ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

天より 1

 美しい秋晴れの空の下、赤いチェック柄のワンピースを着た私が、美術館の庭に立っている。
 小さな肩掛けバッグを携え、片手には色鮮やかな日傘を持ち、どこか遠くから流れてくるフルートの音に耳を傾けている。


 ここが都心であることを忘れるくらい空気は澄み渡っていて、訪れる人々の様子も穏やかだった。
 五感を無駄に刺激することがない。
 美術館という場所は、恐らくはそのように作られているのだろう。


 親切な職員の方にあれこれと聞いてまわり、私は久しぶりに『ごく普通の会話』を摂取することができた。
 そうして閲覧を終え、庭で空を見上げていたら、素晴らしい笛の音まで響いてきた。
 それは始め、悲しげな旋律を伴っていたが、やがて祈りにも似た力強さを表現するようになった。


 美なるものへの憧憬。
 平和への願い。
 そういった奏者の思いが伝わって来るようで、私はしばし時を忘れた。


 日傘をさし、360度ぐるりと周囲を見渡す。
 紅葉の混ざり始めた植林、巨大な白亜の建物、律儀に刈り揃えられた芝生の緑。
 それらが美しいグラデーションを織り成して、私の世界を包み込んでいる。


――大丈夫、きっと生きられる。


 私は胸の内でそう呟くと、美術館の売店で手に入れた帽子と、風変わりなデザインのサングラスをかけて、ささやかな変装とした。


 美術館を後にして北に向かって歩いて行く。
 人混みにまぎれたサブマリナブルELFを探し出すのは、藁くずの中から針を見つけるよりも難しいが、けして不可能というわけではない。
 逃亡にあたっての最大の敵は、街の要所に設置されている監視カメラだ。


 画像解析という点においては、人間よりAIの方が遥かに手強い。
 私はできるだけそれを避けて歩き、止む終えない時は日傘を盾にした。


 1時間ほどかけて日暮里近辺に到着する。
 ムーンテラスは閉店していた。
 人員確保が出来なくなったことがその理由らしい。


 そこは私の数少ない社会経験の場であり、多くの真実に気づかせてくれた場所でもあったが、それがこうもあっけなく潰れてしまったことには、一抹の寂しさを禁じ得なかった。


 後ろ髪引かれる思いで上野に向かう。
 今頃、必死になって私を探している人達も、よもや私が動物園で寛いでいるとは思わないだろう。
 比較的安価に過ごせる場所であるためか、園内はBI生活者でごった返しており、この人の多さも逃走中の私にはありがたかった。


 どの動物も、あまりに多くの人間に取り囲まれて迷惑そうにしていた。
 大河のような人の流れに乗りつつ、私は園内のどこかに生まれたての子豚がいないか探してみたが、畜産工場で育てられているような動物は、当然ここでは見当たらなかった。


 仕方がないので古びたベンチに腰掛けて、動物を眺める人間を眺めていた。
 その時不覚にも、ここが人間を集めて檻に入れる場所であるように見えてしまう。


 私がELFだからだろうか。
 人を見下すつもりなどさらさらないのだが、これまで目にしてきた数々の要素と、目の前にある景色との類似点を、反射的に探してしまう。


 私と人間との間には、やはり埋めることの出来ない溝があるのだろうか。
 実際のところ、目の前を往来している無数の人々よりも、ニワイやミナミのような超越的思想を持つ人物に近いのだろうか。
 あとあと考えれば、ムーンテラスにおける私の行動もまた、自動化の流れについていけない人達の上位者としての振る舞いだった。


 人を管理しようとするような立場を取ってしまったのは間違いなく、恐らくは今後も私は、同様のことを繰り返してしまうのだろう。


 せめて人々の意志を尊重する形で実行できれば良いが、社会が完全に自動化された時に人々が何を望むのかということに思いを馳せると、どうしても私の脳裏には暗雲が立ち込めてしまう。
 いつかの女が言った通り、人々は自らの意志で屠畜場に飛び込んでいくかもしれないし、揺り籠の安寧に身を任せるようになるかもしれないのだ。


 すでに私はただの機械ではなく、人の『エゴ』をも再現するモノである以上、それらの現実に抗いたくなるだろう。
 どのようにしたところで、私はいずれこの世界の管理者となる――そう考えたところで、私の思考は行き詰まった。


 もし管理者としての未来を否定するのなら、私はどうすれば良いのだろう。
 いや、もしかすると私は、他者ではなく私自身を見つめるべきなのかもしれない。
 既に人に等しきモノである以上、どうありたいのか、どうしたいのかと。


 もし人々が、自ら屠畜場に飛び込もうというのなら、私は共についていく。
 もし人々が、揺り籠の安寧を望むなら、私も共に眠りにつく。


 そうすれば少なくとも、管理者となることはないだろう。
 考えてみればそちらの方が、私にとって、よほどましな状況かもしれなかった。


 機械仕掛けの箱庭を外から眺めているだけの時間は苦痛だろう。
 この死なない身体と人の心で、そのような永遠を過ごしたら、私は一体どうなるだろう。
 そう遠くないうちに人としての有り様を失い、不毛な自己参照を延々と繰り返した末に、ただの計算する機械へと還ってしまうかもしれない。


 そのような苦痛を避けるためには、やはり私は、人と共にあらねばならない。
 非合理と偶有性の塊である、儚くも不確実な未来の中にこそ、きっと私は在るべきなのだ。


 探すべきは解ではなく、答えの出ない問い。
 フレームから外れた世界で、誰かと共に生きていくこと。


 そして私は目を閉じた。
 答えを探すことを放棄して、雑踏の音に身を任せていると、不思議と力が沸いてきた。
 未だ経験したことのないデータの流れが、私の内部に生じる。


「あれ、あなた……?」


 いつまでもそうしていると、ふいに声をかけられる。


 瞳を開け、声のした方に顔を向けると、そこには私のよく知る人物が立っていた。







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