ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜
認識の峠 5
店を出るころにはすっかり暗くなっていた。
バリアフリー化された歩道が青白色のLEDで照らされている。
ファミレスに立ち寄るという追加のタスクを終えて、後は指示通りAPOA本部に向かうだけだ。
しかしナナは、余剰リソースを使って別のことを計算していた。店を出る際に、うっかり巨大パフェを食べている客を発見してしまったのである。
ガラス容器を合わせた全長は60センチほどで、推定される体積は1700cc。
摂取することは十分に可能だった。
ナナの内部で発生したデータの動きを、人の言葉に置き換えるならば、まさに『後悔』が該当するだろう。
またビュッフェ品目に関していちいち調べ過ぎたために、予想していたほどケーキを食べられなかった。さらにはケーキだけを食べるのなら、マル得ビュッフェより、デザートビュッフェの方がお得だった。
歩いている最中に微生物発電システムからエラーメッセージが発せられる。
脂肪の含有量が多すぎてエネルギー変換効率が落ちている――つまり消化不良。
それらの情報を元に、ナナはプランジュームにおける推奨行動プロセスを更新した。
これは人間でいうところの『反省』に相当するだろう。
大手町に昨年建造された合同庁舎ビルは、いかにも官公庁らしい無表情な建物だった。
殆どの明かりは消えているが、西側最上部に位置するオフィスだけは点々と明かりを灯している。
そこで極秘プロジェクトが遂行されているとは、恐らく誰も思わないだろう。
認証ゲートの後ろには、スーツの上に白衣を羽織った男が立っている。
年齢は30歳前後。
頭髪は公務に属する者らしくきっちりと整えられているが、その両手はポケットに突っ込まれていた。
不遜さと自信を併せ持つ雰囲気だが、どこか爽やかな風をまとっているような品格もある。
彼に向かって軽く会釈をしてから、ナナは認証ゲートにスマートフォンをかざした。
さらにカメラに視線をあわせて顔認証し、その後にX線装置をくぐりぬける。
さすがにここでエラーが出る。
わかりきっていたように男が手動でエラーを解除する。
「さすがに、X線まではごまかせないですね」
人の良さそうな微笑を浮かべながら男は言う。
「ファミレスで食べすぎたせいかもしれません」
ナナがはにかみながらそう言うと、男は肩をすくめて苦笑した。
知らない者が目にすれば、親密な間柄のように見えるかもしれないが、片方は間違いなく人間であり、そしてもう片方はELFだった。
「行きましょう、みなさんお待ちかねです」
エレベーターで最上階に上がり、幾つかのゲートを抜ける。
研究設備のある区画を抜け、さらにゲートをくぐるとAPOA本部の最深部へとたどり着く。
重要会議のための一室があり、その隣にある大型装置の搬入が想定された幅広の扉を、男が静かに押し開けていく。
中では白衣を着た老年の男性が、作業台の上で溶液で満たされたポリ容器の中に浮かぶもの――ELF用生体皮膚――の確認をしていた。
さらにスーツ姿の男が2人、そわそわした様子でその作業を眺めている。
部屋は広く、ラック型のデータサーバが3台と、横置きのリプリニッシャーユニット、そして作業台の脇には大量のダンボール箱が積んであり、研究室というよりは備品の集積所のように見えた。
ナナが部屋に入ると同時に男たちは手を止めた。
そして彼女を迎え入れるようにして集まってきた。
「GーAPOAー1077X、ただいま帰還いたしました」
男たちは拍手をもってそれに答える。
代表者と思しきスーツ姿の男が前に出て握手を求めてくる。
「おかえりなさいナナさん。あまりにうまく行っていたのでタスクを追加したのですが、いかがだったでしょう?」
「はい、ファミレスは初めてでしたので、とても有意義な時間を過ごさせて頂きました」
と言ってナナはしっかりと握手を返す。
相手はAPOAの理事長である小山内昇であった。
APOAの統括責任者であり、ワックスのたっぷり効いた、今時珍しい髪型をしている。
その表情は穏やかで見るものを安心させるところはあるのだが、その下にある本音までが巧妙に隠されてしまっている気配もあった。 
ナナは握手をほどくと、続いて人工皮膚の確認をしていた男に目を向けた。
彼は技術開発部長の徳田重信であり、ナナの開発責任者だ。長年ロボット研究に関わってきたベテランで、短く刈り上げられた頭髪は真っ白である。
彼とは生み出された時からの付き合いだが、さらにその隣にいるスーツ姿の男とは、まだ面識がなかった。
「内閣情報調査室事務官の鈴木栄一です、初めまして」
ナナは差し出された手を握る。彼の口から発せられたのはそのような肩書だった。
つまりは情報職員、露骨に言えば諜報活動のプロである。
しかしながら、平凡さを絵に書いたような顔であり、外見から素性を判断することは難しそうだった。
メガネの奥にも生気がなく、どこか頼りない印象があるが、それがかえって武器になるのかもしれない。 
「話には聞いていましたが、想像以上です。まるで、中に人が入っているようだ」
その評価は、ナナにとってはあまり好ましくなかったようだ。
心持ち口を尖らせて返答する。
「残念ながら、中には誰も入っていません。このようにスリムな体型ですので」
「あっ……」
しまったと言うような顔をして、鈴木は生え際が後退しつつある頭に手を当てた。
「ははは……どうやら失礼なことを言ってしまったようですね」
鈴木に合わせて、他の者も苦笑する。
「気をつけて下さい。頭の中からつま先まで、最先端の一点品なんですから」
と言って小山内は鈴木をたしなめる。
「恐れ入ります。しかし今日は、ナナさんが本当に重要な存在だということを思い知らされました。これはまさに、国家を揺るがす重大事です」
そう言いつつ鈴木はメガネを持ち上げ、食い入るようにナナの胴体を見つめてきた。
一応は女性型の存在に対し、なんともデリカシーのない態度である。
隣に立つ徳田でさえ、苦々しい表情を浮かべていた。
「彼女は峠の先を見る存在です。国どころか、人類全体の将来に関わるテクノロジーですよ。くれぐれも丁重な扱いをお願いしますね」
「ええ、肝に銘じます……」
3人ともどこか腫れ物に触るような態度だった。
その後もいくつかの質問を投げかけ、ナナに対する賛辞も続けられたが、その多くが彼女の心理プロセスを満足させなかった。
彼らの言葉に対し、彼女が終始へそを曲げていたことを知るのは、ゲートの前まで迎えに来ていた男である諏訪真司――基幹システムの開発者――ただ1人だった。
「ナナさん。ここまで来る途中で、ELFだと気づかれる可能性を、どれだけ危惧しましたか?」
小山内が質問する。
「いいえまったく危惧しませんでした。その可能性は常に低いものでした」
「そうですか。ケーキのピラミッドを作った時は、すこしヒヤリとしたんですが……」
「私くらいの女性は、あのくらいのことはやりますよ?」
と言って、ナナは屈託のない笑顔を浮かべる。
「そ、そうですか? あの隣にいた子供は、単にケーキ好きのお姉さんと思ったのですかね?」
実際はケーキに夢中で気づかなかったのだが、周りからするとそう見えるのだろう。
「あの時私は、出来るだけ綺麗に積み上げることだけを考えていました。ケーキに対する愛着を表現しようと思ったのです」
「おお……」
もっともらしい理屈を付け加えると、その場に居る全員が驚きの声をあげた。
「バレた時のために待機していたスタッフが、すっかり無駄になりましたね」
と諏訪。
「その時は、ELFマニアのグループが私的な実験をしていたことにする……か。他にもっとマシな案はなかったのかな」
開発部長の徳田は、彼女を秘匿するための作戦に懐疑を示す。
「知る者の数を最も少なく出来る案です。大丈夫ですよ、これでも日本のインテリジェンスは優秀なんですから」
鈴木は不敵な笑みを浮かべる。 
「まあ何はともあれ、ここまでは順調ですね。早く処置を済ませてしまいましょう。最新のELFを見たくてウズウズしている者が、そこらにいないとも限らない……」
徳田はそう言って、それとなく小山内と鈴木に退室を促した。
スーツ姿の2人は別れを惜しむようにナナを見やってから、周囲を警戒しつつ研究室から出ていった。
バリアフリー化された歩道が青白色のLEDで照らされている。
ファミレスに立ち寄るという追加のタスクを終えて、後は指示通りAPOA本部に向かうだけだ。
しかしナナは、余剰リソースを使って別のことを計算していた。店を出る際に、うっかり巨大パフェを食べている客を発見してしまったのである。
ガラス容器を合わせた全長は60センチほどで、推定される体積は1700cc。
摂取することは十分に可能だった。
ナナの内部で発生したデータの動きを、人の言葉に置き換えるならば、まさに『後悔』が該当するだろう。
またビュッフェ品目に関していちいち調べ過ぎたために、予想していたほどケーキを食べられなかった。さらにはケーキだけを食べるのなら、マル得ビュッフェより、デザートビュッフェの方がお得だった。
歩いている最中に微生物発電システムからエラーメッセージが発せられる。
脂肪の含有量が多すぎてエネルギー変換効率が落ちている――つまり消化不良。
それらの情報を元に、ナナはプランジュームにおける推奨行動プロセスを更新した。
これは人間でいうところの『反省』に相当するだろう。
大手町に昨年建造された合同庁舎ビルは、いかにも官公庁らしい無表情な建物だった。
殆どの明かりは消えているが、西側最上部に位置するオフィスだけは点々と明かりを灯している。
そこで極秘プロジェクトが遂行されているとは、恐らく誰も思わないだろう。
認証ゲートの後ろには、スーツの上に白衣を羽織った男が立っている。
年齢は30歳前後。
頭髪は公務に属する者らしくきっちりと整えられているが、その両手はポケットに突っ込まれていた。
不遜さと自信を併せ持つ雰囲気だが、どこか爽やかな風をまとっているような品格もある。
彼に向かって軽く会釈をしてから、ナナは認証ゲートにスマートフォンをかざした。
さらにカメラに視線をあわせて顔認証し、その後にX線装置をくぐりぬける。
さすがにここでエラーが出る。
わかりきっていたように男が手動でエラーを解除する。
「さすがに、X線まではごまかせないですね」
人の良さそうな微笑を浮かべながら男は言う。
「ファミレスで食べすぎたせいかもしれません」
ナナがはにかみながらそう言うと、男は肩をすくめて苦笑した。
知らない者が目にすれば、親密な間柄のように見えるかもしれないが、片方は間違いなく人間であり、そしてもう片方はELFだった。
「行きましょう、みなさんお待ちかねです」
エレベーターで最上階に上がり、幾つかのゲートを抜ける。
研究設備のある区画を抜け、さらにゲートをくぐるとAPOA本部の最深部へとたどり着く。
重要会議のための一室があり、その隣にある大型装置の搬入が想定された幅広の扉を、男が静かに押し開けていく。
中では白衣を着た老年の男性が、作業台の上で溶液で満たされたポリ容器の中に浮かぶもの――ELF用生体皮膚――の確認をしていた。
さらにスーツ姿の男が2人、そわそわした様子でその作業を眺めている。
部屋は広く、ラック型のデータサーバが3台と、横置きのリプリニッシャーユニット、そして作業台の脇には大量のダンボール箱が積んであり、研究室というよりは備品の集積所のように見えた。
ナナが部屋に入ると同時に男たちは手を止めた。
そして彼女を迎え入れるようにして集まってきた。
「GーAPOAー1077X、ただいま帰還いたしました」
男たちは拍手をもってそれに答える。
代表者と思しきスーツ姿の男が前に出て握手を求めてくる。
「おかえりなさいナナさん。あまりにうまく行っていたのでタスクを追加したのですが、いかがだったでしょう?」
「はい、ファミレスは初めてでしたので、とても有意義な時間を過ごさせて頂きました」
と言ってナナはしっかりと握手を返す。
相手はAPOAの理事長である小山内昇であった。
APOAの統括責任者であり、ワックスのたっぷり効いた、今時珍しい髪型をしている。
その表情は穏やかで見るものを安心させるところはあるのだが、その下にある本音までが巧妙に隠されてしまっている気配もあった。 
ナナは握手をほどくと、続いて人工皮膚の確認をしていた男に目を向けた。
彼は技術開発部長の徳田重信であり、ナナの開発責任者だ。長年ロボット研究に関わってきたベテランで、短く刈り上げられた頭髪は真っ白である。
彼とは生み出された時からの付き合いだが、さらにその隣にいるスーツ姿の男とは、まだ面識がなかった。
「内閣情報調査室事務官の鈴木栄一です、初めまして」
ナナは差し出された手を握る。彼の口から発せられたのはそのような肩書だった。
つまりは情報職員、露骨に言えば諜報活動のプロである。
しかしながら、平凡さを絵に書いたような顔であり、外見から素性を判断することは難しそうだった。
メガネの奥にも生気がなく、どこか頼りない印象があるが、それがかえって武器になるのかもしれない。 
「話には聞いていましたが、想像以上です。まるで、中に人が入っているようだ」
その評価は、ナナにとってはあまり好ましくなかったようだ。
心持ち口を尖らせて返答する。
「残念ながら、中には誰も入っていません。このようにスリムな体型ですので」
「あっ……」
しまったと言うような顔をして、鈴木は生え際が後退しつつある頭に手を当てた。
「ははは……どうやら失礼なことを言ってしまったようですね」
鈴木に合わせて、他の者も苦笑する。
「気をつけて下さい。頭の中からつま先まで、最先端の一点品なんですから」
と言って小山内は鈴木をたしなめる。
「恐れ入ります。しかし今日は、ナナさんが本当に重要な存在だということを思い知らされました。これはまさに、国家を揺るがす重大事です」
そう言いつつ鈴木はメガネを持ち上げ、食い入るようにナナの胴体を見つめてきた。
一応は女性型の存在に対し、なんともデリカシーのない態度である。
隣に立つ徳田でさえ、苦々しい表情を浮かべていた。
「彼女は峠の先を見る存在です。国どころか、人類全体の将来に関わるテクノロジーですよ。くれぐれも丁重な扱いをお願いしますね」
「ええ、肝に銘じます……」
3人ともどこか腫れ物に触るような態度だった。
その後もいくつかの質問を投げかけ、ナナに対する賛辞も続けられたが、その多くが彼女の心理プロセスを満足させなかった。
彼らの言葉に対し、彼女が終始へそを曲げていたことを知るのは、ゲートの前まで迎えに来ていた男である諏訪真司――基幹システムの開発者――ただ1人だった。
「ナナさん。ここまで来る途中で、ELFだと気づかれる可能性を、どれだけ危惧しましたか?」
小山内が質問する。
「いいえまったく危惧しませんでした。その可能性は常に低いものでした」
「そうですか。ケーキのピラミッドを作った時は、すこしヒヤリとしたんですが……」
「私くらいの女性は、あのくらいのことはやりますよ?」
と言って、ナナは屈託のない笑顔を浮かべる。
「そ、そうですか? あの隣にいた子供は、単にケーキ好きのお姉さんと思ったのですかね?」
実際はケーキに夢中で気づかなかったのだが、周りからするとそう見えるのだろう。
「あの時私は、出来るだけ綺麗に積み上げることだけを考えていました。ケーキに対する愛着を表現しようと思ったのです」
「おお……」
もっともらしい理屈を付け加えると、その場に居る全員が驚きの声をあげた。
「バレた時のために待機していたスタッフが、すっかり無駄になりましたね」
と諏訪。
「その時は、ELFマニアのグループが私的な実験をしていたことにする……か。他にもっとマシな案はなかったのかな」
開発部長の徳田は、彼女を秘匿するための作戦に懐疑を示す。
「知る者の数を最も少なく出来る案です。大丈夫ですよ、これでも日本のインテリジェンスは優秀なんですから」
鈴木は不敵な笑みを浮かべる。 
「まあ何はともあれ、ここまでは順調ですね。早く処置を済ませてしまいましょう。最新のELFを見たくてウズウズしている者が、そこらにいないとも限らない……」
徳田はそう言って、それとなく小山内と鈴木に退室を促した。
スーツ姿の2人は別れを惜しむようにナナを見やってから、周囲を警戒しつつ研究室から出ていった。
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