ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

マイ・ドリーム 5

「改善提案があります」


 翌日、いつもより早めに出勤したナナは、専用の機械でキャベツを刻んでいた美香に向かって言った。


「どうしたの突然?」


 美香は目を丸くするが、作業の手だけはけして止めない。


「やはりコーヒーは、もっと品質の良いものに変えた方が良いと思うのです」


 美香の表情がにわかに険しくなるが、今はまだ想定内だ。


「当店のコーヒーは、大きな声では言えませんがインスタントです」
「うん、そうねえ」
「他店のコーヒーと比べて見劣りするために、新規の常連さまの獲得が難しい状況になっています。これは長い目でみると、店の経営に重大な影響を及ぼします」


 美香の手が止まる。


「サービス面については私達の努力でカバーできますので、コーヒーの品質さえ改善できれば先々の憂いはかなり無くなると思われます。問題はコスト増にどう対応するかですが、AI解析による価格見直しを行ったところ、価格の再設定で十分にカバーできるとの試算が得られました。こちらがそのデータです」


 と言ってナナは、データをスマートフォンに表示させ、美香に提示した。


「ちょっとあなた……」
「AI解析にはフリーソフトウェアを使いましたが、有償のソフトウェアを使えばより精度の高い価格設定が出来るはずです。コーヒーは今よりも価格を25%下げることで売上高を最大化できると試算されているので、この25%分をまずは品質向上に割り当ててみてはと思います。是非ともご検討ください」
「ちょっと!」


 語気の強さが一定値を超えたので、そこでナナは口をつぐむ。
 美香は手を洗ってタオルで拭くと、さも不満げな様子でナナと向き合った。


「あなた、自分が何を言っているのかわかっているの?」
「改善提案です」
「ちがうちがう、あなたはこの店の味にケチをつけてるのよ。コーヒーは喫茶店の命よ? それをたかだか入店して1ヶ月たらずの新入りがケチつけようってーの?」
「私は店のことを考えまして……」


 美香はさらに語気を強める。


「それがおこがましいっていうのよ! 何よAI解析って? お客様を馬鹿にしているの? 価格設定にだって私たちの思いが込められているんだからね!?」
「しかし、経営が立ち行かなければ思いを伝えるどころでは……」
「ちょっと黙ってよね! あなた、人は数字じゃないってことくらいわからないの!? お客様を裏切るわけにはいかないんだから! コーヒーの味ってそんな簡単には変えられるものじゃないのよ!」
「では、当店に来られるお客様は、今のコーヒーの味に満足していると?」
「そうでなきゃとっくに店が潰れているじゃない! 昔はレギュラーを出していたらしいけど、もっと値段を下げてとか飲みやすくして欲しいとか、そういった要望に答えていった結果、今の形になっているの!」


 その情報は初耳であると同時に、多くの予測困難性を含んでいたため、ナナは改めて問い直す必要があった。


「まさか、お客様がインスタントを望んだのですか?」


 すると美香は、物分りの悪い子供を前にした大人のように、やれやれと首を振った。


「そんなわけないでしょ……誰がわざわざ喫茶店まできてインスタント飲むのよ。黙っていればわかりゃしないのよ……」
「え……?」


 思いがけない美香の回答にナナは言葉を失った。よもや嘘もサービスの内だとは。


「わかったらさっさと仕事を始めなさい! もう2度と舐めた口聞かないでね!」


 その日はずっと、客がコーヒーを飲む様子を観察しながら仕事を進めた。
 作業に関しては最適化が完了していたので、計算リソースにも余裕が出来ていた。
 妥協することを覚えれば、大抵のイレギュラーは怖くない。
 笑顔と愛嬌で乗り切ることが肝心だ。


 言われてみれば確かに、殆どの客はコーヒーの味など気にしていなかった。
 不味そうな顔も、美味しそうな顔もせず、ただコーヒーをすすり、無心でナポリタンを食べ、ハンバーグを食べ、サラダを食べている。
 あとは雑誌や新聞を読んだり、とりとめもないお喋りに興じたり、あるいは1人でぼんやり考えごとをして過ごしたり、ただそれだけのことで人々は概ね満足していた。


 全ての人間は喫茶店に行くために生まれてくるという仮説が否定されたわけではないが、喫茶店の定義を根本的に見直す必要があった。
 空間・給仕者・飲食物――それらが欠けていたとしても、どうやら人は、その場所を喫茶店だと認識するようなのだ。


 HDIの力も借りて情報を集め、喫茶店を成立させるために必要最低限の要素を再分析したところ、そのいずれも必須ではないことがわかった。
 最終的に得られた結果。それは『看板くらいあったほうが良い』というものだった。


――大草原の真ん中に『cafe』と書かれた看板がポツンと立っている。


 そんなイメージが出力された瞬間、データベースが混乱をきたし、ナナは皿を落として割ってしまった。
 かいつまんで言えば『愕然』とした。


 空間・給仕者・飲食物、そのどれもが付加価値でしかないことに気づいた瞬間、ナナの思索の旅は終わりを告げた。
 実態のない情報の流れのようなものに値札をつけること。
 それはつまり、サービス業の定義そのものに他ならない。
 ちょっと本を読めばわかるようなことに、一体どれだけのリソースを割り当ててしまったのか。


 0から100までのサービスレベルがあったとして、人はその中から自己の消費機能に合ったレベルを選択することが出来る。
 ただそれだけのことに過ぎない。


 つまり全ての人類を喫茶店に導くためには、全ての場所に全てのサービスレベルの喫茶店を設置すれば良いのだ。
 現実的にそれは不可能だが、サービスの多様性を確保することで、その目標を高いレベルで実現できるだろう。


 故にナナがいますべきことは、ムーンテラスというレベルのサービスを維持するためのルーチンを確実に実行することであり、改善提案をすることではなかった。


 ナナは今この瞬間に、指示通りに動くだけの機械となる。
 人のふりをするための機械である彼女は、より深く人のふりをしようとした結果、ただの機械に戻ってしまったのだ。


 自由な意思による、私達にはまだ出来ない活躍を――。


 いつか、誰かのために言った助言が思い返される。
 ナナは考える。
 その時の助言を自分自身に適応するべきなのかを。


 人類にはまだ出来ない活躍をするべきなのかを。







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