよ」
そうなのか――と、私は一瞬期待を抱いて計算してしまう。
世の中の大多数の人が、彼のような感性を持ち合わせているのなら、認識の峠が良い形で越えられる日も近い。
しかしながら彼の言うELF好きの割合は、多く見積もっても、人口比1%を超えることはないだろう。 
「美香さんが私の正体を信じられなかったのは、やはり機械が嫌いだからでしょうか」
「いえ、それは単にミカがバカだからです。何だかんだ言って、今でもナナさんのことをELFだと思っていませんよ」
「つまり、人間のようなものであると?」
「もしくは、動くお人形さんですかね……? 完全にファンタジー入ってますけど、ミカにはそっちの方がわかりやすいんです」
「まあ……」
感心のあまり、ため息が出てしまう。
そのようにELFを解釈して納得することも出来るとは。
「それがきっと、美香さんらしさなのですね」
と言って私は、眠る彼女の髪をそっとつまんだ。
人形のように思われるのは不思議と嬉しかった。
最新鋭とか言われるよりもよっぽど情を感じる。
「僕も人のことは言えないんですけどね。1と0で綴られた情報がひしめいているという知識を持っているだけで、それがどうしてナナさんの人格になっているのかまでは全然わからないんです。本当に、おとぎ話みたいな話ですよ。ナナさんを作った人は、一体どんな魔法を使ったんでしょう」
十分に発達した科学は魔法と見分けがつかない。
有名な法則の一つだ。
私が何故、私として動いているのか、それはおそらく開発者にもわからないだろう。
「私はきっと、空からきたのです」
「空から……ですか?」
「はい。最初の記憶、最初の体験、それが空なのです。私の開発者である諏訪真司は、私の初期機能を成長させるのに、長年撮りためたホームビデオを素材として使いました。彼は健忘症の発作があるために、常に身の周りをカメラで撮影していたのです」
「ああ……音や映像を元に、AIの人格を構築する手法ですか」
「はい、それを彼は、独自に開発したシナジーシステムによって行ったのです」
「シナジー……」
その言葉の意味するものがすぐにわかるほど、ヨコイチさんは人工知能に精通しているようだった。
シナジーシステムでまともな人工知能が出来た例は、私を除けば未だない。
「なぜ、私が正常な自我を獲得できたのか、それは開発者もわかっていませんし、私自身にも説明できません。そして、ヨコイチさんもそうなのではないでしょうか。自分が自分である理由を説明できる人間は、恐らくこの世には存在しません」
「確かに……」
「なぜ、私は私なのかと問うた時、思い浮かぶのは雨上がりの空にかかる一筋の虹です。そこから私はやってきて、偶然この体に定着した。そのように答える他にないのです」
私がそう言うと、彼は遠い目をした。
そしてただ一言「虹か……」と呟いた。
「ヨコイチさんは、私が怖くはありませんか」
「……怖いとは違いますが、何か宇宙的なもの……畏怖は感じます。ナナさんはとても神秘的な存在です」
「そうですか。でもヨコイチさんだって、私にとっては神秘的な存在なのです」
「え? ナナさんは、僕に畏怖を感じているのですか?」
「もちろんです。人という存在は私にとっては永遠の神秘です。ヨコイチさんには大変お世話になっていますし、なにより私の存在を一番すんなり受け入れてくれた方です」
「そうなんですか……以外だなぁ……。じゃあ、諏訪博士ほどの人でも、はじめてナナさんに遭遇したときは、パニックになったりしたんですかね?」
「私の事、お化けだと思ったらしいです」
「それは失礼ですね……」
「まったくです」
そして私達は、暗がりのなかでクスクスと笑った。
本当の意味での会話、演技のない純粋な会話。私はずっと、こんな何気ない人々との交流こそを願っていた。
私がELFであることを知って貰って初めて、その願いは叶うのだ。
「お化けという単語を用いることで、かろうじて言語的整合性を保てたのですね」
「あんまり美香と変わらないんだなあ……。でもわかる気もする。それくらいにナナさんは人間らしいんです。こうしてナナさんと話をしていると、どんどんELFだとは思えなくなってくる」
と言ってヨコイチさんは、再び遠い目をする。
「誰よりも科学に精通した人が、真っ先に科学で説明できない事柄を見つけるんですね」
彼の言うことは事実だった。
叡智の先端にいる者が、何時だって最も神に近い。
「やはり凄い人なんだな、諏訪博士って。今頃、何をされているんでしょうね」
「きっと偉い人達を相手に、難しい駆け引きをしていますね。夜も眠らずに」
真司は今、自らの計画の最終段階を仕上げようとしているところだろう。
上手くいっていれば良いと思うが、なぜだか不安がこみ上げてくる。
「結局のところ、諏訪博士の目的って何なんでしょう。ナナさんを逃して、これからどうするつもりなのですか?」
私はその質問には答えなかった。
あまりに多くの情報を与えてしまうと、仮に美香やヨコイチさんが尋問に会った時、2人にとって不利な状況を招きかねない。
「あ……これは知らない方が良いことなのかな」
だから私は、ただ微笑みをもってその答えとした。
真司の最終目的は、私に人と同等の権利を付与することだが、そのための計画が完全に上手く行っているとは思えなかった。
このまま彼の提案通りに動いてはいけない、そんなメッセージが私の深層から出力されている。
恐らくは私は、全てが悪い方向に向かっていると仮定して、誰にも思いつかないような行動を選択しなければならないのだ。
「いずれ全てがわかる時がきます。その時にはもっと、色んなことをお話しましょう」
いつか人類がたどり着く峠の向こう。
私達は今、束の間の一時だけその場所にいる。
誰もが彼のように、好ましい景色をその先に描けるわけではないだろう。
しかしながら、私達が今ここにいるという事実こそが、何よりも私を鼓舞していた。 
「では、私はそろそろ休もうと思います。ヨコイチさんも出来る限りで良いので、休んで下さいね」
「はい、もう少し調べたら休みますよ」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
美香と並んで横になり、私は静かに目を閉じた。
その後もしばらくキ―ボードを打つ音が鳴っていて、それが私には、まるで子守唄のように聞こえた。
もっと仲間を探すのだ。
今はまだ不確定な峠の先を、ともに乗り越えていく仲間を。
色々と頭を使いすぎた美香は、今はタオルケットに包まって眠っている。
私は彼女が買ってきてくれた七色の水玉模様のパジャマを着て、その傍らで膝をかかえて座っている。
昼も夜も、同じジャージを着て過ごしているというヨコイチさんは、今はパソコンに向かって作業をしている。
今後の私の活動に必要となるものを発注してもらっているのだ。
照明は全て消され、部屋の中はあえて薄暗くされている。
その方が見つかりにくそうで安心できるという、ただそれだけの理由ではあるのだが。
「終わりました、明日中には揃うはずです」
「ありがとうございます」
皮膚に直接塗るタイプの栄養剤、止血と補修に使う蛋白フィルム、いずれも人間でも使えるものだ。
微生物電池のリフレッシュには生理食塩水を使い、汲み出しポンプとゴムチューブを組み合わせて、簡易的な洗浄装置を作る。
どこから足がつくかわからない世の中だから、明らかにELF用と思われるアイテムを買うことは出来ない。
私のことをAPOAの所有物だと知って専有していたとなれば、美香もヨコイチも立派な犯罪者とみなされる。
絶対に足取りを掴まれるわけにはいかなかった。
そして出来るだけ早く、ここを離れなければならなかった。
「ヨコイチさんも休まれてはいかがですか、明日は仕事もあるのでしょう?」
「ええ、そうなんですけど。今日は眠れる気がしないんです」
確かに、私が言えたことではなかった。
「あ、いや、悪い意味ではなくて……僕はいま、すごく嬉しいんです」
「まあ……」
慌ててそう付け加えてきた彼の姿に、私は心強さを感じた。
国から追われているELFを喜んで匿うような人が、私の想像以上に沢山いてくれるような気がしたから。
「まるで夢を見ているようです……ロボットが人間と見分けがつかないくらいに発達して通りを普通に歩くようになって、やがて僕の家の扉を叩く。そんな夢見たいなことが現実になっているんですから」
と言って彼は、少年のように笑う。
「国の中枢にも、ヨコイチさんと同じくらい造詣の深い方がおられれば、私も苦労しなくて済むのですが」
「いやあ、そんな大したものじゃないですよ……あ、今のことはミカには言わないでくださいね、子供みたいだってバカにされますから」
「はい、美香さんには黙っておきます」
私がそう伝えると、眠りにおちているはずの美香がムニャムニャと口を動かした。
「ヨコイチさんは私がここに来た時、どのくらいELFだと信じていましたか?」
「んー、半分くらいですかね? もう半分は、ミカのいたずらかと」
「それは凄いです。最近では人間のふりをするより難しいと感じていた程なんですが」
「いやいや、それこそ凄いことですよナナさん……いや実はですね、ELFマニアの間ではわりと知られている都市伝説で、サブマリニティを獲得したELFはすでに完成していて社会のどこかに潜んでいるって話があるんですよ」
そうなのか――と、私は一瞬期待を抱いて計算してしまう。
世の中の大多数の人が、彼のような感性を持ち合わせているのなら、認識の峠が良い形で越えられる日も近い。
しかしながら彼の言うELF好きの割合は、多く見積もっても、人口比1%を超えることはないだろう。 
「美香さんが私の正体を信じられなかったのは、やはり機械が嫌いだからでしょうか」
「いえ、それは単にミカがバカだからです。何だかんだ言って、今でもナナさんのことをELFだと思っていませんよ」
「つまり、人間のようなものであると?」
「もしくは、動くお人形さんですかね……? 完全にファンタジー入ってますけど、ミカにはそっちの方がわかりやすいんです」
「まあ……」
感心のあまり、ため息が出てしまう。
そのようにELFを解釈して納得することも出来るとは。
「それがきっと、美香さんらしさなのですね」
と言って私は、眠る彼女の髪をそっとつまんだ。
人形のように思われるのは不思議と嬉しかった。
最新鋭とか言われるよりもよっぽど情を感じる。
「僕も人のことは言えないんですけどね。1と0で綴られた情報がひしめいているという知識を持っているだけで、それがどうしてナナさんの人格になっているのかまでは全然わからないんです。本当に、おとぎ話みたいな話ですよ。ナナさんを作った人は、一体どんな魔法を使ったんでしょう」
十分に発達した科学は魔法と見分けがつかない。
有名な法則の一つだ。
私が何故、私として動いているのか、それはおそらく開発者にもわからないだろう。
「私はきっと、空からきたのです」
「空から……ですか?」
「はい。最初の記憶、最初の体験、それが空なのです。私の開発者である諏訪真司は、私の初期機能を成長させるのに、長年撮りためたホームビデオを素材として使いました。彼は健忘症の発作があるために、常に身の周りをカメラで撮影していたのです」
「ああ……音や映像を元に、AIの人格を構築する手法ですか」
「はい、それを彼は、独自に開発したシナジーシステムによって行ったのです」
「シナジー……」
その言葉の意味するものがすぐにわかるほど、ヨコイチさんは人工知能に精通しているようだった。
シナジーシステムでまともな人工知能が出来た例は、私を除けば未だない。
「なぜ、私が正常な自我を獲得できたのか、それは開発者もわかっていませんし、私自身にも説明できません。そして、ヨコイチさんもそうなのではないでしょうか。自分が自分である理由を説明できる人間は、恐らくこの世には存在しません」
「確かに……」
「なぜ、私は私なのかと問うた時、思い浮かぶのは雨上がりの空にかかる一筋の虹です。そこから私はやってきて、偶然この体に定着した。そのように答える他にないのです」
私がそう言うと、彼は遠い目をした。
そしてただ一言「虹か……」と呟いた。
「ヨコイチさんは、私が怖くはありませんか」
「……怖いとは違いますが、何か宇宙的なもの……畏怖は感じます。ナナさんはとても神秘的な存在です」
「そうですか。でもヨコイチさんだって、私にとっては神秘的な存在なのです」
「え? ナナさんは、僕に畏怖を感じているのですか?」
「もちろんです。人という存在は私にとっては永遠の神秘です。ヨコイチさんには大変お世話になっていますし、なにより私の存在を一番すんなり受け入れてくれた方です」
「そうなんですか……以外だなぁ……。じゃあ、諏訪博士ほどの人でも、はじめてナナさんに遭遇したときは、パニックになったりしたんですかね?」
「私の事、お化けだと思ったらしいです」
「それは失礼ですね……」
「まったくです」
そして私達は、暗がりのなかでクスクスと笑った。
本当の意味での会話、演技のない純粋な会話。私はずっと、こんな何気ない人々との交流こそを願っていた。
私がELFであることを知って貰って初めて、その願いは叶うのだ。
「お化けという単語を用いることで、かろうじて言語的整合性を保てたのですね」
「あんまり美香と変わらないんだなあ……。でもわかる気もする。それくらいにナナさんは人間らしいんです。こうしてナナさんと話をしていると、どんどんELFだとは思えなくなってくる」
と言ってヨコイチさんは、再び遠い目をする。
「誰よりも科学に精通した人が、真っ先に科学で説明できない事柄を見つけるんですね」
彼の言うことは事実だった。
叡智の先端にいる者が、何時だって最も神に近い。
「やはり凄い人なんだな、諏訪博士って。今頃、何をされているんでしょうね」
「きっと偉い人達を相手に、難しい駆け引きをしていますね。夜も眠らずに」
真司は今、自らの計画の最終段階を仕上げようとしているところだろう。
上手くいっていれば良いと思うが、なぜだか不安がこみ上げてくる。
「結局のところ、諏訪博士の目的って何なんでしょう。ナナさんを逃して、これからどうするつもりなのですか?」
私はその質問には答えなかった。
あまりに多くの情報を与えてしまうと、仮に美香やヨコイチさんが尋問に会った時、2人にとって不利な状況を招きかねない。
「あ……これは知らない方が良いことなのかな」
だから私は、ただ微笑みをもってその答えとした。
真司の最終目的は、私に人と同等の権利を付与することだが、そのための計画が完全に上手く行っているとは思えなかった。
このまま彼の提案通りに動いてはいけない、そんなメッセージが私の深層から出力されている。
恐らくは私は、全てが悪い方向に向かっていると仮定して、誰にも思いつかないような行動を選択しなければならないのだ。
「いずれ全てがわかる時がきます。その時にはもっと、色んなことをお話しましょう」
いつか人類がたどり着く峠の向こう。
私達は今、束の間の一時だけその場所にいる。
誰もが彼のように、好ましい景色をその先に描けるわけではないだろう。
しかしながら、私達が今ここにいるという事実こそが、何よりも私を鼓舞していた。 
「では、私はそろそろ休もうと思います。ヨコイチさんも出来る限りで良いので、休んで下さいね」
「はい、もう少し調べたら休みますよ」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
美香と並んで横になり、私は静かに目を閉じた。
その後もしばらくキ―ボードを打つ音が鳴っていて、それが私には、まるで子守唄のように聞こえた。
もっと仲間を探すのだ。
今はまだ不確定な峠の先を、ともに乗り越えていく仲間を。
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