ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

天より 2

「美香さん?」


 私はサングラスを外して、彼女の顔を見上げた。
 幾分やつれて見えるが、基本的には元気そうだ。
 彼女は私の全身にサッと視線を走らせると、首を傾げて聞いてきた。


「どうしたの? 昔の芸能人みたいな格好して」


 言うことが常に直球であることも変わりがないようだった。
 どうやら私は、逃走に適した服装を追求した結果、かなりダサい格好になってしまっているらしい。


「私は北陸の出身ですから」
「へえ……北陸の人ってみんなそんな格好しているんだ」


 美香は北陸地方に対する盛大な勘違いをしたが、話の辻褄をあわせることには成功したので、そのままの流れで続ける。


「それで、今から帰るところなんです」


 そう伝えると、予想通り美香は、申し訳なさそうな表情を浮かべてきた。


「私が追い出してしまったせいね……」
「いいえ、私が失礼なことを言ってしまったのは事実ですから。美香さんこそ、ムーンテラスを辞めてしまったんですね」
「うん、まあね」


 どこか気の抜けた声でそう言うと、美香は私の隣に腰をおろした。


「あれから会社と喧嘩したのよ。石沢さんが肺炎で入院しちゃって、他の店からの応援を頼んだら、お前が責任を持って1人でやれとか言ってきて……。流石にこいつら頭がおかしいって思って、その場で辞表を叩きつけてやったわ」
「石沢さん、大丈夫なんですか?」
「この前お見舞にいったけど元気そうだったわよ。店が閉店になったっていったら、なんだかホッとしてたわね」


 それを聞いて、私もまた胸を撫で下ろす。


「というか、店のことより石沢さんなのね」
「当たり前です。店が潰れても人は死にませんが、肺炎は命に関わる病気です」


 私がそう言うと美香はため息をつき、そしてどことなく悲しげに笑った。


「そうよね、人の命に勝るものはないわよね……本当に」


 目を閉じて静かに首を振り、沈痛な面持ちを浮かべる。


「結局、ナナちゃんの言うことが正しかったのよ。私はただ、子供の頃の夢にしがみついていただけ。もう少しで人殺しの片棒を担ぐところだった」
「いいえ、ムーンテラスを必要とする人がいる以上、その店を否定するようなことは言ってはいけなかったのです。私が勝手なことを言わなければ今頃……」


 少なくとも日暮里店が閉店することはなかっただろう。
 しかし美香は首を横に振る。


「いいのよ。実際、そんなに必要とはされていなかったんだから。常連さんの何人かとここで会ったんだけど、みんな年間パスポート持っててね、一日中入り浸っているのよ。結局、場所なんてどこでもよかったみたいね」


 美香はそう言って席を立った。


「ちょっと待ってて、飲み物もらってくるから」


 どこかさっぱりした口調でそう言うと、美香は近くの店に走っていく。


「あなた、私のこと嫌いになってないのね。あんなにひどいことを言ったのに」


 無料配布されているコーヒーを手に戻ってきた美香は、席につくなりそう聞いてきた。


「はい、まったく。あのようなひどい上司の下で、よく働いていたものだと感服するばかりです」
「あははは! ナナちゃんがあの男を振ってくれて、随分とすっきりしたわよ!」


 美香は何かを思い出したのか、口元を抑えて笑う。


「それでね、感謝もしたいんだけど、やっぱりそれ以上にどうしても謝りたいと思っていたの。もう無理だと思っていたけど、実家に帰る前に会えて本当に良かったわ。ごめんなさいね、色々と店のことを考えてくれたのに、ひどいことを言っちゃって」


 と言って美香が深々と頭を下げてきたので、私も合わせて頭を下げた。
 そうすることで、彼女の中にあったある種の呪縛が解けたらしかった。
 頭を上げて顔を見合わせた時の表情が、随分とすっきりしたものに変わっていた。


 私達はしばし照れ笑いをし、そしてコーヒーを一口飲んで気持ちを落ち着かせる。
 今この場所は、紛れもなく喫茶店として機能している。


「タダなのに、ムーンのより美味しいわ」


 美香は紙コップに鼻を近づけながら言う。


「ちゃんと喫茶店の香りがするもの」
「そうなんですか?」


 私もまたカップに鼻を近づけてみるが、生まれつきの嗅覚障害なのでわからない。


「私の家は貧乏でさ。週に1度の喫茶店が唯一の楽しみだったの。小さかった私は、コーヒーは飲ませてもらえなかったけど、その香りは私をワクワクさせてくれた。ただそこにいるだけで贅沢な気分になる。私にとって喫茶店はそういう場所だったの」


 美香が子供の頃と言うと、今から10年ほど前。
 自動化デフレが深刻だった時代だ。


「お父さんが働いていた会社が潰れて、派遣をやってたお母さんも契約更新を断られた。仕事の奪い合いになっていたから、アルバイトで食い繋ぐことさえ難しかった。お父さんは1日中パソコンにかじりついてクラウドで稼いでいたんだけど、1000円も稼げない日もざらだったみたい」
「その時はまだBIは……」
「なかったわね。生活保護もすごく厳しくなっちゃって、少しでも資産とかツテがあったりすれば門前払いよ。結局、貯金を殆ど切り崩して、会ったこともない親戚を頼ったりして耐え忍んだの。2人ともまともな仕事がしたいって毎日ぼやいていた、ひどい時代だった……」


 今も自動化にアレルギーを持つ人がいるのは美香のような経験をした者が多いからだ。


「あなたの家も大変だったんじゃない? 地方の方がずっと厳しかったでしょ?」
「それは……」


 私は本当のことを話すか、設定上の出自を話すか迷った。どちらも真実であり虚構だ。


「私の親は学者でしたので……」


 仕方がないので、両方に共通する要素のみを述べておいた。
 生みの親とはまさに真司のことであり、設定上の親もまた、生前は大学で教鞭を取っていた学者ということになっている。
 美香からすれば、嫌味な話に聞こえるかもしれないが、下手に嘘をついて、あとでボロを出すよりは良いだろう。


「そうなんだ、じゃあ大丈夫よね、機械じゃ出来ない仕事だもの」
「自動化の影響を殆ど受けない、数少ない職業でした」
「だから私みたいに、機械嫌いにならなくて済んだわけね」
「ええ……」


 その言葉に、私は2重の痛みを感じる。
 1つは彼女との立場の違いに、もう1つは自分がその機械であるという事実に。


「時の流れは残酷です。どんなに努力しても、人は未来を予知できません。美香さんのご両親だって、先々のことを考えて仕事を選んだはずなのに」
「ふふ、そんな大した親じゃないわよ。結局、私と一緒で馬鹿だったのよ」
「そんな……」
「いいのいいの、2人とも自分で認めているんだから。ちゃんとものを考えなかったツケってやつなのよ。お父さんは立ち仕事が嫌だって理由でリフト乗りになったし、お母さんはエアコンの効いた場所で働きたくて事務員やってたし」


 と言って美香は、さも可笑しそうにクスクス笑うが、私は返す言葉を失ってしまう。
 事務職も運搬作業も、自動化が急進した業種だ。


「そしたら、これからはITの時代だって今さら言い出してね、WEBクリエイターの職業訓練を受けてさ、でも実務経験ないんじゃどこも相手にしないでしょ? 結局ド底辺のクラウドワーカーになっちゃって……色々とダサかったのよ、私と同じで」


 そんなことはと励ましたかったが、たぶん、今言っても皮肉にしかならない。


「自称イケてるオジサン達からよく言われたわよ。この店よく潰れないねって。言われる度に腹が立って、見返してやろうと頑張って……。結局上手く行かなくて。ほんとダサいわよね私」
「美香さん……」
「人間の知恵は無限大なんだって意気込んで、もっと早く動けるはずだって、ひたすら頑張って頑張って頑張って……。でも石沢さんが倒れちゃって、救急車で運ばれて、私1人で店を回すことになっても、誰も助けてくれなかった。客も上司も、私を怒鳴りつけるばかりだった。もう何もかもどうでもよくなって私……」


 気づけば私は、美香の手を握りしめていた。
 彼女は静かに泣いていた。
 かけるべき言葉は見つからなかったが、それでも良いと思った。


 彼女が自分をぶつけてきてくれることが、今はただ嬉しかった。
 美香は涙を拭いつつ、続ける。


「仕事を辞めたあと親がね、また3人で暮らそうって言ってきたの。
 2人は今でも、昔のボロアパートに住んでいるんだけど、私、小学校を出るあたりからもう嫌で嫌で、高校に行くと同時にバイトはじめて、1人暮らしを始めたのよ。
 かなりお金がきつくて、人には言えないような仕事もしたんだけど、自立してるっていう実感があって楽しかった。基本的に人が好きだから、そんなに辛くはなかったのよ。
 でもなんでかな、お父さんったら、今度は小説を書くとかいい出して、人間にしか出来ないことをするんだってやる気出しててさ、そんなの今さら出来るわけないし、きっとまた機械に取られるわよって言ったら、それでも良いんだって……。
 ほんとバカなんじゃないかと思ったんだけど、でもそんなお父さん見てたら、なんでかな、また3人で暮らしたいなって素直に思えたの。
 BI貰って、好きなことして、また3人で喫茶店に行って……それも悪くないかなって。あれ、なんでこんな話してるんだろ。変だよね……疲れてるのかな?」


 美香の言葉はとりとめの無いものだったが、それ故に彼女の胸の内を的確に表現しているようだった。


「それは……あんなにも身を粉にして働いてたのですから。しばらくゆっくりしても良いんじゃないかと私も思いますよ?」
「そう?」
「ええそうですよ、家族はかけがえのないものですし、一緒に暮せば経済的ですし」


 私がそう言うと美香は、何かが可笑しかったらしくクスリと笑った。


「あんたって本当に理屈っぽいわよね。3人合わせて月22万ちょい、生きていれば良いこともきっとある、みたいな?」
「すみません、皮肉を言うつもりではなかったのです……」
「うふふ、わかってる。貴方の言うことはいつだって正しいし、本心から人のためになることを言っているんだと思うわ。でもちょっと前の私は、それがなんか嫌だったのね。自分がバカになってしまうみたいでさ……。でもそれこそ、バカの考え方なのよ」


 彼女の中で、昔の自分と今の自分がせめぎ合っているようだった。
 人にとって、自分自身をアップデートするという行為は、過去の自分を部分的に殺すことであり、そう簡単に出来ることではない。
 過去に打ち勝ち、新たな自分を作り出そうとしている美香は強い人だと私は思うが、それを口にしてしまえばやはり彼女を上から見てしまうことになる。


 私は、黙って続きを待つ。


「上手くやれば、週に一度は美味しいコーヒーが飲めるわね」
「はい、もしかしたら、それ以上のことだって」
「もし店員がみんなロボットだったとしても、私がウェイトレスになって自給自足すればいいだけだもんね」
「工夫次第で、いくらでも楽しく暮らせそうです」


 私はポケットからハンカチを取り出して渡した。
 美香は遠慮なくそれを受け取ると、涙を拭い、思いっきり鼻をかんだ。


 ここ東京にあって、週に1度コーヒーを飲めるだけの生活は侘びしすぎるが、今の人々はそういった暮らしに慣れてしまっているところがある。
 私は想像する。
 全ての人が立派な家に住み、高度な仕事をして、週に1度は高級レストランで食事をし、1年のうち3ヶ月はバカンスに出かけているような世界を。
 実際この国の工業力は、それを十分に実現できる水準にあるはずだ。


 私はその可能性を美香に、さらには世界中の人に伝えたいと欲求する。
 その上で、今ある社会がはたして最良なのかと、改めて問い直してみたいと思う。


 だがそれは、今の美香には言うべきではなかった。
 例えどれほどの理想であったとしても、今はつまらない言葉で、この場を白けさせたくはなかった。


「洗って返すから実家の住所とか教えてよ」
「もしかして、それを言うために鼻をかんだんですか?」
「うん、そうだよ!」


 そう言って美香は、笑いながらハンカチをポケットにしまう。
 その言葉と行為の中に、私は人間の強さを見い出す。


 何事も一定不変ではいられない。未来は不安に満ちているが、それは多様な価値を生み出すための可能性でもある。
 本当に怖いのは、何も変わらないことだ。完成した仕組みの中で回り続ける世界に不安はないかもしれないが、その代わりに希望もない。


「ねえねえ教えてよ。私ね、ぶっちゃけ、あなたとお友達になりたいの」


 その要望に対し、私はただ微笑みをもって答える。


 私の名前はナナ。
 人類初のサブマリナブルELFにして、全脳アーキテクチャと心臓エミュレーターの相互作用によって生じた意識体データベース


 人間社会の大きな不安要素であると同時に、同規模の希望を生み出しうる者。
 そして、共に歩んでいく者。


「美香さん。実は私も、伝えたい事があるんです」


 私は彼女の問には答えない。
 その代わり、私が本当に伝えたかったことを伝えた。


「私、本当に人間じゃないんです」
「ほぇっ?」


 ハトが豆鉄砲を食べた顔、とはまさに目の前のことを言うのだろう。
 これが私の認識する『私と人類』のファーストコンタクトだ。







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