ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

認識の峠 6

 諏訪が開発したプログラムを軸とした次世代ELFの開発。
 それがプロジェクトの『表側』である。


 最新の人工筋骨格と微生物発電システム、そして単位ワットあたりの演算性能が世界最高レベルのストレージ組み込み式TPUと、ナナの身体には先端技術が惜しげも無く注ぎ込まれている。


 その基幹システムには、諏訪が独自に開発した擬似的心臓挙動アーキテクチャー『SHINONシンオン』が用いられている。


 これはシナジー型AGIアーキテクチャーの一種で、人間で言うところの人格にあたる部分を、人工知能の活動そのものによって生成するというものだ。
 言わば、自我と言うべきものを自然生成させるため、難度が極めて高く、実用化は難しいとされてきた。


 神経科学の専門家でもある諏訪は、精神と肉体の相互作用に着目した。
 AIの自我を生成するにあたり『エミュレートされた心臓の動き』を取り入れたのだ。
 そして自らが撮りためたホームビデオを使い、生まれた時から今に至るまでの経験として与えた結果、世界で初めて実用に耐えるシナジー型人工知能の成立に至った。


 現在、ELF向けAGIアーキテクチャーの主流はコア型と呼ばれるもので、人工知能の基本人格を人の手によって設定するものだ。
 いわば人為的に作られた自我であり、そこに言語機能・感情機能・表現機能といった各種ニューロプロセスが結合される。
 基本人格の設定によって様々なELFを生み出せる上に、生産性にも優れるが、作られた感じが出てしまうのが欠点といえば欠点である。


 コア型AIの開発が進んだことで、ELFは完全に『不気味の谷』を越えた。
 不気味の谷とは、ロボットやCG描写された人物の見た目を本物に似せていくと、あるポイントで急激に不気味さを帯びる現象を差す。
 外見だけなら、人間そっくりに作ることはいくらでも出来るのだが、それを人間らしさを保ったまま動かすことは非常に難しかったのだ。


 人に似ていれば似ているほど、ロボットのような動きの怪しさが強調されてしまう。
 不気味の谷の手前には『かわいいの丘』と呼ばれる場所があることが知られているが、人形ロボットは長らくその丘の上で停滞することとなった。


 しかしながら、コア型アーキテクチャーの進化が一定水準を超え、より人間らしい仕草や反応が可能になり、さらには問題なく日常会話ができるほどの言語生成能力が加わった時、ある種の奇跡が起きたのだ。


『これなら恋に落ちてしまえる』


 老若男女を問わず、そう口にする者が続出した。
 いくら人間そっくりとは言え、それらが人工物であることはすぐにわかってしまう。
 しかしその眼差しの奥には、不気味の谷を超えた先の楽園が確かに広がっていたのである。


 こうして人は、今まで感じたことのない好感を、人工物ロボットに対して抱くようになった。
 実用化された最初期のELFは、受付業務や案内係、セレモニースタッフなどの仕事をさせるのにうってつけだった。
 レベルの高いELFを事業所内に配置することは、その企業の集客力や知名度を増大させる効果があったため、銀行の窓口業務など、より難度の高い仕事にも積極的に応用されていった。


 また、ELFは手足を持っているため、簡単な清掃や荷物運びなどを行わせることも出来た。
 要支援者が遠慮なく手を借りられるなど、福祉関連職との親和性も高かった。
 他にも、相談員や警備員、さらにはカウンセラーの代役としても採用が進み、小売店、チラシ配り、占い師、テーマパークのマスコットなど、様々な業態に応用されていった。


 ELFの社会進出は急速に進み、今や街角にELFが歩いているくらいではだれも驚かないが、この状況はあくまでも、人々がELFを人工物と認識しているからこそ成立している。
 社会の実益に寄与し、人々の心理に対しても好ましい印象を与えてくれる便利な道具――そして同時に優れた工芸品――そのように社会が解釈しているからこそ、あくまでも自動化技術の延長線上にあるものとして収まっていたのである。


 ここで、ELF研究に新たな目標が生まれた。
 すなわち、ELFに見えないELFの開発である。
 そんなものを作ってどうするのかという声は確かにあったが、それに対する研究者の回答は簡潔だった。


『かつては2足歩行ロボットの開発ですら、その意義が疑問視されていた』


 そして今、社会にとって不可欠な存在になっていることは、誰もが知るところだ。
 どのような技術でも、実際に開発してみなければその真価はわからない。
 公的機関、民間機関ともに、人間そっくりを超えた、人間そのもののELFの開発に意欲を燃やした。
 大量の資金と、優秀な頭脳、最新のテクノロジーが惜しげもなく注ぎ込まれ、とりわけ皮膚を表現する技術が向上したことで、人類はかなりのところまで『人間そのもの』を作り出せるようになった。


 しかしここで人類は、不気味の谷をも凌駕する、新たな障壁に突き当たることになる。
 結論から言うと、どのような叡智を注ぎ込んでも、一向にELFは『人間そのもの』にならなかったのだ。


 主たる原因は、ELFを人間そのものと言える水準で稼働させるための計算量が、あまりにも膨大だったことによる。
 かいつまんで言えば、演算装置が人間サイズに収まらなかったのだ。
 システムを人間サイズに収めると、人間らしく振る舞わせることが出来ず、逆に人間らしく振る舞えるだけのシステムを構築すると、人間とは言えない外見になってしまう。


 計算システムを外部化して無線でELFを動かすといった工夫も試されたが、微妙な通信ラグが発生してしまう上に、外部装置を隠すための大規模な設備と人員を要する。
 つまりそこにELFがいることが、ありありとわかってしまうのだった。


 そもそもどんなに計算能力をあげても、人を騙すこと自体が困難だった。
 ある産油国のパーティー会場にて行われた実験が、好例としてよく取り上げられる。


――実は今この場に、一体だけELFがいます。


 無線操作で動くELFを会場に紛れ込ませておいて、そのようなサプライズを仕掛けるという趣旨のものだったが、なんとその宣告をする前にバレてしまったのである。


 完璧にタキシードを着こなしている若い紳士――実はELF――である彼と最初の会話をした女性が、ものの数秒で気づいてしまった。


『彼の瞳の奥に本来あるべき情熱が見当たらず、不審に思った』


 それがその女性が実際に口にした内容だった。


 これは後に『パーティー会場問題』と呼ばれ、多くの開発プロジェクトを中止に追い込んだ難問として知られるようになる。


 さらにその後の調査で、ELFと日常的に接している人間ほど、騙されにくくなることが判明した。
 皮肉にもELFの普及それ自体が、技術的なハードルを高めてしまったのだ。


 不気味の谷に代わるその新しいハードルを、人は『認識の峠(Ridge of Perceive)』と呼んだ。
 多くの科学者がその先を見たいと願ったが、まだまだ先の話になりそうだった。
 コア型で人間同等の人工知能を作るには、人間の脳の地図たる『人コネクトーム』の解明を完了する必要があり、その作業が終わるのは、早くとも21世紀の終わり頃と予想されていたからだ。


 諏訪がコア型ではなくシナジー型を使ってそれを実現したことが、いかに革新的な出来事だったかがわかるだろう。
 彼は間違いなく、人類の技術史に名を刻む業績を残したのである。


 だがその革新さ故に、諏訪はその技術を公表することが出来なかった。
 認識の峠を超えた先にある世界が、あまりにも計り知れないものだったからだ。


 この新技術の最初の犠牲者――そう言って差し支えないだろう――は、現職の総理大臣秘書官だった。
 諏訪は、若くして医学と工学、2つの博士号を取得した天才として知られており、公立の研究所に勤務していた当時から、政界にも顔が利くようになっていた。
 科学技術庁を通して総理大臣秘書官との面会の機会を得た諏訪だったが、なんとその日にあたって彼は、ものの見事に遅刻したのだ。


 アシスタントの女性が1人で駆けつけてきた。
 ひどく慌てている彼女に対し、秘書官は水を飲んで落ち着くよう促した。
 研究補助員と思しき若い女性は、胸の鼓動を抑えつつ謝罪をし、そして大事な時間を節約するためにと、諏訪に変わって新技術の説明を開始した。


 秘書官は諏訪の粗忽さを残念に思ったが、彼が持ち込んできた話には興味があったので話に集中することにした。
 女性は年若いにも関わらず見識豊かであり、こちらの理解力に応じた説明をする技術も備わっていた。
 30分ほどが経過し、こんな人を部下に迎え入れられたら良いだろうなと思い始めていた頃に、諏訪が涼しい顔をしながらやってきた。


「実は彼女こそが『SHINON』のプロトタイプなのです。いかがでしたでしょう?」


 そう告げられた秘書官は、その時の衝撃をこうに述べている。


――自分が今どこにいるのか、それすらもわからなくなった。


 と。


 秘書官はその時まさに、峠の向こうを見たのである。
 目に映っているものの全てから現実感が抜け落ちて、しばらく元の場所に戻ってこれなかったのだ。


 秘書官に続き、同じ手口で総理大臣が犠牲になった。
 新技術『SHINON』は、その日をもって国の最高機密に指定された。


 その最も大きな要因は、ELFに対する認識のシフトである。結論から言うと、認識の峠を超えたELFは、例えたった1機であっても全人類に対して影響力を持つのだ。


 これは潜水艦を例にとるとわかりやすいだろう。
 地球上のどこかに一隻の潜水艦が潜んでいるという可能性があるだけで、あらゆる海を航行する船舶は、常にその脅威にさらされる。
 人間と区別出来ないELF、すなわち『サブマリナブルELF』の発生は、それと同じ現象を人間社会という海全体に発生させてしまうのだ。


 現在でも、ELFには一定の抑止力があると言われている。
 ELFは言わば歩く監視カメラ、ボイスレコーダーであり、人間とは比較にならないほどの情報信頼性を有しているからだ。
 その効果は思いのほか大きく、ELFを歩かせておくだけで、その周辺の犯罪発生率が減るというデータさえある程だ。


 またELFの性能が一定の水準を超えた時から、人はそれに対して畏怖の念を抱くようになった。
 今でこそ日常の一部になっているが、ELFを見かけた瞬間に、人が噂話をピタリとやめるといった事例は無数に報告されている。
 職場においては若い職員が、上司よりもELFの指示を優先するという動きすら出てきている。


 故に、人と区別がつかないELFが誕生した瞬間から、全ての人の形をしたものに対して『実はELFなのではないか』という疑いがかかる。
 そして一度でもそのような状況になってしまえば、けして元に戻すことはできない。
 これは悪魔の証明に類するものであり、つまりは目の前の人間が間違いなく人間であると証明する術が、永久に失われてしまうのだ。


 離島で一人ぼっちになるか、もしくは常にX線投影装置を持ち歩く。
 そうでもしなければ、その猜疑心から開放されることはないだろう。


 このようにサブマリナブルELFは、抑止力というレベルを遥かに超えて、人類の心理構造すら変えてしまう可能性を秘めている。
 ともすれば、全ての人型をしたものに対して人は、ELFと同等の畏怖を持って接しなければならなくなるだろう。


 技術が進歩し続ける限り、いつか人類は認識の峠を超えることになる。
 犯罪抑止に貢献するというメリットもあり、今も世界中で研究が続けられている。
 国家としては、技術的優位性を得るための格好の手段でもあり、いずれは軍事的に用いられる可能性もありうる。


 乗り越えたその先が見えないという点において、認識の峠は『事象の地平線(Event Horizon)』にもなぞらえられる。
 すなわち、疑うことなき技術的特異点シンギュラリティーなのだ。


 政府は諏訪真司の提言を受け、『SHINON』を厳重に管理することを決定し、それと同時にAPOAの行政ELF運用機能を活用して、極秘裏に研究を進めることにした。
 その機密維持は内閣情報調査室が中心となって行い、特許庁や科学技術庁とも連携して国内外で類似の発明がされないか常に監視することとなった。
 ただ諏訪によれば、『SHINON』の開発成功は偶然によるところが多く、これに匹敵するシステムが近いうちに開発される可能性は、今のところ低いとのことだった。


 峠の先を探ること。
 それがプロジェクトの真の目的である。
 機体にはサブマリナーというコードネームが与えられ、プロジェクトは『セブンシー』と名付けられた。


 実証実験の第一フェーズとして、愛知県内のハローワークに復職希望を出した女性――すなわちセツコ――との交流が提案され全会一致で承認された。
 その際に割り振られた機体の製造番号が1077だった。


 そんな彼女が『ナナ』と呼ばれるようになったのは、まったくの偶然である。







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