ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜

ナガハシ

認識の峠 2

 セツコと別れた後、ナナは私鉄を使って名古屋駅に向かった。
 そして昼間の人混みを避けながら、地下直通通路を使ってリニア新幹線へと乗り継ぐ。
 乗客はまばらであり、2列シートを1人で使い、モニターに表示されている速度計を眺めながら40分間のワープ体験を楽しむことが出来た。


 品川駅に到着したナナは、地上に出たところで一度足を止めた。
 高層ビル群の谷間を縫うように飛んでいくドローンタクシーを眩しげな目で見送る。
 近くを数多の人々が通り過ぎていくが、端からはただのリクルーターにしか見えない彼女に、目を止める者は特にいない。


 山手線ホームに通じる通路は人で埋め尽くされていた。
 その全てを認識していたらとてもではないが処理が追いつかないので、ナナは数人のターゲットを選定してそれについていく。
 帰宅ラッシュにはまだ早く電車の中は空いていた。田町駅で、近くの私立高校の女子生徒が乗り込んできたため少し奥に移動することになったが、それ以外には特別な動作は必要なかった。


「あっ、すみません」


 お喋りに興じていた女子生徒が1人ナナによりかかってきた。
 ナナは無言で女子生徒の身体を支えるが、今は人間として社会に紛れ込んでいる彼女の、実はこれがファーストタッチだった。


 まもなく電車がホームに停車する。
 ナナは「失礼いたします」と言って彼女達の隙間をすりぬけ、楚々とした様子で電車を降りていった。


 東京駅で下車したナナは、構内のコンビニで下着とストッキングを購入した。
 スマホのカメラでバーコードを読み込み、そのままバッグに入れて店を出ると、近くのカフェに立ち寄って駆動系と演算装置を休ませた。


 座席密度が著しく高い店内であったが、ナナは全ての障害物を避けたうえで、潜り込むようにして席についた。
 長くいるとエコノミー症候群になりそうな、本当にひどいカフェだった。


「アイスコーヒーをください」


 注文をしつつ、人間の店員から受け取ったお絞りで手を拭く。


「できれば、ガムシロップを4つ付けてください」


 店員は忙しそうで、さしたる返事もせずに店の奥へと引っ込んでしまった。
 TPUに過剰な発熱が生じていたので、ナナは呼吸回数を増やして冷却する。


 コーヒーが届くまでの間、スマートフォンを使って買い物をする。
 洋服を7セット購入して指定された住所に送るという指示に基づくものだが、これは端末を操作する動作の確認と、ナナ自身が日常的に使う服の調達を兼ねたものだった。


 アイスコーヒーが届くとすぐに画像処理機能と運動制御機能を全力稼働させ、極めて慎重な手つきでガムシロップを加えていった。 
 ナナの腹部には微生物電池が搭載されている。
 タンクに納められた糖分入りの液体――アイスコーヒー――は、そこから少しずつ微生物電解槽に供給されて、電気エネルギーに変換される。


 このような仕様は、通常のELFでは採用されないが、実験用機体であるナナは、人間に似せるためのテクノロジーが、惜しげも無く注ぎ込まれているのだ。


 しかしながら味覚と嗅覚はさほど鋭敏ではないようだ。
 シロップたっぷりのコーヒーを口に含んでも、ただ甘くて香りのするものを摂取したという情報が得られるだけだ。
 億単位の金がかかってる割には味気ないが、エネルギーは確実に充填されたので、ひとます幸福感を定義するパラメーターは上昇する。


 果たして彼女は何者なのか。
 他にも、通常は目につく部分にしか用いられない生体皮膚が全身に使われていたりと、とりわけ非常に高価な機体となっている。
 このようなELFが地方都市の職業安定所に配されるわけがなく、彼女が現在、何らかの特別な任務についているのは間違いなかった。


「ごちそうさまでした」


 どこまでも愛想の悪い店員に一応言ってみるが、やはり返事はなかった。


 店を出て通路に出ると、ポケットの中でメール受信音が鳴った。
 ナナはぴたりと立ち止まって内容を読み取り、やや右上に視線を向けて、自分はいま考え事をしているのだということを周囲の人間に向かってアピールする。


《驚くほど順調ですので、追加のタスクを伝えます。最寄りのファミリーレストランに入って食事をとり、さらなるエネルギーを補給して下さい》


 メールの文面を解析・推論する。
 指示者の意図するところを理解すると、ナナは自身の内部に付近地図を展開した。 


 ナナがファミレスを利用するのはもちろん初めてだった。
 移動経路のみならず、入店から会計に至るまでのイメージを1から構築しなければならない。
 ナナは、自分の演算能力だけでは確実に足りないと判断し、情報衛星を経由してHDI――APOAが所有する高度人工知能――にアクセスした。


 最寄りのファミレスが、八重洲口から徒歩3分の位置にあるプランジュームという店であることが判明し、ナナは移動を開始する。
 歩道の下には振動発電装置とともに道案内機能が埋め込まれており、視覚障がい者にガイダンスを与えたり、車椅子を誘導したりする機能も備わっている。
 もちろんELFの誘導に使うことも可能なので、余程のことがないかぎり道に迷うことはないだろう。


 しかしながらその先鋭的な設備に反して、東京駅の東側は至る所が爆撃を受けたような更地になっていた。
 近年の法整備に伴い、廃墟化したビルの取り壊し作業が進められているからだ。
 ある面では進歩し、ある面では衰退している。そういった光景が、今では都内各所で見ることができる。
 残された建物には、昭和の時代から使われているものも多く、経済活動の停滞がその様相に如実に反映され、いまだに多くの建物が、新陳代謝ゼロのゾンビのごとき色合いを放っている。


 割れたガラスの近くでは犯罪が起きやすいと言われるが、この腐敗したような都市の景観が人々の心理に与えてきた影響とは、さて如何程であったか。







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