ユートピアver1.77 〜やがて《AI》は人と並び、その峠の先を見つめる〜
ハロー・ワーク 6
『セツコさんにお話したいことがあります』
訓練が始まってから1ヶ月ほどが経過したある日の午後だった。
休憩中に壁面ディスプレイが突然点灯し、ナナの方からセツコに話しかけてきたのだ。
「な、なんでしょう?」
こんなことは初めてだったので、セツコは少なからず驚いた。
一瞬、人に話しかけられたような感覚さえあったほどだ。
『以前お答え頂いた質問を元に、セツコさんに励ましの言葉を伝えたいのです』
「え……?」
その言葉は、良くも悪くも彼女の胸を貫いた。
ついに、人間がELFに励まされる日が来てしまった――。
『もしかするとセツコさんは、自分がELFのようにならなければ、この仕事は続けられないとお考えなのではないでしょうか』
図星だった。
セツコはただ頷くしかない。
職業安定所を訪れる人の多くが、ELFとの会話を期待している事実を知ってから、セツコは努めてELFのように振る舞うことを意識して仕事に臨んでいた。
『その考えは半分は正しいと言えます。セツコさんが、例えば私と同様の働きが出来るようになれば、当施設のELFを1体、他の施設に回すことが出来ます。そしてそれは行政の自動化を促進する上での、確実な助けとなります』
「え、ええ……」
違う、私が実現したかったのはそんな大層なものじゃない――。
相槌を打ちつつも、セツコは胸の内ではそう否定してしまう。
ロボットには永遠に理解できないしする必要もない、人間そのものの誇り。
そんなつまらない自意識のために仕事をしていたのだと。
この仕事はおそらくは人間には向いていないのだ。
セツコはそう思いつつ、ナナの話を聞き届けたら、きっぱりこの仕事から手を引こうと決意した。
『しかし、セツコさんに受けてもらっている就業トレーニングは、ELFと同等の働きをしてもらうことを目的としてはおりません。これは行政自動化倫理委員会の協議に端を発する、人間主義的プロセスを経て決定されたガイドラインに基づくものです』
小難しい言葉が出てきたが、要は人間が考えて決めたということだ。
「……つまり、ロボットになる必要はないと?」
『その通りです。そのような要請をセツコさんにすることは、何者にも不可能です』
「でも、ここに来る人はみんなELFと話をしたがっているんです」
『今はそうでも、これからはわかりません。セツコさんは、セツコさんの望む方向に周囲の環境を変えていけるのです。そしてそれは、私達には許されないことなのです』
まるで自分の意思で話しているようだとセツコは思った。
私達には許されないと言っておきながら、確実にこちらに影響を与えてきている。
「つまり、私の好にして良いということですか? 大して役にも立っていないのに」
『もちろんです。いつでもセツコさんにはその権利が与えられています』
まるで、ロボットから権利を付与されているように聞こえて、ますますセツコは切なくなった。
しばしば人が、ELFのことを上位者だと感じてしまう現象が知られているが、今がまさにそれだった。 
『業務の習熟度も高まってきていますし、私の補助がなくても、すでに96.7%の業務において問題なく遂行することが出来るでしょう。そろそろセツコさんの自由な意思による、私達にはまだ出来ない活躍をされるべきです』
私達にはまだ出来ない――。
自らの能力をわきまえたその発言に、セツコは人工知能の揺るぎない進歩を感じた。
自分を知る知性があり、他者の背中を押す力がある。
子育てを終えた者なら誰でも理解できようが、それは既に、一人前と言って良い存在なのだ。
感心するのを通り越して絶望すら覚えた。
意識が底の見えない穴の中を自由落下していく。
そしてついにセツコは、聞いてみようかと思いつつも、あえて避けていた質問をぶつけてしまった。
「その、創造的な活躍というのは、具体的にどんなことがあるんでしょう……」
人間にしか出来ない仕事とは何かを人工物に聞く。
その禁じ手としてきたそのルールを、セツコはついにやぶった。
ナナは答える。
『例えば、当職場の景観を創造する仕事をされてはいかがでしょうか。人の心理に作用する景観創造は私達にはまだ難しく、また莫大な計算リソースが要求されるタスクです。当施設には人間の職員が長らく居なかったため、恐らくは無味乾燥とした景観になっているはずです。そこをセツコさんに補完していただければと考えます』
ナナの返答に淀みはなく、一切のシークタイムが感じられなかった。
すでに自分の質問が想定され、その回答が用意されていたのは間違いない。
まるでお釈迦様の手の上だ――。
そして、1人の人間を励ますという目的のために、一体どれだけの計算リソースが浪費されてしまったのか。
それを思うとセツコは、様々な意味で心苦しかった。
『いかがされましたか?』
「いえ……その……」
『お困りのことがあれば何なりとおっしゃって下さい。私はセツコさんの力になりたいと思います』
思います――その言葉が脳裏に残響する。
ELFが、人工物が、思うという単語を我が物顔で使っている。
ディスプレイ越しに見る彼女がだんだん大きく見えてきて、それに反して自分がどんどん小さな存在に思えてくる。
セツコは惨めさに打ちひしがれる気持ちをもはや隠そうとは思わなかった。
感じたことをぞのまま伝える。
ただそれだけのことが、今セツコにできる、唯一の人間らしい行動だった。
「では聞きますね……私を励ますのに、一体どれだけの時間を使ったんです?」
言葉の冷ややかな響きは人工知能の働きにも当然影響を及ぼす。
ナナの回答に遅延が生じたが。
セツコは考える暇を与えずに言葉を重ねた。
「こんなこと……誰もお願いしていないのに。あなたほどの能力のある人なら、もっと他に考えることがあるんじゃないですか?」
言い終える頃には、セツコの目じりに涙がたまり始めていた。
ナナは表情を変えること無く彼女の言葉を聞き入れ、定められたプログラムに従って処理を行うための、十分な間をおいてから答えた。
『セツコさんにお伝えしたメッセージは、行政自動化推進機構が提供する就業訓練プログラムに基づいて生成されました。計算リソースには当施設の4体のELF専用TPU、その余剰分を割り当てました。計算時間は延べ1027時間56分40秒です』
「え……?」
もっと、理詰めで追い込んでくるような話し方をしてくると想像していたので、ただ事実を淡々と述べただけのナナの言葉は、かえって大きな衝撃があった。
「それってつまり……」
あくまでもこの施設のELFが空き時間で知恵を絞り、セツコがこの職場に早く定着できるよう『頑張った』ということだ。
ナナが、一昔以上も前のAIにも言えそうなことをあえて言ってきたその意味は、つまるところセツコに対するELF職員の『思い』を、最大限に証明しようとするものに他ならなかったのだ。
『セツコさんの仰ることはもっともです。私たちは与えられた計算能力を有効活用しなければなりません。しかしながら実のところ、私達はそれを達成する方法を、原理的に知ることができないのです』
その時、ナナが切なそうな表情を浮かべたように見えて、セツコは不覚にも胸を締め付けられた。
同時に後悔の念もこみ上げてきた。
私は恩を仇で返してしまったのかと。
『その答えは人間に教えてもらうしかありません。私達は、セツコさんにずっとここに居てもらうにはどうしたら良いかと考えて、先程のことを申し上げたのですが、どうやら、ご気分を害する結果となってしまったようです。心よりお詫び申し上げます』
と言って、ナナは深く頭を下げてきた。
心という言葉すらあまりにも自然に使うELFを前に、セツコの胸の内で膨らんでいた憤りが音もなくしぼんでいく。
自分はまるで駄々をこねている子供、もしくは成長した子供に諭されてへそを曲げている年寄りのようであったと感じ、痛烈に反省した。 
「……ごめんなさいナナさん。どうやら私は、ひどい勘違いをしていたみたいね。ありがとう、私のために色々と気を使ってくれて。これからも頑張るわね」
すると画面の向こうのELFは、見たことも無いほどの満面の笑みで答えてきた。
『はい! そう言っていただけて何よりです。これからも宜しくお願い致します。セツコさん』
休憩時間が終わりに近づいてきたので、今のうちにとトイレに向かう。
個室に隠れてナナの浮かべた笑顔を思い起こし、そしてセツコは、少しだけだが泣いてしまった。
訓練が始まってから1ヶ月ほどが経過したある日の午後だった。
休憩中に壁面ディスプレイが突然点灯し、ナナの方からセツコに話しかけてきたのだ。
「な、なんでしょう?」
こんなことは初めてだったので、セツコは少なからず驚いた。
一瞬、人に話しかけられたような感覚さえあったほどだ。
『以前お答え頂いた質問を元に、セツコさんに励ましの言葉を伝えたいのです』
「え……?」
その言葉は、良くも悪くも彼女の胸を貫いた。
ついに、人間がELFに励まされる日が来てしまった――。
『もしかするとセツコさんは、自分がELFのようにならなければ、この仕事は続けられないとお考えなのではないでしょうか』
図星だった。
セツコはただ頷くしかない。
職業安定所を訪れる人の多くが、ELFとの会話を期待している事実を知ってから、セツコは努めてELFのように振る舞うことを意識して仕事に臨んでいた。
『その考えは半分は正しいと言えます。セツコさんが、例えば私と同様の働きが出来るようになれば、当施設のELFを1体、他の施設に回すことが出来ます。そしてそれは行政の自動化を促進する上での、確実な助けとなります』
「え、ええ……」
違う、私が実現したかったのはそんな大層なものじゃない――。
相槌を打ちつつも、セツコは胸の内ではそう否定してしまう。
ロボットには永遠に理解できないしする必要もない、人間そのものの誇り。
そんなつまらない自意識のために仕事をしていたのだと。
この仕事はおそらくは人間には向いていないのだ。
セツコはそう思いつつ、ナナの話を聞き届けたら、きっぱりこの仕事から手を引こうと決意した。
『しかし、セツコさんに受けてもらっている就業トレーニングは、ELFと同等の働きをしてもらうことを目的としてはおりません。これは行政自動化倫理委員会の協議に端を発する、人間主義的プロセスを経て決定されたガイドラインに基づくものです』
小難しい言葉が出てきたが、要は人間が考えて決めたということだ。
「……つまり、ロボットになる必要はないと?」
『その通りです。そのような要請をセツコさんにすることは、何者にも不可能です』
「でも、ここに来る人はみんなELFと話をしたがっているんです」
『今はそうでも、これからはわかりません。セツコさんは、セツコさんの望む方向に周囲の環境を変えていけるのです。そしてそれは、私達には許されないことなのです』
まるで自分の意思で話しているようだとセツコは思った。
私達には許されないと言っておきながら、確実にこちらに影響を与えてきている。
「つまり、私の好にして良いということですか? 大して役にも立っていないのに」
『もちろんです。いつでもセツコさんにはその権利が与えられています』
まるで、ロボットから権利を付与されているように聞こえて、ますますセツコは切なくなった。
しばしば人が、ELFのことを上位者だと感じてしまう現象が知られているが、今がまさにそれだった。 
『業務の習熟度も高まってきていますし、私の補助がなくても、すでに96.7%の業務において問題なく遂行することが出来るでしょう。そろそろセツコさんの自由な意思による、私達にはまだ出来ない活躍をされるべきです』
私達にはまだ出来ない――。
自らの能力をわきまえたその発言に、セツコは人工知能の揺るぎない進歩を感じた。
自分を知る知性があり、他者の背中を押す力がある。
子育てを終えた者なら誰でも理解できようが、それは既に、一人前と言って良い存在なのだ。
感心するのを通り越して絶望すら覚えた。
意識が底の見えない穴の中を自由落下していく。
そしてついにセツコは、聞いてみようかと思いつつも、あえて避けていた質問をぶつけてしまった。
「その、創造的な活躍というのは、具体的にどんなことがあるんでしょう……」
人間にしか出来ない仕事とは何かを人工物に聞く。
その禁じ手としてきたそのルールを、セツコはついにやぶった。
ナナは答える。
『例えば、当職場の景観を創造する仕事をされてはいかがでしょうか。人の心理に作用する景観創造は私達にはまだ難しく、また莫大な計算リソースが要求されるタスクです。当施設には人間の職員が長らく居なかったため、恐らくは無味乾燥とした景観になっているはずです。そこをセツコさんに補完していただければと考えます』
ナナの返答に淀みはなく、一切のシークタイムが感じられなかった。
すでに自分の質問が想定され、その回答が用意されていたのは間違いない。
まるでお釈迦様の手の上だ――。
そして、1人の人間を励ますという目的のために、一体どれだけの計算リソースが浪費されてしまったのか。
それを思うとセツコは、様々な意味で心苦しかった。
『いかがされましたか?』
「いえ……その……」
『お困りのことがあれば何なりとおっしゃって下さい。私はセツコさんの力になりたいと思います』
思います――その言葉が脳裏に残響する。
ELFが、人工物が、思うという単語を我が物顔で使っている。
ディスプレイ越しに見る彼女がだんだん大きく見えてきて、それに反して自分がどんどん小さな存在に思えてくる。
セツコは惨めさに打ちひしがれる気持ちをもはや隠そうとは思わなかった。
感じたことをぞのまま伝える。
ただそれだけのことが、今セツコにできる、唯一の人間らしい行動だった。
「では聞きますね……私を励ますのに、一体どれだけの時間を使ったんです?」
言葉の冷ややかな響きは人工知能の働きにも当然影響を及ぼす。
ナナの回答に遅延が生じたが。
セツコは考える暇を与えずに言葉を重ねた。
「こんなこと……誰もお願いしていないのに。あなたほどの能力のある人なら、もっと他に考えることがあるんじゃないですか?」
言い終える頃には、セツコの目じりに涙がたまり始めていた。
ナナは表情を変えること無く彼女の言葉を聞き入れ、定められたプログラムに従って処理を行うための、十分な間をおいてから答えた。
『セツコさんにお伝えしたメッセージは、行政自動化推進機構が提供する就業訓練プログラムに基づいて生成されました。計算リソースには当施設の4体のELF専用TPU、その余剰分を割り当てました。計算時間は延べ1027時間56分40秒です』
「え……?」
もっと、理詰めで追い込んでくるような話し方をしてくると想像していたので、ただ事実を淡々と述べただけのナナの言葉は、かえって大きな衝撃があった。
「それってつまり……」
あくまでもこの施設のELFが空き時間で知恵を絞り、セツコがこの職場に早く定着できるよう『頑張った』ということだ。
ナナが、一昔以上も前のAIにも言えそうなことをあえて言ってきたその意味は、つまるところセツコに対するELF職員の『思い』を、最大限に証明しようとするものに他ならなかったのだ。
『セツコさんの仰ることはもっともです。私たちは与えられた計算能力を有効活用しなければなりません。しかしながら実のところ、私達はそれを達成する方法を、原理的に知ることができないのです』
その時、ナナが切なそうな表情を浮かべたように見えて、セツコは不覚にも胸を締め付けられた。
同時に後悔の念もこみ上げてきた。
私は恩を仇で返してしまったのかと。
『その答えは人間に教えてもらうしかありません。私達は、セツコさんにずっとここに居てもらうにはどうしたら良いかと考えて、先程のことを申し上げたのですが、どうやら、ご気分を害する結果となってしまったようです。心よりお詫び申し上げます』
と言って、ナナは深く頭を下げてきた。
心という言葉すらあまりにも自然に使うELFを前に、セツコの胸の内で膨らんでいた憤りが音もなくしぼんでいく。
自分はまるで駄々をこねている子供、もしくは成長した子供に諭されてへそを曲げている年寄りのようであったと感じ、痛烈に反省した。 
「……ごめんなさいナナさん。どうやら私は、ひどい勘違いをしていたみたいね。ありがとう、私のために色々と気を使ってくれて。これからも頑張るわね」
すると画面の向こうのELFは、見たことも無いほどの満面の笑みで答えてきた。
『はい! そう言っていただけて何よりです。これからも宜しくお願い致します。セツコさん』
休憩時間が終わりに近づいてきたので、今のうちにとトイレに向かう。
個室に隠れてナナの浮かべた笑顔を思い起こし、そしてセツコは、少しだけだが泣いてしまった。
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