ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜
先端技術の使い方 7
JR柏駅近くに聳える新築タワーマンション。
その上部3フロアがニワイの邸宅である。
ドローンで屋上に降り立ち、赤い絨毯の敷かれた階段を下っていくと、にわかに女達の嬌声が聞こえてきた。
金の装飾が施された玄関を入ると、遅ればせにやってきた2人を、大きなライオンの彫像が出迎えた。
パーティールームの方からスローテンポな音楽が聞こえてきている。
会場に続く広い通路には窓側に向かって幾つものソファーが並べられており、そこで10人ほど女性が談笑している。
ナナはさっそく挨拶をしようとするが。
「挨拶はいらないわよ」
その前に強く遮られてしまった。
「まず最初に、CEOにお目通りしないとね」
そのミナミの声を聞くと同時に、女性達はその身を強張らせる。
「わかりました」
2人が通り抜けるあいだ、女性達の表情はずっと暗かった。
身につけているドレスも、よく見ると、かなり抑制された色合いだ。
そしてみな一様に――これはミナミにも当てはまる特徴なのだが――妊娠していた。
GFPで働いている女性は、かなりの割合で妊娠している。
在宅就業な上に収入も良いのだから、積極的に子をもうけようとすることに不自然はないとナナは認識していたが、ここにきてネガティブな評価値が上がり始めた。
 やがて女達は会話を再開し、品の良い笑い声をたて始める。
このような心境を人は杞憂と呼ぶのだろうかとナナは推論するが、しかしその考えはパーティールームの様相を目の当たりにした瞬間に否定された。
「来たか!」
そのニワイの声とともに歓声があがった。
きらびやかに髪を盛り、華美なドレスに身を包んだ若い女性達が、所狭しと大広間にひしめいている。総勢50名は下らないだろう。
まさに万華鏡のような光景を前に、ナナは思わず歩みを止めた。 
「おお……菜奈さん、貴方はやはり見込んだ通りの人だった!」
右手に持ったワイングラスを置くと、ニワイは黒革張りのソファーから立ち上がった。
ナナの足が自動的に後ろに下がるが、ミナミの細い腕が鋼のような力強さをもってそれを阻止してきた。
「さあ、ご挨拶なさい」
パーティーという言葉は、およそこの場に似つかわしくない。
ナナはそのように判断せざるを得ない。
「すばらしい……本当にすばらしい」
ニワイは熱い視線をナナに向けつつ、両手で包むように手を握ってきた。
会場にいる女達は、揃ってナナの衣装に注目してきた。
――白よ白、純白!
――すごいやる気!
白は単にナナが好きな色であり、それ以上の意味は無いはずだった。
しかし、今この場においては明らかに浮き上がってしまっている。
「あ、はい、あの……どうも」
何とか言葉を返して、しっかりと手を握りしめてくるニワイに答える。
目と鼻の前までその顔が迫ってきて、ナナはおもわず背をそらすが、それさえもミナミの腕が阻止してきた。
「もう完璧なお姫様ね。おめでとう菜奈さん」
出来るだけ穏便にここから抜け出す――それがナナの第一目標になった。
* * *
テーブルの上には、ワインの空き瓶の山が出来ていた。
社歴の若い女性達が、専任スタッフに混ざって給仕や片付けを担当している。
通路のソファーで寛いでいた女性達は、妊娠中でアルコールを飲めないからあの場にいたのだろうかと考えるが、そうなるとミナミが普通に飲んでいることに説明がつかない。
今ひとつ状況が判然とせず、聞きたいことは色々とあったが、その後の30分はナナに対するニワイの賛辞で費やされた。
「私の会社では優秀な者しか雇わないが、それでも研修中にはミスがあるものだ。それをあなたはパーフェクトでやり遂げた。しかもすでに、実践に値する改善提案まで出しているではないか」
ラフな姿でリラックスしているニワイは、すでに相当顔が赤かった。
テーブルには薄くスライスされた牛肉と鶏肉、そして豚肉が並べられている。
全て生だが、鍋や鉄板といった調理器具は見られない。
みなそれらを刺身のように食べているのだ。
「今日の宴は、それに対するささやかな報酬だ。さあ遠慮なく食べると良い、我が社の最高級品を揃えてある。食べ方はもう知っているだろう?」
さまざまなソースが入った小鉢が肉の周りに並べられている中で、ナナはポン酢のジュレを選択する。
それに生の豚肉を絡めると、ためらうことなく口に運んだ。
「とても、おいしいです」
「ああ、銘柄豚に木の実を配合したエサをリキッドフィードに混ぜて与えている。だから脂肪の組成がまるで違う」
と言ってニワイもまた肉を食い、血のような色をしたワインを飲み干す。
「しかし君も、初めて生に近い豚肉を食べた時は抵抗があったんじゃないかな?」
ナナの研修初日にミナミが用意してくれたのは、52℃という極低温で調理された豚のステーキだった。
下手をすれば雑菌が繁殖してしまう温度帯だが、ぷるんとしたピンク色のその肉は、舌でほぐせるほどに柔らかかった。
「無菌環境で加工されていることはわかっていましたので、抵抗はありませんでした」
「ほう……ミナミですら、初めての時は眉をしかめていたのになあ」
と言ってニワイは、ニヤリと笑う。
「いやですわ、ニワイさん……そんな昔の話を」
ミナミは目を泳がせつつ、レバーペーストの塗られたカナッペに手を伸ばした。
生理的な赤味を帯びたそのペーストには豚の生き血が練り込まれている。
ニワイに対する忠誠を示すためか、あえて妊婦が最も忌避すべき食品を口にする。
 
「我が社の製品に、ウィルスや寄生虫などの類は一切入っていない。120%絶対にだ」
彼女のグラスにワインを注ぎながらニワイは言う。
「だがそれがわかっていても、人という生き物はそれまでの慣習に反することに抵抗を感じてしまう」
「お肉は生の方が、栄養価も消化吸収も良いのにね」
と言ってミナミはワインを口にする。
血のようなワインと血の混ぜられたカナッペが、赤い唇の奥で混ぜ合わされる。
「あんな汚い海を泳ぎ回っている魚は生で食べるのに、清潔な工場で育てた肉は食べられない。こんなあべこべな話はないだろう」
苦々しい顔をしながら、ニワイは新しいボトルに手を伸ばす。
「ニワイさん、やりますわ」
「ああ、たのむ」
ミナミは慣れた手つきでデキャンタージュを始める。
ワインのラベルには『Romanee-Conti』と記されていたようだが、きっと見間違いだろう。
「豚という動物に対するイメージを変えられれば良いのですが……」
ナナがふと思いついたことを口にすると、ニワイは興味深げに顔を覗き込んできた。
「何かアイデアがあるかね?」
「はい、もし豚が豚以外の動物になれたら……と思ったのです」
ニワイはそれを聞いて、しらふに戻ったような顔になる。
「ほほう、なかなか斬新な切り口だな。豚が豚であるかぎり、人は豚を生では食べようとは思わない……ふむ、逆説的に豚の生食普及の困難さを表している」
ニワイは神妙な顔をして、何やら納得したように何度か頷いた。
「ふふふ、面白いな……面白い、やはり新人は定期的に入れるものだ。ハッハッハ、菜奈さん、これからもその調子で頼むよ。一見突拍子もないようなアイデアこそが、実は世の中を前進させるんだ」
ニワイの機嫌がよくなったことで、ナナの内部で現状の危険度が低下した。
価値があると思う社員のことを、よもや無碍に扱いはしないだろう。
ひっきりなしに高笑いを繰り返している他の女性らも、今はただお酒が入って気分が良くなっているようだ。
状況をモニタリングしているAPOAのメンバーも、いくらかは安心しているだろう。
このパーティーが終わったら何も言わずに会社を去ろう。ナナはそう判断する。
「ニワイさん、出来ましたわ」
デキャンターに移されたその液体はその淵を淡い琥珀に彩りつつ、深いガーネットに輝いていた。
3人だけで乾杯をするが、参加者の多くが羨ましげな目でこちらを見ていた。
「どうだね、世界最高のワインのひとつだ」
「はい、こんな素晴らしいものは飲んだことがありません」
香りはどこまでも甘く華やかだが、糖分は殆どないようで、エネルギー源としての評価は『POOR』だった。
まさに『豚に真珠』という言葉が当てはまるだろう。
その上部3フロアがニワイの邸宅である。
ドローンで屋上に降り立ち、赤い絨毯の敷かれた階段を下っていくと、にわかに女達の嬌声が聞こえてきた。
金の装飾が施された玄関を入ると、遅ればせにやってきた2人を、大きなライオンの彫像が出迎えた。
パーティールームの方からスローテンポな音楽が聞こえてきている。
会場に続く広い通路には窓側に向かって幾つものソファーが並べられており、そこで10人ほど女性が談笑している。
ナナはさっそく挨拶をしようとするが。
「挨拶はいらないわよ」
その前に強く遮られてしまった。
「まず最初に、CEOにお目通りしないとね」
そのミナミの声を聞くと同時に、女性達はその身を強張らせる。
「わかりました」
2人が通り抜けるあいだ、女性達の表情はずっと暗かった。
身につけているドレスも、よく見ると、かなり抑制された色合いだ。
そしてみな一様に――これはミナミにも当てはまる特徴なのだが――妊娠していた。
GFPで働いている女性は、かなりの割合で妊娠している。
在宅就業な上に収入も良いのだから、積極的に子をもうけようとすることに不自然はないとナナは認識していたが、ここにきてネガティブな評価値が上がり始めた。
 やがて女達は会話を再開し、品の良い笑い声をたて始める。
このような心境を人は杞憂と呼ぶのだろうかとナナは推論するが、しかしその考えはパーティールームの様相を目の当たりにした瞬間に否定された。
「来たか!」
そのニワイの声とともに歓声があがった。
きらびやかに髪を盛り、華美なドレスに身を包んだ若い女性達が、所狭しと大広間にひしめいている。総勢50名は下らないだろう。
まさに万華鏡のような光景を前に、ナナは思わず歩みを止めた。 
「おお……菜奈さん、貴方はやはり見込んだ通りの人だった!」
右手に持ったワイングラスを置くと、ニワイは黒革張りのソファーから立ち上がった。
ナナの足が自動的に後ろに下がるが、ミナミの細い腕が鋼のような力強さをもってそれを阻止してきた。
「さあ、ご挨拶なさい」
パーティーという言葉は、およそこの場に似つかわしくない。
ナナはそのように判断せざるを得ない。
「すばらしい……本当にすばらしい」
ニワイは熱い視線をナナに向けつつ、両手で包むように手を握ってきた。
会場にいる女達は、揃ってナナの衣装に注目してきた。
――白よ白、純白!
――すごいやる気!
白は単にナナが好きな色であり、それ以上の意味は無いはずだった。
しかし、今この場においては明らかに浮き上がってしまっている。
「あ、はい、あの……どうも」
何とか言葉を返して、しっかりと手を握りしめてくるニワイに答える。
目と鼻の前までその顔が迫ってきて、ナナはおもわず背をそらすが、それさえもミナミの腕が阻止してきた。
「もう完璧なお姫様ね。おめでとう菜奈さん」
出来るだけ穏便にここから抜け出す――それがナナの第一目標になった。
* * *
テーブルの上には、ワインの空き瓶の山が出来ていた。
社歴の若い女性達が、専任スタッフに混ざって給仕や片付けを担当している。
通路のソファーで寛いでいた女性達は、妊娠中でアルコールを飲めないからあの場にいたのだろうかと考えるが、そうなるとミナミが普通に飲んでいることに説明がつかない。
今ひとつ状況が判然とせず、聞きたいことは色々とあったが、その後の30分はナナに対するニワイの賛辞で費やされた。
「私の会社では優秀な者しか雇わないが、それでも研修中にはミスがあるものだ。それをあなたはパーフェクトでやり遂げた。しかもすでに、実践に値する改善提案まで出しているではないか」
ラフな姿でリラックスしているニワイは、すでに相当顔が赤かった。
テーブルには薄くスライスされた牛肉と鶏肉、そして豚肉が並べられている。
全て生だが、鍋や鉄板といった調理器具は見られない。
みなそれらを刺身のように食べているのだ。
「今日の宴は、それに対するささやかな報酬だ。さあ遠慮なく食べると良い、我が社の最高級品を揃えてある。食べ方はもう知っているだろう?」
さまざまなソースが入った小鉢が肉の周りに並べられている中で、ナナはポン酢のジュレを選択する。
それに生の豚肉を絡めると、ためらうことなく口に運んだ。
「とても、おいしいです」
「ああ、銘柄豚に木の実を配合したエサをリキッドフィードに混ぜて与えている。だから脂肪の組成がまるで違う」
と言ってニワイもまた肉を食い、血のような色をしたワインを飲み干す。
「しかし君も、初めて生に近い豚肉を食べた時は抵抗があったんじゃないかな?」
ナナの研修初日にミナミが用意してくれたのは、52℃という極低温で調理された豚のステーキだった。
下手をすれば雑菌が繁殖してしまう温度帯だが、ぷるんとしたピンク色のその肉は、舌でほぐせるほどに柔らかかった。
「無菌環境で加工されていることはわかっていましたので、抵抗はありませんでした」
「ほう……ミナミですら、初めての時は眉をしかめていたのになあ」
と言ってニワイは、ニヤリと笑う。
「いやですわ、ニワイさん……そんな昔の話を」
ミナミは目を泳がせつつ、レバーペーストの塗られたカナッペに手を伸ばした。
生理的な赤味を帯びたそのペーストには豚の生き血が練り込まれている。
ニワイに対する忠誠を示すためか、あえて妊婦が最も忌避すべき食品を口にする。
 
「我が社の製品に、ウィルスや寄生虫などの類は一切入っていない。120%絶対にだ」
彼女のグラスにワインを注ぎながらニワイは言う。
「だがそれがわかっていても、人という生き物はそれまでの慣習に反することに抵抗を感じてしまう」
「お肉は生の方が、栄養価も消化吸収も良いのにね」
と言ってミナミはワインを口にする。
血のようなワインと血の混ぜられたカナッペが、赤い唇の奥で混ぜ合わされる。
「あんな汚い海を泳ぎ回っている魚は生で食べるのに、清潔な工場で育てた肉は食べられない。こんなあべこべな話はないだろう」
苦々しい顔をしながら、ニワイは新しいボトルに手を伸ばす。
「ニワイさん、やりますわ」
「ああ、たのむ」
ミナミは慣れた手つきでデキャンタージュを始める。
ワインのラベルには『Romanee-Conti』と記されていたようだが、きっと見間違いだろう。
「豚という動物に対するイメージを変えられれば良いのですが……」
ナナがふと思いついたことを口にすると、ニワイは興味深げに顔を覗き込んできた。
「何かアイデアがあるかね?」
「はい、もし豚が豚以外の動物になれたら……と思ったのです」
ニワイはそれを聞いて、しらふに戻ったような顔になる。
「ほほう、なかなか斬新な切り口だな。豚が豚であるかぎり、人は豚を生では食べようとは思わない……ふむ、逆説的に豚の生食普及の困難さを表している」
ニワイは神妙な顔をして、何やら納得したように何度か頷いた。
「ふふふ、面白いな……面白い、やはり新人は定期的に入れるものだ。ハッハッハ、菜奈さん、これからもその調子で頼むよ。一見突拍子もないようなアイデアこそが、実は世の中を前進させるんだ」
ニワイの機嫌がよくなったことで、ナナの内部で現状の危険度が低下した。
価値があると思う社員のことを、よもや無碍に扱いはしないだろう。
ひっきりなしに高笑いを繰り返している他の女性らも、今はただお酒が入って気分が良くなっているようだ。
状況をモニタリングしているAPOAのメンバーも、いくらかは安心しているだろう。
このパーティーが終わったら何も言わずに会社を去ろう。ナナはそう判断する。
「ニワイさん、出来ましたわ」
デキャンターに移されたその液体はその淵を淡い琥珀に彩りつつ、深いガーネットに輝いていた。
3人だけで乾杯をするが、参加者の多くが羨ましげな目でこちらを見ていた。
「どうだね、世界最高のワインのひとつだ」
「はい、こんな素晴らしいものは飲んだことがありません」
香りはどこまでも甘く華やかだが、糖分は殆どないようで、エネルギー源としての評価は『POOR』だった。
まさに『豚に真珠』という言葉が当てはまるだろう。
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