ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

マイ・ドリーム 2

 給仕の仕事をELFに行わせることは、今はまだ難しいことだった。
 障害物や人物の移動がある限定された空間での歩行は、それだけでも高度な計算を必要とする。
 なおかつ食事や飲料の乗せられたトレーを持たせるとなると、完全に計算容量がパンクしてしまう。


 仮に運用するにしても、専用の通路を予め確保しておくなどの工夫が必要になる。
 昔ながらの喫茶店やファミレスでELFの普及が進まないのはそのためだ。
 特に都市部の飲食店は敷地面積が狭く、どうしてもELFにとって厳しい環境になるため、ますます普及が遅れてしまっている。


 もしナナが、その業務を問題なく遂行できるようであれば、画期的なブレイクスルーとなる。
 APOA理事の小山内が、密かに期待している点がそこにあった。
 さりげなく喫茶店の仕事を進めてきたり、諏訪に美味しいコーヒーの店を紹介したりしたのも、ナナをその気にさせるためだったのだ。


 実際、ナナの制御技術は多くの分野への応用が可能で、それらが実用化された際に社会に及ぼす影響、発生する利益は計りしれない。
 本来ならばその特許は国家所有されるのが妥当であるが、何故このような素晴らしい試みを日本だけで黙って進めていたのかと、どこかの国にゆすりをかけられれば、外交上気まずい雰囲気にもなりかねない。


 その点を考慮すると、APOAの研究過程において偶発的に生み出されたことにするのが最も角が立たない方法だった。
 つまりは最初から、巨大な権益が小山内をはじめとするAPOAの経営陣に流れ込む寸法だったのだ。


「じゃあナナちゃん、これを12番テーブルにお願い」
「はい、わかりました」


 ハンバーグディッシュと付け合せのパン、コーンスープ、サラダを乗せたトレーを片手に持つ。
 概ね重心の低い食器が多いため難度はさほど高くないのだが、コーンスープの液面を揺らさないように気をつけると、どうしても計算負荷が高まってしまった。


「おっとっと」


 すると、このような定型文を発することになる。


「気をつけてね!」


 美香の励ましを受けながらナナはキッチンを後にする。
 ホールに至るまでの段差を降り、けして広いとは言えない通路を歩いて行く。
 ナナが、通常のELFでは手に負えないような姿勢制御を出来る理由は今のところ良くわかっておらず、開発者である諏訪ですら、未だその動作機序を説明できない。


「お待たせしました」


 古びたジャケットを着た男性客に頭をさげ、メインディッシュから順にテーブルに並べていく。
 客は店頭に用意してある週刊誌を読んでいて、新人ウェイトレスには興味がなさそうだった。
 最後にコーンスープを置き、一呼吸置いてから言う。


「ごゆっくりどうぞ」


 男性客は何も言わずにスープに手を伸ばし、一口すすった。
 週刊誌は何週間も前のもので、破れた表紙がセロテープで補修してある。
 何が面白いのかはナナにはわからない。


 来店した客を案内し、注文を取り、会計の処理をし、料理を運び、空いた時間に食器を洗う。
 食器は回収し次第お湯に漬けておいて、手が空いた時にスポンジを当てて洗浄機に入れるのだが、この『空いた時間』というのが2分以上続くことはない。
 客席から呼び出し音が鳴る度に、紙の伝票を持って移動するためにタオルで手を拭かなければならないが、その時間的ロスは実際にやってみると相当に厄介なものだった。


「チョコレートパフェの追加注文が入りました」
「げ……」


 戻ってきてオーダーを告げると美香はあからさまに顔をしかめた。
 パフェはドリンクと同様ホールスタッフが作ることになっているが、運悪く家族連れが今まさに来店したところだった。


「そこにレシピブックがあるから、自分でやってみてもらえる?」


 ピークタイムは考える時間すら惜しいので、美香は瞬時に指示を出す。


「はい、やってみます」


 甘いものは得意とするところであったので自信をもって答えると、美香は笑顔を浮かべて接客対応に向かっていった。


 レシピブックに記された内容を瞬時に読み取り、作業イメージをメモリ内に蓄積する。
 大丈夫、ケーキのピラミッドを作るのと変わらない――まずはパフェグラスを用意しようとするが、その置き場所まではレシピブックには載っていない。
 仕方なく近くの棚から順に検索していくがまったくヒットせず、食器棚を一通り調べたところで石沢がナナの行動の異変に気がついた。


「ナナさん、冷蔵庫、冷蔵庫」
「はっ……ありがとうございます」


 調理台下の冷蔵庫を開けると、そこには冷やさなければならない食器が並んでいる。
 すぐにその中からパフェグラスを取り出し、続いて必要な材料を検索――コーンフレーク、生クリーム、バニラアイス、チョコアイス、ピコラ、チョコソース、チョコチップ――全部見つけ出す頃にはパフェグラスが暖かくなってしまっている。
 まずはコーンフレークを5グラム計る――計量器はどこだ?――探している内に美香が戻ってきた。


「どうしたの? 何を探しているの?」
「コーンフレークを測るための計量器を探しているのです」
「そんなの目分量でいいわよ!」
「ええ?」
「もうー、アイスが溶けてるー!」


 目分量――それはロボットには言ってはいけない言葉だ。


 初日は6時間働いたが、結果は芳しくなかった。
 ナナの指導に手間がかかり、店長である美香の負荷ばかりが増える結果になった。


「お役に立てずに申し訳ありません」
「こんなんじゃお給料だせないわよ? 謝ってばかりいないでしっかりやってね!」
「はい」


 美香は明らかにイライラしながら、石沢とともに冷凍ポテトの小分け作業を始めた。
 客の出入りが少ない今のうちに1食分ずつ小分けにしておけば、あとが楽というわけだ。


「もし良ければ、お手伝いしましょうか?」
「え、ほんと? 助かるー」


 サービス残業は推奨されているようだった。
 ナナは使い捨て手袋をはめると、使い捨てビニール袋に冷凍ポテトを小分けする作業に加わる。
 量はもちろん目分量だが、ナナは腕の人工筋肉をロードセルにして、規定量プラスマイナス5g以内に誤差を収めるよう徹底する。
 一袋詰める度にプロセスをリファインし、作業効率を向上させる。


「あなた、小分け上手ね」
「恐れ入ります」
「さすが研究所で働いていただけあるわね」
「計量作業はお手の物です」
「あはは、それできっと、パフェ作るのに計りを探していたのね。パフェなんてのはね、ハートで作ればいいのよ、実験じゃないんだから」


 ナナは、きちんと計って作ったパフェの方が栄養価のブレが少ないので好ましいと思ったのだが、口にはしなかった。
 この店のメソッドに従って動く、それが今のナナに与えられた社会的使命だ。
 袋詰め作業にしても洗い物にしても、機械に行わせた方が明らかに効率がよいと思われたが、それについても同じ理由で口にしなかった。


「それにしても前の職場では残念だったわね。GFPの豚肉はウチでも使ってたんだけど、今は出荷制限がかかっちゃってるでしょ? 一度、在庫が間に合わなくなっちゃって、慌てて近所のスーパーに走っていったわよ」
「それは大変でしたね。その間、お店はどうしたんですか?」
「石沢さん1人で回してもらったわ、ワンオペって言われちゃうかもだけど、緊急時だから仕方がないわよね」


 ベテランスタッフの石沢は、50がらみの独身男性である。
 基本的に無表情な男であるが、美香がその話をした時には、僅かではあるが眉をしかめていた。
 彼は、以前務めていた食品加工会社が人材不足で廃業し、それからはずっとアルバイトで生計を立てているらしい。
 真面目で実直な人物ではあるが、いささか疲れて見えるところがあった。 


「機械は入れないのですか? 石沢さんも店長も、朝からずっと動きっぱなしですけど」
「そんなの入れたらお金ばかりかかるじゃない。私たちが効率良く動けばいいだけよ」
「そう……ですか」


 最近ではあまり聞かない考え方ではあるが、ナナはひとまず同意しておく。
 この人あまりの時代に、卓上求人を出すほどに労働力が切迫していることを、この店は憂慮すべきこととは考えていないようだ。
 その理由をナナは自分なりに考えて、そして美香の反応を得るために聞いてみた。


「今は働きたくても働けない人だって沢山いますからね」
「そうね、下手に機械なんか入れていたら、ナナちゃんを雇い入れることもなかったんだから」


 まったくですと答えつつナナは、自分こそがその機械であるという事実も飲み込まなければいけなかった。


「でも助かるわ。私も石沢さんも、定休日以外に休みが無いから、ナナちゃんが独り立ちしてくれれば、人並みに半休を取れるようになる」


 全休ではなく半休と言うあたりにも、現代的な感覚との乖離が感じられた。
 ムーンテラスは月曜定休で、営業時間は10時から22時の12時間。
 美香と石沢の就業時間もまた12時間であり、休日は定休日のみとなっている。


 ナナが週4日6時間シフトに加われば、2人は週に1日の全休と、2日の半休を取ることができ、実質的に週休2日となるのだろう。







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