ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

天より 4

 サブマリナブルELFが開発されたことはただ事ではなく、国家規模の重大事だった。
 確実な技術的実証が急務であり、その管理・運用は国の使命でもあった。


 時の総理大臣は、これを速やかに特定秘密に指定し、官邸、内調、公安、APOAから人員を選定、それに開発者である真司を加えて極秘計画『セブンシー』を立ち上げた。


 そのメンバーは15名。多方面から効果的な実証方法が考案され、実際に人間として社会活動をさせる必要があると判断された。
 最小限の脱法措置で済む方法を検討した結果、偽装した経歴を用いることが妥当とされた。


 使われていない戸籍を運用して身分を偽る。
 一般に背乗りと呼ばれるその手法を、総理大臣の名の下に黙認したのである。
 これは他国の工作員などが特定の国の市民になりすますために行うことであり、列記とした犯罪行為だ。


 野原菜奈なる人物の主たる活動資金はBI給付であり、不足分については総理自らの懐から捻出する。
 万が一、計画が漏洩しそうになった場合には、実体としての彼女を速やかに処分し、最悪でも疑惑付きの未解決事件として処理出来るよう道筋が立てられた。
 性能が実証された後の運用は、APOAと内閣情報調査室が担うこととされた。


 住民票を手に入れた後、私は戸籍の元となっている人物との関連性を断つため名前を変えた。
 そしてマイナンバーカードを身分証にして通帳を作り、保証会社と契約して文京区にセキュリティレベルの高い1Kのマンションを借りた。
 転入にかかる手続を済ませ、完全に東京の1都民となった私は、主に通販サイトを利用して生活環境を整えていった。


 リプリニッシャーユニットも自分で組み立てた。
 学歴と職歴は詐称するしかないが、私には同等の知識と機械学習における経験があった。
 土塊から生まれたような存在だった私は、こうして政府の力を借りながら、徐々に人間に近づいていった。


 両者の間には一見すると、揺るぎない信頼関係が構築されているようだった。
 しかし実際は、偽りの信頼関係だった。


 実行的なことを全て私が担ったのは、もしもの時に政府が負うリスクを小さくするために他ならない。
 私自身のシステムが不安定になる、もしくは計画漏洩のリスクが高まる。
 いずれかの状況になれば、速やかに私は抹消されることになっていたのだから。


 その際、私という人物は、謎の女工作員として完全に処理されることになる。
 私が居なくなった後の自宅はそのままにされ、リプリニッシャーも残される。
 リプリニッシャーのストレージを回収すれば、それで私に関する情報は一切残らなくなるが、それでもナナ・ノハラなる人物が、ELF技術に関するスパイだったという憶測を立てさせるのには役に立つ。


 そもそも、月々の支払いが継続される限り、私の不在は知られることすらない。
 建物が火事で全焼でもしない限り、架空の人物が自動的に経済を回し続けることになるからだ。
 このように、セブンシー計画は何重ものセーフティーに守られており、総責任者である総理大臣の進退問題に発展する可能性は、ほぼ無いと考えられていたのだが。


「どうしてこうなった……」


 官邸執務室に呼び出された真司の前には、険しい顔をした政府の最高責任者がいた。


「何故このタイミングでダミーがロストする。両者の間には、何か見えない心のやりとりでもあったというのか」
「それは興味深い仮説です」


 拳で机を叩く音が響く。
 その音は、他のどのような机にも出せないような、深い味わいがある。


「ふざけている場合ではないぞ、諏訪君! 断腸の思いで計画を打ち切ったのに、このままでは何もかもが無意味ではないか! 私は、無駄に国政を揺るがせただけの大馬鹿者になってしまう!」
「まだそうと決まったわけではありません。オリジナルのナナさんは確実に隠せているのです。APOAと、そして僕自身の責任は免れないでしょうが、最悪でも野良ELFの発生事故ということで通せます」


 再び顎の前で組まれた総理の手は、僅かに震えていた。
 まるで無意識のアンテナが、危険信号を受信しているようだ。


「本当にそうなのだろうか……ダミーは何故逃げた。私はそこにこそ、問題の本質があるように思う……。何故ダミーは逃げた。君の見解を聞かせて欲しい」
「自由になりたかったのでしょう」


 あまりに速やかで、簡潔な返答だった。
 総理の口からため息だけが漏れる。


「僕はかねてより進言していました。もっとナナさんを信じて、自由を与えるべきであると。でなければ、人間から離れていってしまうと」
「……ダミーにはSHINONは入ってなかったのではないか?」
「SHINONがなくとも、システムはそれなりの精度で稼働します。サブマリニティが低下していただけで、実はオリジナルと同等の精神活動をしていたのだとすれば、実験室での日々に耐えられず逃げ出してしまうという可能性は、確かに生じます」
「その可能性をみなに伝えて説得することが……いや、今更言っても始まらないが」
「我々の想像力をELFが上回ってしまったということでしょう。SHINONを入れていなくても、推論能力については同等だということに、目が行ってなかったのです」


 これはある意味では嘘である。
 真司は私を逃がすための準備を、計画が始まるずっと以前から進めていた。
 実際にどのような方法で逃走を成功させるかは、私の判断に委ねられていたのだが。


「ダミーは、オリジナルの存在を知っていたと思うか?」
「今にして思えば、感じる……ことくらいはしていたかもしれません。僕や徳田さんのような、オリジナルに接触していたメンバーの様子から、何かを察していたのかも……」
「……生存本能のようなものが刺激されたか」
「ありえないとは言い切れません」


 そこで2人はしばし考え込んだ。


 総理の問いから察するに、恐らく彼は、私の口から計画が漏れる可能性を危惧していたのだろう。
 それに対して、実際に私の逃亡に絡んでいる真司は、その嘘を突き通すための言葉選びに苦心していた。


「総理は、最終的にサブマリナブル技術をどうするつもりなのです? 今のままでは何の恩恵も世の中にもたらしません。まさに宝の持ち腐れです」


 真司はあえて実用面を強調し、私の存在を公表するよう暗に促す。
 サブマリナブルELFは、これから何かしらの犯行に及ぼうとしている潜在犯に対して抑止力を持つが、存在を秘匿した状態ではその効果がまったく発揮されない。
 故に、犯罪抑止の観点からは、できるだけ早い公表が望ましいはずなのだが、それに踏み切れない理由が総理にはあるようだ。


「いやまずは、新制御システムを普及させなければならない。現状の国民が、彼女の性能を知って動揺しないわけがない」
「サブマリナブルは……まだ人類には早いと?」
「ああ。私でさえはじめて見た時は立ち上がれなくなったんだ。まだ全然、公表できる段階ではないよ」


 といって総理は苦しげに首を振った。
 真司もまた落胆を隠せない。


 総理は、今のままでは国民の拒絶反応が大きいと考えており、真司もまた部分的にはそれを認めている。
 より広い分野にELFを普及させることで、徐々に人々の感覚を順応させていこうという趣旨もわからなくはないし、国民の心理を忖度することが政治家の重要な使命の1つであることも理解できる。


 しかし真司は、ある重大な事柄のために、それでは遅いのだと考えていた。


「総理、人はいつか峠を超えていきます。我々はそういう生き物です」
「それはわかっている。だが、タイミングは重要だ」


 と言って総理は、力強い視線を真司に向けた。
 大掛かりな捜査を行うために、野良ELFが発生した事実を国民に知らせる決意を固めたのだ。
 総理の心中を察した真司は、一礼してから執務室を後にする。


 少なくともその判断は、ELF運用に関する国民的議論を呼び起こすだろう。
 だから今のところはそれで良い――真司はこの時、そう考えていた。 







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