ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

先端技術の使い方 5

 初日こそ驚きに満ちたものだったが、その後の2週間はあっけなく過ぎ去っていった。
 ミナミは次の日からはもう来なくなり、ナナの研修はその日の当直のオペレーターが担当した。
 その殆どがナナと同年代の女性であり、日替わりでやってくる彼女らとの会話を楽しみつつ、ナナは具体的な工場のシステム管理について学んでいった。


 今後工場内に入ることはよほどのことがない限りないそうだ。
 ナナはもう一度くらい、豚の赤ちゃんを抱いてみたいと思っていたので、その話を聞いた時はひどくがっかり――TPUの稼働率が3割以下で固定――したものだ。


 休日の2日間はナナ自身のメンテナンスに費やされたため、面白いこと――新しい刺激の入力――は特になかった。
 職場での昼食は常に豚肉料理だったのだが、ナナの微生物発電装置に不具合は起きていなかった。
 念のためにしっかりと咀嚼粉砕してタンクに落としておいたのが功を奏したようだ。


 翌週もまったく同じで、朝の6時半に家を出て仕事を覚え、夜の7時半に帰宅した。
 たまに手動でアームを動かすことがあるだけで、基本的には見張り作業だ。


 2週間の間に、遠隔による子豚の断尾と去勢の作業を一度づつ行ったが、あとはひたすらバイオマス施設の詰まりを取っていた。
 あまりにもその頻度が多いので、改善レポートをひとつ書けてしまったほどだった。


 最後の3日間は、当直のオペレーターすら来なくなった。
 朝、誰もいないオフィスに出社し、個人認証してコンソールを立ち上げる。
 昼の休憩には持参した砂糖水でエネルギーを充填するだけで、残りの時間はひたすら窓から外を眺めていた。


 遠くに、新工場が建ちつつあった。
 無数の運搬機械と無人トラックが頻繁に往来し、大型クレーンが鉄骨を持ち上げている。
 人間の作業員は8名しかおらず、たったそれだけの人員で、最大長400メートルを超える巨大工場を作っていた。


 視覚センサーの倍率を戻してオフィスを見渡すも、そこには誰もいない。
 最も恐れていた孤独感が押し寄せてくる。
 外的刺激があまりにも不足しており、行動プロセスの決定にあたって著しい自己参照を必要とした。
 これは不毛な思考循環によって計算リソースをドブに捨てているような状況であるが、ナナ1人ではどうしようもないことだった。


 人が存在しない場所に機械は必要ない。そのあたり前の事実を再確認する。
 ナナは何とかして外的刺激を得ようと、工場周囲の監視モニターを立ち上げた。
 1台のタンクローリーが巨大な貯蔵庫にリキッドフィードを充填していたが、その車両に人は乗っていなかった。これでは手を振って見送ることもできない。


『はっきり言って、退屈です』


 翌週のAPOAでの会合が始まると、ナナはすぐに自らの窮状を訴えた。
 このまま在宅就業が開始されてしまえば、さらに孤独になることは必定だ。


『私の性能を試すという点において、まったく意義を見いだせません。負荷がまるで足りていません』
「ええ……!?」


 ついに人工知能が反乱を始めたか――?
 小山内が言葉を失う。


 その代わりに徳田が、青い顔をしながら問いかける。


「な、ナナさん、GFPは入ろうと思って入れる会社じゃないんですよ? 在宅就業可能で、仕事も楽で、福利厚生も充実していて、何より給与が素晴らしい」
『そのどれも私には意味の無いものです。在宅就業なんてとんでもない。私を家の中に閉じ込めて、一体何をさせようというのですか?』


 突然のナナの主張に、4人とも言葉を失ってしまう。


『この2週間でお金を使ったのは、交通機関を利用した時、シロップを買った時、暇つぶしの映画を自宅で見た時、たったそれだけです』
「もうすぐ、家賃の公共料金の引き落としがあります。ナナさんはは都心に住んでいるんですよ?」
『退屈です、本当に退屈です』


 鈴木の空気を読まなすぎる発言に、ナナはこれまでになくイラつく――もとい、データベースをかき乱される。


「諏訪さん……なんとかなりませんか」


 と小山内が話を振るが。


「ナナさんは人間と同等の活動をするELFです。人間がつまらないと思う状況には、当然つまらないという反応をするのです」
「いや、GPFで働くことをつまらないと思う人間がどれだけいるというのだ……」
「実際、ナナさんにとっては退屈なのでしょう。自由もあまり有りませんし」
「うーん……」


 今ひとつ合点がいかないと言った様子で、小山内は首を横に振る。


『これならハローワークでこっそり働いていた頃の方が、よっぽど楽しかったです』


 相変わらずプリプリしているナナに、諏訪以外の3人はすっかり参ってしまっていた。
 小山内も徳田も鈴木も、多少古風ではあるが人並みの感性を備えた人物だ。
 都心のマンションに住み、高収入の仕事をして、余暇は好きなことをして過ごす。
 そのことを、この上ない人生の1つと判断してもおかしくなかった。


「そもそも我々は、ナナさんの性格を理解できていないのですね……」


 諦めたように小山内が言う。


「ELFと気づかれる予兆もありませんし、GFPでの活動はこれで良いのでは?」


 と、さらに徳田が助け舟を出してくる。


『では私は、あの退屈極まりない会社を退職してもよろしいのですね?』
「は、はい……ナナさん、あなたの自由になさってください」


 自由にして良いという言葉をもらったナナだったが、それでも顔色は優れなかった。
 初めて人間として活動するにあたって、その期待値を事前に想定していたが、現状はそれに遠く及んでいなかった。
 この内部データの動きは人間で言うところの『無念』に相当するだろう。


 そのようにナナが分析していた時、自宅の机の上でスマートフォンが振動した。


『少々、お待ちを』


 ナナを除く4人が、今後の計画について話し合っている中、ナナは送信されてきたメールの文面を確認する。
 そして急激に表情を明るくした。


『みなさん!』


 机をバンと叩いて立ち上がり、モニターに向かって身を乗り出す。


『私は、もう少しだけGFPで働いてみようと思います!』


 と言ってナナは、ミナミからもたらされたメールの内容を伝えた。







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